第1話 知能:空欄
俺の死因は、チョコレートだった。
正確に言えば、チョコレート菓子の試作品が詰まった段ボール箱、48箱である。新商品「ほろにがティラミス大福」の試食会を翌朝に控えた深夜、倉庫の棚から崩れてきたそれが、商品企画部4年目の俺、真壁創の上に降り注いだ。
最後に見たのは、箱の側面に印刷された「天地無用」の4文字だった。天地を無用にしたのは、どう考えても箱の方だった。
*
目を覚ますと、役所にいた。
白い。とにかく白い。床も壁も天井も白く、窓の外まで雲で埋まっている。長いカウンターの向こうでは、背中に羽の生えた職員たちが、無表情で書類に判子を押し続けていた。
手には、いつの間にか番号札が握らされていた。
『転生受付 4721番』
電光掲示板には「ただいまの受付:4698番」と出ている。死んでまで待たされるとは思わなかった。人生の最後が行列なら、死後の最初も行列らしい。
40分ほどして、ようやく窓口に呼ばれた。
「真壁創さん。前世の職歴は……商品企画。企画書、仕様書の作成経験あり、と」
「はあ」
「では、生物設計局ですね」
窓口の天使は、何の感情もこもっていない手つきで、1枚の紙を差し出した。
「あの、転生っていうと、普通は勇者とか、チート能力とか……」
「そちらは人気の枠でして。現在、3000年待ちです」
窓口の天使は、カウンターの横の掲示板を指さした。
『転生先 待ち時間のご案内』
勇者枠 3000年
聖女枠 5000年
悪役令嬢枠 受付停止中(希望者多数のため)
スローライフ枠 8000年(のんびり待てる方向け)
「スローライフ、一番待つんですね」
「皆さん、のんびりしたいので」
のんびりするために8000年並ぶ。その矛盾について考えている間に、窓口の天使は次の書類に判子を押していた。
紙には、こう書かれていた。
『創世省 生物設計局 魔物設計第七課 設計士補を命ずる』
その下に、もう1枚。
【転生体仕様書】
種別:下級天使
翼:あり(装飾用)
飛行能力:予算の都合により見送り
備考:通勤は徒歩とすること
背中に手を回すと、確かに羽があった。手のひらに収まるサイズだった。鳩の方がまだ志が高い。
どうやら俺は、転生した瞬間から、誰かの設計ミスだったらしい。
*
生物設計局は、雲の上にそびえる巨大な建物だった。
正面玄関を入ってすぐが第一課。ガラス張りの広いフロアの中央に、ドラゴンの模型が吊るされている。実物の3分の1の大きさだというが、翼を広げると20mほどある。その下で、スーツ姿の天使たちが、きびきびと会議をしていた。壁の大型掲示板には「今期生存査定 第1位」の金文字が光っている。
第二課、第三課と、廊下を奥へ進むほど、照明が1本ずつ減っていった。
第六課を過ぎたあたりで、案内板が現れた。
『この先 資材置き場・雲吸い所・第七課』
雲吸い所。
字面から察するに、天界の喫煙所だろう。何を吸うのかは書いてあるのに、なぜ吸うのかはどこにも書いていない。そもそも雲は吸えるものなのか。吸ったら体の中で雨が降らないのか。
それより気になったのは、並び順だった。第七課は、資材と休憩所のさらに奥にある。案内板の順番が、そのまま扱いの序列を表していた。
廊下の突き当たり。斜めに傾いた「第七課」の札の下の扉を開けると、机が4つ並んだだけの小さな部屋があった。窓際の机で、白い髭の老人が、木彫りの舟の模型を磨いていた。
「本日付で配属になりました、真壁です」
老人は顔を上げ、眼鏡の奥で目を丸くした。
「新人……。第七課に新人とは、前例がない」
これが、ノア課長との出会いだった。後で知ったことだが、課長の口癖は「前例がない」で、それ以外の口癖は特にない。
「ヨルムくん。新人くんだよ」
課長が窓の外に声をかけると、ベランダから女の人が入ってきた。
背が高い。灰色の長い髪を後ろで無造作に束ね、袖をまくった作業着には、あちこちにインクの染みがついている。片手に細長いパイプを持っていたが、吸い口から立ちのぼっているのは煙ではなく、ちぎれた雲だった。
本当に吸うのだ、雲を。案内板の謎が、ひとつ解けた。なぜ吸うのかは、まだ分からない。
彼女は俺を上から下まで眺めて、それから背中の羽で目を止めた。
「ちっさ」
「第一声がそれですか」
「あんたが新人か。死因なんやったん」
「……チョコレートです」
「甘い死に方やなあ」
ヨルムさんは、それだけ言って自分の机にどかっと座った。
机の上には、書類の山が3つあった。「未決」「保留」「見なかったことにする」。一番高いのは3つ目だった。
*
「ほな、さっそく仕事や。新人、これ読んで」
投げて寄こされたのは、紐で束ねた紙の束だった。表紙には『神殿経由・祈りの写し』とある。
「祈り、ですか」
「下界の連中が神殿で祈ったら、ここに届く。まあ、実質お客様の声やな」
1枚目を開いた。
【祈りの写し】
差出人:ベルン村の冒険者(匿名希望)
内容:女神様。スライムが焚き火に飛び込んできて、火が消えます。今月で3回目です。夜営ができません。どうにかしてください。あと、できれば飛び込む前に鳴いてほしいです。
2枚目も、3枚目も、スライムと焚き火の話だった。束はまだ指2本分の厚みがあった。
「……スライムって、火が好きなんですか」
「好きとか嫌いとかの話ちゃうねん。ほれ」
ヨルムさんが、黄ばんだ仕様書を机に広げた。
スライム。物理攻撃無効、分裂増殖、強酸による溶解。仕様書を上から読む限り、どう見ても四天王の器である。
問題は、下から3行目だった。
「知能:」
空欄である。
記入漏れのまま、決裁印が5つ押されている。5人の上司が目を通して、5人とも「まあ、スライムだし」で通したのだ。
結果、下界のスライムは、目の前に焚き火があれば自分から飛び込み、自分から蒸発していく。火が消えるのは、火を消しているからではない。水分の多い体が、丸ごと火の上に乗っているからである。
「設計者の欄、見てみ」
設計者:ノア。
窓際で、課長が舟の模型を磨く手を止めた。
「いやあ。前例のないスライムを作ろうと思ってね」
「前例のない自滅の仕方をしてるんですけど」
ヨルムさんが、もう1冊、分厚い本を積んだ。下界の冒険者ギルドが発行している魔物図鑑の写しらしい。
【冒険者ギルド公認 魔物図鑑 第3版】
スライム
二つ名:炎喰らい
危険度:★☆☆☆☆
解説:炎を喰らう不定形の魔物。焚き火を見れば迷わず飛び込み、炎を消し去る。火属性の魔術師にとっての天敵とされる。
「喰らってないです」
思わず声に出ていた。
「消えてるのは炎じゃなくて本人です」
「せやろ。下界の図鑑はだいたいこうや。見たもんを、見たいように書く」
ヨルムさんは雲を吸い、ふうっと窓の外へ吐き出した。
「で、この祈りの束をどうにかせなあかん。スライムの生存日数、ここ半年で3割減っとる。このままやと絶滅や」
*
「じゃあ、知能の欄を埋めればいいんじゃないですか」
俺が言うと、部屋の隅の机から、すっと手が挙がった。
眼鏡の女性の天使だった。いつからそこにいたのか分からない。机の上には、珠が青く光るそろばんのような道具が置いてある。
「経理のミカです。知能の実装費用、ご存じですか」
「いえ」
「知能1単位で、角が3本買えます」
そろばんの珠が、ぱちぱちと鳴った。
「第七課の今期の残り予算は、魔素412単位。これを全部使ってスライムに知能を入れた場合、行き渡るのは1匹につき……0.003匹分です」
「1匹に満たないんですか」
「0.003匹分の知能で、何ができると思いますか」
たぶん、焚き火を見て「あ」と思うくらいはできる。思った直後に飛び込むのは変わらない。
ヨルムさんが、机に頬杖をついた。
「そういうこっちゃ。うちは貧乏やから、頭は買われへん」
俺は、もう一度仕様書を眺めた。
物理無効。分裂。溶解。攻撃と防御だけは、立派に盛られている。足りないのは、考える力。いや、考えなくてもいいのかもしれない。
前世で、深夜にぼんやり眺めていた生き物のドキュメンタリーを思い出した。
脳みそが米粒より小さい虫でも、ちゃんと生き延びている。考えているわけではない。熱いものに触れたら足を引っ込める。暗いところへ逃げる。そういう反射だけで、何億年も商売を続けている。
逆に、明かりに向かって飛んでいってしまう虫もいる。「飛んで火に入る夏の虫」は、ことわざではなく、設計の話なのだ。
「知能じゃなくて、反射でいいんじゃないですか」
「反射?」
「熱いものから離れる。それだけ。考えなくていいんです。熱かったら、下がる」
ヨルムさんの目が、少しだけ細くなった。
「……反射なら、標準部品や。在庫ある」
「単価0.1です」
ミカさんが即答した。そろばんが、今日一番いい音で鳴った。
俺は、生まれて初めて――正確には死んでから初めて――魔物の仕様書に赤字を入れた。
【修正仕様】
本能(追加):熱源から離れる
たった1行だった。
ヨルムさんはそれを読み、赤ペンで3か所に丸をつけて返してきた。「『熱源』の定義があいまい」「『離れる』の距離が書いてない」「字が汚い」。3つ目は仕様と関係ない。
それでも、書類はその日のうちに決裁された。印鑑は5つ。5人とも、「まあ、スライムだし」で通したのだと思う。
*
下界の時間は、天界より7倍速く流れる。
修正版スライムのリリースから3日後、新しい祈りの束が届いた。
ヨルムさんと2人で、1枚目を開いた。
【祈りの写し】
差出人:ベルン村の冒険者(匿名希望)
内容:女神様。スライムが焚き火に飛び込まなくなりました。ありがとうございます。
ただ、今度は焚き火の周りに輪になって集まり、じっと温まっています。こっちが火に近づけません。夜営ができません。
「……」
「……」
俺の書いた仕様は「熱源から離れる」だけだった。どこまで離れるかは、書いていない。
スライムたちは、熱すぎない距離まで下がり、そこでぴたりと止まったのだ。熱いから離れる。寒いから寄る。その釣り合う一点で、焚き火を囲んで、ぷるぷると並んでいる。
「あんた」
ヨルムさんが、祈りの紙をひらひらさせた。
「スライムに、ちょうどええ距離感を教えてもうたな」
「俺の前世の職場より、人間関係がうまくいってますね」
「言うてる場合か」
ギルドの図鑑も、さっそく改訂されていた。
【冒険者ギルド公認 魔物図鑑 第4版】
スライム
二つ名:焚き火の番人
解説:焚き火を守護する不定形の魔物。火を囲む輪の内側に、人間を決して入れない。
守護していない。ただ当たっているだけだ。
だが、スライムの自滅数は、その週ゼロになった。冒険者たちは、スライムの輪のさらに外側にもう一重の輪を作り、スライムを風よけにして夜を越すようになったらしい。焚き火、スライム、人間。三重の輪ができた。下界の夜営は、前より少しだけ暖かくなったそうだ。
生存査定の数字は、ほんのわずかに上向いた。課長が「前例がない」と言って、舟の模型を磨く手を速めた。
*
その日の終業間際、第七課の扉がノックもなく開いた。
金色の髪を完璧に巻いた女性が立っていた。仕立てのいいスーツの胸元に、第一課の徽章が光っている。後ろには、書類を抱えた部下が2人。
「ごきげんよう、第七課の皆さん」
「……ルシアか。何の用や」
ヨルムさんの声が、1段低くなった。
「局長からの通達を届けに来ただけよ。わたくしが直接来る必要もなかったのだけれど、ここへ来るのは久しぶりだったから」
ルシアさんは、部屋を見回した。4つの机。舟の模型。「見なかったことにする」の山。そして、俺の背中の羽で、視線が止まった。
「新人さん? 可愛らしい羽ね。飾り?」
「飛行能力は、予算の都合で見送りだそうです」
「まあ。第七課らしいこと」
彼女は、1枚の紙を課長の机に置いた。
「スライムの修正、見たわ。焚き火に当たるスライム。とても素朴で、和やかで。――生存査定に響くほどでは、ないけれど」
ルシアさんが出ていくと、部屋は急に静かになった。
課長が、紙を読み上げた。
「『魔物設計第七課は、生存査定において10期連続で最下位である。よって、今期末までに、リリース後3か月間絶滅しない魔物を1種、設計・実装すること。達成できない場合、第七課は廃止とする』」
課長は、眼鏡を外して目頭を押さえた。
「廃止……前例が……」
しばらく考えて、課長は言い直した。
「いや、あるな。けっこうある」
「あるんかい」
ヨルムさんが、雲のパイプを灰皿に置いた。窓の外の、夕焼けに染まった雲の海を眺めて、しばらく黙っていた。
それから、俺のほうを見ずに言った。
「新人」
「はい」
「初日にしては、悪ない仕様書やったで」
少し間を置いて、彼女は付け足した。
「赤ペン3か所やけどな」
俺は、机の上の赤い丸を見た。「字が汚い」の丸が、一番大きかった。
死んで最初の職場は、窓際で、貧乏で、廃止寸前だった。
前世とあまり変わらない気もする。ただ、前世と違って、ここでは俺の書いた1行で、下界のどこかの夜が、少しだけ暖かくなった。
それはたぶん、悪くない仕事だった。
第七課廃止まで、あと90日。




