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黄金の約束  作者: ハイエント
序章

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第1話 耳元の約束


 誰かが、俺を呼んでいる。


「……弘……」


 遠くから、女の声が聞こえた。


 どこだ。


 ここは、どこなんだ。


 周囲を見ても何も見えない。


 真っ暗だった。


「弘……」


 また声がした。


 さっきより近い。


 俺は振り返った。


 何もいない。


 なのに――。


 タッ。


 後ろで足音がした。


 タッ、タッ。


 誰かがこっちへ歩いている。


「弘……」


「誰だよ……」


 返事はない。


 代わりに、足音が速くなった。


 タッ、タッ、タッ、タッ。


 走っている。


 俺に向かって。


 俺は逃げ出した。


 どこへ向かえばいいのかも分からない。


 ただ、後ろから来る何かから離れたかった。


 俺が走れば、向こうも走る。


 足音はどんどん近づいてきた。


「弘……」


「おまえは誰だ!」


「来るな!」


 叫んでも止まらない。


 息が苦しい。


 胸が痛い。


 それでも走り続けた。


 どれくらい走ったのか分からない。


 突然、足音が消えた。


「……」


 俺は立ち止まった。


 女の声も聞こえない。


 荒い呼吸だけが暗闇に響いている。


 恐る恐る後ろを見る。


 誰もいなかった。


「……逃げ切った?」


 その瞬間。


 視界の端に、黒い影が映った。


 女のようだった。


 地面に届きそうなほど長い髪。


 顔は見えない。


 振り向こうとしたとき、耳元に吐息が触れた。


「――弘。約束は、ちゃんと守らなきゃだめよ」


 優しい女の声だった。


 なのに、背筋が凍った。


「うわっ!」


◇


「おい!」


 勢いよく身体を起こした俺の肩を、誰かが掴んだ。


「弘、俺だって!」


「……え?」


 目の前にいたのは、親友の田野高志だった。


 周囲を見回す。


 教室。


 机。


 黒板。


 窓から差し込む昼間の光。


 ようやく、自分が大学にいることを思い出した。


「……夢?」


「相当やばい夢でも見てたのか? ずっとうなされてたぞ」


「マジか……」


 額には汗が浮かんでいた。


 夢だった。


 そう分かっているのに、耳元にはまだ女の声が残っている気がする。


 ――弘。約束は、ちゃんと守らなきゃだめよ。


「お前、最近寝不足じゃねえの?」


「ああ……ちょっとな」


「また夜更かし?」


「いや。最近、変な夢ばっか見るんだよ」


「今日みたいな?」


「まあな」


 ここ数日、妙な夢が続いていた。


 誰かに見られている夢。


 暗い場所を歩く夢。


 遠くから名前を呼ばれる夢。


 起きると内容はほとんど忘れてしまう。


 ただ、嫌な感じだけが残った。


「疲れてんじゃね?」


「そうかもな」


 俺はペットボトルの水を飲んだ。


「そういや週末の話、どうなった?」


「ああ。大丈夫だって」


「マジ?」


「親父と母さんが、土曜なら使っていいってさ」


「よし」


 俺たちは大学の登山系サークルに入っている。


 秋にどこへ登るか、いつ行くか、その計画を立てるために、今度の土曜日にメンバーで集まることになっていた。


 せっかく集まるなら、そのままみんなで飲んだり騒いだりしようという話にもなっている。


「じゃあ、みんなに連絡しとくわ」


「ああ」


 高志はスマートフォンを取り出し、サークルのグループLINEを開いた。


「最寄りは?」


「東央線の稲田駅」


「時間は?」


「土曜の二時くらいでいいんじゃないか」


「じゃあ二時な。待ち合わせは?」


「稲田駅の改札前で」


「了解」


 高志がすぐにメッセージを打ち込む。


『土曜日、弘が家使っていいって。午後二時、東央線の稲田駅改札前集合』


 送信すると、すぐに何人かから返信が返ってきた。


「これで決まりだな」


「ああ」


「秋の登山先も、今度こそちゃんと決めようぜ」


「飲んで終わらなきゃな」


「それは弘次第だろ」


「何で俺なんだよ」


 高志が笑う。


 俺も笑った。


 そのとき。


 耳の奥に、あの女の声が蘇った。


 ――弘。約束は、ちゃんと守らなきゃだめよ。


 俺は思わず耳に触れた。


「どうした?」


「いや……何でもない」


 約束。


 誰との約束なのか。


 何の約束なのか。


 俺――勝田弘には、まったく心当たりがなかった。


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