32.友人
木々の伸びる先、厚い雲に覆われた空がめいっぱいに広がる。
とてつもない満足感と開放感で、サーシャは寒さすら忘れてその景色を眺めていた。
すると、木から降りてきたヴァニーユが寝転がっているサーシャの視界の端にひょっこりと映り込んできた。
「空間を観察する感覚は掴めそうですか?」
「あぁ、そうだな……。俺に足りなかったのは、もっと広い範囲を見ようとする心だったのかもしれない」
今までは己の魔力のコントロールに手一杯で、周りを見る余裕などなかった。
魔術とは、座学だけでは使えないのだ。
サーシャはヴァニーユのおかげで自分の中にある魔力の形を知り、そして少しずつ使い方を学び、マナの在り方をようやく知ることが出来た。
マナを使うことに苦戦していた原因は、自分のことで手一杯で外の世界を感じ取ることができていなかった己自身だったのだと思うと、サーシャは少し希望が持てて来た。
「俺はマナを使うのに適性がないのだと、ずっと思い込んでいた」
ぽつりと空に零したその呟きは、白い息と共に空間に溶ける。
そんなサーシャの憂いを聞いているのは、ここにいるヴァニーユだけだ。
「マナを使った魔術を使いこなすには、順序が必要なだけですよ」
「雷造の魔術師殿が『かくれんぼをしろ』と言っていた意味も、今ならわかる。ただがむしゃらに覚えればいいというものではないな」
「サーシャ様は特に、難しかったことでしょう。ここまでよく頑張ってきました」
「ははっ、ヴァニーユのおかげだ」
分析や小細工の得意なヴァニーユだったからこそ、ここまでサーシャを成長させてくれたのだ。
サーシャは彼女に魔術を習えたことが、本当に誇らしいと思った。
「私のことを見つけることも出来ましたし、少し休みましょうか。念願の索敵魔術も成功したことですしね」
「長かったぞ……季節が変わってしまったな。雪が溶けたらすぐ花も咲き始めることだろう」
「いいですね。薔薇の咲く頃にでも、お花を見に行きますか?」
「――薔薇か」
そこで口を閉じてしまったサーシャに、ヴァニーユは少し困った笑みで俯いた。
……きっと、彼と花を見に行くことは叶わないのかもしれない。
彼は恐らく、姿を隠してここまで魔術の訓練をしに来ているお方なのだ。
それにはきっとなにか理由がある事なのだろう。
「冗談です。あなたを困らせるようなことはしませんよ」
「困ってなど……いや、どうやって一緒に見に行こうかと少し考えていた」
「いいんですよ、話せないことが多いのでしょう?」
諦めているようなヴァニーユの声に、サーシャは少しムッとする。
彼女は少し、聞き分けが良すぎると彼は思っていた。
「本当だったら、もっとわがままを言って欲しいと言いたいところだが、そんなことも言えない自分の立場が憎いぞ!」
「ふふっ……なんですかそれ」
ヴァニーユは木にもたれて座り、寝転んでいるサーシャを眺める。
この人と一緒の時間を過ごせるのはあとどれくらいだろうか?
索敵魔術が成功したことにより、彼女の役目は果たし終えてしまった。
この後はライラック師匠に引き継ぎ、彼の雷属性魔術の訓練が本格的に始まることだろう。
「サーシャ様」
――そう考えた時、ヴァニーユの胸の中にはとてつもない寂しさが広がっていた。
「どうした?」
「私たちは……、えぇと……。いえ、その」
「……何かわがままを言う気になったのだろうか?」
サーシャはそう言い、期待の眼差しでヴァニーユを見ている。
彼女はそれに、「そ、そうです!」と返していた。
「私たちは、その……ゆ、友人には、なれないでしょう、か……?」
ヴァニーユの声はどんどん尻すぼみになっていき、最後の方にはもう声が消えていた。
なんと情けない声を出してしまったんだと顔を赤らめてしまう彼女に、サーシャは飛び起きてヴァニーユの前に座る。
「友人になってくれるのか?」
「……お邪魔でなければ……」
「邪魔なわけがなかろう!!」
喜びに満ちたサーシャの顔を見れば、緊張していたヴァニーユの体から力が抜けていく。
『わがままを聞いてもらえた』とほっと胸を撫で下ろすヴァニーユに対し、『全然わがままになっておらんがな!!』とサーシャは少しだけ不満を抱いた。
「では、せめて二人の時はサーシャと、敬称抜きで呼んではくれないだろうか?」
「……え?」
ヴァニーユはサーシャのその提案にギョッとし、再び緊張で固まったのだった。




