83催眠アプリ
広大なネットの海を彷徨っていた千鶴は、ふと気になるものを目にした。
『催眠アプリ プラシーボ効果で確実な効果が期待出来ます!!!』
通常ならば気にならないまがい物の宣伝。
しかし、そこから動画サイトへのリンクが張られており、ほんの出来心でリンクを踏んでみる。
そこにはまたにテレビで見るようなタレントとお笑い芸人の二人の姿。
タレントがお笑い芸人向かって催眠アプリを発動させてみる。
すると、ぼんやりとした芸人は何か催眠術がかかったような状態へとなっている。
(どうせヤラセでしょう?)
とはいいつつ、続きが気になってみてしまう。
タレントが命令をすると、お笑い芸人は言われた通りに従う。
ここまでは演出としていくらでも細工出来てしまうだろう。
しかし、次にタレントが出した命令は通常ならばありえない現象であった。
『空を飛んでみて』
ふわり、芸人が宙に浮かぶ。
しかも宙に浮いた芸人はそのまま室内を旋回しているではないか。
映像の中の室内はほぼ何もない空間。
上から糸か何かで固定しているようには見えないし、素人目だが加工がかかっているようには見えない。
(まさかね……)
動画の最後、アプリのダウンロード画面が表示される。
「……」
信じているわけではないけれど――。
ちょっとした好奇心。
ほんのちょっとの悪戯心が、千鶴の中にくすぶっている。
◇ ◇ ◇
昼食はいつも別々に食べているが、この日は珍しくイツメンが集まっていた。
駐輪場上の解放された広間に、イヴ、綾香、凛、そして美里の面々が顔を揃えている。
弁当をつつきながら、千鶴はスマホにダウンロードしたアプリを見る。
「ちーちゃん何みてるの?♡」
「え、あ、昨日ちょっと気になったものがあってね」
ずいと画面をのぞき込む凛。
画面に表示されているのは怪しげな紫色のアプリで、『催眠アプリ』とあからさまに書いてある。
「わ♡ おもしろそ♡ ちょっと凛にやってみて♡」
「たぶん偽物よ? 夜中にみててちょっと気になっただけで……」
「いいからいいから♡」
とりあえず起動してみる。
虹色の波紋がスマホに現れると、タッチボタンが現れる。
『ボタンをタップして、催眠をかけたい相手に画面をみせてください』
ボタンをタップする。
虹色の波紋が大きく波打ちだすと、画面を凛へと見せる。
「ど、どう? 凛さん」
「……」
(え、嘘でしょ?)
画面を見ると、『催眠にかかった相手に命令を出してみましょう』と表示されている。
「え、えっと……右手をあげて」
無表情で右手を上げる凛。
「左手もあげて」
無表情で左手をあげる。
「……」
(まさか……そんな……本当に効くなんて)
信じられるわけがない。
それに手を挙げる程度ならば誰だって可能だろう。
もしかしたら凛はかかったふりをして千鶴を騙しているのかもしれない。
凛のことを試してみたくなり、千鶴は何か無茶難題を振ってみようと思案した。
「凛さん」
「……」
「せ、制服を脱いで」
脱ッッ!!!
いきなりスカートをずり下ろそうとする凛に、千鶴は焦ってスカートを抑えた。
「ストップ! ストップ!」
「……」
命令を受けた凛がスカートを下ろすのをやめる。
一体何を騒がしいことをしているのかと、イヴたちが二人に視線を向ける。
(ま、まずい……!)
「ちーちゃん何してんの?」
「凛さんもなんでぼんやりしてるの?」
「?」
(まずい! 特に綾香さんに何をしているかバレたら絶対なにか危ない命令を出すはず!)
「な、なんでもないの!」
突っ立っていた凛を自分の隣に座らせると、千鶴は急いでアプリの解除ボタンを探す。
先ほどまで虹色だった画面は今は真っ黒になってしまっている。
(あ、あれ、どうして?)
何か不調かと思い、アプリを再起動させる。
だが画面は相変わらず真っ暗で、解除らしきボタンは見つからない。
焦る千鶴。動かぬ催眠状態の凛。
(なんで!? どうして!?)
アプリを操作し、なんとか解除らしきボタンを探すがそれらしいものが見当たらない。
(そ、そうだ何か説明とか……)
アプリのダウンロード元へと飛び、解除方法を検索する。
(解除、解除するにはどうしたら!)
やっと見つけたアプリの説明文を読み進める。
催眠のかけかた、要らない説明をふっとばし、やっと一番下に解除の仕方を見つける。
・催眠解除の方法
催眠にかかった相手は『眠れるアプリの美女』状態になっております。
催眠を解除するには『催眠解除』と願いながらキスをする必要があります。
(はああああああああああああああああああああああ!?!?!?!!??)
解除の方法は見つかったが、その方法はキスをすること。
どんな解除の仕方だと思うが、他に解除の方法は見当たらない。
(どうする!? どうする私!?)
周囲を見ればイヴたち以外にも複数の生徒たちが昼食タイムを過ごしている。
今現在イヴは綾香とお喋りしているし、美里の視線もイヴへと注がれている。
(凛さんとキスすれば……本当に治るの!?)
まさかこんなところでキスをすれば――誰かしらの目には見えてしまう。
焦りながらも時間は過ぎていく。
校舎の時計を見れば昼休みは半分を過ぎている。
(あと半分……ど、どうしよう……)
いかに自然にキスをすればいいのか考える。
パターン1
『あ、凛さんご飯粒ついてるよとってあげるね』
と言いながらキス。
(いやいやいやいや、不自然すぎる……)
パターン2
『凛さんお茶飲む? せっかくだから口移しであげるね』
と言いながらキス。
(だから不自然だって!!!)
パターン3
もうやけくそでおもむろにキス。
(な、なんだか一番パターン3がまともに思えてきた……)
焦りで汗が浮かぶ。考えすぎて息が荒くなる。
どうすればこんな公の場で、複数の生徒たちを前に女同士でキスが出来るだろうか。
(どうしたら! どうしたら!?)
何かヒントはないかと周囲を見回す。
昼食を食べ終わった男子生徒たちがその場でキャッチボールを始めている。
一人があまりに遠くに飛ばすものだから、一人がダッシュしてボールを取ろうとして他の生徒にぶつかっている。
謝る男子生徒、大丈夫だと返す生徒。
(こ、これだ!!!)
「ねぇ、イヴ!」
「おん?」
「今から私に全力でぶつかってきて!」
「え、なんで?」
「いいから早く! じゃないと……!」
「じゃないと?」
そこではっとする。
イヴの隣に腰掛けていた綾香かなにやら怪しげな視線を送っている。
それも見ているのは千鶴ではなく、凛のほうへ視線を投げている。
綾香にバレてしまったら大変なことになる。
それどころか大変な目にあう凛からだって嫌われてしまうかもしれない。
さらにいえば、そんなことをするのかとイヴや美里にだって呆れられてしまうかもしれない。
そうなったら、また友達がいなくなる。
『ちーちゃん』というあだ名が消えて、『鈴木さん』だけの生活に逆戻りしてしまう。
そんなのは嫌だった。
「い、いいから早くぶつかって!」
「えぇ……」
「ぶつからないと生徒指導の先生にイヴの制服がだらしなさすぎて風紀を乱してるっていうからね!」
「そういえばちーちゃん風紀委員だったな。すっかり忘れてたわ」
場違いな発言ばかりするイヴに、千鶴は歯がゆい思いに手をわなわなと震えさせている。
「いいからぶつかって! ぶつからないと……」
「ぶつからないと?」
「い、イヴの……イヴの……」
千鶴の勢いが消沈していく。
そこから先なんて言えばいいのか分からなくて、千鶴は涙目になると小さくなる。
一体何がしたかったのかと首をひねるイヴ。
しかし、そこで立ち上がったのは美里だった。
「み、美里さん!」
「ぇ、ぇいっ……」
ドン。
(ち、チャンス!)
ちゅ。
千鶴と凛の唇が重なる。
「ん? ちーちゃん、やだ、ちーちゃんとちゅーしちゃった♡」
「凛さん!」
意識が戻った凛を抱きしめる千鶴。
まったく訳の分からない他4名。
「なに? 何が起こったの?」
「ゎ、ゎかんない……けど……ちづるしゃん……あんまりにも……困ってるみたいだったし……」
「あぁ良かった凛さん! どうしよかと思った! 凛さん大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ?」
「凛さん!」
再びぎゅうと抱きしめる千鶴。
首をかしげるイヴと綾香と美里。
やっと解除できたことに千鶴は今にも涙を流しそうである。
もし解除できなかったら――それこそ凛に申し訳がたつはずもない。
またこれで日常に戻れる。ちゃんとした生活が送れる。
まともな凛に逢うことが出来る。
(ちーちゃんマジであたしが催眠にかかったと思ったんだなぁ♡♡♡ 純粋ちーちゃんかわゆ♡)
抱きしめてくる千鶴を抱き返す凛。
しかし、その笑顔の裏には小悪魔が潜んでいる。
(催眠アプリをダウンロードしちゃうなんて……ちーちゃんもイケない子だね♡ うふふ♡)
「ねぇ、ちーちゃん♡」
「何、凛さん」
「あのね……」
抱きしめられたまま、千鶴の耳元で囁く。
「さっきのアプリ……ちーちゃんにも使ってみたいな♡」
血の気の引いていく千鶴。
もうそれが本物だと信じ込んでしまった千鶴は、自分が何をされるのかと思うと冷や冷やが止まらない。
「大丈夫♡ そんなに過激なことはしないから♡ ね?」
小悪魔に笑う顔に、千鶴はただ沈黙を貫いていた。
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