93暴走の終止符までおまかせを
暴れ狂う大木。先程までの受動的に立ち回っていた物とは正反対だ。禍々しいオーラを発しているだけでなく、誰彼構わずにしならせた枝を鞭のように降り続けている。当然、意思疎通はない。いや、それは初めからか。メキメキと床に這わせた根をくねらせ、この空間全体を揺らしていた。まだ“怪”状態の社長は、腕を組みながら目を細めていた。その反応に動揺はなく、冷静に口を噛む。
「暴走とはな。いや、初めからこうなるように仕向けたのか。」
「それって、つまり・・・。」
僕は恐る恐る彼女に聞いた。初めからこうなるように仕向けたって……。まるで予め機械的インプットさせたような、さながら目覚ましアラームをセットしたみたいな云い方だな。彼女はそっと下顎に親指を乗せ、乾いた唇を開かせた。
「こいつはシステムだけで生かされているのだ。私の界は、あらゆる線という繋がるものを断ち切る。痛覚リンクもそうだが、マナの流動にこいつを制御する為の線も断ち切ったのだからな。暴走するのも当たり前だ。」
「って、何冷静に云ってるんですか!それやったの自分じゃないですか!」
彼女はさも他人事のように、冷静に目の前の現象を分析し解説した。が、それは彼女が引き起こした事でもある。ぶっちゃけた話、今マザーラークが暴走しているのは彼女が引き金を引いたのと同義なのだ。というかなんでこの人、私は悪くないみたいな顔であいつを見つめているんだよ。じゃあ、つまりあれか・・・。今、マザーラークが暴走しているのは本来のシステム回路が途切れたか、チップたちを解放したからか。それにより予め暴走するようプログラムされたものが起動した…と。
「で、どうすんだマチコ。こっちも術式印展開と伝送解離でマナ増幅は行ってはいるが、あんまり時間は無ぇぜ。」
「案ずるな、メルよ。想定外だったが、想定内に軌道修正はできるさ。」
「コマチ様!術式印展開の臨界点突破まで半分を切りましたわ。持っておよそ三分ですわ!」
メリィとメルは社長へと云い寄っていた。ちらりと見つめたのはメリィの表情。メリィは少し不安そうに眉をへの字に曲げていた。話を聞く限り、恐らくマナを増幅させるにも限界があるのだろう。戦闘を続行するにも決して長い時間ではない。すると彼女は徐に肩に掛けていたジャケットを脱ぎ始めた。
「三分か・・・。随分と無理を云うじゃないか。」
そうして、静かに脱いだジャケットを床へと投げ落とす。その瞬間、ピリッと張り詰めるような緊張が走った。それは彼女から発する研ぎ澄まされた覇気を放出している為か、再び心臓を握り潰されるような感覚があった。ガラスのように尖ったプレッシャー。気付けば、握っていた僕の掌は手汗でびっしょりだった。
「ゴギギギギギギギギギッギーーーッ‼︎」
マザーラークの呻き声が禍々しく変化していた。まるで怒り狂った鬼の面を被ったように。赤紫の異様な覇気を漂わせ、その憤怒で僕らを圧倒させようとしてくる。ビリビリと伝わるプレッシャー。二つの異常なプレッシャーがぶつかり合う。だが彼女の、飛川コマチの覇気は極めて落ち着いている。無理やり身体を捻じ曲げようとする暴走したマザーラークの覇気とは違い、彼女は凪よりも少し強い風を吹かせていた。指を軽く広げると、彼女はその風に溜め息を混ぜた。
「メリィたちに無理はさせん。その半分の時間で手を打とう。」
半分の時間…。さっき臨界点まで三分くらいって云っていたよな。だとしたら、少しでも早くこの問題は解決出来た方が良い。彼女はその半分の時間でと云っていたけれど、彼女への余裕と波状攻撃は出来ればより良い筈だ。僕は腰に忍ばせていたナイフを取り出した。
「・・・社長!」
僕は決意を固め、社長の前に立った。これはそう、彼女を少しでも疑ってしまった業だ。彼女は決して、人道を踏み外してなぞいない。むしろ自分に降り掛かった半妖という概念を解く為に、必死に動いている。あの時だって、彼女はメリィを殺していない。恐らくだけど、彼女はメリィの姉であるリリィも救っている。メリィが放った術式印展開には、僅かに赤い糸が見えた。それはリリィが使っていた能力。故に、社長は誰も殺していない。それでも僕は浅はかな推測で、彼女を愚弄してしまった。ひとでなし、と…。だから、僕は彼女に再び協力する。利害は一致している。彼女は依頼を解決する為、僕らはチップたちを救う為。マザーラークを倒すという利害が、僕らは一致している。
「ほぅ・・・、暫く見ない内に変わったではないか、垂くん。」
「僕なりのケジメですよ、これは・・・!」
そう、これはケジメなのだ。こんな事で彼女に向けた言葉を許して貰えるだろうか。いや、彼女の事だ。案外、些細な事だといって流しているのかも知れないが、それじゃあ僕は腑に落ちない。彼女の社員として、僕は仕事を全うする!
「イサム!私も加勢するわ!」
僕の傍らにふわっと風が舞った。漆黒の翼を広げたセンだった。刀を構え、いつでも戦闘可能な体勢で意気込んでいる。この中であのデカブツを叩き付ける威力を持っているのは、間違いなく社長だ。センは決定打を持ち合わせる威力はなくとも、持ち前のスピードと翼がある。敵は完全に理性を失った暴れ回る大木。もうあれでは敵味方も関係ないだろう・・・。恐らく自分のテリトリーに侵入したものを排除する、といった感じだろうか。それなら、囮は僕とセンが引き付ければなんとか・・・。良し、付け焼き刃だけどこの作戦なら!
「ありがとう、セン!それじゃあ、センはあいつの繰り出す攻撃を防いで!僕が突破口を開く!その隙に社長は、あいつをなんとか止めて下さい!」
「・・・あぁ。よもや、社長である私に指示をするとはな・・・、だが心得た!」
社長は腕を組んでいたが、悪い気はしていなかった。むしろほんの少しだけ笑みを浮かべている。
「俺たちがお前らをサポートしてやる!後ろのガキどもは、こっちで守ってやるから気にすんな!」
「お兄様!思いっきりやってくださいまし!」
後ろにはメルとメリィが檄を飛ばしている。メリィに至っては拳を握り締めて、ガッツポーズまで振る舞っている。
「あぁ!」
不思議とこんな時、思いもよらぬ力は溢れてくる。不自然に握り込む拳が強まる。何だったら、ここから先は何でも出来るんじゃないかとさえ思えてくる。これがエールというやつか。と、思った瞬間に横からかなりドスの効いたプレッシャーが押し寄せてきた。
「ところでイサム。あんな小さな子に自分の事をお兄様って呼ばせてる件、後でしっかり聞くからね?」
「あぁ・・・。」
何故だ、センの目がめちゃくちゃ怖い。なんで人のような目をしておきながら、そこまで冷たい目線を向けられるんだ。張り詰めた眼差しがとても痛かった。いや、今は目の前の事に集中しないと。
「では諸君……、行くぞ!」
社長の一声が檄となり、不思議と背筋がピンとなった。それは気のせいではなく、どこからか力が湧いてくる。
あぁ、そうか。これはきっとメルたちのバックアップが作用しているのか。それに今の戦い方は決定的に違うものがある。
「グがガガガがあがががーーーーーッ‼︎」
暴走したマザーラークは複数の枝を鞭のように振るい、その振り回し方は見境なく全て大振りだった。最初に飛び出したのはセン。漆黒の翼を広げると、真っ先にマザーラークへと突っ込んだ。恐らくマザーラークのシステムは、“近付く者を倒せ”しか残されていないのだろう。それでもあの巨体は脅威だ。手数の多さは壁や床からも攻撃を行っている。そんな中、センは臆する事なく前へ前へと飛んだ。複数の鞭がセンへと降り掛かるが、彼女は前進しながらもくるりと身体を回転させ、枝の鞭を華麗に回避した。
「その攻撃は何度も見たわッ!」
そう、さっきまでの状況とは違うのだ。奴にはもう人質がいない。それを糧とする養分もない。つまり、ここから先は…、遠慮無く奴に攻撃する事が出来る訳だ!センは身体を翻しながら、柄に手を添えた。それは、彼女特有の構えである抜刀の合図。スゥーっと一呼吸分の息を吸い込んだ。そして、繰り出される一閃。
「抜刀・・・、漣ッ!」
疾風のような鋭い風が吹き荒れる。それは複数の真空の刃。幾重にも重なった真空の刃は、彼女の周りを囲い込もうとするマザーラークの枝や根を瞬時に切り裂いた。
ズザザザザザザザッ
一体、あの瞬間に何度刀を振ったのだろうか。切り刻んだ枝たちは、まるで紙吹雪のように散っていた。
「グガガッ⁉︎」
その光景に流石に驚愕したのか、マザーラークは一瞬よろめいた。散り行く紙吹雪の合間を縫って、青天狗の幼女と目が合う。
「イサムッ!」
「あぁ、ありがとう!」
彼女の合図だ。行くなら、今だ。僕はナイフを握り締め、走り出した。カイデンとの訓練のおかげか、不思議と迷いはない。彼女のアイコンタクトで次にどうすれば良いのか、手に取るように目に浮かんでいた。
「ぬぉおおおおおーッ!」
道は常に開いている。センが周りの枝や根を切り裂いてくれているからだ。僕はただ真っ直ぐに、マザーラークの本体へと突っ込むだけ。それに暴走しているとはいえ、僕は気付いたぞ。お前の癖を・・・。この環境だからこそ出来る癖を。
「む、垂くん!そんな馬鹿正直に突っ込んでは返り討ちだぞ!」
社長は今すぐ引き返せと云わんばかりに、大声で僕を呼んでいた。心なしか彼女の声色も表情も、どこか心配そうな眼差しに聞こえていた。
「わかってます!だからですよッ!」
そう、だからなんだ。ここにジャミングを施して、外部との通信を途絶えさせたのも。目の無いこの化け物が、正確にこちらへ攻撃する事が出来るのも・・・。全ては、この理屈で通る。
ザシュッ
僕は握り締めたナイフを地面に突き刺した。
「ナイフを地面に?まさか、あのナイフは・・・。」
そうですよ、社長。これはあの時渡してくれたナイフ。ワスプ・インジェクター・ナイフです。なんだかんだ返すのが遅れて今に至る訳だけど、今ではしっくりきてしまっているところなんだよな。
「ギギギギッ!」
そうか、地面に突き刺しただけで反応してくるか。これで確信したよ。
「あぁ、やっぱりだ。お前は音に過敏だったんだな・・・。だから、食らわせてやるよ。」
僕はセーフティを外した。マザーラークがこちらへと興味を示し始めている。そうだ、もっと…、もっと、こっちに来い。
「特大の・・・、音をねッ!」
僕はインジェクターナイフに備え付けられていたスイッチを迷わず押した。
ボシュウゥゥウウウウウウウーーッ
ナイフに内包されていた高圧ガスが一瞬で吹き出す。威力は控え目で良い。大事なのは、“音”だ。こいつが僕に注目させる程の音があれば、それだけで充分良い。高圧ガスにより僕の周りは煙に包まれる。やはりここは、必要以上に音がよく反響するみたいだ。それにこれなら、アレが使えそうだ。
「ギガががッ⁉︎」
「新人が消えた・・・、だと⁉︎」
「お兄様⁉︎」
シュッ
これは対“ギフト”なら、通用できる特性だ。僕には“気”がないからね。“気”で手探りをする“ギフト”たちだからこそ、一度姿を消す事さえ出来れば、僕を見つけるまで時間がかかる。
「僕はこっちだ!木偶の坊ーーーーーーッ‼︎」
そう、僕は既にマザーラークの懐に居た。その中でもこいつは、音を視覚にしている。音と視覚を眩ませれば、この技は成立する。
「ギッ⁉︎」
「陽炎・・・ッ!」
ボシュウゥゥウゥウウウウウウウウうーーッ
僕は暴れ回る大木にナイフを突き刺し、躊躇なくスイッチを押した。インジェクターナイフと僕の特性の複合技、それが陽炎。あとは、この威力に任せれば良い。残った高圧ガスをありったけ詰め込んだ。そのお陰か大木の中で高圧ガスが吹き荒れてくれた。
ベキ…ベキキ……ッ
突き刺したところを中心に、大きな亀裂を作り出した。多分、これも噴出口に施された印のお陰だろう。本来のインジェクターナイフではここまでダメージは与えられないが、威力を何倍にも膨れ上げているのだろうな。
「ギギ・・・ッ‼︎」
マザーラークは、ぐらりとよろめきだした。だが、まだ完全には機能が停止した訳じゃない。まだこいつは余力を残している。けど、想定内だ。そんなことはわかっている。僕がしたかったのは、こいつを倒す事じゃない。僕もまた囮の一人に過ぎない。彼女へ、便箋小町の我が社の社長へ道を作る為だ。
「ほぅ、やるじゃないか垂くん。」
「社長!・・・今ですッ‼︎」
「あぁ、云うまでもない・・・。乖ッ!」
ドンッ
響き渡る重低音に臓器が上下されそうな衝撃音だ。彼女の背後に現れたのは、あの一対の剛腕だ。仁王像のように雄々しく、猛々しい力強い剛腕。
「え、あの状態で乖・・・?一体何を・・・?」
けど、“怪”と呼ばれる妖怪の力を開放させた状態で、乖を出すのはなんか新鮮だな。しかし、本当にどうしてこのタイミングで?まさか、あの大木に対して、あれでフルボッコでもする気なのか?そんなパワープレイで鎮火しようとしているのか、あの社長は・・・。すると、何かに気付いたメルが仰々しく震え出した。
「ッ⁉︎・・・おい、新人!今すぐ、そいつから離れろ、そこの青天狗もだ!」
まるで、間も無く爆発しそうなダイナマイトでも発見したような仰々しさだ。当然、僕もセンもメルの慌てっぷりに、数秒停止してしまう始末だった。一体、どういう事?というサイクルが回る。メルは社長が何をしようとしているか知っている?距離を取れって、相当何かやばい事をしようとしているのか…。ハッと我に返ったセンも、コクンと頷いた。
「え⁉︎えぇ、わかったわ!」
彼女は直ぐ様に翼を広げ、風に乗るように飛んだ。真っ先に向かったのは僕の方角で、僕は彼女の手に捕まり共に飛んだ。何が起きるかは分からない。そんな不安は立ち込めているが、内心はどこかワクワクさえあった。
「メリィ、お前もまだ術式印展開は続けられるな?」
「大丈夫ですわ!まだ余力はありましてよ!」
再び二人は互いの能力を開放した。メルは頭頂部の毛を尖らせ、バチバチと電流を走らせている。メリィもまた両腕を広げると、その細い腕は変形し、機械的な装置が露出していた。互いの力は共鳴し、青白い光を眩く照らし始めている。
「集中切らすなよ?マチコが……、あいつを倒すまでな!」
二人の集中力は凄まじかった。まるで二つの音が完全にユニゾンするように、二人の呼吸は同音と化す。久々に会ったとはいえ、メルがあんな目をするの初めて見た。彼らに近付く度に伝わるのは、強靭なプレッシャーだった。肌を突き刺すように、指の先まで痙攣しているみたいだ。
「い、一体、何をしようとしているんだ・・・。」
センのお陰でメルのすぐ近くまで戻ってきた僕らは、残された社長の後ろ姿を見つめていた。乖で発動した剛腕は彼女の動きと完全にリンクしている。両の拳を強く握り締め、ギシッと締め付ける音は規格外の握力。
「ラークよ……。この技を私に出させたのだ。恥じる必要はない、お前は充分に厄介だった。」
ズズズ・・・
すると両の剛腕が指を交差させながら、一つに重なり合う。
「だから、光栄に思え!・・・灰ッ!」
ボゥ・・・ぼぼボボボボッボッ
重なり合った巨大な拳が激しく回転始めた。やがてその回転には炎を纏い、螺旋を描くように炎の渦を作り出す。
「熱い・・・、これ以上、前に出たら喉が焼け焦げそうな程に・・・。」
その熱波は、リリィとの戦いで見せたものとは比べ物にならないものだった。これは決して、比喩とかそういう訳じゃない。これだけ離れているというのに呼吸をする度に喉の奥が焼かれそうだ。重なった拳はまだ回転している、それどころか更に回転のスピードを上げている。
「二つの巨腕が・・・、一つに重なろうとしている・・・⁉︎」
傍らで見ていたセンは驚愕をしていた。それ以上の言葉が出てこないといった表情だ。それもそうだ。通常状態の社長を一目見ただけで、大妖怪クラスと評していたのだ。その数手先のこの戦況。こんな荒技、とっくに人智を飛び越えてしまっているんだから彼女のリアクションだって尚更だ。
「乖にはもう一段階上の力がある。それは妖怪の力を解放させた状態でのみ使える乖と灰の複合技……。」
おいおい、どっちも必殺級の技だったじゃないか。それを複合・・・。教えてくれ、僕はあと何度だけ彼女に驚けば良いんだ。するとメルはそっと後ろを振り向き、モジャモジャの重なった目が合った。
「新人、それ以上前に出るなよ。・・・巻き込まれるぜ?」
「あ、あぁ・・・、嫌でも出たくないさ・・・。」
前に出る・・・?何云ってんだ。メルよりも前になんか出たら、とっくに焼け焦げてるよ。
ズォォオ・オ・オ・オォオオオ
回転は最高潮に達していた。荒く乱暴な風が社長の髪を羽ばたかせている。荒風には周りの物質を燃やしてしまいそうな炎も纏っている。彼女もまた両の拳を握り締め、前に突き出したままだ。
グ・・・オン
刹那、時の流れが急激に遅くなったような錯覚を体験した。アレだけ目紛しく回転していた剛腕の拳がゆっくりと時計の針のように回るような感覚。すると社長は、突き出した拳を九十度横に倒した。
「邂ッ‼︎」
時空が吸い寄せられるように巻き戻る。炎を纏った拳は超高速の回転。彼女の動きがトリガーとなったのか、巨大な弾丸のようにマザーラークへと突っ込んでいった。だが高速で回転する割に、その弾速は想像より遥かに遅い。ゆっくり、ゆっくりと回転を加えながら真っ直ぐ大木へと飛ぶ。
「ガガガッギガガガガガッ!」
マザーラークは、その巨体さ故に回避する事は皆無だ。立ち向かうしかない。一斉に枝や根を突き出し、追撃に転じた。だが・・・
ズシャシャシャシャ
追撃に走った枝は、次々に焼き焦がされていった。拳に触れる寸前で焼失してしまう。どれだけの枝を増やしても、どれだけ太くしても、その拳にすら届かない。全て灰となって、塵が宙に舞う。マザーラークにはもう、社長が繰り出した攻撃を止める術がない。
「ふんッ。」
社長は握り締めた両手を放し、脇を締め、胸元まで手を持っていくと熊手突きをするような体勢へと変えた。
「ギギ⁉︎」
「痛みは一瞬だ、マザーラークよ!はぁあああああああああああああああ‼︎」
彼女の咆哮と共に、両手を一気に前へと突き出す。第二のトリガーが弾かれた合図だった。ゆっくりとした弾道は彼女が弾き出したマナで、急速に速度を上げ出した。超高速で回転する拳は、本来の弾道となってーー鎧袖一触として穿つ。
ドゴォオオオオオオオオオオッ
「ギ・・・。」
マザーラークの断末魔は一瞬。それを塗り替える程の激しい爆発音と爆風。辺りを一閃の光に包まれたと思った矢先に訪れる、全てをぶっきらぼうにぶっ飛ばした衝撃。そうか、あの技はただの回転させた拳を当てるものじゃないんだ。恐らく、あの拳自体が巨大なダイナマイトのようなもの。それを直接対象にねじ込み、爆発させる・・・。まさに乖と灰の複合技、というわけか。成程…、こんなのデタラメだ。
「な、なんなの・・・、ケホケホ。あの、デタラメな威力は・・・。」
「ゲホ。正直、僕も驚いてる・・・。」
先程の爆発で辺りは灰色の煙に包まれていた。あぁ、くそ。変に煙が肺に入ったみたいで、ちょっと苦しい。まだ煙でメルより先の戦況が見えないし、煙が目に沁みて余計に見づらいな。マザーラークは…、社長は…、どうなったんだ?
シュゥウウ・・・
「終わりましたの?」
「あぁ、ギリギリだったな。俺らのサポートも。」
やがて煙は引いて、辺りは光を差す森のように視界が鮮明になった。マザーラークは完全に機能停止しており、焼け焦がれた大木が一本聳え立っているだけだった。焦げた臭いを漂わせる中僕らが心配そうにその前方を見つめると、彼女はポツンと佇んでいた。髪色は元に戻っており、もう尻尾や耳も生えていない。いつの間にか髪はいつもの髪留めで一本結びになっており、ふわりと栗色の髪を柳のように揺らしていた。
「ふむ。やはり、メルたちの支援があってもこの技を使ったら、怪は強制解除されるか。全く……、なんて燃費の悪い技だ。」
なんて事はない、これが僕の社長だ。一筋縄で行かぬなら、そこに一本の筋を通せばいい。まさにそれを体現させた一連の光景だった。彼女自身のスタンスは、ずっと変わっていない。トリビュートとの戦いの時も、河童たちとの戦いの時も、リリィと戦った時も。彼女の意思は一本の筋で通っている。全ては、自分に掛けられた呪いでもある半妖の力を解く為に。彼女は絶対悪となるもの以外、誰も殺していない。それはきっと、自分に掛けられた呪いを解く手掛かりを見つける為だからだ。
「あの、しゃ、社長・・・。」
「あぁ、久しぶりだな。垂くん。といっても、三ヶ月少々の話だがな。」
社長は実にあっさりとした表情で、こちらへ振り向いた。まるで朝焼けに見た木漏れ日のような温かさだ。彼女の背景が見えた今、僕はいつの間にかあの時の怒りは消えていた。もし再会する時があるならば、この背景を知らなければ僕は彼女に殴りかかっていたかも知れない。・・・いや、ちょっと待ってよ。結局、彼女たちがここへ来た理由がまだ分からないぞ⁉︎
「ん・・・?いやけど、どうしてここに社長が?」
「あぁ、そういえばそうだったな。それは、だなぁ・・・、えーーと。」
すると社長は何かを思い出したかのように、キョロキョロと当たりを見渡し始めた。わざとらしく遠くのものを探すよう額に手を添えながら、何かを探している。一頻り歩き回った後に、ぴたりと彼女は止まり出した。そこには一本の足のようなものが飛び出ていた。彼女は、徐にその足を掴み取った。
「おっ!ここに居たか。」
ズボボっ
まるで芋掘りのように引き抜かれたそれは素っ裸の男性だった。
「あへぇ・・・。」
ぐちゃぐちゃに捻じ曲がった眼鏡を掛け、中肉中背の身体は粘液か何かでドロドロだ。目は虚で意識はまだ覚醒しきっていない。いや、誰だこれ・・・。全然、面識無い人なんだけど。
「え、誰この人・・・?」
ドン引きした表情でセンは、その中肉中背の男を指差していた。青天狗の少女は、鍛えていない男の身体には実に塩対応だ。それこそ養豚所の豚を見るような目で蔑んでいる。しかし、この男と社長にどんな関係性が?
「俺たちが依頼を受けたブツだ。」
「は?」
依頼を受けた…ブツ?いや、でも便箋小町は本来だと、片手で持てる程の大きさを受ける運び屋の筈。いや、まぁ、確かに社長は現にその気絶してる男を片手で引き上げているけど!すると今度はメリィがそっとこちらへ寄り添い、目を瞑りながら小さな口を開けた。
「この方は澤野氏。私も詳しくは知りませんが、オカルト系の動画配信者のようですの。今回の依頼は、この方の事務所から。澤野氏を探し出して、事務所まで届けて欲しいとの事ですわ。」
「今回の失踪事件がオカルト紛いで流行ってるから、現地に突撃取材して動画にしようとしたんだとさ。ったく、下手に便乗した報いだぜ。当分、こいつらも懲りる事だろうな。」
「全く、片手で持てるものだと云ったのだがな。実に骨が折れる。」
「あらコマチ様。それなら今もまさに片手で持っているではありませんの?それに仕方ありませんわ。今回の報酬額は大きな額なだけに、背に腹は変えられませんでしてよ。」
「さて、何はともあれだ。諸君、目的は果たした。撤収しよう・・・。」
というかこの光景のせいかで、言葉が詰まるばかりだった。僕とセンはあんぐりと口が閉まらなかった。つまり社長たちは、チップたちと同様にこの澤野という動画配信者が失踪したから探していた訳か。彼女たちの事だ。嗅ぎつけたのは板さんとかの力を使って、ここまで来たのだろう。いや、もしくは大和テンジョウが手引きしていた可能性もあるか。混乱を防ぐ為に、敢えて僕らに周知していなかったのかな。その件は後で天井と社長に聞けば、分かる話だ。でも、お陰で助かったのは事実だ。彼女たちがここに居なければ、恐らく僕らは全滅だった・・・。
「なんて云うか、凄い人たちね・・・。君の居たところって。」
「大丈夫、僕も若干引いてるとこだよ。」
それは先の戦いで見せた光景が一番だろう。そして、このギャップであるこの砕けた会話である。これは頭のネジが数本飛んでいかないと理解に追い付けないだろう。僕がそう返すとセンはクスリと笑ってみせた。少しススで汚れた頬の下は、ほんのりと桃色を下地にしていた。
「済まないが二人とも、こいつをおぶってやってくれないか。」
そう社長がこちらへ手を振りながら、こちらへ呼び掛けている。まぁ、そうなるよな。やれやれ、助けて貰った恩もあるところだし、ここは素直に彼女の指示に従おうか。僕は浅めの溜め息を吐いた。
「呉々も丁重にな、さもないと・・・⁉︎」
ドク……ンっ
心臓が一打跳ね上がる音がした。社長も何かに気付いている様子だった。でも、これは何だ・・・。まるでどんな色も真っ黒に塗り潰されてしまいそうな、極度な寒気を感じるプレッシャーは。
「ククク、クカカ・・・。」
すると、不気味な笑い声が暗闇から訪れた。冷や汗が止まらない。いや、これは冷や汗なのか…。緊張、武者震い、そのどちらでも無い。感じるのは、絶対的な恐怖。圧倒的でどうしようもなくなってしまいそうな、全てを投げ捨てたくなる恐怖だ。その啜るような不気味な笑い声の主は、未だ姿を見せない。何故だろう、指の一つ動かす気になれない。知らない…、僕はこんな恐怖を未だ味わった事が無い…。言葉が、喉の奥でつっかえて、上手く発声出来ない。
「これはこれは、実に派手にやってくれたねぇ・・・、クカカ・・・。」
「き、貴様は・・・‼︎」
声の主は、この部屋の中央に突然現れた。腰曲げた老人だ。白髪をオールバック、長い髭を生やしている。この施設に居た者と同じく真っ白な白衣を見に纏い、銀色の片眼鏡をつけている老人が突然現れた。だが、この老人が現れたのはこの部屋の中央。ついさっきまで緊張がほぐれたとはいえ、誰も気付かない訳がない。多分…、誰も気付く事が出来なかったんだ。
「失敗作が・・・、だからこの改造は嫌いだったのだ。」
白衣を来た老人は腰に手を当てながら、焼け焦げたマザーラークに目をやった。けれどその蔑んだ目は、とても味方に向けるものではなかった。まさに実験に失敗したマウスを冷酷に見つめるようでもあった。あいつも九紋一族の印が入っている。じゃあ、やはりその組織の研究員…?いや、そんな研究員とかの枠じゃない。あれは、そんな枠に収まる器ではない。もっと、上の存在…。もっと、自分たち以外を寄せ付けない恐怖の塊。それにさっきから社長の様子が変だ。ああの社長が瞳孔を震わせ、汗をかいている…。さっきの戦闘の影響か……、否。あれは紛れもない、社長も微かだが怯えている…のか……?
「こ、今度は何・・・?イサム、あれも便箋小町の?」
「違う・・・、あれは、違うよ・・・、セン。」
僕は首を横に振った。センは刀を構えようとしたが、それもピタリと止まった。あの老人を見た瞬間、身体が硬直した。センも気付いた筈だ。今ここで斬りかかったら、死ぬはこちらだという事に。
「おっと、ここにも失敗作が居たか。久しいな、えーーーーと、名前は確か・・・。」
老人はゆらりと社長の顔を見つめた。社長の名前を思い出そうと、長く伸びた白い髭を弄りながら天井を見上げる。すると白衣の下から一本の杖を取り出す。
カァッン
一本の杖が床を突いた。何故かその音がやけに耳に残る。何故だ、なんで僕はああの老人に、ここまで恐怖しているんだ…?老人はピタリと摩る指を止める。そして、ゆっくりとまた社長へ顔を向けた。
「あぁ、・・・・・・忘れたなァ。」
ゾクリと悪寒が走った。ここに居る誰も察したのは、強烈な殺気どころではない。死、そのものだ。
「垂くんッ!今すぐ、ここから逃げろ!さもないと・・・!」
社長は焦りながらも振り向き、火急の如く云い放った。
ドンッ
一閃、何かが通り過ぎた。空気?いや、強烈な突風だろうか。目に見えない何かが弾丸のように弾かれた。振り向くと老人は、杖をこちらへ向けていた。だが、違う。驚くのはそこじゃない。社長は手を広げながら、僕らを庇って老人の攻撃を守ってくれていた。何が起きたのかすら、理解が追いつかない。ゴフッと咳き込んだ彼女の口からは血が溢れていた。よく見ると彼女の背中は、何かに焼かれたかのように大きな焼け跡があった。
「な・・・。」
社長と目が合った。彼女の口元が動く。
ーー逃・げ・ろ。
その目は、今までに見た事無い真剣な眼差しだった。怯えるな、今すぐ逃げろ。そう訴えかけてきている。けれど、僕は完全に足が竦んでしまっていた。脳裏に焼かれた光景が、あまりにも残酷過ぎるように見えてしまったからだ。これがトラウマといえず、何といえよう…。
「さもないと、どうだと云うのだ・・・?え?失敗作よぉ?」
「ち・・・ッ。」
老人はニタリと嘲笑う。その笑みは、他のどの妖怪たちよりも極めて冷酷で、残忍で、死そのものを象徴しているようだった。




