最期の日
本日より投稿していきたいと思っています。
ストックはないので投稿速度遅めなのは確実ですが、楽しんでいただけるように頑張りたいと思います!
誤字脱字訂正・改正は随時行います。
記録的な猛暑日。
元気なのは、この熱気もなんのそのと駆け回る子供達とうるさく喚き散らす蝉くらいなもので、道行く人はその茹だるような暑さと湿気の不快感に眉をひそめていた。
その中に、例にもれずうんざりした表情の男と、能面のような顔の男が二人並んで歩いている。
片方の――黒髪短髪の方の男は、額の汗を拭いながら、どこまでも平常なままの能面男を横目で見た。
短髪男のTシャツが汗でひたりと肌に張り付いているのに対し、能面男はどこか涼やかだ。一滴の汗も光らない肌は、適度な水分を保ったまま乾燥している。
表情筋だけでなく汗腺までぶっ壊れているのかと、何気なく触れた二の腕は、やはりさらりとしていて冷たく感じられた。
「お前、暑くねーの?」
冒頭の通り、現在夏真っ盛り。愚問中の愚問であることは、男にもわかった。夏は暑いものだし、冬は寒い。なにをわかりきったことを、わざわざ口に出す必要があったのか。
実は、必要なことであるのだ。
二人は幼馴染同士であるが、その長い付き合いを持ってしても、能面男の表情から感情や体調などを読み取ることは難しく、短髪の男はこうして直接問う選択をとる。
放っておくと面倒なことになるのは身をもって知っていたので、今回もそれを回避するための問いであったが、暑さに煮える脳はなんとも間抜けなクエスチョンを垂れ流した。
「……? ふつうに暑い」
もちろんそうだろうと、至極当然な答えに短髪男は首肯を返す。
それ以上馬鹿な質問を重ねるつもりはなかった男は、本来聞きたかったことを口に出した。
「汗、全然かいてないじゃん。危ないんじゃないの、熱中症とか」
「別に気分ワリぃとかはねーけど」
とりあえず次に喫茶店か自販機を見つけたら休憩な、なんて言葉を交わしながら歩いていた。が、短髪の男はなにかを視界の端に捉えると、慌てた様子で逸散に駆けだす。
それは余りにも唐突で、取り残された能面男はボンヤリとその背中を目で追いかけた。
――ゴツ
次に能面男の視界に飛び込んだのは、トラックと衝突する男の姿だった。
「え……?」
鈍い衝撃音の後、だいぶ遅れて聞こえたブレーキ音。車体は大きく左右に振れ、最後は電柱に激突し停車した。
男の身体は宙に舞うことなく、車の下に潜り込み、引き摺られた。ブレーキがかかるまで引かれたその道は、赤い。アスファルトにこびりつく、男の一部だったものがテラテラと光った。
熱された道路はそこらに巻き散らかされたものを焦がしていく。異様な匂いがあたりに充満した。
放り出された片方の靴は、持ち主から遠く離れたところでポツンと転がっている。
車体の下から覗く脚は折れ、本来であればありえない方向を向いていた。上半身は隠れ、見ることはできないが悲惨なのは間違いない。
現場に居合わせた人間は、誰しもが男の死を疑わなかった。ピクリとも動かぬ身体。肌が裂けたところからは、白やピンクが見え隠れして――。
徐々に伸び広がる深紅の円に、どうしても“生”を見いだせずにいる。
それは能面男も例外ではなく、しかし彼の頭はどうしてもそれを受け止めきれずにいた。足が地に根付いてしまったかのように、動けないままでいる。
道路に転がっている男と、いままで隣で歩いていた男を結びつけることを、彼の脳が拒絶していた。
反対の歩道には、男に突き飛ばされた子供が倒れていた。少年は、軽い擦過傷と打撲を負った程度でほぼ無傷だ。やがてムクリと起き上がると、母を呼びながらわんわんと泣き始める。
すると、すぐそばの公園から青ざめた顔で辺りを見回す女性が飛び出してきた。
少年の母親だ。
泣いている子供を見つけると、すぐさま駈け寄ってきた。酷く狼狽しながら我が子を抱き締め、その場にへたり込む。
母の腕の中で大声で泣くその少年は、状況を理解できない程幼い。
目撃者も多く、嫌でも情報は彼女の耳の中へ飛び込んでいく。そのせいで、なぜこんな大事故が起きてしまったのかをすぐに理解した。
母親は己の迂闊さを悔いた。私が目を離したばっかりに、と。ただ事が起こってしまった以上、嘆いていても状況は変わらない。むしろ悪くなる一方だ。とにかく今は動かなければと自身を叱咤するが、弛緩しきった身体はいうことをきかないようだ。
地蔵のようにかたまったまま、時間だけが過ぎていった。
野次馬の行動は様々で、悲鳴をあげ後退る者もいれば、何事も無かったかのようにその場を離れる者、スマートフォンを掲げ写真を撮っている者もいた。慌てた様子で電話をかけている初老の男性は、救急車と警察に連絡している。
助手席に電柱をめり込ませたまま動かないトラック。運転手は、席でただただ呆然としていた。傍らに転がる携帯電話は、未だ通話中だ。
何分経っただろうか。能面男が、ようやく動きだした。先程までからりと乾いていた肌はいまやぐっしょりと冷や汗に塗れている。
その足どりは重く、頼りない。足を引きずるようにして、一歩一歩、車体の下で動かないままでいる幼馴染の元へ。現場を囲んでいる野次馬を掻き分け近づいていった。
無理に割って入ってきた男を、舌打ちと共に睨み、文句を言おうとした者もいるが、幽鬼を連想させる雰囲気に押され口をつぐむ。諸々の見物人と違うその様子から、少なくとも知人であることは間違いないと判断した周囲は男を止めることはしなかった。
「うそだろ……なぁ、違う。違うよな、ナオ、ナオじゃない……ああぁ!」
傍まで寄って、破損した身体や血に塗れた靴を見たとき、男は崩れ落ちた。
パチャリ、と軽い水音を立てて能面男のズボンが赤く染まる。
「ちがう、待ってくれ、なんで、ああ、嘘だなんで」
混乱しながらも、はやく下から救出せねばと思った男は身を屈め、下を覗き込む。そして、見たことをすぐに後悔した。
男の顔はこちらを向いていた。暗くてみえにくいが、光のない両目は見開かれたままなのがわかる。
襟が車体のどこかに引っかかってしまったのだろう。首吊りのようになってしまっている。
口からはだらりと舌が伸び、そこからも血が滴っていた。少しの可能性も無いのは見てとれたが、それでもと腕を伸ばして首筋に手を当てるが、脈を感じることはなかった。
ぬるりと直道の血で男の手が汚れていく。
「夢だ夢だ夢だ、ちがう、いやだ、ナオ! ナオ、なんで」
血で汚れることも厭わず、今の今まで隣にいた男の脚に縋り付いて泣き喚く。
救急隊員が到着する頃には、脱け殻のようになった男が亡骸に寄り添うようにして居た。
――そして、そんな凄惨な現場を他人事のように見下しながら、太陽に手をかざす男が、一人。
「……はは、透けてらぁ」
ぷかりと空に浮かぶ青年、一場 直道。二十七歳。
彼はその暑い暑い夏の日に永眠したのだった。
◆◇◆◇◆
直道はぷかぷかと浮かびながら、とりあえず自身の後を追う事にした。
常人であれば取り乱す場面だというのに、彼は殊の外冷静にみえる。
死んだことに気付いていないからゆえかと思えば、まったくその逆。男は自身が死んでしまった事を十分に理解していた。彼は、己の死体を見下ろし(即死で良かったなぁ)と考えている。冷静と言うよりは、現実として起こった事を受け入れ、深く考えることをしないでいた。
考えたところで生き返るわけでもなし、そも息を吹き返したところであの状態だ。手術にリハビリ、それでも残る後遺症。そんな拷問のような日々を過ごすハメにならずに済んだと胸を撫で下ろしたくらいだ。
サイレンをかき鳴らしながら到着した救急車によって直道の身体は病院に運ばれ、検視解剖を受け多少こ綺麗な形に戻り、あれよあれよという間に通夜が終わった。男はその様子を眺めているだけ。
泣いている家族や友人を見て、眉根を寄せながら「ごめんなぁ」と呟けども、その声を聞き取れる人間はその場に居ない。そうして、謝罪の言葉は宙に溶ける。
反面、悪いと思いながらも直道はどこかで喜ばしいとも感じていた。自分のために泣いてくれる人がいることは、今までの人生に間違いが無かったと思わせてくれる。
なるべく自身が過ごしやすいように、無駄に敵を作る事を好まず、のらりくらりと人生を歩んでいた直道には、浅く広くの友人が多くいた。周りからの評価は上々で、いつの間にか頼られる事が多い面倒な立ち位置に居たが、その面倒さえ飲み込めばとてもイージーな毎日だ。自身で舗装した、凹凸のない平坦な道を死ぬまで歩むのだと常々思っていた直道であったが、終幕は突然。三流ドラマのような終わりを迎えた。
それはともかく、各々の心労を思えばしち辛いものがあるが、そこは時間が解決してくれる事を直道は確信していた。大抵の出来事は、時間が経てばだんだんと風化していく。
ただ、この男にそれが当て嵌まるか、直道にはわからなかった。
「――子供を守るために死ぬなんて、いかにもナオらしい最期だった。お人好しの……大馬鹿野郎だ。約束、破りやがって」
震える拳を握りしめながらそう漏らしたのは、事故当日一緒にいた、直道の幼馴染、相葉 季一だった。堪えることなく流された涙は、黒いスーツにポツポツと染みを残す。
鉄仮面のように無表情が地の季一が、ことこの件に関してはよく泣くことと失礼極まりないことを考えながら、直道は男と向き合った。
二十数年来の付き合いではあるが、その間季一が泣いたり笑ったりするところを、直道は見た事がなかった。
彼女ができたと報告しにきた日も、怪我で試合に出られなくなった日も、両親の離婚が決まった日も、飼ってた犬が虹の橋の下へいった日も、内情はどうであれそれが表情に現れることは無かった。毎日等しく同じ顔で、同様で、同一であった。
表情の振れ幅が狭い、というよりはただしく無表情の男。ただし、見た目の淡泊さからはかけ離れて短気で怒りやすく直道に限り暴力的。
難はあるが見目が良いことから、彼の周りには誰かしらが居たが、隣を許したのはただ一人、直道だけだった。
直道にしてみれば、やれ面倒な男に懐かれたもんだと当初より辟易していたが、これを引き離す方がよほど面倒だなと思い直し甘んじて親友という立場に居た。
それはともかく、男にとって無二の存在であった直道の死に涙を流しながら悲しみつつも、それと同じくらい怒っていた。
“死”によって彼は孤独になり、彼自身が死ぬ瞬間まで寂しさに耐えなければならない。もう二度と直道のような人間と出会う事はないと彼は確信しているからこそ、残された拷問のような歳月を思い、怒った。
反故された生前の約束、それは『季一が死ぬまで一緒にいる』というものだった。
とはいえ、この約束を直道はすっかりと忘れていた。季一の呟きによって思い出したのは奇跡的ともいえる。
約束と言うには一方的で、幼稚舎の頃に交わされたソレは、幼心に「なにを馬鹿な事を」と思っていたのだが、突っ込むと拳が飛んできそうなので、はははと笑って流した案件であった。
「あのね、死ぬつもりは無かったんだよ俺だって。無我夢中だったし、成り行きというか、ね? 別に聖人君子という訳でもあるまいし」
言い訳をしたところで、聞いてくれるような相手では無いのだけれど、直道としては言わずにいられない。
勿論聞こえていない季一は踵を返してその場から離れる。
直道はその背を見送りながら、小さくため息を吐いた。




