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戒の空(2)

階段を駆け上がった先に屋上に繋がる薄緑色に退色した古びたドアが見える

それは金属製で古いものなのか所々錆を帯びていたが異様な存在感を放っていた

戒は薄く埃の積もったドアノブを手で払いながら、軽く握って回してみる。当然の事ながら鍵が掛けられていたので開くことは出来なかったが


「もしかして、屋上に出るつもり?」


天音が戒に尋ね、彼女の方を見ないまま彼は頷いた


「無駄ね。そこは鍵がかけられているもの」


彼女は薄笑いを浮かべ無駄だと諭すが、逆にそれを返すように戒は口元を笑みの形に歪める。まるでその返事を待っていたと言わんばかりに


「それはどうかな?」


それでも、彼は落ち着いた態度を微塵も崩さない。天音は訝しげな瞳で彼を見た

戒が胸ポケットから黒光りする金属製のヘアピンを取り出し、鍵穴に差し込み器用に回すと

数秒後、錆に覆われた金属同士が擦れる様な音を立ててドアが開き、踊り場に風が吹き込んでくる


「嘘・・・まるで手品みたい。」


天音の驚いた顔が意外と愉快だったので、戒は『手品』の種明かしを話した


「色々あってある人に教えて貰ったんだ、僕の得意技ってわけでもない

まあ、教室から見るよりもこうやって生で見る空のほうがくっきりと見えないかい?」


二人が上空に見たそれは、空に浮かぶ赤い銀河だった


夕日を覆い隠すように紅に染まった雲が、まるで銀河系に無数に散らばった天体のように渦巻いている

遠くで茜色の光を放つ太陽が薄い雲に橙に近い色彩を与え、無色だった雲が様々な色に染まり空を覆っていた

それは一見、太陽を眼球に例えれば、空に浮かび地上を見下ろす巨大で不気味な赤い目玉にも見えなくもない。だが、戒はこの光景が好きだった


狭い地球上に顕現した赤き銀河。その巨大さに圧倒され自分という存在が飲み込まれるようで壮大だ

だがそれは人の血を思い起こさせると同時に、大きく渦巻く雲は終わりのない生命の輪廻を現しているようにも見え

それを思うと過去から人類を見つめてきた空こそが自分を生み育てた親に見守られているように、力が湧く気がするのだ

その光景を彼女にも見せてやりたかった。同じ空に思いを向ける天音ならば分かってくれると確信していたから


「どうぞ、ここには僕もたまに来るからね。流石に開け方は教えてもらったものだけど」


戒にピッキングの仕方を教えたのは白石飛鳥であった。文芸部に入ってしばらくした後、彼女がこの場所に戒を連れて事があった

あまり自分の考えを表に出すことのない戒にとって飛鳥のその出来事は未知への旅立ちと共にある感情を思い起こさせるもので懐かしさすら感じさせる

それは遠い昔に捨て去ったはずの空への感情。そして果てしなく広い蒼穹の天に対する憧憬の思い、そして・・・

戒の横を長い髪を靡かせながら少女が抜き去っていく、その姿はやはり『彼女』に似ていると戒は思った


フェンスの近くまで寄った天音を爽やかな春の風が戯れのように彼女の長い髪を揺らす

屋上から見る街の光景はすっかり影に覆われていて、所々に点在する光が人がそこに住んでいることを示している

空はまだ明るいが、街には中心街からだいぶ離れているため故かビルなどの大きな建物はあまり無い。そして眼下に広がる民家の無数の明かりは暗闇にちりばめられた宝石が自ら光を放っているようで赤い空との対比になっている

感慨を覚えたのか天音は手すりに擦り寄って下の光景を眺めていたが、頬に手を当て戒に尋ねる


「ここって、立ち入り禁止よね?」


天音が聞く、彼女の態度から大分棘が取れてきたのに戒は気付いた。


「まあ、悪くない光景だろ。ちなみに僕のしたことは黙ってくれると嬉しいんだけどな。一応犯罪だから」


「あんたが私を無理矢理ここに連れてきたのにそんなことよく言えるわね・・・」


「そのことについては謝っておくよ、ごめん・・・どうしてもこの光景を見せたかったんだ

教室からだと建物が邪魔だろ?ここなら良く見える。」


「さり気なく私のせいにしないで」


「ごめん。」


戒は謝ってはみたが、既に天音は空一杯に広がる夕焼けに目を奪われていて彼の方など気にしていない様子だ

既に下の光景は彼女の関心に無いようで、意識は茜色の染まった天空に向いているようであった


「変なの・・・何回もここに忍び込もうと思ったのに、あっさり入れるなんて」


「どうやってやろうと思ったんだ?」


「アンタみたいなこともしたけどね、最近思いついたときには笹山が見回りの係だったし・・・自分でも意外なくらい不器用だった」


不器用。と言った傍で彼女が恥ずかしそうにしているのが微笑ましく皮肉の一つでも言ってやろうかと思ったが、やめた

今の雰囲気を壊したくない思いもあったが、何より上手い言葉が一つも浮かばなかったのだ

それに、完璧に見えた彼女の欠点が見えた事が彼に優越感を与え、心地よかったからだ


「あいつが戻ってくるようなことがあったら、こんなことはもう出来ないよ。君も空が見たいのなら教室を出たほうがいい」


天音は無視して手を広げた。白鳥がその巨大な翼を大きく広げるように

戒には彼女が自分の手で空を包もうとしているかのように見えた、羽ばたこうとしているようにも

彼はしばらく無言で見守った。その光景も何処かで、記憶の彼方に忘れ去った物を思い起こさせるかもしれないと考えたからだ


二人は無言のまま上空を見上げ、異なった空への思いを省みたのだった





「気は済んだかい?」


すっかりと暗くなった夜の階段を降りながら、戒が尋ねた

時刻はすでに七時に近づいていたが、闇夜に包まれた完全な夜にはなっていない

あまり暗くなっては例え学校で教師に見咎められなくとも、帰宅の最中に補導される心配はあった

だが、しばらく戒は天音の好きなように空を見せておこうと思った。何故そうするのか自分でもよく分からない

彼女はまるで空に求めているようにも見えた。それが何かはエスパーですらない戒に悟ることは出来なかったが


「全然、私が探しているものはまだ見つかってないもの」


探す。それと空を見続ける行為に何の関連性があるのか?会は疑問を口にする


「何を探しているんだい?」


天音は途中で自分の言葉を切って、細い顎に手を当てた

まるで夕食のディナーを品定めするかのように考えているようにも見えなくも無い

答えを待ってみた、しかし


「別にアンタには関係ないわ」


それは明らかな拒絶の意思だった

戒は微かに落胆と失望を覚えたが、あまり話をしたことの無い人間に彼女が秘密をしゃべりすぎる訳ではない。と一応は納得してみせる


「そう」


無関心そうに言ってみたのは天音を傷つけないように配慮した結果であったが、二人の間に言葉は途絶えてしまった

それから二人の間に漂う沈黙、だがそれは不思議と友人同士が会話に詰まったときの気まずいものでは無い


戒は再び彼女を見た

夕日を前面に受け、空を仰ぐ天音の姿が夕日の中、くっきりと映し出されている

天音が背を向けている戒から太陽を見ると、ちょうど夕日が逆光になってひどく見辛いので思わず、右手で遮る様に眼前にかざす

その光景は、丸く赤く燃える夕日に天音が魅入られているような気がして、不安にならざるを得ない

彼女から目を離す事はできない、ずっと見守らなければ彼女が夕日に吸い込まれて消えてしまうような気がしる


(いつか彼女も理想郷に行くのだろうか?)


戒はなぜ、そんな感傷を抱いたのか今の自分には解らなかった

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