<記者としての居場所>
翌朝。
ぼくはモノレールに揺られながら、スターグラス商業シティへ向かっていた。
窓の外を流れていくのは、巨大なビル群。
空中には広告用のホログラムが浮かび、モノレールの高架下では、たくさんのうさぎたちが行き交っている。
目的地が近づくにつれ、ぼくの緊張も少しずつ高まっていった。
「編集部か」
実際に行くのは初めてに近い。巨大なビルの前に立つ。
ぼくは一度だけ深呼吸してから、編集部の入ったフロアへ向かった。
自動ドアが開く。
「…おお」
思わず声が漏れた。
そこは、ぼくが想像していたよりもずっと活気に満ちていた。
ホログラムモニターを何枚も展開して記事を書いている記者。
タブレットを片手に、別の記者と話し込んでいる編集者。
空中に表示された写真を拡大しながら、細かな修正を加えている者もいる。
ガラス張りの会議室では、数人の記者と編集者が真剣な表情で議論を交わしていた。
さらに奥には、個人用のガラスブース。
そこでは締め切り間際なのか、ものすごい勢いでキーボードを叩いている編集者がいる。
壁には部屋の案内が表示されていた。
『校正室』
『画像編集室』
『資料管理室』
『企画会議室』
「これが、編集部の職場か」
なんだか妙に新鮮だった。
ぼくがキョロキョロしながら歩いていると、見覚えのある顔が目に入った。
「おっ、アルトじゃないか!」
向こうから声をかけてきたのは、以前、通信で何度かやり取りしたことのある先輩記者だった。
「お久しぶりです」
「久しぶりって、実際に会うのは初めてじゃないか?」
「あ…」
「ははは!」
豪快に笑われた。
そのまま何人かに挨拶をしていると、突然、別の記者や編集者たちから声をかけられた。
「君が、あの記事を書いた新人か!」
「え?」
「植物園の記事、読んだぞ。すごくよかった」
「私も読んだ!」
「新人であれだけ書けるなんて、すごいな」
「え、あ…ありがとうございます」
次々に声をかけられる。
ぼくは戸惑いながら頭を下げた。
人間だった頃なら、こういうとき、どう振る舞うべきか。
そんなことを考えていたかもしれない。
褒められたら謙遜するべきか。
出しゃばらないようにしたほうがいいのか。
新人が目立つと、先輩に嫌われるのではないか。
そんな、人間社会で覚えた「空気を読む」という感覚が、頭の片隅をよぎる。
ところが。
「これからも期待してるぞ!」
「次の記事も楽しみにしてる!」
「頑張れよ!」
返ってきたのは、そんな言葉ばかりだった。
「…あ」
ぼくは少しだけ目を丸くした。
拍子抜けだった。
なんだ。ここでは、誰かが評価されることを素直に喜んでくれるんだ。
「…穏やかな世界だな」
思わず、そんな言葉が口から漏れた。
これならもう少し、ここに顔を出してみてもいいかもしれない。
そんなことを考えた、そのときだった。
「アルト!」
背後から名前を呼ばれた。
振り返る。
編集部の奥。ひときわ大きな扉の前に、恰幅の良い黒い毛並みのうさぎが立っていた。
編集長だ。
「来たな! こっちだ!」
「は、はい!」
ぼくは慌てて駆け寄った。
編集長室。
ソファに腰を下ろしたぼくの前に、湯気の立つカップが置かれた。
「ほら」
「ありがとうございます」
一口飲む。
香ばしい苦みが口の中に広がった。
もちろん、植物由来のコーヒーだ。
ぼくが少し緊張をほぐしたところで、編集長がニヤリと笑った。
「さて」
嫌な予感がする。
「結論から言おう」
やっぱり怒られるのか。
「お前の書いた植物園の記事な」
「は、はい」
「役員会で大絶賛だったぞ」
「……え?」
思考が止まった。
「怒られるんじゃ、ないんですか?」
「馬鹿言え!」
編集長が豪快に笑う。
「ただの絶賛じゃない。お前の記事は、我々にかなりの衝撃を与えたんだ」
編集長が指を動かす。
空中に一枚のホログラム画面が展開された。
そこに表示されたのは、ぼくが書いた記事だった。
「知識を羅列するだけなら、誰でも書ける」
「え?」
「だがな。感動は、記者自身の感性がなければ書けない」
画面が切り替わる。
記事の一文が、大きく表示された。
『植物は資源ではない。
この月を生かしている命そのものだった』
「これだ」
「…そんなこと書きましたっけ」
「書いただろうが」
編集長が呆れたように笑う。
「ここがお前の武器なんだ」
ぼくはなんとなく視線を逸らした。
改めて文章を見せられると、恥ずかしい。
自分では夢中になって書いていただけなのに。
「我々、月世界のうさぎにとって、植物が建材になり、服になり、動力になることは『当たり前の日常』だ」
編集長の声が、少しだけ真剣になる。
「だからこそ、それを改めて『すごいことだ』と書くものがいなかった。 だが、お前は違った」
画面に、植物園で撮影した写真が映し出される。
巨大なドーム。
その中で育つ無数の植物。
それらが食料になり、衣服になり、建材になり、そして月世界そのものを支えている。
「お前はそこに『命の循環』を見た」
編集長は言った。
「地球のような豊富な資源を持たない月だからこそ、植物という命が文明そのものを支えている。
その奇跡を、お前は記事にしたんだ」
ぼくは黙って画面を見つめた。
「読者だけじゃない。長年あのシステムを見慣れていた我々でさえ、
『自分たちの世界は、こんなにも美しかったのか』と気づかされた」
「…」
「一体、どうやったら、そんな視点で物事を見られるんだ?」
その問いに、ぼくはすぐ答えることができなかった。
ヒトとして地球で暮らしていた感覚。
当たり前だった青い空。大地。植物。
ぼくは、それらを失ったからこそ、この月世界の植物がどれほど特別なものなのかを感じ取れたのかもしれない。
そんなことを口にするわけにはいかなかった。
「知らないことが多いから、いろいろなものが新鮮に見えるだけだと思います」
編集長はしばらくぼくを見つめた。
「それでいい」
静かに笑った。
「その目を、大事にしろ」
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
この世界に来てから、ぼくはずっと考えていた。
自分は何者なのか。
なぜここにいるのか。
何のために生きているのか。
けれど、今だけは少しだけ分かった気がした。
ぼくが知らないからこそ、見えるものがある。
ぼくが「当たり前」を知らないからこそ、誰かが見過ごしているものを見つけられる。
それを言葉にして伝える。
ただ仕事をするだけじゃない。
この世界を知り、誰かに伝える。
それが、自分がここにいる意味なのかもしれない。
「ありがとうございます」
ぼくは深く頭を下げた。
編集長は満足そうに頷く。
「さて」
そして、身を乗り出した。
「そんなお前だからこそ、次の仕事を任せたい」
「…次の?」
「ああ」
編集長が指を動かす。
ホログラム画面が切り替わった。
そこに映し出されたものを見た瞬間、ぼくの耳が、ぴん、と立った。
一本の巨大な塔。
まるで月の大地から宇宙へ向かって突き出すように、天を貫いている。
「…これは」
「世界の中心、『月面の塔』だ」
編集長の声が続く。
「一般市民の立ち入りは固く禁じられている。詳しい情報もほとんど公開されていない。
謎の多い、いわば絶対領域だ。」
ぼくは画面から目を離せなかった。
黒く巨大な塔。
その姿を見ているだけで、胸の奥に説明のつかない感覚が広がっていく。
懐かしいような。怖いような。
それでいて、どうしても目を逸らせない。
「…ぼくが、ここへ?」
「ああ」
編集長は頷いた。
「お前に取材してもらいたい」
信頼されている。
そう思った瞬間、胸が高鳴った。
新しいことを知れる。
まだ誰も知らないものに、自分の目で触れられる。
その高揚感に、瞳がきらりと輝いた。
耳も自然と、ぴんと立つ。
「はい、行きます」
気づけば、そう答えていた。
編集長が満足そうに笑う。
「よし。明日は同僚を一人つける。あそこは近場に駅がないからな。車で向かってくれ」
もう一度、モニターを見る。
月面の塔。
その姿を見つめていると、ぼくは、この塔を知っている。
なぜか胸の奥から、そんな感覚が浮かび上がってきた。
「…なんだろう、これ」
ぼくは胸元に手を当てた。
心臓が、妙に速く鼓動している。
まるで、長い間眠っていた何かが、目を覚まそうとしているようだった。
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