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便箋小町  作者: 藤光一
第二章 胸懐編

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38バディからおまかせを

 喫茶雨やどりの会計を済ませた僕は帰路へと向かっていた。思いがけない出費に色々な誤算が生じた。くそ、あの女は一体何を考えているんだ。なんで店側がツケなんかを客側になすり付けるんだ、なんだかんだで倍以上の会計になったじゃないか。と、腹を立てていたのも最初だけ。この秋空を歩いているうちに、不思議と考えは別のベクトルへ軌道修正された。首元までコートで覆い隠そうとしても、冷たい風は揶揄うように隙間を縫ってくる。一歩コンクリートを蹴り出した。コンクリートから少しだけ剥がれた細かい砂が靴底を削り取るように擦った。点滅しだす青信号を駆け抜けず、横断歩道の手前の縁に立ち止まる。進行停止を促す赤いライトへと移り変わる。慣れ親しんで渡ってきたこの信号機も最近、旧式から切り替えたみたいだ。縁の本来の色を覆い隠す程に広がった錆だらけの信号機も御役御免のようで、最新のLEDライトに切り替わっていた。ほんの少しだけ明るさは弱めだけど、昼間でもはっきり見える。そうやって少しずつ、この街も生まれ変わっているのだろう。信号機に新しく備え付けられた次の青になる為のカウントダウンが追加されていた。時間が経つにつれ、一つずつメーターが上から減っていくアレだ。ここの車道は大通りにも面している為に割と交通量は多い。小道の橋を掛ける横断歩道のように車たちの合間を縫って進むなど言語道断なのだ。だから、ここの信号は中々に長めだ。お陰様でさっきレタが云っていた言葉を思い出す。


『一つは、過去を振り返りなさい。君自身のね。』


『もう一つは、君のバディくんに会ってあげる事。』


 ご丁寧に僕の脳内再生は、レタの映像特典付きで言葉が蘇る。過去を振り返る事とチップに会う事。なんだこの脈絡も無く提示された二つのアドバイスは。一体、いつから振り返れと良いのだろうか。頭の中に架けられた記憶の階段たちが、目紛しくも展開される。鍵を掛けられた記憶の扉を開けるのは僕自身。数え切れない程に点在された扉たちを開ける鍵を持っているのは僕だけだ。マスターキーは無い。冷たい金属製の輪っかに一つ一つ括り付けられており、ジャラリと音を掻き鳴らす。

 辿る記憶の違和感、それを探し出す必要がある。そして、あの幼女と会う事。チップに会う理由は、どうだろうか。チップとは二週間ほど会話をしていない、あいつが気を遣って距離を置いてからは一週間は経っている。なんだか少し釈然とはしないけれど、一言くらい謝った方が良いんだろうな。そういえば、シャワーを浴びて思ったけどシャンプー切らしていたっけな。帰り道に寄って買って行くか。カラリと乾燥した秋空を見上げながら、僕は再びコートのポケットへと両手を忍ばせた。



 僕の住むアパートはお世辞にも羽振りの良いところではない。ワンルーム六畳間という事だけあって、何となく想像が出来るのではないだろうか。木造で築三十五年の三階建てアパートだ。昔ながらの鉄製の階段は、隅の部分が酸化により褐色してしまい所々穴が空いている。ドラマのようなオシャレなワンルームを気取りたいところだが、生憎現実はそんな空間なんてそこにはない。駅やスーパーなどのライフラインから離れているが為、唯一のメリットは家賃の安さだけである。むしろ、それくらいしかこの物件にメリットが感じられない。そんな僕の家は、ここの2階の奥の扉である二〇三号室だ。

 そう・・・、この渡り廊下の、奥・・・に誰かいるな。丁度、僕の部屋の扉にしゃがみ込んでいる。外の景色を眺めながら、しゃがみ込んでいるそいつは僕の知っている奴だった。相変わらずのボサボサ頭で、じっとりとした目で少しだけ淡くオレンジがかった空を見上げる幼女。ヨレヨレになっていた真っ白なシャツの上には、ブカブカで厚手な黒いジップアップを羽織っていた。近付いた僕に気付いたのか、その幼女は見上げた秋空を横目にこちらへと振り向いた。


「よぉ、ここで会ったが百年目ってやつか?」


 僕と幼女との距離は、窓二枚分ほどの間隔。なんとも絶妙な距離感だ。まるでゴミ捨て場に鉢合わせたカラスと猫のようだ。それなのにダウナー気味なチップの視線は、不思議と圧が無かった。僕は会話の間隔を確保する為に、一呼吸に似た溜め息を一つ溢す。

 

「・・・まだ、一週間だよ。」


 そう、こいつと再開するのは丁度一週間ほどだ。まともに会話を交わしたのはそれ以上かも知れないが、僕らは閉ざしていた沈黙をこの瞬間に断ち切った。恐らくこれは僕が動かなければ、一向に進む事はなかったのだろう。それはもしかしたら、大きな前進だったのかも知れない。関係を断ち切るのは拍子抜けする程簡単だ。一方で、その関係や信頼を取り戻すのは反比例する程に容易ではない。幼女は頬杖を突きながらしゃがむのを止め、太ももを二度はたいて立ち上がった。両手を腰に当てながら背中を反るといった軽いストレッチを施し、チップは再びこちらを振り向いた。


「漸く、目ぇ合わせて口聞けたじゃねぇか。」


「そうだな。」


 僕も幼女に感化されるように右手を腰に当てながら、そう言葉を返した。右手だけを腰に当てたのは、左手には買い物袋を携えていたからだ。道中にあったスーパーで購入したものである。袋の中には丁度切らしていたシャンプーの詰め替え用と歯磨き粉。チップは手に持っていた袋をチラリと見つめていた。


「いつの間に、外出られるようになったんだな。」


「まぁ、お陰様でな。」


「別に俺は何もしてねぇよ。まぁ・・・、何も出来なかったの方が正しいのかも知れねーけど。」


 そういうとチップは目線を合わせずに耳の裏をポリポリと引っ掻く。どこか恥ずかしそうに放ったその言葉は、その小さな身体から追い出すようにしていた。何も出来なかった、それはお互い様だ。何も出来なかったのは、僕だってそうなのだ。ましてやこいつは、慣れない気遣いを振る舞っていたのだ。悪魔のくせに、悪魔らしくない不得手な振る舞いだ。それは決して、悪魔の中でも白眉では無いと思う。むしろチップの考えは、極めて異端な方だろう。悪魔は自分にメリットがあるから人に寄り添い付き纏う。友好的に見えても、影では常に搾取する事を狙っている。けれど根は悪魔でもチップは特殊な部類だ。一度祓われ、社長の使い魔として再び息をしている存在。主人の命令には逆らえないし、争うその力も無い。見た目は幼女と変わらないこいつは、後ろにおろしていたフードを被った。


「それによ・・・、イサムが居ねぇと困るんだよ。あそこじゃロクな飯が食えたもんじゃねぇし。」


 チップはなるべく顔を見せないように深くフードを被り込み、ぐっとその摘んだ指先には力が入っていた。そういえば、一つ気になっていたんだった。チップが部屋から出た後も、時折こいつの気配を感じていた事に。今、こいつが玄関先でしゃがみ込んでいたのは、ずっと僕が部屋から出てくるのを待っていたのだろうか。


「なんていうか・・・、悪かったな。・・・ていうかお前、いつもそこで待ってたのか?」


 そう思っている内に、不思議とその言葉は身体からほろりと飛び出していた。


「んだよ!文句あんのか!べ、別に違うからな。あれだぞ、あれ!俺は、そんなんじゃねーからな!ほら、なんていうかよ・・・。その、なんだ。帰ってくる時に誰か居た方がよぉ、寂しくならねーだろ?」


 チップは雷でも打たれたかのように飛び跳ね、真紅の片目で凄みを浴びせながら必死な弁明を提示し出した。と、思った矢先にはしゅんと萎れた花のようにまた目線を逸らし、今度は左頬を軽く引っ掻き始めていた。こいつは待っていたんだ、僕のことを。寒い日もあった筈だ、恐らく雨の日だって。どこか寂しい瞬間だってあった筈だ。それでもこいつは一つの愚痴も溢さずに僕を待っていたんだ。そうだと確信した時、瞳の奥でじわりと何かが滲むものがあった。


「・・・そうか、すまんかったな。ほら、とりあえずこれ。シャンプー切らしてたろ?」


「なんでコンディショナーもセットで買わねーんだよ!片っぽだけ補充してたら、なんか気持ち悪ぃじゃんか!」


 買ってきたシャンプーの入った袋をチップに渡して見せた。するとあろう事か、ご機嫌を斜めにしたかと思えば実に几帳面な反論を打ち返してきた。外見ズボラで適当そうな見た目をしているのに、こいつの中身は悪魔とは思えない程の几帳面さ。ある意味そのギャップ差が、こいつの面白いところなのかも知れない。


「ぷっ・・・。」


「んだよ、急に笑いやがって。」


 チップはダウナーな目線を向けながら、怪訝そうにそう返した。それはまるで水槽に浮かぶ寄生虫を見ているかのような、実に気持ち悪そうな声色だった。


「いや、なんていうかお前。そーいうところ変に律儀だよな。」


「うるせぇよ!悪魔はな、一度決めたルールは守るんだよ。」


 そう云うとチップは、差し出したビニール袋からシャンプーを取り出す。確かにこいつら悪魔は何かとルールとなれば、律儀に守ろうとする性質がある。それはきっと、悪魔との契約が基となってそうしたがるのだろう。今思えば、朝のルーティンさえ決めつけたがる。朝起きてから外に出るまでの用意は一から十まで自分で決めた事柄を順に行う程だ。ある意味普通の人間よりもそれは几帳面にかっちりしているくらいだ。けど、今回のは少し違う気がする。根本的な何かを訴えかけようとするその様は、幼女の真紅に染まった片目を見れば何となくわかるのだ。


「なんだよ急に?」


 ただ分からないのはそれが何かという事。幼女は詰まった謎をこじ開け提示するように、シャンプーのポンプ部分のロックを外した。


「ほら、シャンプーとコンディショナーってセットだろ?二つ揃って、漸く効果が出る訳じゃんか。つまりよ、それって俺らみたいなもんじゃねぇか?」


「どっちがコンディショナーなんだか。」


 詰まるところこの幼女は僕たちのようなバディを、シャンプーとコンディショナーで見立ててきたのだ。シャンプーは髪や頭皮の汚れを洗い落とす役割があり、一方のコンディショナーは髪の表面を保護する役割。互いに用途は違えど、手順を踏まえて一緒に使う事で最大限の効果を発揮する事が出来る。それは人でもそう。互いに得手不得手が存在する以上、一人とはまた違ったチームとしての補い合う動きが出来る。この悪魔はそんな事を伝えたいのだろうか。いずれにしてもどっちがコンディショナーなんだか。すると・・・。


 ゴッ・・・!


「俺はイサムみてぇに頭が良い訳じゃねぇ。だけど、目の前のヤツをぶん殴る事は出来る!」


 突然の殴打が襲い掛かる。幼女の低身長を補う為にジャンプしながら、僕の左頬目掛けて握り拳をぶつけてきたのだ。


「いったッ!なんでいきなり?!」


「見ての通り、俺はぶっきら棒で人間を励ます事なんて知らねぇんだ。けどよ・・・。」


 痛みよりも驚きが走っていた。鈍い痛みよりも僅かに遠い存在。それは単に非力と化した幼女の握り拳によるものでは無い。ちゃんと痛みはある。けれどその痛みとは違う別のものが僕の左頬に電流が走り渡るように痛感しているのだ。チップの食い縛った歯は震えていた。僕を殴ったその握り締めた右の拳もまた連鎖するように震えていた。震わせるその身体を回していた歯車は、きっとチップ自身の思い詰めた何かが今まさに爆発させようとしているのか。少し赤く火照ったその拳は、何だか僕よりも痛そうだった。何かを思い詰めた眼差しもまた、赤く静かに輝かせていた。そうして、幼女は精一杯の背伸びをして僕の胸ぐらを掴み始めた。


「イサム、お前はそれをまとめ上げる事が出来る!俺らギフトには無い繊細さがお前にはちゃんとあるんだよッ!足りない力は俺が補う・・・だから!一度決めた事だ、俺は揺るがねぇよ。」


「チップ・・・。」


 幼女の目は必死だった。真剣といえばまさにと云える程に申し分無い。こいつは本当に真っ直ぐなんだ、やっぱり裏表なんて無い。何かを企んでいるとか、そんなチャチな事はしない。何故ならこの悪魔は、逃げも隠れもするが嘘だけは付かない。胸ぐらを掴む幼女の手はまだ震えていた。何度も引っ張る。このダッフルコートが縒れてしまうんじゃないかと思うくらい、チップの力は凄みがあった。僕はその勢いに負けてしまったのか、つい足の力がすとんと抜け落ちたかのように膝を付いてしまった。次第に掴み掛かったその力は弱まっていき、俯きながら幼女は再び堪えた唇を震わせた。


「それがよ、バディってヤツじゃねぇか?」


 トンーッと静かに添えたのは力強かった掴み掛かる両の手ではなく、脱力した幼女の額がそっと胸元に寄り掛かる。その時だけはチップと目が合わなかった。無理に顔を上げさせる必要は無いだろう。こう見ると本当に人間の子供と大して変わりは無いんじゃないだろうか。僕はその時漸くにして知った。悪魔も人と変わらず、涙を流すように悲しむ時があるのだという事に。


「お前、一週間口聞かない間に頭でも打ったのか?」


「だぁーーーーーー!お前ってやつは、こっちが真面目に話してるっていうのによぉおぉおおお!」


 だから僕は、敢えてそう返した。分からないフリをしてあげたのだ。その方がきっとお互いに都合が良いから。それにこいつは、成る可く気付かれないように俯きながら微かに笑っていた。へへっといつものように憎たらしい笑みの音を、海に砂糖を投げ込むくらいに気付かれないように。再び幼女は僕のダッフルコートを力任せにゆすり続けながら、嬉しそうに叫び散らかしていた。そんなチップの横目に止まるように、さっと僕は右手を差し出した。


「ほれ。」


「ん?んだよ、それ?」


「・・・バディ、なんだろ?僕らはさ。」


「ぶっ・・・、ははははーッ!対等だと思うなよ、人間のくせに!」


「安心しろ、僕はいつでもお前を下に見てるさ。」


 そうか、僕はいつの間にかこいつを受け入れていたんだな。最初は互いに忌み嫌って、罵声を浴びせ合うような喧嘩をしていても、いつの間にか腕を組み合う間柄だった訳か。なるほど・・・。だから僕は今、こいつと対峙しても嫌な気がしないんだな。思いがけない話だ。何故なら腹の中で溜め込んだ空気が溢れ出しそうな程に、僕は笑みを溢そうとしていたのだ。いや、既に僕は自然と笑っていた。それが、相棒(バディ)というやつなのかも知れない。


「野郎てめぇ、調子づきやがって!・・・まぁ、うん・・・・・・、いいや。」


「やけに今日は引くのが早いな。」


 一度は牙を剥き出しに反抗を露わに出そうとしたチップだったが、途端に潮を引くように落ち着きを取り戻す。僕から視線を外した幼女は、少しだけ乾燥した秋空を眺めながら立ち上がった。ほんの少しの静寂、時計で刻めばほんの一分に満たない時間だったのかも知れない。何故かその僅かな時間は粘土のように引き伸ばされてしまい、僕には長い休符に感じてしまった。けれどこいつは期待を裏切らない。ボサボサの黒髪を数回掻き、何かを面倒くさがるように太々しく口を開く。


「イサム、腹減った。なんか作ってくれ。」


 そう云いながら幼女は、ダルダルの一回り大きいジップアップに隠れたお腹を摩っていた。


「オートミールでいいか?」


 僕がパッと思い浮かんだのは、オートミールだった。初めてこいつと合った時に口にしていたアレだ。けれど、こいつは予想よりも一回り大きく不機嫌そうに睨み付ける。それは散々食った、と愚痴で返す。腕を組みながら、ふんっと鼻息を溢して指揮棒でも振るうかのように指を差し始めた。


「あれ作ってくれよ、生姜焼き!千切りキャベツ付きでな!!あ、でもトマトとか余計なもん添えるなよ?」


「随分なリクエストだな、おい。やれやれ、一週間も冷蔵庫見てないんだ。」


「じゃあ、答えは決まっているな?」


 幼女はニッとやけに八重歯の目立つ笑顔を見せながら言葉を添えていた。


「仕方ない、今から買い出しに行くか。」


 僕はシュラグを振る舞いながら言葉を返した。チップは聞かずとも答えはわかっていたかのように、腕を組みながら首を縦に振っていた。


「やけに素直じゃんか!」


「なんだろうな、僕にもよく分からないけどさ。そんな気分なんだよ。」


 僕がやけに肯定的だったのは、何か確信となるものが煮詰まって出た訳ではない。そんな理屈がどうこうという訳ではない。敢えて云うのであれば、こいつとの関係性も悪くないと思い始めた瞬間。それが漸くになって煮詰まったんじゃないかと実感出来たのかも知れない。友情とも恋愛ともまた違う、胸の奥の鼓動を打ち込むこの波動は云わずとして悪い気はしなかった。チップはくるりと回り出し、指先のコンパスを道標に陽気のバネを弾ませながら歩き出した。


「よーし、んじゃ回れ右ぃー!スーパーへゴーだぜ!丁度、この時間なら割引シール貼ってあるかもな!」


「はは、だと良いな。」


 もうすぐ夕暮れ時、確かにいつも行ってるあのスーパーなら割引を行う頃合いだ。ってこれじゃあなんだか、切羽詰まった貧乏学生みたいじゃないか。さて、どうしたものか。生姜焼きなら、リブロースに玉ねぎ、ニンニクあたりか。調味料はまだあったはずだけど、醤油と味醂は一応買っておくか。あ、あと千切りキャベツがとか云っていたから半玉のキャベツがあれば丁度良いところかな。しかし家に帰って一息つこうと思っていたけれど、それはもう少し先の事だろうな。まずは買い出しだ。陽も少し傾き始めた事で、またほんの少しだけ緩やかな寒さが顔を出していた。これから少しずつ日が暮れるのが早くなるのだろう。それに連なって比例するように冷たい風が身体をすり抜けて行く。今日のこの秋空だって、暫くも日が経てばいつか見せるねずみ色に染まった雪空が姿を現すのだろう。夏や冬よりもずっと少ない秋という期間にだけ見せるこのノスタルジーは、何かを振り返るのには丁度良いのかも知れない。だから僕はこの幼女の指示に従い、また寒空の下へと振り返ったのだ。



・・・。



・・・・・・。


 買い物を済ませた僕らは、再び帰路へと向かっていた。今度は一人ではなく二人で。一人で向かう帰り道とは違い、どこか何ともいえない安堵感があった。何色とも形容し難いその色は、きっと自然に溢れた色では無いからだ。だから、不透明に見えても形容は出来ない。秋の下で吹く風はこんなにも肌寒く、羽織ったダッフルコートで身を包まなければ凍えてしまいそう。夏の夕暮れとはまた一味も変わった秋涼(しゅうりょう)とも呼ばれる風は、セピアフィルムがよく似合う。今ならきっと何の編集をする手間も無く、綺麗なセピアを一眼レフで演出させる事が出来るだろう。当然僕は、そんな気温の中で両手を広げながら歩く事は無く、すっぽりとポケットに仕舞い込み寒さを凌いでいる。一方のチップは・・・。


「・・・で、なんで俺が荷物持ちなんだよ!」


 と、噂を心の中ですればご覧の通り。窓から覗き込みたくなる程の声の大きさで幼女は不満を叫び散らかす。チップの両手には僕とは対照的に買い込んだ買い物袋を携えていた。本当は今日の晩御飯だけでも良かったのだがどうせならと思い、ついつい五日分程のまとめ買いをしてしまった。両手に花ならぬ、ネギやゴボウなど袋から飛び出した食材の数々。五日分ともなれば中々の重量だ。これは個人差もあるだろうが、個人的にはまとめ買いの方が管理もしやすく楽なのだ。一つネックなのは、その重さ。スーパーから家までは近いとはいえ、目と鼻の先という訳ではない。片道歩けば、数曲の音楽を聴けるくらいだ。だから僕は、奴の言葉に甘んじてもらった訳だ。


「おいおい、自分で云ったんだろ?『足りない力は、俺が補う』って。」


「それは言葉の文って奴だろ!これじゃあ、パシリみてぇなもんだろぉーが!」


 そう、確かにこいつはそう云っていた。あんな真剣な眼差しで云われたんだ、忘れる方に無理がある。育ち盛りを終えた男子といえど、生憎僕には体力も力も自信がある訳じゃない。比べれば平均より下を注目して見た方が、僕の体力テストの結果を見つける方が早いくらいだ。だが、こいつは悪魔。影を操る事が出来る悪魔だ。そんなチップには、この時間だからこそ出来る事がある。


「夕暮れ時のお前なら力が有り余ってるだろ?上手くそれ使えよ。」


「あ、そっか。お前やっぱ頭良いな。」


 チップは鳩が放つ豆鉄砲を額にでも当てられたかのようにポカンと惚けていた。両手に抱えていたビニール袋の重みさえも忘れてしまったかのように、時を置き去りにして立ち止まる。そう、こいつは勘違いしていた。自分の力は特に何も制限されている訳ではないという事を。自己暗示というのは一種の催眠術のように、思い込みという力は想像以上に強い。特効薬だと謳ってビタミン剤を飲ませるプラシーボ効果に近いのかも知れない。今に至るまで気付かなかった鳥頭だからこそ成せたものだったのだろう。僕は、社長が口止めしていたそれを話した。幼女自身もかなり驚いていた。実際に少し影を動かす事は出来ていたのだ。先の戦闘で見せたあの動きは、単に社長が効率良くマナを循環出来るようにバフをかけただけに過ぎない。外にもチップは驚くだけで、その先の怒りは無かった。やはりそうかと頷くだけで、内心気付いていたのかも知れない。


「自分の能力くらい把握しておけよ。」


 そう僕が吐き捨てると、チップは能力を使い始めたのかピリリと電流のようなものが僅かに走り出す。するとダンベルでも握っていた買い物袋は、風船玉かのように軽々と持ち上げていた。ふへへ、と気持ち悪い笑みを浮かべた幼女は、上機嫌に三拍子のリズムでスキップを蹴っていた。それはまるで重い首輪を外した飼い犬を見ているようだった。こいつはずっと枷を付けられていたんだ。重く長い枷だったのかも知れない。もしかしたら外してはいけなかったのかも知れない。けれど、今のチップなら僕に危害を加える事は無いだろう。今までの行動が自由になる為の演技だったとしても。こいつはきっと、離れて行く事は無いだろうと無色な確信があった。買い物袋を揺らしながら数歩、チップは再びピタリと止まったと思えば夕陽を背後にこちらへと振り向く。


「ところで、イサム。・・・キツネとは会ったのか?」


「いや・・・、まだ・・・。」


 チップのその言葉で脳裏に社長の姿が思い浮かぶ。腕を組みながら、ふんと鼻息を鳴らす彼女の姿だ。脳裏に浮かんだ彼女のビジョンでさえ、僕は目線を合わせる事が出来ずに右へと背けてしまった。


「そっか。じゃあまだ戻らねぇのか?」


「なんか踏ん切りが付かなくてね。」


「ふーん。まぁ・・・、良いけどよ。」


「・・・。」


 止まっていた幼女に追い付くと、再びまた歩幅を合わせるように幼女は歩き出した。チップは社長に何か云われたんだろうか。戻ってくるように説得するようにとか?いや、そんな気遣いやお節介を与えるような性格だろうか、彼女は。と、云うことはチップの独断か。純粋にただ、こいつは自分の為だけに聞いているだけなんだろうな、きっと。すると遠くから風の音が羽を羽ばたかせるように、少しだけ強く響かせる。意外にも身体に触れたその風は思ったよりも淡く、落ちていた枯葉を舞うには充分なくらいの風当たりだった。風が通り過ぎた一拍、幼女は夕暮れに染まった秋空を見上げながら呟く。


「そういえばよぉ、ずっと気になってたんだけどよ。」


「ん?」


 それは何かを思い出したかのような口振りで、ずっと蓋に仕舞い込んでいたみたいだった。わざわざ開けて話す事も無いだろうと蓋を閉じて、いつか機会があれば話そうかと思うくらいだったのだろう。そんな突拍子も無い幼女の質問は、少し意外なものだった。


「なんで、お前あのキツネのとこで働く事にしたんだよ?」


 丁度良い。ふと最初に思い浮かんだのはこの一言だった。いや、都合が良いというべきか。こうも都合良く物事を掘り起こせるだろうか。偶然とはいえ、はらりと落ちてきた落ち葉を掴んだみたいだ。過去を振り返る事。レタが言い残したもう一つのアドバイス。遠く離れた無理矢理に巻き戻された過去ではない。それはまだ鮮明に振り返る事が出来る過去の話、僕が便箋小町に入社したきっかけの頃。偶然にピックアップされたこの話が鍵となるのかはわからない。今は一つ一つ摘み上げるしかないんだ。僕はなるべく歩幅を合わせて歩く。すぐ横で同じ速度で歩くチップへと語りかけた。


「あー、じゃあ帰り道の暇潰しがてらに、話をしてみるか。」


「おぉ!なんだかんだイサムの話って、あんま聞いた事無いからな!」


「そうだな、あんまり得意じゃ無いんだよ自分の事を話すのって。」


「おっと待て、イサム。自分で云っといてなんだが俺は長話は苦手なんだ。なるべく簡潔に分かり易く手短に頼むぜ。」


 チップは、左手を大きくこちらに広げながら注文し出した。そういえばこいつは、長い話とか小難しい話は苦手だったな。そうだな、少し噛み砕いて話してやるか。


「注文が多い鳥頭だな。んじゃ、僕が高校卒業したての頃だけど・・・。」

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