【後編】電子書籍化記念〜登校二日目の悪役令嬢は主人公と昼休みを過ごす〜
その日、幼女化したイリーナは上機嫌で厨房へと向かっていた。
「気分転換にクッキーでも焼こうかな。でもケーキもいいよね」
かつて本当の幼女だった頃、道場破りの勢いで厨房を訪ねてから料理長とは師弟のような関係を築いている。新しいレシピを教えることもあり、いつでも自由に使って構わないと許可をもらっていた。ちなみに幼女が師である。
しかし到着した厨房はいつもと違って騒がしい。
「料理長がまた負けたって?」
「あの人ただでさえ昔幼女に負けて落ち込んでたのに!」
(あれ? なんか騒がしい?)
数日前にも同じことを思った気がする。
(あの時はアレン様が訪ねてきて大変だったけど、さすがにここは厨房だしね)
考え過ぎだとイリーナはいつも通り顔を出した。そして驚愕させられる。
「やあ、イリーナ」
「ひぃぃぃぃぃ!?」
いつもは「ひっ」とまだ控えめな反応をしているが、今回は遠慮している暇がなかった。何しろ自宅の厨房にまるで料理人の如く白いコックコートを着たアレンがいたのだ。イリーナも子供用エプロンを着ているが、本格さではアレンに負けている。
「なっ、えっ、アレン様、道に迷ったんですか!?」
「そんなはずないだろう。何度通っていると思っているんだ」
「それはそれで問題なんですけど、その格好! しかも料理長が物凄く落ち込んでる!?」
項垂れる料理長は全身から落ち込んでいますという空気を醸している。
アレンは服装は違えど、いつも通り笑顔で答えた。
「少し厨房を借りたくてね。彼が、いくら王子殿下とはいえ俺の城に素人を入れるわけにはいかない。使わせてほしければ俺を納得させてみろと言うものだから、料理勝負をしたんだ。何を作っても構わないと言われたから、ケーキを作らせてもらったよ」
「うちで何してるんですか!?」
「そうなんだイリーナ、聞いてくれ。これは大変な問題でね。最近手土産の菓子に変化がないとは思わないか?」
「いえ別に」
真剣な顔で言われたが、イリーナは即答していた。
アレンは昔から侯爵邸を訪れる際は美味しそうな菓子を持参してくれる。それは幼い子供が好みそうな動物の形をしたクッキーであったり、甘いチョコレートであったり、イリーナが成長するにつれ美しい造形の菓子へと変わっていった。どれも名店の品ばかりである。
「君は謙虚だね。けれど隠すことはないよ。俺も自覚はしているからね。そこでいい品が見つからないのなら自分で作ればいいと考えたんだが、どうせなら焼きたてを届けたいだろう? 城から運んでいては冷めてしまうから、ここで作らせてもらうことにしたんだ」
(もはや何からツッコめばいいかわからない! え、アレン様、お菓子作りが趣味だったの? いや、そんなはずないよね!?)
ゲームの情報を思い返しても、そんな要素は欠片もない。ひとまずイリーナは意識を飛ばしている料理長に駆け寄った。
「料理長、大丈夫ですか!? アレン様に酷いことされてませんか!?」
幼女に助け起こされた料理長は悔しそうに声を絞り出した。
「申し訳ありません、お嬢様! 私の完敗です。あれを、アレン様が作られたケーキをご覧下さい!」
イリーナは調理台の上に輝くホールケーキを見つけた。
「こ、これはっ!!」
まるで宝石が輝いているようだ。
クリームで丁寧にデコレーションされたケーキの上には、カットされたフルーツが美しく飾られている。苺は包丁で細工され、断面はまるで花のようだ。緑の果実とオレンジの果実は薄くスライスされ、巻くことでも花を表現していた。
「綺麗……」
思わず幼女も感激する美しさだ。もっと言えば、この世界では初めて見る繊細な細工だった。
「気に入ってもらえて嬉しいよ」
「アレン様、どこでこのような技術を?」
「基礎は城の料理人に教わったけれど、後は独学かな」
「どく、がく……」
今度はイリーナが料理長の隣で項垂れる。
異世界転生すること十七年。料理では誰にも負けないという自信があった。それは菓子作りも同じで、これまでイリーナの地位を脅かす者はいなかった。
しかし独学のアレンは一人で見たこともない細工を考えついたと言う。菓子作りに対するイリーナの自信は折られていた。
「こうなったら……」
隣でふらりと料理長の身体が揺れた。おぼつかない足取りで立つ彼は、とても思いつめた表情でゆっくりアレンへ近付こうとしている。
(まさか逆恨みして!?)
イリーナは料理長を止めるべく手を伸ばす。
「料理長、だめ――」
「アレン様、弟子にして下さい!」
幼女の腕は宙に浮いたままだ。
「貴方様の製菓技術に感銘を受けました。先ほどは素人などと、生意気なことを申し上げた自分が恥ずかしい。ぜひ弟子にしていただけませんか!?」
アレンはにこやかにその申し出を受け入れた。
「そうだね。君の技術が飛躍することはイリーナの食生活の向上にも繋がる。俺でよければ指導させてもらうよ」
こうしてまた一つアレンがバートリス家を訪れる理由ができてしまった。しかしイリーナにとっての問題はそこではない。ぷるぷると小さな肩が震え、言いたいことはたくさんある。
「弟子とられた-!」
幼女は泣いた。
~☆~★~☆~★~☆~
「ということがありまして」
「うわー……」
ライラは思った。家の厨房を開けたらコスプレしたアレンがいるって恐怖だよね、と。純粋にゲームをプレイしていた頃なら「コスプレありがとうございました!」と思ったが、あの事件以来怖ろしくてアレンの顔がまともに見られない。口にするのも怖ろしかったので色々呑みこんで「うわー……」とだけ言っておいた。
すっかりライラの眼差しは哀れみだ。しかしイリーナの嘆きはまだ終わらない。
「あの人、次の私の誕生日には泊まりこみでケーキを仕込むって言うんですよ!」
「え?」
「私が高価なものは止めて下さい。形に残るものは止めて下さいって言ったから、昔から誕生日にはお菓子をくれるんだけど、今年は手作りするからって張り切ってて……」
それはむしろ悪役令嬢や主人公がとるべき行動ではないだろうかとライラは思う。実際少し前の自分もやろうとしたが、アレンと同じ思考回路であることが怖かったので深く考えるのはやめた。
「えっと……それって、美味しいの?」
純粋な疑問にイリーナは即答する。
「お店に並んでたら私は買う!」
私も食べてみたいとは怖くて言えないライラであった。
「それからアレン様がお菓子作りに目覚めたという情報をどこからともなく聞きつけたリオット様がお菓子作りでも張り合うようになって」
「今そんな面白いことになってるの!? というかライバル設定どこで発揮してんのよ!」
「そうなんですよ。自分の方が美味しいだろうとお菓子を手に迫ってきて、勝手に私を判定係にしてくるんです。そのせいもあって静かなところを探していました」
リオットはアレンをライバル視しているという設定だが、まさかお菓子作りでまで張り合ってくるとは思わないだろう。もう気が済むまでここにいればいいと、流石にライラも同情してくれた。
「もともと器用な二人はみるみる腕を上げていて、私が作ったお菓子なんて霞むほどですよ……もう王子と次期公爵でお店でも開けばいいと思います……」
「すご……というかイリーナってリオット様と仲いいの? ゲームだと相性悪かったのに」
ゲームでのイリーナはアレンに勝てないリオットを馬鹿にし、リオットもアレンに夢中なイリーナを嫌っていた。
「もちろん最初は顔を合わせる度に嫌みを言われていましたよ。でもある時気付いたんです。ほら、私たちってアレン様に振り回され仲間でしょう? アレン様への愚痴で意気投合するようになりまして」
今まで気づかなかっただけで、二人はアレンに振り回されているという共通の悩みを持つ仲間だった。一度気付いてしまえばその愚痴は止まらない。気兼ねなく王子の愚痴を言いあえる相手は限られているのだ。
『わかるかイリーナ! 君もあいつには苦労させられているんだな!』
『お気持ちお察し致します。リオット様!』
そう言いながら固い握手を交わしたものだ。真剣な顔で長時間語り合い、張本人であるアレンに引きはがされたことは記憶に新しい。
「というわけで、どうしても習いたいのならアレン様に」
「絶対に遠慮するからね!?」
ライラは最後まで聞かずに答え、その表情から必死さが伝わってくる。
「そうですか? 遠慮せずに」
「遠慮じゃないから! あの人本気で私のこと嫌ってるから! あれ以来顔を合わせると物凄く睨まれてるんからね!? おかげで食堂には行きずらいし、料理も下手だから昼はパンばっかりになるし……」
ライラはこれまでイリーナを貶す発言をしていたことから今もアレンに睨まれている。彼は根に持つタイプなので怒りを買うと後が大変になることはライラも知っているだろう。とはいえ怯える様子があまりにも可哀想なので、もう少し態度を和らげるよう話してみるつもりだ。これで問題の一つは解決するといいのだが……。
イリーナはもう一つの解決法を提案することにした。
「あの、よければ今度うちに来ませんか?」
想像もしていなかった提案にライラは目を丸くする。
「私もお菓子作りを教えるのは躊躇いがありますし、アレン様も嫌なんですよね。なら我が家の料理長に教えてもらって下さい。アレン様の弟子らしいですけど」
「……いいの?」
「カレーが食べたいんですよね。料理長にリクエストしておきますよ」
「でも私、あんなに迷惑かけたのに……」
「迷惑ついでに勉強も教えてあげます。こんな所で一人練習するより参考になると思いますよ?」
ここに来るまでに精霊が教えてくれた情報を口にすればライラの頬が赤くなる。
「な、なんで私がここで魔法の練習してるって知って……さては精霊ね!? このチート悪役令嬢!」
「嫌ならいいですよ。一人で勉強してもわからないって、叫んでいたと聞いたので」
「うっ……」
図星を刺されたライラが呻く。
「頑張るんですよね?」
何とは言わないが、それがヴィンスとの関係であることをライラはしっかりと察していた。
「でも、私みたいな庶民が、侯爵家に行っていいの?」
「それ、塀乗り越えて不法侵入した人の台詞じゃないんですけど」
「あ、あれは! あれは数に入らないというか……い、意地悪言わないでよ!」
「はい。正門から訪ねてくれるのなら歓迎しますよ――って大変です!」
精霊からの情報にイリーナは素早く立ち上がる。
――イリーナ大変。アレン来る!
「ライラ、精霊から情報が。もうすぐアレン様がここに来ます!」
きっと自分を捜しているのだろう。彼の足が速いこと、そして魔法との合わせ技を使えば、ここが見つかるのも時間の問題だ。早く逃げなければとイリーナはライラを急かそうとした。
「イリーナ。遊びに行く日はまた連絡するから!」
「え、ちょっと――」
しかしライラの方が速かった。侯爵邸に不法侵入した時といい、見習いたい動きである。
「感心してる場合じゃないよね。私も早く逃げないと」
「どこに逃げるのかな?」
「ひっ!」
優秀な魔法使いの行動は想定よりも早かった。どうせなら一緒に連れて行ってくれてもいいのにとライラを恨む。
「ここにいたのか。捜したよ」
走り回っただろうにアレンは疲れを感じさせず、優雅な佇まいのまま告げる。
「い、いいですよ、捜さなくて。もう幼女じゃないんですから、迷子にもなりません」
イリーナは学園生活くらい一人で送れると主張する。しかしアレンはもっと断りにくい理由を口にした。
「俺が一緒にいたいから捜したんだよ」
真っ直ぐに告げられると逃げた自分が子供みたいだ。それでも不満は消えないので言ってやる。
「私はアレン様と一緒だと大変なんです。ずっとアレン様のことを訊かれて、ご飯もゆっくり食べられません。教室でも囲まれて、休めないです」
不慣れな環境で手助けされて嬉しかったこともあるが、先ほど弟子をとられた日のことを思い出したので心の天秤は傾いていた。
「それは悪いことをしたね。次からは責任もって婚約者を愛していると宣言することにするよ」
「婚約者じゃありませんから!」
「いいじゃないか、そんな些細なことは」
「些細じゃありません!」
この後、同じ反論が二度とできなくなることを当時のイリーナは欠片も想像していなかった。
長くなってすみませんでした!
楽しくてつい……
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
記念のお話に何を書こうかと考えた時、一番最初に浮かんできたのが「イリーナの家で得意気にケーキを焼くアレン」でした。彼は生き生きしてました。
本日発売されました電子書籍にも書き下ろしがございますので、よければ見てみて下さい。
こちらは本編より後のお話で、友情に恋愛に幼女も登場の賑やかなお話になっております。
応援下さいました皆様、本当にありがとうございました!




