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文芸部にて

第二校舎の四階。その一番奥側の部屋が戒の向かう場所だった

彼は引き出し式のドアの前まで来るとゆっくりと音を立てないように静かにそれを横に開いて中の部屋に入った

その部屋にはいくつかの本棚と、「部員募集」と油性マジックで書かれたポスター。そして奥川の窓際に近い席には髪を肩まで切りそろえたボブカットに近い髪形をした女子生徒がカバーのかかった文庫本を開いている

肩に付けられた学年賞の色は三年生を表す緑。あと三ヶ月程度で初夏を迎えるこの時期卒業は僅か一年後に控えているはずなのだが、その女子生徒は度々この冷に顔を出しているのだ

そして、三年生の彼女は彼の先輩であるのだ。

彼は少女がいる部屋の扉が静かに開くのだった


「こんにちは、白石先輩」


部室の中に入った戒は自分の所属する三年生の文芸部の先輩、白石飛鳥に控えめに礼をして挨拶する

ここは文芸部であり一年生の途中から戒が所属している部活なのだ


「こんにちは、神城くん」


白石飛鳥は挨拶を返してにっこりと笑顔を返す。彼女の飾らない笑みに基本的に人前で愛想笑いしかしない戒も笑みを返す

滅多に笑わない戒ですらも自然と笑みを浮かべてしまう、彼女の明るい雰囲気が飽きっぽくて人付き合いが嫌いな性格の戒が部を辞めない要因でもあった


「二年になって進路は決まった?後輩もできて嬉しいんじゃない?」


「学年末の成績は上の下くらいなので、たぶん大丈夫です。後輩は居ません、知り合いなんて少ないほうですし」


「今に満足してたらあっという間に追い越されるよ。勉強はこまめにね、それともう少し愛想よくしといた方が得するよ」


「そうでしょうか?」


「まあ、戒君らしいって言えばらしいけどね。」


そう言って飛鳥はくすくすと笑った。戒も別に先輩にそういう顔をされることは不快じゃなかったのでまた笑みを浮かべた

なぜか飛鳥の前で戒が自分を偽ることはあまり無い、もしかしたら年上ながらも彼女が持つ無邪気な気質に触れているのかもしれないが

その彼女が手荷物本に視線が留まる。気になってみたので尋ねた


「あの、なに読んでるんですか?」


「詩集よ。」


「誰のですか?」


「ゲーテ」


ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ。十八世紀生まれの詩人であり、小説家、哲学家としての顔を持っている割と有名な人物だった


「聞いたことがあります。名前だけですが・・・」


戒の答えに正解と答えるように飛鳥が要領のいい生徒を褒める教師のように頷く。幼い顔立ちに反比例した上品な表情。それを見て戒は少し嬉しくなった

なぜか、そういうことを飛鳥からされてもあまる不快感は感じない


「じゃあ、そのうち読んでみれば?賢者は歴史に学ぶという格言も有るくらいだからちょっと人付き合いが悪い君にはちょうどいいかも」


人間嫌い。飛鳥の言葉に微かに混じった針は確かに思い当たる節でもあるとはいえ普通そこまで言われれば不快に思う人間も居るのだろう

だが戒は飛鳥に言われるなら別に気にすることはないと思っていた、ほかの人間にそう告げられたら流石に不快感を感じるであろうが

彼女からは妙に人懐っこい感じがそう思わせないのだ。人徳またはカリスマによるものかもしれない

クラスなどではまとめ役になれる気質だった。戒はそれが少し羨ましかったのだが


「すみません・・・暗い性格で」


「あんまり謝らない方がいいよ。軽く見られちゃう」


「とりあえず演技でも見せていたほうがたいていの日本人は許してくれますから、僕なりの処世術だと思ってください。」


呆れた様に飛鳥は溜息をついた。まるで手のかかる子供の世話に手馴れた器用な母親のように


「そういうんじゃなくて、あまりやりすぎると立場を悪くするよ。面の皮を厚くしろってわけじゃないけど謝る場所も見極めたほうがいいって」


「僕は先輩を舐めてなんていませんよ。」


クスッ、と飛鳥は口に軽く手を当てて笑う。やや子供っぽい仕草に思わずどきまぎしてしまう


「君は純情すぎるよ。よく言えば真面目、悪く言えば世間知らずって感じかな」


「・・・すみません。」


「もう、だから謝らなくっていいって言ってるのに・・・」


飛鳥は困った顔をした。手のかかせる園児がちょっとした悪戯をしたのをどう宥め様としているのか困惑しているような保母の顔

だが、その表情を急に引き締め。真面目な顔になって本棚に目を通す戒のほうを見た


「ねえ、戒君」


「なんですか?先輩」


「窓の向こうって唐突に見たくなることってない?」


「うーん、どうでしょうか?まあ、授業中にですがとかたまにありますよ。」


歯切れの悪い返答に自ら呆れ返る戒だが、クラスメイトとは違い飛鳥は些細なことは気をつけていないようだった

気を使わせていることには自覚していた。だから集団行動は苦手なのだと戒自身が自負するものであったが飛鳥はそれを感じさせないように振舞っているようで、戒としては非常に有難かった


「厳密に言うと空の向こう側。透き通ったきれいな青空じゃなくて七割がた雲に覆われているような雨が降りそうな感じの」


「僕もそのほうが好きなのかもしれません。雲がないと遮る影が無くなってこれから暑いですし」


自分の言葉に引っかかるものを覚えた戒だったが、その感情は置くに引っかかった小骨のようになかなか出てこなかった


「その、雲の向こう側に何かが隠れていて誰かを待っているような気がすることはない?」


飛鳥は神妙な表情になり言う。夕日に照らされたその横顔が意外にも整っていて、儚いものを感じさせ戒はその表情に見とれた


「・・・。」


戒はすぐには答えられなかった。無視したからではなく彼女の言葉を補完できるような単語がすぐに思い浮かばなかったのもある

窓の外の赤みが差しかけている空を見ながら飛鳥が言う


「夕焼けって綺麗だけど、すぐに暗くなっちゃうね。だから私はあまり好きじゃないんだ、一日の儚さを見せ付けられているようで」


「僕も・・・嫌いなのかもしれません」


それは本心からの言葉で別に飛鳥の感想に合わせて言った適当な言葉ではなかった。彼女の前で戒は嘘を付きたくは無かった

もしかしたら彼女に惹かれているのかもしれないと自覚することはある


「ごめん、今度は私が謝る番だね。少し気を使わせちゃったから」


飛鳥がぺこんと頭を下げた。染めたのではない天然色で短く切られた栗色の髪が揺れるのをみて戒はなんとも言えない気持ちになる


「・・・僕は気にしませんよ」


戒は流石になんと言ってよいか解らずに適当に相槌を打ってしまった。こんな言葉しか返せない自分に苛立ちさえ覚える

彼は自分の釈然としない部分が嫌いだった、無神経ではない分無性に目に付いてしまうのだ。自分でも

それから二人の間に言葉はなく。ただ沈む夕焼けが沈むまで空を見上げていた


すっかり暗くなってしまい、二人は帰宅の準備を始める

文芸部には二人しか部員がいない。三年生の飛鳥が居なくなれば部員は戒一人になり一年生が入らなければつぶれてしまう


「四月になったとはいえ、まだ寒いよね。あんまりぺこぺこ必要なんて無いよ、同じ部員なんだし」


「先輩の困った顔が見たくて。さっきは二回も謝りました、本当にすみません」


彼なりにいろいろ考えた冗談は飛鳥に受けたようで彼女はプッ、と噴き出してしまう


「もう、本当に手を焼かせる後輩だこと。」


「冗談ですよ」


飛鳥は苦笑いしながらそう言う。彼女も戒が冗談を言うのが意外で嬉しかったのだろう

戒もつられて笑ってしまう。クラスの人間も彼女くらい気を使ってくれればもっと充実した生活が送れそうだったのだが


「どう、一緒に帰らない?」


唐突に飛鳥の提案に戒が戸惑った。言葉の意味を真正面から捉えてみても彼女の家は自分の家よりそう遠くないはずだった

送っていくのには支障は無いのだが、戒は首を横に振る


「僕が居ると先輩に迷惑がかかりますので」


「私の彼氏って思われたくないのかな?」


飛鳥がクスリと笑いながら聞く。戒は返答に困った


「それは・・・。」


戒は飛鳥が突然言った事に対して口ごもりそうになるが、彼女は戒が困っているのを見て悪戯っぽく笑って誤魔化した


「・・・ふふ、冗談よ。それじゃ神城君また明日ね」


そう言う飛鳥の表情に少し寂しいものを感じた戒だったが口には出さない。いや、出せなかった


「解りました。さようなら飛鳥先輩」


それから二人は互いに別れの挨拶を交わし、それぞれの自宅への帰宅の道に付いたのだった

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