第38話 魔王城で住み込み
下界出張、18日目。
期限、未定。
4日歩いて、北の果ての荒れ地に着いた。
7本の尖塔が夕焼けの中に立っている。尖塔の先から、白い湯気がゆっくりと昇っていた。
城が、息をしている。
「……大きいですね」
「あんたが作ったんやろ」
「作ったのは、ツカモリです。俺が作ったのは、仕様書の1枚です」
「1枚で、これか」
ヨルムさんが尖塔を見上げた。
水鏡で見たときは荒れ地の真ん中の、土色の小山だった。下から見上げると、立派な城だった。玉座部会が見たら、たぶん泣く。
入口の看板は前より1枚増えていた。
『北の果ての宿』
『冬暖かく、夏涼しい』
『通路は毎晩変わります(迷路代は宿代に含む)』
『魔王様 ただいま育ち直し中 お静かに』
4枚目の字はひどく丁寧だった。ゴブリンの字ではない。宿の客の誰かが代わりに書いてあげたらしい。
その下に小さな貼り紙があった。
『従業員募集 ゴブリンと一緒に働ける方 まかないつき』
「……求人、まだ出てますね」
「転生受付の掲示板にも、同じ求人が出とったな」
天界と下界で同じ求人が出ていた。ゴブリンの人事は世界をまたいでいる。
*
勇者は門をくぐるなり、まっすぐ城の奥へ歩いていった。魔王の顔を見に行くらしい。宿の冒険者たちが勇者を見て一斉に道をあける。
俺は受付の前に立つ。
受付の机の向こうにゴブリンが座っている。背中に赤ん坊をおぶっている、あのゴブリンだった。目の下の隈はもう消えていた。
「あの、求人を見て」
ゴブリンが顔を上げる。
俺の顔を見る。俺の羽を見る。俺の手を見る。それから、机の下から石板を1枚取り出した。
石板には、絵が描いてあった。
ほうき。鍋。赤ん坊。迷路。
ゴブリンはそれぞれの絵を指さして、俺の顔を見た。
「……どれができるか、ってことですか」
ゴブリンが頷く。
面接だった。
「掃除は、できます。料理は、前世で少し。子守りは、グラナ村で逆に預けられました。迷路は」
俺は迷路の絵を見た。
「……作りました」
ゴブリンは首を傾げた。それから、石板の全部の絵に丸をつけた。
採用だった。
ヨルムさんの方を見る。ゴブリンはヨルムさんの大きな翼を見て、深々と頭を下げた。それから、宿で一番いい部屋の鍵を差し出した。宿代の欄には、「0」と書いてある。
「天使様は、タダらしいで」
「俺は、働いて泊まるのに」
「羽の大きさの差や」
ヨルムさんは、鍵を指で回しながら、階段を上がっていった。
*
その夜のまかないは麦のおかゆだった。
従業員用の食堂で受付のゴブリンが、木の匙でおかゆをすくって俺の口の前に差し出した。
「……自分で食べられます」
ゴブリンは匙を引かない。首を少しだけ傾げて、待っている。
グラナ村と、まったく同じだった。ゴブリン同士で何かが伝わっているらしい。「大きいまかべくんは、食べさせてあげること」。たぶん、そんな内容だ。
俺は口を開けた。
隣のテーブルで勇者も同じように食べさせてもらっていた。勇者は何の抵抗もなく口を開けている。慣れていた。
ヨルムさんだけが自分の匙で食べていた。天使様にはゴブリンも遠慮するらしい。
「……ずるくないですか」
「羽の大きさの差や」
今日2回目だった。
*
住み込み1日目の仕事は、迷路の案内係だった。
宿の客を玉座の間まで連れていく。通路は毎晩変わるので、毎朝、案内係が道を覚え直す。
俺は朝食の前に城の中を一回りした。
迷った。
右に曲がると、行き止まりだった。左に曲がると、食堂に出た。まっすぐ行くと、また行き止まりだった。昨日の夜まであった通路が、土の壁になっている。
「……ツカモリ、仕事が早すぎる」
夜のうちに巣の通路を作り替える。侵入者を迷わせる。仕様書の脅威の欄に俺が書いた1行だった。
侵入者には、設計者も含まれるらしい。
1時間後、俺は冒険者の一団に発見された。
「……案内係さん?」
「はい」
「迷ってます?」
「……はい」
冒険者の1人が地図を広げた。今朝描いたばかりの、新しい地図だった。
「玉座の間なら、こっちです。ついてきてください」
案内係が、客に案内された。
冒険者たちは俺の羽をちらちら見ていた。それから、ひそひそと話し始める。
「あれ、図鑑の……」
「魔王の父だろ。勇者の見逃し印が押されたっていう」
「魔王の父なのに、魔王城で迷ってるぞ」
「父親が、息子の家で迷うことは、あるだろ」
「……あるな」
妙に納得された。
*
2つ目の仕事は蒸し風呂の番だった。
城の壁の暖かい隙間に、コタツバチが巣を作っている。客が入ると、群れで取り囲んで蒸す。宿の名物だ。
番の仕事は湯加減を見ること。つまり、コタツバチの様子を見ること。
俺は蒸し風呂の扉を開ける。
コタツバチの群れが一斉にこちらを向いた。
それから、一斉に飛んできた。
「待って、俺は番の」
取り囲まれた。
茶色い毛糸玉が、俺の体の何倍にも膨れ上がる。暑い。暑い。暑い。蜂の羽音がぶんぶんと耳元で鳴っている。
俺が仕様書に書いた。「群れで敵を取り囲み、体温を上げて蒸す」。
敵には、番も含まれるらしい。
10分後、俺は蒸し風呂から転がり出た。汗だくだった。顔が真っ赤だった。
廊下で待っていた冒険者が、目を輝かせた。
「番の人も、蒸されるんですね」
「……蒸されます」
「湯加減、どうでした」
「……灼熱でした」
冒険者は嬉しそうに蒸し風呂に入っていった。俺の報告がいい宣伝になったらしい。
*
3つ目の仕事は堀の掃除だった。
城の周りの堀には、ミズヨロイが住んでいる。四天王の5人目。俺が最初に設計した、敵の匂いで鎧を作るミジンコ。
俺は網を持って、堀のそばにしゃがんだ。沼の森で拾った、あの古い網だった。掃除用にゴブリンが繕ってくれた。
堀の水を覗き込む。
ミズヨロイが俺の匂いを嗅ぐ。
鎧を作り始めた。
「……俺だよ」
鎧を作っている。
「設計した人だよ」
鎧を作っている。
水の中の小さなミジンコたちが、一斉に俺に向けて鎧を作り始めていた。前は間に合わなかった鎧が、今日はじっくり時間をかけて、ちゃんと仕上がっていく。
設計者を、敵として認識している。
少しだけ、傷ついた。
同時に、少しだけ、嬉しかった。鎧は間に合っていた。1号の設計ミスがようやく直っていた。直したのは俺ではなかった。堀の水と、時間と、網ですくわない宿の規則だった。
俺は網を使わずに手で落ち葉だけを拾った。
*
4つ目の仕事は子守りだった。
城の一番奥、ツカモリの女王の部屋の隣。一番暖かい部屋。
揺りかごの中に小さな魔王が寝ていた。
両手に乗るくらいの大きさ。黒くて、丸くて、頭に小さな角が2本。角の先はまだ丸い。勇者がかけたあの毛布に、くるまっている。
揺りかごの横に勇者が座っていた。
勇者は手のひらを揺りかごの上にかざして、魔王の大きさを測っていた。それから、帳面に書いた。
『魔王 まだ ちっちゃい』
『でも ちょっと 大きくなった』
勇者は俺を見て頷いた。子守りの交代らしい。勇者は剣を持って部屋を出ていった。宿の薪割りを手伝いに行くのだという。勇者も宿では見習いだった。
俺は揺りかごの横に座る。
小さな魔王が目を開ける。
俺を見上げる。
首は、傾げなかった。68単位分、まっすぐだった。
代わりに小さな鳴き袋を膨らませた。
「……ぷ」
「……こんにちは」
「ぷ」
会話が成立しているのか、どうなのか、判断に迷った。
小さな魔王が揺りかごから手を伸ばした。俺の背中の、小さな羽をつかんだ。
引っ張った。
「痛い、痛い」
離さない。羽の大きさがちょうど小さな魔王の手に合うらしかった。つかみやすいのだ。
この羽が、生まれて初めて、誰かの役に立っていた。
毛布を直そうとして、手を伸ばした。
小さな魔王がびくりとする。
頭の丸い角から、オレンジ色の角がにゅっと出た。
においが、出た。
「……っ」
鼻をつまんだ。目に涙がにじんだ。赤ん坊でもにおいは一人前だった。角部会の仕事は確かだった。
部屋の入口でゴブリンが笑っていた。声は出ないが、肩が震えている。
ゴブリンは慣れた手つきで壁の通気口の栓を抜いた。ツカモリの煙突に向かって、においがすうっと抜けていく。城の空気の流れをちゃんと知っているのだ。
課長が舟で一番困ったのが、においだった。この城は、窓が1つもないのににおいで困らない。
揺りかごの中で小さな魔王が、また目を閉じた。俺の羽はまだつかんだままだった。
寝息の合間に小さな声がこぼれた。
「……むにゃ」
寝言だった。
まだ、言葉にはなっていない。「むにゃ」だけ。寝言部会がどうしても譲らなかった部分だけが、先に育っていた。
*
住み込み1日目の夜。
ヨルムさんが従業員用の小さな部屋に来た。一番いい部屋に泊まっているのに、雲を吸うときはなぜか俺の部屋に来る。
「どうや、魔王城の仕事は」
「迷路で迷って、蒸し風呂で蒸されて、ミズヨロイに鎧を作られて、魔王に羽を引っ張られて、においを嗅がされました」
「全部、あんたの設計どおりやな」
「全部、俺の設計どおりです」
ヨルムさんは雲を吐いて笑った。
「設計どおりに動く魔物に、設計者がやられとる。天界で一番、正確な仕様書を書いたんやないか」
「褒めてます?」
「褒めとる。たぶん」
扉が叩かれて、勇者が顔を出した。手に帳面と地図の束を持っている。
「12枚目」
勇者は今朝の迷路の地図を広げて見せた。俺が1時間迷った通路が、きれいに描いてある。
「……俺が迷ったところ、ここですね」
勇者はその場所に小さな丸をつけて、横に書き込んだ。
『魔王の父 迷った ここ』
地図に俺の設計ミスの跡が記録された。
ヨルムさんが勇者の帳面を手に取って、赤ペンで何か書き込む。勇者は覗き込んで嬉しそうに首を傾げた。字の練習の続きらしい。
窓の外で、尖塔の湯気が夜空に昇っていた。
そのとき、天界の鳩が湯気の中から飛び出してきた。煙突の上昇気流に乗ってきたらしい。
筒の中には、紙が2枚。
『魔王の子守りしてるの見たー! 羽つかまれてた! かわいい!』
『そろそろ、ワクワクしてきたかも!』
2枚目はミカさんからだった。
『宿の給金は、出張手当の対象外です。まかないは、経費として計上できます。領収書をもらってください。 ミカ』
「……ゴブリン、領収書書けますかね」
「字、書かれへんからな。石板に丸でもつけてもらい」
女神様の手紙をもう一度読む。
そろそろ、ワクワクしてきたかも。
期限、未定。その「未定」が少しだけ、決まりかけていた。
下界出張、19日目。
設計者は自分の魔物たちに、毎日ちゃんと負けていた。




