62猿のお手玉とおまかせを
「お邪魔しまー・・・・・・、って広ぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ⁉︎」
そうしてツグミ道場の小人に案内され、その奥に広がる空間に僕らは圧倒された。あまりにも広過ぎるのだ。この建物の外観と比べて、桁違いに広過ぎるのだ。物理法則なんてものは度外視されている。上を見上げれば雲さえも浮かんでそうな程に高く、周りには壁なんてものは無い。どこまでも続く地平線のように気味が悪いほど広がっており、恐らく本来ある筈の壁も遥か彼方なのだ。極め付けはここが驚く程、殺風景で質素な白を基調とした配色で構成された空間であること。
「本当に・・・、道場っていうよりは、まるで異空間みたいね。」
傍に居たセンは思わず、生唾をごくりと余す事なく飲み干した。
「せやねん。嬢ちゃんの云う通りな、ここの空間はちょっとした異空間とでも思った方が、案外しっくり来るかもなぁ。上も奥行きも、ほぼ制限が無く遠くまで広くなっているから開放的やろ?まぁ、広過ぎるのが玉に瑕だが・・・。」
いつの間にか僕の肩に乗っていたカイデンが、自慢気に鼻を伸ばしながらそう語る。まぁ、レタが紹介した人なのだ。普通の人を紹介する訳無いよな。一癖なり二癖なり無いと、逆に違和感すらあるくらいだ。本当に周りを見ても、なんて殺風景なことか。唯一在るのは、この空間に入り込んだ時に開けたふすま扉くらいだ。それ故に、余計に殺風景さが増してくれる。だが、ここがどういう仕組みで出来ているかは何となくざっくばらんに分かる。恐らく、僕の肩に乗っているこの小人が作り出した物なのだろう。この小人の身体に内包する膨大なマナによる物。それは、傍らにいるセンも気付いているようだった。
「これは、マナで生成された空間・・・?いや、これは気術と魔術の複合かしら?」
「お?嬢ちゃん、一目でこれを判断出来るのは、中々筋がえぇで?正確には、これに妖術がブレンドされとるんや。ブレンドの比率と作り方は企業秘密やで?」
カイデンは口元に人差し指を当てながら、軽くウィンクを施した。彼曰く、単にマナという広い分野で作られた物ではないという事か。気術、魔術、そして妖術をブレンドした複合術。それが、このどこまでも続く広い空間を作り出しているのか。いや、待て。この違和感は、何だ?そうだ・・・、ここはさっきの部屋と明らかに違うところがある。
「は、はぁ・・・。けど、何でしょう・・・。外の音がまるで聞こえない。」
「それでいて、閉鎖感は無いわね・・・。なんか不思議。」
そう、この空間に入ってから感じたその違和感の一つは、音。外の音が全く聞こえないのだ。風の音や外の生活音、車の過ぎ去るエンジンすら全く聞こえない。それでいてセンも気が付いたように、この空間が広過ぎる故か閉鎖感は全く無く、むしろ野原のように開放的だ。建物の中であれば、どれだけ広かろうと壁に覆われている以上、少なからず閉鎖感はある筈だ。なのに、ここにはそれが無い。頭の中が疑問符で押し込められている中、カイデンは「ふっふっふー」と自慢気な笑みを見せる。
「この道場はな、外界からの影響を大幅に遮断させとるんや。物理的な距離感、外から溢れる音。更に云えば、時間さえも大幅に遮断させてくれるんやで!」
彼は髭の生やした自信家でも乗り移ったかのように腕を組みながら、そう僕らに説明した。成程、それで外の音が全く聞こえないのか。この魔術やら出来た空間、何ともここまでご都合主義な事か。まるで、目の前で手品でも見せつけられたような驚きが隠しきれない。ん?けれど彼は今、なんて云った・・・?時間さえも大幅に遮断させると云ったのは、聞き間違いでも気のせいでは無い筈だ。ひょっとして、時間を遮断させるとは・・・、いやそれはあまりにも都合が良過ぎるだろ。僕は頭の中でその可能性を過らせたが、寸前でそれ以上の考察をやめた。ぶっちゃけ聞いた方が早い。シンプルに、ただそう思ったからだ。そうして僕は、恐る恐るとはこの事か。低い位置で震わせながら挙手した。
「時間さえも・・・って。具体的に、それは一体・・・?」
「仮にこっちの中で一日経過したとしても、外の世界ではまだ八時間しか経過してへん事になるなぁ。」
「え、何すかそのちょっとした精神と⚪︎の部屋みたいな空間は!」
「なんやそれ?」
「いえ、何でも無いです・・・。」
これを幸と取るか、いやはや何とも・・・。考察に過っていた事が本当だとは。ここでの一日が外ではたった八時間しか経っていないって、三倍も時の流れが違うのか。けれど確かにこれなら、実際のところ短い時間で身体を鍛え上げる事が出来る筈だ。続けて彼は人差し指を立てながら、口を走らせる。
「君は普通の人間やさかい、長期間の滞在はお薦め出来んけど、そんだけ力は付く筈やで!けど安心しなはれや!人生で二回しか入れへんとか、十倍の重力差があるとか、酸素濃度が薄いとかあらへんから!」
「いや、絶対知ってますよね⁉︎精神と⚪︎の部屋‼︎無茶苦茶それ、精神と⚪︎の部屋の特徴まんまじゃないですか‼︎」
「だから、何やねんそれ。」
「いえ、もう・・・大丈夫です。」
いや、絶対この人知ってるだろ精神と⚪︎の部屋。この人が云っている特徴は寸分の狂い無くその特徴だろ!絶対この人わかってて、敢えて話から目を逸らしてる。あっ、ほらやっぱり!明後日の方向見ながら耳穿ってるし。あぁ、もうやっぱり総じて“ギフト”と呼ばれる連中は変わった奴しか居ないのか。流石に、そろそろマトモな“ギフト”の一人や二人現れたって良いのに。何かしらの一癖のある奴しか居ない。この小人も例外なく、その一人だ。
「まぁ、とりあえず今回は体験入門っちゅー訳で、外の世界でそうやな・・・。十日くらいやろか?」
「つまり、この中で約一ヶ月くらいって事ですか・・・。」
「安心せーよ?衣・食・住は三ツ星ホテル並みに完全完備やで!」
「はは、一日感覚で考えてました・・・。」
僕は彼から聞かされたその数字に落胆した。一日体験入学程度の考えで来たのに、まさかの実質一ヶ月とは。これじゃあまるで、自動車免許の短期合宿みたいなもんだ。僕が肩を落とす最中、その落とした肩に柔らかい手が添えられる。トンっと優しく触れたその手の持ち主は、傍らにいたセンだった。同情を労うような目でこちらを見つめている。止めろ、そんな目で見ないでくれ。彼女は口には出さなかったが、乗っかった船なのか私も付き合うからとでも云うような表情だ。というか彼女の場合、それはあくまで建前。実際のところは、ここでの鍛錬がどんなのかが気になっているが本心だろう。少女のようなナリだが、中身は修行大好きの青天狗。その証拠を裏付けるように、彼女の目は爛々と子供のように輝いている。だがそんな彼女も改めてカイデンを見つめた時、何かに気付いたのかその目付きがグラリと変わる。
「けど、イサム。多分だけど、この人相当強いと思うの・・・。闘気って云えば良いのかしら・・・。自分で抑え込むように隠してるけど強さは本物だと思うし、イサムの力にもなるんじゃないかな。」
「うん、そうなのかもね。流石に、今の僕では彼がどれだけの強さとか数値化は出来ないけど・・・。」
「ええ。」
「僕が出会ってきた類と比べて、誰よりもずっと強いのは直感したよ。」
そう、僕もその事には気付いていた。確かに、身なりこそは手のひらサイズの小人だ。けれど彼の体躯に内包するその力は、手のひらに収まる比では無い。この間戦ったヤヅギのマナを遥かに超える。いやもしかしたら、便箋小町の社長である飛川コマチと同格かそれ以上か・・・。一瞬だけ見せた彼の闘気に触れ、僕らは直感する。こんなに小柄で飄々としているのに、只者では無いのだと酷く強調させるようだった。背筋に凍り付くように纏っていた悪寒は、きっと気のせいではない筈。だが、これは殺意とはまた違う。何だろう・・・、この感覚は・・・。目の前に刃物や銃口を向けられたものでは無い。もっと純粋で、単純な物なのかも知れない。得体の知れない強大な何かが彼の小さな身体に宿されているのか・・・、はは、これは幻覚であってほしいかも・・・。じゃなきゃ、この無垢に手を振る小人が余りにも不気味に見えてしまうじゃないか。
ぼむんッ
「ほな、これうちの道着な!見た目は普通の道着やけど、通気性や速乾性抜群で軽くて頑丈なんやでー!用意が出来たら始めたるでー。着替えたら声かけてなー。」
彼が両手で手を叩くと、どこからともなく真っ白とは云い難い道着が突如として現れた。微妙に薄汚れている・・・、あとちょっと汗臭い・・・。これ、洗濯ちゃんとしているんだよな・・・。衣・食・住は三ツ星ホテル並みとか何とかって、云ってなかったっけか。くそ、何だか詐欺の直前に気付いた感覚みたいだ。いやしかし、ここまで来てしまったのだ。振り返るのは、もう遅いだろう。僕は無造作に置かれた道着を拾い上げた。道着は一着。どうやら、本当に僕メインで稽古を付ける気らしい。ん?ていうか着替えるところは?と辺りをキョロキョロしていると、カイデンはふすま扉の方に指を差す。そう、僕らが入ってきたここの出入り口だ。つまりなんだ・・・、外で着替えろって云いたいのか。クスクス笑いながら、彼は無言で僕にそう指示したのだ。
・・・。
・・・・・・。
彼に渡された道着は、想像以上に僕の身体をピッタリと包み込む程ジャストフィットだった。キツ過ぎず緩過ぎる事無く、絶妙のゆとりが作られていた。そのお陰で見た目以上に、かなり動きやすい。道着という奴に初めて袖を通したけど、中々これも悪く無いかもな。というか帯ってこれで合ってるのかな。なんか固結びみたいにすると斜めになっちゃうし、形も何だか歪だけど・・・、まぁ良いか!着替え終えた僕はさっきの空間に戻ると、早速帯の結び方について滅茶苦茶指摘された。カイデンの頑固親父さながらの罵声が飛んできたが、その間を縫うようにセンが結び目を直してくれた。いやだって、こういうの着るの初めてなんだよ。僕は彼には聞こえない程の大きさで「ごめん。」とセンに伝えた。「大丈夫。」とこちらには目を合わせる事無く、ものの数秒足らずであんなに苦戦を強いられた帯結びを綺麗に整えてくれた。これは流石、青天狗と評すべきか。
「ほいじゃまぁー、初めはコイツやなぁ。ほれ、エンキ。出てこい。」
ぼむんッ
「キキッ!」
「え・・・、猿・・・?」
「猿・・・ね。ちょっと可愛い。」
彼が再び手を叩くと、そこに現れたのは猿・・・。猿だ、多分ニホンザルでよくもまぁ絵に描いたような猿だ。長い尻尾を垂らし、ぽてんとお尻を床につけながら座っている。桃色に染まった顔からは、愛くるしい甲高い鳴き声を出す。少々身なりを気にしているのか頭を掻きながら毛を整える仕草に、センはほんのりと顔を赤らめながら微笑んでいた。
「今から自分には、コイツと特訓や。」
「ちょ、ちょっと、特訓ってこの猿とですか⁉︎」
・・・・・・は?今、なんて・・・?カイデンは何をどう思ったのか。どうやら僕は、この突然現れた猿と特訓をするらしい。いや聞き間違いではない。彼の指し示す親指の矛先は、バッチリ猿に向けられている。
「猿やない、この子の名前はエンキや。んで、今から自分にやってもらうんは・・・これや!」
と、更にエンキに向けられた指先を良く凝らすと、エンキの股下に置かれた小ぶりの布袋が二つ・・・。いやというかヤヤこしいところに、変なもん置くなよおい。一つは黄色を基調としたコスモスが刺繍されており、もう片方は赤を基調とした桜の花びらが刺繍されている。んと・・・、これって確かアレだよな・・・。昔からある遊具の一つで、おばあちゃんから教えて貰ったアレだよな?
「え、それって・・・、お、お手玉・・・?」
「自分、やった事あるかー?」
「まぁ、子供の時に触り程度ですけど・・・。」
「んなら、話は早いなぁ!コイツを五十回落とさずにお手玉してみー?」
お手玉で五十回?そんな子供の遊びみたいなのをここで披露しろって事か?こんなの一体何の意味が・・・。僕は大道芸人になる為に、ここに来たんじゃないんだけどなぁ。僕は告げられた特訓内容に少し落胆した。するとエンキと呼ばれた猿は傍らに置かれたお手玉を二つ掴み取り、有無を云わせる隙も無く手渡してきた。まぁ、でもやれと云われたんだ。ここは初めだし、素直に従っておくか。というか何でまた二十歳間近の年頃でお手玉なんかを。僕はエンキから手渡されたお手玉を渋々受け取る。すると、思わぬ衝撃はすぐにやってくる。
「・・・って⁉︎お、重ぉおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオ⁉︎な、なんですか、このお手玉は⁉︎」
強烈な重力が僕の右手に、叩きつけるようにのしかかってきた。お手玉というよりは鉛を詰め込んだ鉄球ような重みは、この手のひらで収まる小さなお手玉からなのか⁉︎いや、滅茶苦茶重いとかそういう次元じゃなくて、明らかに物理法則をガン無視しているだろコレ!ていうかこれを軽々と、さも当然かのように持ってきたあの猿なんなんだよ!中身、実はゴリラかなんかなのか、あの猿は‼︎
「ほんと・・・、これはマナか何かを練り込んでいるのかしら・・・?」
センもこの異様なお手玉が気になったのか、一つ手に取りその重みを実感していた。ズッシリと来るその質量は彼女の手にも確かに伝わっていたようで、未だ信じられないといった顔をしている。
「おぉ、ここで普通のお手玉すると思たかぁ?そいつは、一個十キロでなぁ、鉛とワイのマナをブレンドした特注品や。」
「じゅ・・・十キロって!そんなんで出来る訳ないでしょう‼︎」
ニヤリと深い笑みを浮かべたカイデンは、異常な重さのお手玉に指を差した。十キロって・・・、それを二個もってことは合計で二十キロ。こんなの子供を持ち上げているようなもんだぞ。よくバトル漫画とかであるような物理法則を度外視にした重さの日常品で生活をするとかあるけど、それよりは遥にマシか。それでも重いもんは重い・・・。現実的に考えて、十キロのお手玉だろうとロクな運動をして来なかった僕には十分の負荷だ。するとカイデンは再び手を叩き、前の部屋にあったような座布団を出現させ、僕の肩から飛び移った。ボフンっとふっくらした座布団に座り込むと、眉を吊り上げながら腕を組む。
「それを出来るようにするんやから、特訓云うんやで!ほれ、さっさとせんかいボケェ!」
「そ、そんなぁ・・・。」
それはまるで一昔前の熱血顧問教師のような、スポ根精神満載の怒声を飛ばしてきた。彼のそんな雰囲気を強調させるかのように、右手にはしっかりと竹刀を握り込みブンブンと振り回す始末だ。
「あと、先に云うとくで?ここは何でもありの道場や、予め刻んどきやぁー。」
彼は僕に竹刀を向けながら、そう語った。何でもありの道場・・・?一体どう意味だ・・・?彼から指定されたのは、このくそ重いお手玉で五十回上げる事。それ以外の指示は何も無い。何があるっていうんだ・・・。いや、考えても仕方ない。まずは、始めない事には何も始まらない。あれこれ考えるのも大事だが、手を動かさないと最初の一歩は踏み込めないのだ。
「ぐっ・・・ふッ・・・ほっ・・・。」
投げる度に、それを受け取る度に伝わる重み。最初のうちは、持ってるだけでも腕の筋肉が悲鳴を上げていた。しかし十キロという重さは、こんなにも身体が慣れるのが早いだろうか。云ってしまえば鉄アレイを投げているみたいなもんだ。始めこそは情けない声を上げながら顔を真っ赤していたけれど、なんだか身体の成長というか筋肉の成長が異様に早い気がする。これは、この空間だからこそだろうか。いやだって、そうだ。いくらなんでも、どう考えたって可笑しい。運動をしてこなかった僕が、今こうやってものの数時間で十キロのお手玉を上げながら考える余裕が出来るだろうか。明らかに始めたての頃と比べて、ズッシリと来るお手玉の負荷は少なくなっているように感じる。まぁ、とはいえども一つ一つの動きは未だゆっくりだ。文字の一文字一文字をはっきりと発音するようにゆっくりと。それでも最初は数センチも上がらなかったお手玉は、腰の高さから目線近くまで上げられるようになっている。これもこの空間の効果か何かか・・・?それともカイデンから渡された道着に何か細工があるのか?何かのバフ上げのように、筋力を増加させているものとは少し違う気がする。どちらかというと、そうだな・・・。“身体を鍛える速度が向上している”が正しいのかも知れない。そう、謂わば経験値を倍にしているみたいに。
「おぉおぉ、中々上手いやないかい。始めた時よりは、だいぶマシやで。」
当のカイデンといえば、胡座を掻きながらヘラヘラと北叟笑むようにこちらを見ていた。その間、彼は何も云わない。指摘も無ければ、アドバイスも無い。ただじっと僕がお手玉をしているのを見ているだけだ。あとはあれだ。センが僕に助言を施そうとすると、カイデンはそっと口止めをしていた。余計な手出しは無用とでも云うように。いや、流石に可笑しいだろ・・・。師匠だと自負しているなら、何かしらの助言なりなんなりあったって良いだろうに。そう痺れを切らし始めた僕は、丁度お手玉を上げて三十回目を迎えるところで彼に声をかける。
「こ、これ・・・。一体、何の、意味が、・・・あるん、ですかッ?」
と、問いただした。考える余裕はあっても、まだ日常会話をする程の余裕は無い。確かにこんな十キロのお手玉であれば、腕の筋力は上がるだろうけど。きっとそれだけでは無い筈だ。じゃなきゃ、わざわざお手玉なんてものやらせる訳が無いだろう。するとどうだ?彼は僕の問いに対し、何て答えたと思うだろう。
「あぁー・・・、今んとこ、意味無いで?」
あろう事か、何をそんな当たり前の事を聞いとんねんドアホとでも云うような軽蔑する目で言葉を返したのだ。その瞬間、僕とセンの中で秒針が歩む事を忘れていたようだ。トンっと休符を挟むように一瞬、頭が真っ白になる。
「え、意味無いんですか⁉︎」
「じゃあ、何やらせてんですか一体‼︎」
ほぼ同時に僕らは突っ込んだ。いやいや、そりゃそうだろう。むしろこれは正当防衛だろう。それでも、お手玉の手をやめていない僕。そんな律儀過ぎる自分自身になんだか虚しさすら覚え始めていた。
「ボケ!師の話は最後まで聴くもんやで?意味があるんは、こっからや。」
すると彼は急に血相を変えて声を張らせる。意味があるのは、これから・・・?
「キキッ!」
眼前に現れたのは、さっき呼び出していた猿・・・。名前はえっとエンキだったか。エンキは右腕を大きく振りかぶりながら、僕の顔に向かって殴りかかってきた。
「うぉわッ!」
「猿が・・・、攻撃してきた⁉︎」
僕は寸前で回避する事は出来たが、肝心のお手玉は床へと落ちてしまった。この猿・・・、さっきまでリンゴ齧ってばっかで何もして来なかった癖に。三十回目過ぎた頃合いで、血相変えてきやがった。
「あー、落としてもうたなぁ。んじゃ、やり直しや。」
そう何の抑揚も無い口調で彼はパンっと手を叩き、仕切り直しを促す。
「ちょっと!聞いてないですよ、猿が攻撃してくるなんて!」
「猿やない!コイツには、エンキっちゅう立派な名前があるんや!さっきも云うたやろが!自分には、コイツの攻撃を避けながら、アホみたいにガツガツお手玉を五十回上げたれ云うとんのや!」
「んな、無茶苦茶な・・・!」
そう、無茶苦茶である。何回でも声を大にして心の中で叫ぼう、無茶苦茶である!けれど彼の目は決して揶揄っている訳では無いのは確かだった。彼の青色の光を放つ瞳は、ずっと煌めくように真剣だった。さっきまでの集中力が切れてしまったのか、どっと疲れが込み上げてきてしまい僕は床へと大の字になって倒れ込んだ。いつの間にか息は上がっている。心臓の鼓動もいつもより速い気がする。バクバクと胸を叩きつけるような音が骨を伝って響く。床に倒れ込んで初めて気が付いたが、背中は汗でびっしょりだ。ぬめっとした触感が独特な温もりを作り出す。ところでセン。君は何故そんな僕を憂いな瞳で見ているんだ。チラリと横を振り向くと、そこには手で口を隠しているセンが居る。何やらニヤケついているように見えるけど・・・、いや今はそこはあまり深く考えないようにしておこう。
「おー、ほな休憩な。」
「へ・・・?」
彼の口から突如として飛んできたのは、“休憩”という意外な言葉だった。それを云い放たれた僕はと云うと、文字通り鳩に豆鉄砲を喰らった顔そのものだった。鏡を見ずとも分かる。恐らく僕はデフォルメでもされたかの如く目が点となっているのだろう。
「当たり前やないかい。十五分休憩や。身体休めるなり、深呼吸したり、瞑想でもしたらえぇ。それを出来るまで、ひたすら自分にはやってもらう。ただし、攻略のヒントは一切出さんで。自分で切り抜けやぁ。」
そうして何処からともなく現れたのは、お茶とガラスのコップ。ご丁寧にお梵に添えられた状態で現れる。お茶が入った容器は何処のご家庭でも良く見る二リットルくらい入るプラスチック製の冷水筒だガラスのコップはキンキンに冷えており、動かしまくった身体を冷やすには丁度良い温度でもある。僕は彼に云われるがままに休憩する事にした。
・・・。
十五分後、僕は再びお手玉を再開する。やはり、筋肉の負荷が先程とまた違う。明らかに力がついている。不思議だ、普通ならとっくに筋肉痛に悩まされながら、身体の節々の痛みを味わっていた事だろう。それすらも緩和されていると云うことは、これもこの空間と僕が今着ている道着の効果か何かなのだろうか。
「ふッ・・・、ふッ・・・。」
そしてお手玉を上げ続けて三十回目を迎えた頃、そいつは待ってましたと云わんばかり飛び掛かる。
「キィッ!」
どうやらこのエンキという猿は、このお手玉を三十回以上すると妨害しに来るらしい。ただで五十回なんてさせない為に。休憩している間、僕は浅知恵を振り絞っていた。どうやったらこいつの攻撃を掻い潜りながら、お手玉を上げ続ける事が出来るだろうかと。そうだ、今なら出来る筈だ。必死に馬鹿みたいにこのクッソ重いお手玉を上げ続けた筋力なら、ある程度は!
「来た!ここだ!」
僕は下から掬い上げるように十キロのお手玉を上へと放り投げた。それでも高さは、およそ一メートル。筋力は付いたとはいえ、重いもんは重い。今の僕ではこの高さが精一杯の高さだ。だが・・・。この高さで充分。エンキの攻撃を避けるだけの隙は作る事が出来る。僕は飛び掛かるエンキの攻撃を寸前で回避した。
「ほぉ、そうやなぁ。攻撃の時に玉を上に高く上げりゃあ、回避に専念出来る・・・だが。」
横目に映ったのは、ニヤリと嘲笑うカイデン。
「ぐ・・・⁉︎」
エンキの攻撃を避けれて、自分で打ち上げたお手玉を受け取った時だった。尋常じゃない重さ。さっきまでの重さとまるで違う。通常の倍以上の重圧が僕の右手にのしかかり、体勢を已む無く崩す。
「高く上げた分、落ちてきた時の衝撃は通常の比やない。自分が上へと投げた高さは、床から推定二メートル半。それが十キロの玉が落ちるっちゅーのは、キャッチする時の衝撃はおよそ百七十ジュール。時速百キロのバレーボールが飛ぶスパイクの衝撃と同義やで。更に受け取る時の集中力。それはなぁ・・・、絶好の隙にもなるんやで?」
そして、彼の言葉の云う通りこの絶好の隙をあの猿が見逃す訳が無かった。二撃目が来る!そう思った時には既に遅かった。エンキは僕をしっかりと捕捉しており、振りかぶった拳はすぐ目の前まで来ていた。
「ギィッ‼︎」
「ぐえ⁉︎」
エンキの右ストレートが頬へと直撃する。猿とはいえ、無茶苦茶痛い。躊躇や甘えなんて微塵も無い。遠慮無しの右ストレートだ。くそ、まだ頬がヒリヒリする。
「惜しかったなぁ、自分。考えは凄くえぇで?」
そんな中、彼は指を差しながら笑っていた。考えは良い・・・?という事は、この攻略に一歩近付けたという事か。ここは馬鹿正直にお手玉していても、クリアにはならない。正攻法ではダメだ。もっと相手の意表を突くように。こちらが隙を作っては駄目だ・・・。いや、そうじゃない・・・?隙を・・・、作る・・・?何か・・・、見つけられそうな気がする。可能性の糸にふわりと触れたような、そんな気がするんだ。
「はぁ、はぁ・・・。」
頬から伝う汗は顎下まで流れていった。一滴、また一滴と床へと落ちていく。膝に手を添えながら荒目の呼吸で、少しでも体力を整えていた。
「なんや、自分。もうギブアップかいな?」
「いえ・・・、まだ・・・、いけます!」
傍観者のカイデンは冷たいお茶を啜りながら、僕に問いかけてきた。ギブアップ?冗談じゃない、まだ始めたばかりじゃないか。それに段々見えてきたんだ。
「今のベスト記録は三十八回。段々、エンキの攻撃も見えてきたんちゃうか?」
「はい・・・、まだ何となくですけど・・・。」
違う、見えてきたのはもっと奥底の方だ。
・・・。
・・・・・・。
そうして続ける事、何時間が過ぎ去っていっただろうか。未だ僕は四十回目の壁を乗り越える事が出来ないでいる。この猿は、気まぐれだ。別に決まった回数で妨害してくる訳ではない。命令したのであればそう、“三十回投げた後は、好きに戯れてこい”。とかそんな感じだろう。だから、時には三十回目で襲いかかる時もあれば、三十五回目でもやってくる。またある時は、連続で攻撃なんかもしてくる。完全にランダムで自由気ままにエンキは戯れついてくるのだ。それでも何度も繰り返せば、流石に僕だって耐性は付いてくる。一撃目の攻撃は躱す事は出来る。
「ふッ・・・、ほっ・・・、ヨッ・・・っとと!」
「おぉ、エンキの攻撃躱わしたなぁ!けど・・・、次はどうや?」
そう、一撃目は。問題はここからだ。今回はどうやら一撃で終わる感じではない。エンキは床に着地するとすぐに振り返り、二撃目の攻撃へと体勢を立て直す。・・・連撃。しかも今度は両手を振り翳し、二つの拳で殴りかかろうとしている。
「っぐ・・・。」
「キキィーーッ!」
だが、残念だったなエンキ!僕はこの瞬間を待っていたんだ!お前が完全にこれが隙だと思う瞬間を。
「ここだッ!」
僕は飛び掛かるエンキに向けて、十キロのお手玉を全力でぶん投げた。そう今、このタイミングであれば当てられる。絶対に攻撃が出来ると錯覚しているからこそ、奴は防御を捨てて攻撃へと全振りしているんだ。しかも相手は空中。それはもう、飛び上がってしまっている時点で避ける手段は残されていない。
「ギィッ⁉︎」
それは一瞬の出来事。僕が全力でぶん投げたお手玉は見事、エンキの腹に命中した。あいつにとって予想外の出来事だろう。だってそうだ。僕は一度だって、エンキに反撃をしてこなかったのだから。それにエンキに攻撃をしてはいけないとは、彼は一言も云っていない。だから答えは簡単だ、妨害をするならばそれを止めれば良い。意表を突かれたエンキは、防御に間に合わずその衝撃に悶えていた。
「ぶはははーーー!こいつやりおったな!けど・・・、ぶん投げた玉はどないする気や?」
ピンー
「な・・・⁉︎あれは・・・糸⁉︎いつの間に・・・!」
「えぇ・・・、あなたは云ってました。ここは何でもありの道場だと。それに、ここのクリア条件は落とさずに五十回お手玉する事。なら、妨害してくるエンキに攻撃を加えるのも・・・。拾い損ねても大丈夫なように糸を括り付けても、ルール違反では無いですよね?」
そう、僕はこのお手玉に少しずつ細工をしていた。丁度、道着の中に隠れた僕の腕には糸がぐるりと巻かれている。そしてその先は、さっきエンキへと投げつけたお手玉だ。このお手玉だって、布で出来たもの。何度もやっている内にほつれてきた糸を少しずつ引き伸ばし、投げても余裕が出来るくらいの長さまで作っておいたのだ。後はこうやって、投げたお手玉を引っ張り上げるように無理やり引けば・・・。
プチ・・・ン
十キロのお手玉を引っ張り上げる程の頑丈な糸ではないから、簡単にこの糸ははち切れる。無理やり引っ張り上げる事で直前までの反動が残り、お手玉は宙を僅かな時間、遊泳を始めるのだ。僕はすかさずお手玉を受け止め、体勢を戻しながら回数を重ねる事に専念し始める。
「やった!イサム凄い!」
「せやなぁ・・・。クリアさえ出来りゃあ、それ以上のルールはあらへん。」
カイデンは顎下を摩りながら、感心するようにまじまじと僕の目を見ていた・・・、ようにそう見えた。漸く掴んだチャンスなんだ。エンキを再起不能して伸びている間に回数を稼がないと!
「えぇ、これで惜しみなく、お手玉に、集中出来る、訳です!」
「はっはーーーー!やるやないの自分!頭の回転も悪ぅ無い!合格や!」
そうして五十回を迎えたところで、彼は豪快に拍手をしながらドッと笑いながら発した。合格という言葉も添えて。成程、合格か・・・。ん?合格?これで良いのか?こんなんで良かったのか?
「え、マジっすか・・・。ありがとうございます!」
「ほな・・・、次・・・、行こか。」
すると彼は再び手を叩く。僕が握っていたお手玉は煙のように消え、エンキもまた同様に姿を消す。えっと、このお手玉だけじゃないのか・・・?この特訓って奴は・・・。いや、そうなのだろう。彼の表情は、どこか怪しげに企むような顔でニヤニヤとこちらを見上げているのだから。というかどこか楽しんでいるようにも見える。この特訓はまだ始まったばかりなのだと云わんばかりに。




