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便箋小町  作者: 藤光一
第二章 胸懐編

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37/79

37とある喫茶店からおまかせを

 すっかり秋模様へと姿を変えたN市は、イチョウの葉で模った黄色い絨毯で歩道を染めていた。空はカラッと晴れているのに陽の光の暖かさは仄かに感じる程度で、それを優に塗り替える風の冷たさについ身震いを起こす。暫く篭りっぱなしだったこの身体ではすっかり冷たくなった空気に我慢出来ず、ダッフルコートのポケットに両手を忍ばせる。一度でも入ってしまえば、もうこの通り。外気の風を凌ぐ事を覚えたこの手は、ポケットから逃げ出す気は無いようだ。今思えば平日のこの時間に、この町を歩くのはなんだかんだ初めてかも知れない。このところ仕事尽くめだったこの身体は、平日に酷使し過ぎていたようだ。うん、まさに半ニート状態だ。いや、一応謹慎中な訳だから、云い回しは強ち間違いでは無い気がする。謹慎中であるならば自宅待機を要請される訳だが、実際のところ長期間缶詰状態にされては身体もリズムもボロボロになる。まぁ実際に、ボロボロになってしまっていたんだけど・・・。初めは、前を向きながら歩くのも少し億劫だった。俯きがちだった首も、なるべく遠くの空を見るようにしていたら自然と前を向けるようになっていた。周りの目も次第に気にしなくなっていた。誰かに背中を押されているような、そっと十本の指で優しくトスするように。少しでも長くボールが高くと飛んでいけるように、優しく深く触れ、その反動を和らげずにゆっくり押し返してくれる。きっと痺れを切らした彼女が、頼り無くなった僕の背中を押してくれたのだろうと今は思うようにしている。何度目かに見た羊雲が流れていく中、ふと視界の額縁に重なる看板が一つ見えていた。


 ー喫茶 雨やどりー


 看板から目線を落とすと、小ぢんまりとした喫茶店がそこにあった。木目調の外観は初めて訪れた筈なのに、小さな既視感のような何処か貴重な懐かしさすら感じる。店の入り口にも看板があり、コーヒーカップに注ごうとする雲から零れる雫の絵が描かれていた。窓を覗くと、昼時だというのに不思議にもその店にはまだそこまで人が入っていないようだ。ガヤガヤした店は元々嫌いだし、こういう店ならリハビリにも丁度良いだろう。入り口を開けるドアノブには、『OPEN』と書かれた札ともう一枚の但し書き。“どなたもどうかお入りください”という白い紙に書かれた但し書きだ。どこかで見た事があるな、これ。確か、注文の多い店か何かの但し書きにもこんなのがあった気がする。余程の変わった店主か、趣向の濃い店なのかも。幸い、人はそんなに混雑していないようだし、寒空にずっと居ても体がただ冷えるだけだ。たまにはこういう体験も悪くない筈だ。そう思った僕は“喫茶雨やどり”の扉を開け、店の中に吸い込まれるように中に入った。


「いらっしゃいませ。」


 カウンターでコーヒーカップを拭く店員が、当たり障りのない挨拶で声をかける。某チェーン店のカフェと比べれば、一回りほど小さいフロア。視界を邪魔しない程度に所々には観葉植物が飾られている。木目調の外観と合わせるように、店内もまた木目を基調したデザインだった。まるで一本の木の内輪をくり抜き、その空間を覗いているかのような内装は不思議と心を落ち着かせてくれる。僕は二人掛けのテーブルに腰掛けた。このテーブルも少し座高の高い椅子も木で出来ている。良く見れば他の椅子たちと比べても似て非なるもの。微妙に形が異なっており、木目の色も僅かに違う。どれも手作りだろうか?器用な人も居た者だ。ニスは塗ってあるようだが素材を活かす為に光沢は敢えて無くしている。その内装の雰囲気に拍車をかけていたのは、仄かに漂わせるコーヒーを焙煎させたあの香り。そういえば、ここのコーヒーの香りはどこか懐かしさすら感じてしまう。その懐かしさは、大きく遡る程では無い。つい最近までだ、直近までその馴染み深さをふわりと思い出させてくれる香りだった。ふと、脳裏に浮かんだのはメルの姿。そうだ、この香りはあのモジャモジャが淹れるコーヒーと似た香りだ。ほんのりと酸味を帯びた香りに混じる独特な香りは、そう思うと余計に馴染み深くなっていった。僕はそこまでコーヒーに詳しい訳では無いけれど、少なくともチェーン店で展開されたマニュアル通りのモノとは訳が違う。コーヒーを淹れる者は、その人の心と同義で味も香りも人それぞれではないのかと素人ながら僕は思うのだ。店内を見渡すともう一人店員がいるようで、ガサゴソと掃除しているようだった。


「・・・ご注文は?」


 その言葉を聞くまで全く気配を感じさせなかったこの男は、いつの間にか僕のすぐ傍らに立っておりメニュー表を差し出した。低く落ち着いた声ではあるが、どこか愛想が無い。今の時代なら、接客は星一つと評価を付けられそうな程。ただでさえ細い目を携えておきながら、目を瞑るくらい細い目でこちらを見つめていた。真っ白な長袖のワイシャツにライトブラウンのエプロンを羽織り、ダークグレイのキャスケット帽を被っている。背丈はかなり高く推定でも二百センチはあるのではないかと思える程だ。身体も細身なだけにより背が高く見えてしまう。手渡されたメニュー表には、大きくみて三つグループに分かれていた。コーヒー、フード、デザート。コーヒーは、アメリカーノやキリマンジャロにエスプレッソ、カフェモカとそこまで違いは知らないが聞いた事のある名前。フードが主にサンドイッチ系で、デザートはチーズケーキ。どうやらこの店には、紅茶は出していないようだ。今思えば、その場のノリとはいえ喫茶店自体に足を運んだのは初めてなのだ。てっきり当店は注文が多い店です、なんて訊かれたらどうしたものかと思ったが案外普通の店なようだ。さて、どうしたものか・・・。


「え、えっと・・・、じゃアメリカーノの、ホ・・・、ホットで。」


 ついでに云えば誰かと会話するのも、これまた久しぶりだったのだ。ご覧の通り、まぁ(ども)る事なんのと云った具合で喉に圧縮された空気でも詰め込まれたみたいだった。何故か反射的に耳の裏側が熱くなり、鏡を照らせばきっと良くも分からず耳が真っ赤に染まっているのだろう。思わず自分に鼻で笑いたくもなる。注文を聞いた店員は、かしこまりましたとの返答も無く風が吹くように去っていった。良く見ればお辞儀をしてたようにも見えたが、寡黙なあの店員は気が付いた頃にはカウンターで既に作業をしていた。別にこんな事でとやかく云う気は無いし、今の僕にはそんな気力も無いのだ。お店の雰囲気を壊したくないし、ここは静かに呑み込み落ち着こうと思う。店内やメニューでも眺めながら、暇を潰そうじゃないか。そう思いながら僕はテーブルに頬杖を付いた。傍らにあった読みかけの小説でも読み漁るように、僕は退屈になった時間を堪能する事にした。


 ーコト・・・ン。


 すると頬杖を付くテーブルの傍に置かれたのは、コーヒーが注がれた一杯のカップ。いや、正確にはカフェオレだろうか。コーヒーとしては色味が淡く、ミルクでも混ぜ込んだように薄茶色を浮かべていた。カップを置いた時の僅かな揺れにより、茶色く濁った表面はふわりとそのカフェオレ独特のとろみを踊らせている。シロツメクサの模様が施されたソーサーを添えられたその品は、初心者の僕でもわかる。これは僕が注文したものではないと。それに注文してから明らかに品が出てくるのがあまりにも早過ぎるのだ。とは云えども、周りを見渡しても僕以外の客は居ない。僕と、先ほどの無愛想で背の高い男性、それと僕の目の前に佇む女性しかこの店には居ないのだ。あれ・・・?外から見た時は、何人か人が居たように見えたけど気のせいか?


「あの・・・、コレ・・・、頼んで無いんですけど。」


 そう僕は運ばれてきたカフェオレに指を差しながら、注文を間違えたであろうこの女性に尋ねた。するとこの女性店員は間違えてしまったという素振りを見せるどころか、どこか企んでいるような笑顔を見せる。そういえばこの人、どこかで見た事があるような・・・。それも割とつい最近、直接話した事があるレベルだ。テレビで観るような芸能人を見かけたとかそんな次元の話ではない。そう思った矢先に、脳裏の片隅でふわりと過ぎる。


「こちらのお客様からです。」


「ふざけてます?」


 そうして自慢の胸に手を当てながら、“私が差し出したのだ”と白状する。バーなんかで良く見かけるアレだ。彼女もまた先程の店員と同じように、ライトブラウンのエプロンを羽織っている。にんまりと浮かべた笑顔からは、表紙モデルにも引けを取らない整った顔立ちだった。彼女は徐にキャスケット帽を脱ぐと、灰色のアップポニーテールで束ねた髪が露わにさせた。


「あら、出会った女性の顔は覚えていないタイプかしら?」


「質問を質問で返すタイプなんですね。確か、模型屋で会いましたよね、エアガンを選ぶ時に。」


 腰に手を当てながら、目の前の女性は少し不機嫌気味にそう返した。そう、あの時だ。模型屋で偶然出会った女性である。直接名乗りはしていなかったけれど、会話で聞こえていた名前。確か名前は、レタだったか。あとそうだ。ついでに思い出したけど、無理やり胸を揉ませといてビンタされたんだった。まさかこんなところで会うとは。というかさっきの店員と同じ格好という事は、ここで働いているのだろうか。とはいえ、どうして僕に近付く人達はこうも一癖も二癖もある人ばかりなんだ。せっかく落ち着ける喫茶店に入ったというのに。


「ふーん、なんだ。やっぱり覚えてたんじゃん。」


 彼女は腕を組みながら、片目だけをこちらに向けていた。じろりと僕を上から下へとそっと見つめた後に、右手に持っていた角砂糖が入った小さなガラス瓶をテーブルに置いた。ポンっと弾みの良い音を奏でながら蓋を開け、人差し指を添える。一つ、二つと指折り数えるように無言で角砂糖を入れる数を尋ねてきた。それに対し、僕は首を横に振った。


「確か、レタさん・・・でしたっけ?ここで働いているんですか?」


「あら?あなたに名乗った記憶は無いけれど・・・?まぁ、いいわ。まぁ、見ての通りここでバイトしてるのよ。」


 そう云いながら彼女は僕の提示したサインを無視し、角砂糖を一つ指で摘み上げる。ぽとんとカフェオレの水面に波紋を泳がせながら、まずは一つ角砂糖を投入した。指についた砂糖を親指と人差し指で擦り付けながら払い落とす。レタは、そのまま空いていた対面の椅子に腰掛けた。まだ良いとも云っていないのに何の承諾も得ず彼女は対面に座り込み、僕のパーソナルスペースに入り込んでいた。この人はあまり人の話を聞かないタイプなんだろうか。


「名前を知ったのは、レジ横で模型屋の店長が話していたのが聞こえてましたからね。」


「あー、あの店長か。あたし、あの人苦手なのよね。声デカいし、ちょっと臭うし。自分の好きな事になると鼻息荒立てて近寄ってくるとことかさ。」


 彼女はそう聞くと、顎下で頬杖を突きながら明後日の方向に舌打ちを飛ばしていた。そのちょっとした苛立ちが拍車を掛けたのか、また一つ角砂糖を摘み上げ僕に差し出したカフェオレへと放り投げる。ただでさえ甘いカフェオレがみるみると甘党まっしぐらの道へと進もうとしている。僕はノーと答えた筈なんだけどな・・・。僕はただただ彼女の行動にたじろぎ、ツッコむ余裕が無かった。今は彼女から飛んでくる会話に集中するので精一杯だ。なので僕は、これだけは確認したかった。


「それに、あなた“ギフト”ですよね?」


 僕がそう訊くとチラリと横目をこちらに向けた。はらりと灰色の前髪が風に煽られたように揺れる。その瞬間だけ、そっと冷たい風が舞う。気のせいだろうか、室内の冷房とはまた違うような。むしろ秋に入ったこの時期に冷房を入れるとは思えない。両腕に鳥肌を立たせるような冷気が、そっと肌を舐めるようだった。


「そうよ。あなた達から云わせれば“ギフト”という云い方になるんでしょうね。」


「なんだか不思議な云い回しをしますね。」


 レタは掌を仰ぎながら、そう返した。何だか独特な含みを滲ませた言葉を交えながら。“ギフト”という言葉は、彼らの共通言語ではないのか?“ギフト”、妖怪や悪魔、オカルト的な要素を総じてそう呼ぶと聞いた筈だ。けれど振り返れば少し疑問に思う所もあった。単純な語源としては、贈り物という意。メル曰く、別の国の言葉の意味としては、“毒”。確かに悪魔や妖怪というイメージは怖さや負のような象徴が垣間見れるが、それを一括りにして毒と云えるだろうか。全てがそう毒とは限らないのではないだろうか。これ見よがしに害を為すモノと総じて呼ぶものかと疑問に思うところだ。コツメやメリィのように人とは違うだけ。何故、そう皮肉めいた云い方で呼ぶのだろうとは疑問視していた。僕がその考えに耽っている最中、彼女はもう一摘み角砂糖をカフェオレに放り込む。


「あたし達のような妖怪たちを“ギフト”と呼ぶのは、あなた達『便箋小町』くらいよ。」


「・・・その“ギフト”と云うのも少し疑問視はしてました。」


 僕はこれ以上、会話の合間合間に角砂糖を投下されまいとカフェオレの入ったカップをこちらへと寄せた。“ギフト”と呼ぶのは便箋小町だけ・・・。ある一定の組織がそう呼ぶのはいくつかあると思っていたが。まさかそう呼んでいるのは、あの会社ぐらいなのかと思うとより一層疑念は深まる。半妖の飛川コマチ、言霊のメル、彼女らは一体何者なんだ。離れてから分かるこの俯瞰。それはきっと、勘違いや読み間違いではないと思う。


「まぁ業界用語みたいなもんだからね。オバケの一種やら神様だの、あたし達の呼び方なんて地方様々よ。

さて・・・、運び屋のお兄さん。」


「はい?」


 するとレタは突然その場で立ち上がり、くるりと回り出す。宛らフィギュアスケート選手のようにゆったりと回すと、右足を後ろに引きながら左腕を腹部に水平に当てた。右腕を払うように胴体から離して、短く一礼を行った彼女は何処か紳士的にも見えてしまった。確か、俗に云うボウアンドスクレープと呼ばれる西洋の伝統的なお辞儀だった気がする。軽やかな一回転の後からは一変して、英国貴族のような佇まいにも思えてしまう。あれ・・・でも待てよ。このお辞儀って男性がやるモノじゃなかったけかな・・・?まぁ、今は性別がどうこう云うようなそんな時代でも無いか。気にしないでおこう。


「あたしは、何の妖怪でしょう?」


 彼女は両腕を大きく羽のように広げたと思えば、絶妙なテンションでクイズを投げかけてきた。先程の紳士的なお辞儀からの絶妙なイントネーションで繰り出されるその言葉は、控え目に云っても台無しだ。とはいえ、中々にその質問は検討し難い。恐らくオカルト面では、ズブの素人の僕にも分かる妖怪なのだろう。自然と腕を組みながら、見慣れない木目調の天井を数秒見つめる。所謂メジャーな妖怪。ろくろ首、河童、アカナメ、天狗に、雪女。あとは、座敷童・・・は違うか。明らかに座敷童にしては年齢が上過ぎる。うーん、見たところ容姿は整っているし、化けるにしても狸の妖怪のように変化(へんげ)が得意なものは限られる。メジャーな妖怪でここまで精巧に容姿を人のように作られるのは、恐らくそこまで多くは無い筈だ。と、なると元から人間に近い容姿でと消去法で汲み取るなら・・・。


「ろくろ首とかですか?」


「ちょっと、あんな首長と一緒にしないでくれる?あたしは、雪女。雪女のレタよ。」


 おっと、どうやら違ったみたいだ。レタは物凄い剣幕でこちらに顔を近付け、少し怒声の篭った言葉で捲し立てる。掌を広げながら胸に手を当て、目の前で火柱を立てるように怒りを露わにしていた。この人はろくろ首と何かあったんだろうか、よっぽどウマが合わないのか妖怪同士でも相性がやはりあるようだ。そういえば、チップとコツメですら毛嫌いを起こしていたから、強ちそういうのは人のようにあるのだろう。あいつ、チップの場合に至っては一方的に鼻を摘みながら距離を避けているように見えていたから確信は無かったけど。


「雪女にしては、なんていうか・・・。かなり、ラフですよね。髪の色とか服装とかも含めて・・・。」


 そう彼女の格好は雪女のそれとは限りなくイメージが離れている。それどころか雪女どころか、その辺の街を歩いているサバサバとしたギャルにしか見えない。きっとこれを口に出したのなら無茶苦茶怒るんだろうな、しっかりこれは喉の奥に仕舞い込んでおこう。一般的な雪女というイメージだと白い素肌に清楚な和服を羽織り、白や青の髪をした女性だと思っていたけど。良い意味で捉えれば、かなり人間の街に溶け込んでいるのが彼女だ。


「もしかして清楚でお淑やかな性格ばかりだとイメージしてる訳?結構、人間と似てるところあるわよ。表では良い子に清楚ぶって、裏では悪口ばかりの陰湿で束になんなきゃ何も出来ない奴ばっか。あと、和服もゴワゴワして嫌いなの。この方がずっと楽だわ。時代なのよ、時代!それにあの正装、胸あたりが特にキツいのよ。これぐらいゆとりが無いと!」


 どうやら彼女は同胞との関わりに難があったようだ。レタのようなタイプは、誰かとグループになって行動するより一人の方がずっと気が楽なのだろう。確かに彼女の云う通り、人間の社会でもよくある話だ。学校のクラスという狭い空間ですら、それが起きてしまう世の中だ。いくつかのグループに分かれては上下階級が自然と出来上がる。晴れて溢れてしまえば、それは狙いの的。溢れ者の居場所は徐々に狭くなる。もっとも彼女にとってはそんな感覚すら特に気にしていないようにも見えるが。その証拠に彼女は怒っているようなセリフとは裏腹に、彼女の表情からは笑顔が溢れていた。周りを気にしていたら何も出来ないとでも云いたげに、第二ボタンまで開いた真っ白なシャツの襟を摘みながら仰ぐ。彼女にとってこの気温でも暑いのか、秋を迎え入れたばかりだというのに半袖のシャツなのだ。何だか一丁前にコートを凍えながら羽織って、店に入ってきた僕の方が馬鹿みたいだ。


「レタさんって結構変わってるって云われません?」


 僕がそう彼女に訊くと、ふと時を遅らせたみたいに鎮まった。人差し指を顎下に添えながら、何かをぐるりと思い返しているようだった。


「そうね、あたしも村から抜け出した訳だし。そーいう意味では変わり者かもね。」


「そうですか・・・。あ、コーヒーありがとうございます。」


 ほろりと解れた糸を引っ張り上げるように彼女は、意図も容易く打ち明けてきた。自分の事に関しては、特に秘密事をさらさら隠す気が無いのだろう。少し遅れたが、僕は淹れてくれたコーヒーに対して礼を云った。すると彼女はすかさずステンレス製のマドラーを手渡してくれた。まだ溶け切っていないぷっかりと浮かぶ角砂糖たち。薄茶色の水面を優雅に遊泳しているのを眺めながら、ゆっくりとカフェオレをかき混ぜる。あぁ、甘いのはあまり得意じゃないんだけどな。けどまぁ淹れて貰った訳だし、無下には出来ないよな。カチッ、カチッとステンレスのマドラーがカップのフチに当たる度に、心地良い音を弾ませていた。目の前のレタは、上半身の体重をテーブルへと身を任せるように両腕を組みながらよしかかっていた。


「あら、今日は釣れないのね?理由とか聞かないんだ。」


「センチメンタルな年頃なんですよ。今は他人に気を向ける程、余裕が無いんです。」


 そう、今の僕には余裕が無いのだ。自分の事だけで精一杯な時間帯なのだ。ここで何か彼女の真意に近付こうにも、今はそのキャパシティを持ち合わせていない。それに聞かなくても何となく分かる。彼女もまた溢れ者なんだ、居場所を狭められ行き場を変えた一人。自ら選んだ道にわざわざ、理由を訊く必要はない。それに何度も云うがそれを訊くなら別日にお願いしたいところだ。


「そ。所謂、新社会人あるあるってやつかしらね?」


「まぁ、そんなとこです。」


 僕がそう云うと、鼻を摘むように小さな欠伸を溢していた。そういえば、何故この人は僕に接触してきたんだろうか。それに僕の事も知っているような口振りだった。明らかに初対面の筈だったのに僕の事を“運び屋”と呼んでいた。つまり僕が便箋小町に在籍しているのを初めから認識していたと云う事だ。ましてや相手は妖怪、“ギフト”だ。そう考えに耽りながらも僕は漸く差し出されたカフェオレを口元へと運んだ。まだ少し溶け切っていない角砂糖が僅かにチラチラと浮いている。


 ズズ・・・。


「・・・って冷たッ⁉︎」


 口元に広がったのは、まず甘さよりも感覚を麻痺させる程の冷たさだった。まるでかき氷をそのまま溶かしたような冷たさで、ついさっきまで冷凍庫で冷やしていたんじゃないかとさえ思う。コーヒーカップが厚みがあったから全然気付かなかったけれど、驚く程に今の季節に飲むような冷たさではない。そうして襲い来る第二波。冷えた口の中に注がれるのは少しだけドロっとした甘い液体。これをコーヒーと称するよりは、ショートケーキに飾られた生クリームを連想した方が遥かに早い。キーンと頭まで染み渡る冷たさと喉の奥までへばりつく甘ったるさが最高に珈琲豆の本来の味を阻害していた。香りは落ち着きがあって品があると云うのに、暴力的なこの甘さが全てを台無しにしている・・・。店長はどこだ、この人にコーヒーを作らせるなと一言申し出たいくらいだ。


「当たり前じゃない。あたし、雪女だもん。熱いのが苦手なのくらいは知ってるでしょ?」


 そんなレタは何の悪ぶれもなくシュラグを振る舞いながら、明後日の方向を見上げていた。いや、冷たさもそうだがあなたが角砂糖を馬鹿みたいにボンボコ入れるから化け物染みた激甘になったんだぞ。


「だからって、こんな寒い季節に冷たいコーヒー出します、普通?」


「あなたも質問を質問で返すじゃないの。()()じゃないから、冷たいの出したんですけど。」


 確かに彼女は()()ではない。容姿こそは人間と変わり映えはないが、中身は雪女という妖怪。恐らく年齢こそは僕の倍以上に生きているのだろうが、見た目は僕より同じか少し下くらいだろうか。世代でいえば高校生または大学生なりたてくらい。しかし、容姿こそは表紙モデルに選ばれても可笑しくない程整っている。とはいえ、せっかく出してくれたコーヒーだ。僕は冷静さを取り戻しつつも、もう一度だけカフェオレを口に含んだ。・・・やっぱり甘い。この人の味覚センスはどうなっているんだ。漫画でよく見るあれか。料理全く出来ない系女子とでも云いたいんか。僕はゆっくりとコーヒーカップをソーサーへと戻して会話を切り出した。


「ところで何の用ですか?僕、今忙しいんですけど?」


「そう、とてもそうには見えなかったけどね。強いて云うなら・・・、心に難ありってとこかしら。」


 まぁ、詰まるところ彼女の云う通り図星なのである。特に予定も無ければ、手が離せない程忙しい訳では無いのだ。真相は至って単純で、精神的に余裕が無いだけ。と、云ってしまえば私情だらけの云い訳にしかならない。レタは僕が使ったステンレス製のマドラーを指揮棒のようにくるくると振いながら、僕の頭を差していた。僕の頭を囲うように円をぐるぐると描き、まるで心の中を覗いているようにも見えてしまった。自分でいうのも何だが、恐らく顔にその精神状態は出てしまっているのだろう。今思い返せば、引き篭もった何日間はまともなご飯を食べてきていなかった。それもあってか感覚でも分かるくらい痩せこけてしまっているのだろう。まだ口角を上げるのも一苦労なくらいだ。


「これが女難の相だと分かれば、まだ良いんですけどね。」


 口に出してハッとしたが、振り返ればこの半年間はそんな女性たちに振り回されてばかりだ。あの社長にしろ、この雪女にしろ、チップは・・・、あいつはどっちだろう。まぁ、あいつは良いか。レタは使い終わったマドラーをテーブルに置き、再び軽く腕を組み始めながら口を開いた。


「仕事には出てないの?」


「まぁ、ちょっと謹慎中というか。抜け出したというか。」


「あら、真面目そうに見えて、意外とロックなとこあるのね。」


「揶揄わないでください。今は一人になりたい気分なんですよ。」


 彼女にとっては僕の行動は意外だったようだ。僕自身も半年足らずで出社しなくなるとは思いもしなかったところだ。だがしかし、考えてみてくれ。目の前であんな光景を見せられてしまったんだ、常人が耐えられるような経験とは思えない。妖怪やら悪魔やらと普通よりも関わりが多かった仕事で感覚が麻痺していたのかも知れないが、所詮僕は普通の人間だ。社長やチップのように能力を使って戦う事も出来なければ、その耐性も無い普通の人間。これがもし物語の主人公だったなら、いくらか抵抗はあったのかも知れない。けれど、これが現実。そんなに甘くは無かったんだ。彼女の、メリィの言葉を思い出さなければ今こうやってこの喫茶店に訪れる事も無かっただろう。当然まだ部屋の中に居たならば、僕は目の前に座るレタとも再会する事も無かった。目の前に座る雪女は短い溜め息を吐いた後に、組んでいた腕を解いた。


「そ。なら、君に仕事依頼しようと思ったけど、また今度にするね。」


 中ば諦め気味に彼女はシュラグを払った。特にしつこい交渉は無く、そういう意味では浅いところで引くあたり潔い。


「戻るとは、まだ云ってませんよ?」


「君は戻るよ。そうしないといけないんだから。」


 彼女はまるで何かを予め知っているかのように話した。先の事を見知っているとでもいうのか、物語に挟んでいた栞を取り上げ読み上げているみたいだ。彼女はあぁは云うが、今のところさらさら戻る気は無い。戻るならもっと調べてからだ。便箋小町という彼女らをもっと、ちゃんと調べてから戻るんだ。だから、今は戻れない。しかし、このレタという女性は。何故そうまでしての自信がそこにあるのだろう。


「それは女の勘ってやつですか?」


「さぁ?・・・捉え方は任せるわ。」


「そうですか。」


 レタはギリギリのところではぐらかした。あともう一歩踏み出せば掴めそうな何かをギリギリのタイミングで掬い上げ、届く手を遠のかせる。僕の伸ばした手は一寸の針程の小さな隙間で掠め取り、ふわりとその真意を空振る。レタは変わりにと云わんばかりに、一つの提案を持ちかける。人差し指と中指と二本を立たせ、口元へと運ばせた。


「じゃあ、最後に二つだけアドバイスしてあげるわ。」


「アドバイス?」


 彼女が示した導きの言葉。中指を一度降ろし、人差し指だけをかざす。するとそこへ頼んでいたアメリカーノが漸くテーブルに運ばれる。相変わらず気配すら感じないこの男性店員は、無言でソーサーに添えられたコーヒーカップを置いた。そして無言でお辞儀をしたと思えば、空気に溶け込むようにスッとまた気配を消していった。


「一つは、過去を振り返りなさい。君自身のね。」


「僕、・・・自身の?」


 何とも云えない不敵な笑みを浮かべたレタは、もう既に答えを知っているようだった。過去を振り返る・・・、それも僕の・・・?何故それを今になって。便箋小町を調べる必要があるというのに。過去と一言云ったって、あまりにもざっくばらん過ぎる。どこまで遡れば良いんだ。少なくとも昨日や先週の最近の話ではない。もっと遠くの過去。生まれてからか、学生時代か、それとも・・・、便箋小町に入る時か。いや、少し落ち着こう。彼女の顔を見てもその先を教えてくれそうもない。あくまで自分でそのターニングポイントを振り返れと、言葉には出さずともそう云っているようだった。そしてレタはもう一度中指も立て、二本目のアドバイスを提示し始めた。


「もう一つは、君のバディくんに会ってあげる事。」


「あなたは占い師か何かですか?」


「さっきも云ったでしょ?あたしは村から抜け出した雪女。」


 あろう事か彼女が提示したのは、バディと会う事。つまり、あの幼女チップの事だろう。しかし、何故彼女はあいつが僕のバディだって知っているんだ。何だか全て見透かされているみたいだ。チップに会う事か。そういえば、チップが部屋を出てからも僅かに気配だけは感じていた。すぐ近くにいるような感覚だけはあったが、互いに近付こうとはしなかった。


「・・・別に、会う理由なんて無いですよ。」


 僕はそう吐き捨てながら、運ばれてきた本来の注文の品であるアメリカーノを口に含んだ。薄味になったエスプレッソがしっかりとした口当たりを作り出し、コーヒー自体の風味も程良く感じられた。あぁ、良かった。ちゃんとした喫茶店で。程良く染みる苦味がスッと心を落ち着かせてくれる。目の前の雪女が作り出したカフェオレとは雲泥の差だ。やはり、プロの味は全然違う。初めてアメリカーノなんてコーヒー飲んだけど。 


「理由なんて簡単。きっと、君の事を心配してるよ?会ってあげたら?」


 彼女は、なんだそんな事かと云わんばかりにさも当然の如くそう返した。自然な笑みを溢し、キリッと整った眉を柔く弧を描くように曲げさせていた。あいつが僕を心配してる?果たしてそうだろうか。あの身勝手でぶっきらぼうな悪魔がか。けど、まぁそうか。それは会って話さない事には分からない話だろう。


「まぁ・・・、気が向いたらそうします。」


「シャキッとしなよ青年!大志を抱けって云うじゃない。」


 すると彼女は突然立ち上がったと思えば、僕の後ろに周りあの得意のビンタを背中へと殴打させた。ビダンっとなんとも歯切れの良い打撃音を奏でさせる光景は、宛ら先輩上司に励まされているみたいだ。その音に比例してビンタされた背中の中心部は、ジンジンと痛みが伝わり仄かな熱を帯びていた。


「それ、続きあるの知ってます?」


 僕は徐々に伝わり始める痛みを右手で和らげるように摩りながら、彼女にそう返した。


「あら。そうなの?」


 レタはその事を知らなかったようで、きょとんとした表情で空気を抜く。そう、その偉人が残した言葉には続きがあるのだ。


「こんな老いぼれでも頑張ってるんだから、若者も頑張れよって事らしいですよ。」


「あたしから見たら、どっちも少年みたいなもんだけどね。ほら!とりあえず、あの悪魔くんに会ってあげなよ。きっと待ってるよ。」


 偉人が残した名言とはピックアップすれば、心に刺さる一言にも聞こえる。だがそれを云うまでの前後へとフォーカスしていくと、なんとも味気ない皮肉めいた事ばかりなのだ。と云っても僕も、たまたま見かけたニュース記事にそんな事が書かれていたのを記憶していただけだが。


「はぁ・・・。気乗りはしませんけどね。・・・わかりました。」


「じゃ、復帰するまではツケって事で。」


 すると彼女は一枚の伝票をそっとテーブルに置いた。丁度、僕の傍らに気付かせるように置いた。その裏返しだった伝票を摘み上げると、そこには品名と金額が記載されていた。


アメリカーノ 四百円 カフェオレ 五百二十円 宛名 シデ イサム 


「って、なんで僕の名前で領収書切ってるんですか⁉︎」


 ちゃっかりしているというかなんて云うか・・・。ん?なんで僕のフルネームまで知っているんだ?やはり女難の相は、少なからずあるみたいだ。神社にでも行ってお祓いも検討した方が良さそうだな、これは。それに彼女、雪女のレタがここにいる事も分かった。彼女の真相を辿るのは今ではない。まずはチップと話し、過去を辿る事に先決しよう。話はそれからだ。また、ここに戻ってくればいい。


「あら?あたしは奢るなんて一言も云っていないわよ?」


 そう云うと彼女は手を振りながら、カウンターの方へと去っていった。気付けば時刻は十三時を回っていた。そんなに長くここに居ただろうか。落ち着いた空間であるカフェはよく時間を忘れさせるとは云うけれど、極端に時間の流れが早過ぎる気がする。そうして気付いた僕は、一つの仮定が思い浮かぶ。何気なく入ったこのカフェもまた、普通のカフェとは違うのだろうと。喫茶雨やどり。その文字の通り、僕の心に纏わりついていた雨雲を過ぎ去らせる時間を作ってくれたようだ。

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