64蛇の缶蹴りとおまかせを
虎とのけんけんぱを終えた僕は、また倒れるように寝たという。どうやらこの異空間の中では外の時間干渉を抑えているためなのか、運動した分だけの疲労は外の比では無いようだ。特訓を終えた途端、瞼を抑え込むような睡魔と倦怠感。それらを包み込むような疲労感がブレンドされて一気に畳み掛ける。パッと目が覚めた頃には布団の中なのだ。しかし、体の節々の痛みや筋肉痛は不思議と無い。これも時間干渉を抑えている性質なのか、寝ている間に筋肉痛などは回復されているみたいだ。そのお陰ですぐに体を動かす事が出来る。それと、これも外との干渉を抑えている為か、あまり空腹感も無い。昨日の夜もご飯を食べていないのに、お腹の中が空っぽになった時の痛みも無いのが実に不思議だった。それでも空腹の力は凄まじかったようで、ベッドの傍らに用意された朝食を前に、本能の赴くまま目の色が変わる。
僕は飛びつくように少し冷めた茶碗を手に取り、何も味付けされていない白米を口の中に掻き込んだ。食材を目にしてしまっては空腹に支配された。その本能には抗えなかった。朝食のメニューは白米にたくあん、それに味噌汁。あれ、そういえばあの人。衣・食・住は三つ星ホテル並とか云ってなかったっけか。三つ星ホテル並と称するには、あまりにも甚だしい必要最低限の食事。正直、自分で作った方がまだマシな料理が出るだろう。そんな思いを白米に混ぜ込み、僕はそれを味噌汁で啜って喉奥へと流し込んだ。
「ほな、次はこれやな。出てきぃ!」
パンッ
カイデンは一拍の手を叩くと、もはやお決まりの白煙が立ち籠る。次はどんな彼のペットが現れるんだか・・・。期待よりもずっと重い生唾を僕は呑み込みながら、白煙を見つめた。
「シュゥウウウウウウウ・・・。」
白煙の向こう側から聞こえたのは、舌を啜るような音。それも凄くデカい音だ。低音と高音が入り混じる啜る音。やがて白煙は中心から外へ外へと逃げていき、音の宿主の姿を露わにしていった。その者には四肢、つまり手足が無い。純白の細長い体は、まるでぐにゃりと曲げた電柱みたいだ。そう、こいつはそんだけ大きい。九メートルかそこらか、その全長はあまりの大きさに肝を冷やす勢いだ。
「こ、今度は蛇・・・、いやていうか、デカすぎません⁉︎」
「ここまでデカいと、ちょっと怖いわね・・・。」
煙の中から現れたのは巨大な蛇だ。巨大な蛇がとぐろを巻き、こちらをじっと見つめている。時折、細長い舌をチラリと見せながら静かに僕と目が合った。するとカイデンはスタスタとその蛇に近付き、ぺたりとその鱗に触れる。
「綺麗な鱗してるやろー、この子はオオアナコンダのアルビノやさかい。真っ白な身体がまた美人さんなんやわ。」
美人さんってこいつ、メスなのか・・・。それにアルビノって、かなりの希少種じゃなかったっけか。アナコンダにもアルビノってあるんだな。アルビノは本来、遺伝子異常によりメラニン色素を生成できない体質を指す。あの蛇の瞳が赤いのも頷ける。というか、九メートル以上の蛇と手のひらサイズの小人がセットになると体格差が凄いな。ぶっちゃけどっちが使役してるかなんて一瞬混乱してしまうくらいだ。ただ、蛇はカイデンがどれだけ触れようと動じない。カイデンに対し余程の忠誠を誓っているのだろうか、微動だにせず、ただじっとこちらを見つめているだけだった。
「・・・で、今度はこの大蛇と何するんですか?」
「えぇ加減そうやな、そろそろ察しがわかってくる頃やもんな。その通り!今から自分には、この“ジジ”と遊んでもらうで。」
「遊んでもらうって・・・、その、内容は一体・・・?」
カンッ
すると大蛇は尻尾を巧みに使い、一本の空き缶を置いた。何の変哲も無いただの空き缶。栓は抜かれており、炭酸飲料は全て飲み切った後の空き缶だ。
「これや!」
彼は自身に満ち溢れた表情で腕を組み、ドッと声を張り合わせた。まさかだと思うけど・・・、まさかだよな。僕の額からは絶妙な温度の油汗が流れていた。なんとなくだが、次にこの人が云うセリフが想像できてしまう自分がどうにも悔しかった。声に出すまでもなく恐る恐るといった息遣いで、僕とセンは目の前の状況に目を丸めていた。
「それって、もしかして・・・。」
「まさか・・・。」
「せやで!電気も機械も要らへんレトロゲームの代表格、空き缶一個あれば誰でも参加出来る画期的な遊びといったら・・・。唯一無二のそのゲームの名は・・・、缶蹴りやで‼︎」
とカイデンははっきりとそう云い放った。ですよねー、やっぱそうなりますよねー・・・。ん?と云うかちょっと待てよ。缶蹴りって、複数人でやる遊びだよな。それこそ鬼一人と複数の子を決めて、鬼は缶を死守する事。子は鬼にバレないように缶を蹴り上げる。缶蹴りは、子が複数人いないと成立する事ができないゲームだ。ましてや、この何も無い空間は決して適した環境じゃない。何故ならば、子が隠れる為の物が無いとゲームが成立しない。つまり、今の状況では圧倒的に子が不利になっている。
「缶蹴りって、ちょっと待ってください!流石に僕だってそのゲームのルールは知ってますよ!」
「なんやねん、師匠の特訓にケチつける気かいな⁉︎」
と流石の僕も、この状況下に対し物申した。しかしこのペテン師ことカイデン師匠と来たら、実に不満そうな眼差しを見せつけていた。眉をヌッと吊り上げ、昭和の暴走族宛らのメンチを見せ付けていたのだ。そんな僕と来たら、慌てて両手を振りながら弁解を始めた。
「違います!だって缶蹴りといえば、子が複数人いないと成立しないじゃ無いですか!」
するとカイデンは、ぽかんと間の抜けた顔で静止していた。数秒後に、重めの「はぁ~。」と溜め息も追い打ちをかける。
「おるやん、そこにもう一人。」
まるで何を聞いているんだ自分は、とでも云うかのような呆れた眼差しで指をある方向に向けている。その指先を目で追うと、僕のすぐ傍らに居るセンに向けてだった。
「え、私⁉︎私も参加するんですか⁉︎」
黒羽をばさっと揺らし、思いがけない選定にセンは戸惑っていた。自分自身に人差し指を差しながら、黒髪から溢れたアホ毛がせり立ち、ただ呆然としている。それもそうだろう。今までただ見学しているだけだったところ、突然巻き込まれたのだから。彼女は何度も僕の顔とカイデンの顔を振り返っていた。まぁでも、確かにこれなら必要最低限のゲームは成立する。子が二人居れば、一人は囮役、もう一人は実行役に役割を振り分ける事が出来る。それにあの蛇、どうせカイデンのペットの事だ。先の猿や虎の事から、普通のペットな訳が無い。このジジだって、どうせ一癖も二癖もある輩に違いない。
「ルールは簡単や。ジジにバレへんようにその缶を思っきし蹴ったれ!以上や。」
「イサムと二人でこの大蛇が守る缶を蹴れって・・・、出来るんですかそれ・・・。」
「何云うとんねん。出来るか出来へんかあらへん。やるか死ぬかやで!」
「極端過ぎでしょ!」
何と辛辣なやり取りだろうか。センも反論するが、カイデンはまともにそれを聞き入れなかった。やるか死ぬかって、まぁそれもそうか。相手は巨大な蛇だ。それに、蛇は最も知能的な狩りをすると聞く。蛇の狩りは主に待ち伏せ型。その場にじっと息を殺すように待ち構え、その一点に集中させ続ける事が出来る生き物だ。つまりこの缶蹴りの鬼役としては絶好の役職であり、例え子が増えようとあの蛇にとっては何ら問題の無い事なのだろう。
「まぁ、けど相手は蛇や。少しハンデはくれてやるで。」
と流石にカイデンも今回の試練は無理難題と判断したのか、ハンデと云う提案を持ちかけてくれた。
パンッ
彼が再び手を叩くと、ブロック状の壁が無造作に出現した。大小様々のブロックが重なり合い、幾つもの障害物となる。
「こ、これは・・・⁉︎」
「障害物が、まるで森のように・・・。」
そう、その光景はブロックで出来たジャングル。ジジの周りにはブロックで覆われ、視界をくらませる。その光景はエアガンを用いたサバイバルゲームにも酷似したようなフィールドへと変化させていた。確かにこれなら、ある程度の勝ち筋までの算段を立てる事は出来そうだ。
「さ、目眩しは出来たで?後は好きに隠れたれー。そしたら、ゲームスタートやーーー‼︎」
ジジの頭の上に座り込んだカイデンは口元に手を当てながら大声で叫んだ。同時にジジは、頭を出来る限り床に密着させ低く体勢を構えていた。その目はもう既に獲物を捉えようとする眼差しだった。兎に角、やってみない事には始まらない。ジジがどれだけの力量なのかもわからないんだ。まずはじっくりセンと作戦を立てて、行動してみる事にしよう。
・・・。
・・・・・・。
「ふむ、ええ感じに身を隠したなぁ。そんじゃ缶蹴りスタートや!」
無造作ランダムに設置されたブロック状の壁、僕とセンは二手に分かれる事にした。中心には巨大な白蛇がとぐろを巻きながら陣を組んでいる。蛇の背後にはセン、蛇の正面には僕という配置だ。カイデンは相変わらずジジの頭の上で胡座を掻いており、僕らが物陰に隠れた事を悟ると合図を送った。
「イサム、聞こえるかしら?」
「あぁ、バッチリだ。」
耳元から聞こえるのはセンの声。これもどうやら妖術と魔術の応用らしい。まるで携帯電話や無線機のように鮮明に相手の声がダイレクトに聞こえる。これもハンディキャップの一つと備えられた。そのお陰でリアルタイムでセンとのやりとりが可能なのだ。ここまでハンデが必要な程、この試練は難しいのだろうか。相手は蛇とはいえ、こっちは二人がかりだ。それも多方向からの進撃をしようとしているし、勝機はある筈・・・。
「多分だけど、この訓練。あなたがあの缶を蹴らないといけないと思うの。」
「あぁ、やっぱりそうだよね・・・。」
「だから、私があの蛇の注意を引くよう囮になるから、その隙に缶を蹴って!」
彼女の云うようにこのシミュレーションは、僕が実行しないと意味が無いのだろう。センが蹴り上げたところで僕自身の成長には繋がらない。あんな巨大な蛇に突撃して、その傍らにある缶蹴りを吹っ飛ばす。云うだけなら簡単だ。だが、現実は違う。それ相応の勇気が必要だ。猛獣が住まう動物園の檻側に入り込むみたいなもんだ。僕はふぅーと息を呑み込み、覚悟を決め込んだ。
「それしか無いよね・・・、わかった!それで・・・、合図は?」
「あなたは蛇の真正面に、私は後方から飛び出すようにするわ。そうすれば、嫌でも蛇は視界を後ろに向く事になる。あなたの視界に入るように私が飛び出せば、あなただって嫌でもその合図がわかるでしょ?」
成程、だから僕を敢えて蛇の正面側に配置した訳か。確かにこれなら、最初に飛び込んできたのが背後に置いたセンならば、彼女の云うように嫌でも後ろを向かざるを得ない。あとはその隙をついて、僕が正面から蛇の死角を潜り抜けて缶を蹴るだけ。付け焼き刃とはいえ、中々理に適った作戦だ。しかし、こんな短時間でよくこんな作戦を思いつくもんだな・・・。ひょっとして、やった事あるのかな。
「セン、このゲームやった事あるの・・・?」
と僕は徐にそう尋ねてみた。するとセンは「ふふん。」とスキップするように鼻を鳴らしながら、こう返した。
「私、里の中じゃ誰にも負けた事無いのよ。自信は、・・・あるわ!」
「青天狗が缶蹴りって・・・。」
青天狗がっていうか、妖怪も缶蹴りするのかよ。なんか想像するだけで違和感が凄いんだけど・・・。それでもセンの珍しく自信に満ち溢れた声色は、信じて良いものかどうか。
「シュルルルルル・・・。」
壁の向こう側から蛇の空気を啜らせる音が聞こえる。あっちももう臨戦体勢って訳か。僕は壁に身を潜めるように蛇の様子を伺った。とぐろを巻く蛇がじっと正面を睨み付けている。何だろう・・・、まるで向こう側の景色がはっきり見えているみたいだ。あいつ、もしかして・・・。
「行くわよッ!」
すると、センからの合図が来た。その掛け声と共に蛇の背後からセンが飛び込む。流石、青天狗というべきか。彼女は突風にも負けない速度で、グンっと一気に蛇との距離を縮めた。
「速い!一気に懐まで攻めた!」
しかし、すぐにジジはセンの行動に反応する。これが野生の超反応とでもいうのか。先程までこちらをじっと見つめていたのに、センが飛び込んだ瞬間の振り向く速度が尋常では無かった。そのまま控えていた長い尻尾を鞭のように操り、飛び込んできたセンに打ち付ける。
「私は、囮・・・。あなたの注意を引けば、それで充分!」
だがセンもそれを予測していた。真っ先に飛び込めば、当然反撃があるのだろうとある程度の予測は出来ていた。もう目と鼻の先程の間合いから、右足を弾ませステップを踏む。やや右寄りに高くジャンプし、ジジが放った鞭は空を切る。けど予測出来ていたとはいえ、あの速度の攻撃を良く回避出来るもんだよな。僕はつい彼女の動きに惚れ惚れしてしまう。おっと、見惚れている場合じゃ無かった。奴の注意は、完全にセンへと向けられている。頭も奴の視界も僕は映っていない。今が好機。飛び出すなら今だ。僕は声を殺すように抑えていた口を開き、スゥっと一呼吸を打つ。
「良し、今だッ!」
完全に死角を捉えた。奴との距離は十メートルも無い。狙うはジジの傍らで守られている空き缶。僕は一直線上に添えられたレールに沿うように、全力で走った。それでもなるべく音を出さないように。呼吸は小さく、少しでも気付かれないように慎重に。彼女のように風をイメージして走り抜くんだ。
「シュルルル!」
「なっ・・・⁉︎」
しかし、そんな勝機は束の間だった。僕が飛び出すと同時に、ジジはぐるんとこちらを振り向き始めた。白蛇の冷たく鋭い睨みに捉えられる。こいつ、僕が最初からわかっていたんだ。僕がここから出てくる事を。次の瞬間、視界がぐらりと傾き始める。そして、脇腹に感じる鈍い痛感。こ、これは奴の尻尾・・・⁉︎
ビッッダァンンンン
そう思った時には、僕は奴の尻尾攻撃で横殴りされたようで吹っ飛ばされたらしい。ゴロゴロと吹っ飛ばされた衝撃で、何回も体を床に叩きつけるように転げ回されたが痛みは少なかった。この床はどうやら外からの強い衝撃は吸収してくれるようで、まるで弾力マットに似た感触だった。そのお陰でジジの攻撃こそは痛かったものの、間接的に起こるダメージが少なかったのが不幸中の幸いだ。
「い、てててて・・・。」
とは云えども、痛いもんは痛い・・・。本当に鞭で叩きつけられたみたいだ。もしこの道着を着ていなかったら、皮膚ごと持ってかれそうだ。しかし、分からない・・・。なんであいつは、僕が来る事を予測していた?いや、正確には・・・、何故、僕の位置を特定出来た?
「ジジはなぁ、ものごっつー鼻が効くんや。まぁ正確にはピット器官と呼ばれるセンサーみたいな奴やけどな。」
「ピット器官・・・!それってまさか⁉︎」
「蛇はな、自分の周囲よりも高い温度を持つ哺乳類や鳥類なんかから放出される赤外線を感知して、獲物を特定するんや。」
ジジの頭部に座り込むカイデンが答え合わせでもするかのように、悠々とこのカラクリを紐解いた。ピット器官・・・。聞いた事があるぞ、蛇のような動物に備えられた特殊なセンサーだ。カイデンの云うように動物が放つ赤外線を感知して、獲物の位置を把握する事ができるという代物である。それは僅かな温度差でも感知する事が出来るだけでなく、サーモグラフィーのように相手の姿を視る事が出来るレベル。いや、ちょっと待てよ。それじゃあ、この無造作に置かれたブロックの壁なんて・・・。
「これじゃあ、相性が悪過ぎる・・・。いくら障害物が多くても、あいつにとっては丸裸も同然じゃないか!」
「イサム・・・、ごめん。ちょっと油断してしまった・・・。」
僕が起き上がると、すぐ横にはセンが膝をついて心配そうにこちらを見ていた。そして、申し訳無さそうに頭を下げる。成程、これは一筋縄では行かなそうだな・・・。僕はその場で立ち上がり、両手で太ももに付いた埃を払った。
「いや、これは相手が悪過ぎるよ・・・。別の作戦で缶を狙おう。」
仕切り直し。これは何度かトライする必要があるだろう。この訓練もどうやら長引きそうだ・・・。そう思いながら、僕は肩を落とした。ただ勘違いしないで欲しい。決してテンションが下がった訳では無い。失敗は切り替えの起点なんだ。挑戦し続けていれば、何か見えて来る筈だ。
・・・。
・・・・・・。
「どりゃああああああああッ。」
「せぇええええええい!」
「チェストォォオオオオオオオオオ!」
さて、休み休みに挑戦し続けて、そろそろ三十回目を迎えようとしている。だが未だに光明が差す展開は訪れる事は無く、僕とセンの無駄な叫び声は泣く泣く失敗の連続となってしまった。
流石のセンも息を切らし始め、顎下までさらりとした汗が零れ落ちていた。そんな僕はというと、両膝に手をついている。重めの呼吸を上下に体を揺すりながら吐き溢し、顔中汗まみれな何とも無様な姿な訳だ。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・。」
「バッチリ記憶されてるわね、私たち。あのピット器官って奴に・・・。」
彼女は顎下に溜まった汗を右腕で拭い、そのまま床へと放り捨てた。自称負け無し缶蹴り女王と銘打った称号を持つ彼女も、いよいよ余裕が無くなってきた様子だ。半袖のトレーニングウェアの袖を肩まで捻り上げ、身体中の熱を逃がそうとしている。そう、この訓練は長引けば長引く程により困難になってしまう。その理由は奴のピット器官にある。こちらの体温が上がれば上がるだけ、奴のセンサーに引っ掛かりやすくなってしまう。つまり状況を悪化させる一方なのだ。
「どうすれば・・・、あいつの包囲網を潜り抜けるには多分二つ。絶対の信頼を置いているピット器官を騙すか。それとも奴よりも速く動いて缶を蹴るか・・・。」
「後者は現実的では無いわね・・・。あんなに巨体なのに、反応速度は異常に俊敏だもの。」
僕が提示したこの二つは、正直どちらも無理難題だ。現実味は無い。彼女が云うように、後者は特にだ。何故ならば、突風のように動き回れるセンですら、ジジはしっかりと反応する事が出来るからだ。センは僕が知る中でもかなり速い方だ。その速度は、疾風迅雷の異名すら彷彿させる狛犬兄妹と良い勝負だろう。当然、ただの人間である僕にそんな常識はずれの速度を叩き出せる訳が無い。そんなのが出来たら、とっくにオリンピック界でその名を轟かせているだろう。と、なると残りの候補は・・・。
「じゃあ、やっぱりあのピット器官を欺く方法か・・・。赤外線って事は、体温って事だよね・・・。セン、影分身とか出来ないの?」
「あのね、イサム。私は青天狗であって、チャクラを操る忍者じゃないの。そのピット器官はその誤差すら感知するのよね?それに分身したところで、本体の体温まで寸分の狂い無くコピーさせる高等技術はほぼ不可能に近いわ。」
「ですよねー・・・。分かってはいたけど、んー・・・・・・、一体どうすれば・・・。」
と彼女は頬に氷でも当てたように、この状況に対して冷静だった。まぁ、実際のところ影分身に関しては冗談だけど。その冷静過ぎるツッコミに感化されたようで、僕は冷や汗が止まらなかった。というか、影分身はやっぱ出来るのかよ。いや、そうじゃない!まずはあのピット器官を何とかしないと・・・。ピット器官、まずはその性質のおさらいだ。奴は動物から発される赤外線を感知して、狩りをする。センサーとなり、位置を視る事が出来る。そういえば、他の動物にも似たような狩りをする奴いなかったけか。ほら、思い出せよ垂イサム!前に観た動画サイトでも似たような光景があった筈だ!えーと・・・、確かあれは何だっけか・・・。僕は何度も何度も、記憶の迷宮にある扉の開け閉めを繰り返していたところだった。
「じゃあ、もう一度だけやってみる?何か分かるかもしれないわ。」
僕が考えている最中、彼女は再度トライを提案する。違うんだ、セン。もう少しで何か思い付きそうなんだ。熱・・・、器官・・・、鼻・・・・・・。そうだ、あいつだ!居たぞ、似た性質で狩りをする動物が!そして、そいつの弱点も僕は知っている。もし・・・、もしもだ。その仮説が正しければ・・・!僕は勢い良く横に手を挙げ、彼女の声のする方へと振り向いた。
「あ、ちょっと思ったんだけど。ピット器官って、要は熱に反応するって事だよね?」
「えぇ・・・、カイデンさんが云うにはそうらしいけれど・・・。」
「じゃあ、対策はまだある!むしろ、これしか攻略が無い!なぁ、セン。青天狗なら妖術とかは使える⁉︎」
僕は勢いに身を任せて、彼女の両肩をガッシリと掴んだ。そうだ、方法はこれしかない。この蛇との缶蹴りを攻略する為には、彼女が必要不可欠だ。だが、当の本人はなんの事やら未だちんぷんかんぷんである。瞳の奥先までハテナマークで覆い尽くされてしまいそうなくらいだ。
「え?え、えぇ・・・、簡単なものなら多少はね。イサム、どうする気なの?」
彼女は僕の勢いに圧倒されてしまったのか、小刻みに頷きながら答えた。妖術が使える。それなら、良かった。これで勝利へのピースは整った。あとは、そのピースをはめ込むだけ。整地して、段取りを組んで、実行するだけだ。
「作戦は、こうだ。」
この時の僕の目は、いつになく真剣だったと思う。なんだって閃いたこの瞬間なんだ。今は凄く清々しい気分でもあるんだから。
・・・。
・・・・・・。
「ほな、作戦会議は終わったかいな?」
「えぇ、いつでもどうぞ!」
「おぉー、良ぇ意気込みやな!そいじゃー・・・、始めや!」
陣形自体は変えていない。彼女が囮役で僕が缶を蹴る役だ。したがって彼女が蛇の背後であり、その正面は僕だ。これ自体に変更は無い。大事なのは、どう動くかという実行だ。もしセンが正面だった場合、恐らく成立しないだろう。何故ならば、彼女には最大限の囮をして貰う必要があるから。
「ふむ・・・、陣形は変わらんようやな。嬢ちゃんは囮役、芋雑巾が缶蹴り役かいな。」
「誰が芋雑巾ですか!ちゃんと名前ありますよ、僕だって!」
小人から発する陰口が丁度、僕の耳に入った。と云うよりは、“芋雑巾が”と云うところだけやけに強調されたような。全く、そうやってすぐ安い挑発を向けてくるんだからなあのペテン師は。まぁ、それにすぐ歯向かおうとする僕も僕だけど。けれど、勝負は一瞬だ。その一瞬の一つ一つが全て大事になる。どれか一つでも欠ければ、すぐに失敗に終わるし。この作戦は恐らく、一度だけしか成功しないだろう。僕とセンは互いに息を整え、スゥーと吐く音がユニゾンする。「じゃ、行くね。」と彼女の合図は静かにテープを切った。ブロックの壁から、センが勢い良く飛び出した。
「んで、まずは囮役が前に出てくると・・・。」
センは大きく弧を描くように旋回しながら、蛇へと近付く。ギリギリまで悟られてはいけない。最小限の力で走り、出来るだけ静かに。彼女の気を配った走りは、凪にも酷似した音。懐に近寄ったところで、ジジは大きな頭を俊敏に動かし、勢い良くセンへと振り向く。恐らくこのジジに与えられた命令は至ってシンプル。近付く者を全て薙ぎ払え。そう、叩き込まれているのだろう。だから、次の動作が尻尾による鞭のような攻撃である事は分かっている。だから・・・ッ!
「はぁああああああああああああああああーーーーーーーーーっ‼︎」
彼女は黒羽を大きく広げ、右足で床を蹴り上げたの同時に高く飛翔する。ジジの鞭は寸前で空を切った。だが今回は違う。バックステップでもサイドステップでも無い。彼女が飛び込んだ先は、真っ直ぐジジに向かってだ。鞭攻撃を躱す事で得られた余白を利用し、彼女は呪文を込める。簡易的な詠唱を述べながら、右手は前に突き出すようにし左手は添えるように構える。彼女の手の平からは次第に眩い光が照らし始め、その光は赤に染め上げようとしていた。
ボッ
センが自分の突き出した手に向かって、「ふぅー。」と息を吹きかけた瞬間、炎が舞い踊り始めた。その炎は僕が思っていたよりはずっと大きく、人一人を飲み込むには充分な大きさだった。
「な・・・、ほ、炎・・・、だと・・・⁉︎」
「そうです!ピット器官は熱源に強く反応する筈です!それなら、手っ取り早く目の前で火を起こせば・・・!」
何もこの炎を当てる必要は無い。これは、あくまで囮なんだ。もっと云えば、脅しみたいなもんだ。だからこんなチャチな脅しで、あの蛇が動じるとは思わない。むしろ、この反応に逆上する筈だ。何よりも自分の能力であるピット器官を、絶対の信頼として置いているのだから。それをコケにしようとするこの行為は、完全にセンが放った炎へと意識が集中するだろう。
「甘いな、芋雑巾!蛇のピット器官はその程度ではグラつかへんで!」
「えぇ、だから・・・、こうするのよっ!」
突き出した右手を引くと、一瞬にして目の前に現れていた炎がピタリと止み出す。そして、センが突っ込んだその先は、丁度ジジの鼻先だ。鼻先へと向けて彼女が掌がピタリと覆い被さる。
ピト・・・、ジュぅうううううううううううううううううううううう
「シャアアアアアアアアーーッ⁉︎」
「あチャチャチャチャ⁉︎お、おまッ!ジジの顔面に⁉︎」
数百度の炎をつい先程まで操っていたその掌が、ジジの鼻先に触れるとバタバタと苦しみ始めた。やっぱりそうだ、僕の勘は間違っていなかった。ついでに、散々コケに罵詈雑言を発していたカイデンにもちょっと当たった。よし、それは色んな意味で良い気味だ。
「どうやら、イサムの云う通りだったみたいね。ピット器官は超感度で相手の体温に反応する・・・。けれど、それは自分の体に高温のものを触れられては・・・ね。」
「目の前に立ち塞ぐ高温を発する炎と、自分の体温以上のものがピット器官そのものに触れられると・・・。一瞬とはいえ、最強のセンサーは狂い始めてまう・・・‼︎このガキ、何つーーーーむッッちゃくちゃな作戦をッ⁉︎」
「そう、だからこうやって‼︎」
「何ッ⁉︎」
そう、僕は一連の騒動を利用して、既に動いていた。丁度ジジの影となるように、弧を描きながら迅速に。そうして近付いたその距離は、今までの中でベスト記録。空き缶との距離はもうすぐ目の前・・・。いや、それを蹴り上げる準備は出来ているくらいの・・・、射程範囲内だ!
「僕がここまで近付いても、ジジは気付かない!」
「あ、あいつ・・・!いつの間に⁉︎」
ここまでの行動は全て陽動。全てはこの一手を決める為に用意した布石だ!もう、この一瞬しか無い。ジジもカイデンも、この瞬間まで僕の行動に気付いていないこの瞬間が、最大のチャンスなんだ。僕は渾身の思いを一発の蹴りに集中させ、空き缶目掛けて気合いと共にブチ込んだ。
「だぁあああああああああああーーーーーーーっシャアアアアアアアア!」
カーーーーーーーーー・・・ンン、カン・・・カン、カカン・・・
蹴り上げた空き缶はぶっきらぼうな回転を加えた状態で吹っ飛んでいき、ずっと遠くの方で虚しく床を跳ねた。
「良し、やったーーーーーーーー‼︎」
ゲームセット。その言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、僕は柄にも無くガッツポーズを決めながら子供のように叫んだ。
「凄いわ、イサム!よく思い付いたわね!」
すると走って飛び付いてきたセンが、僕を抱きしめながら喜びを共感していた。その時の彼女の笑顔は本当に嬉しそうで、まるで甲子園の決勝で勝利を掴んだような歓喜っぷりだ。でもまさか、これしか方法は無かったとはいえ、本当に上手く行くとは思わなかった。
「うん、前に鮫のロレンチーニ器官の動画を見ていてね。サメも蛇と同じような感知する機能があるんだけど。その高性能故に微弱の電流をその器官に流し込むだけでも気絶してしまうっていう弱点もあるらしいんだ。」
「せやな、鮫は生き物が出す微弱な電気を感知して狩りをする生き物や。せやけど、まさかその理屈でこの作戦をか?」
カイデンはいつの間にか僕の肩で胡座を掻いており、話に割って入ってきた。というか鵺でも、鮫のロレンチーニ器官の事知ってんのかよ。僕はついこの間の動画サイトで偶然知った程度なのに。内心ちょっと驚いたが、僕は表情は臆せず会話を続けた。
「えぇ、鮫が電気で気絶するレベルになるなら、蛇も似たような方法で狂わせる事が出来るかなって思いまして。」
「はっはー、自分良いやんか!頭脳戦然りコンビ戦然り、大丈夫そうやな!」
それを聞いたカイデンは膨らませた風船を一気に放出するように、ドッと豪快に笑っていた。彼にとっても意外な作戦だったのだろう。だがその意外性こそが一番のスパイスだった。そうだ、そういえば誰かも前に似たような事を話していたな。
「それじゃあ・・・?」
「おぅ!文句無しの合格やで!ほなら、今日はここまでや。明日、次の特訓行くで~。それまでゆっくり休んどきー!」
ニカっと真っ白な歯を見せながら、彼は満面な笑みを浮かべていた。その笑顔は、この訓練の成果に満足した様子ともう一つ。どこか何かを企むような薄ら笑みも混じっていた。




