少年少女どこへ行く
やってきました、最終局面。
赤の地下都市は勝手知ったる私の庭よ。エレベーターを降りてからなら神殿の場所くらいわかるわ。
今日はあのTPOを無視した動物群は身を潜めているのかしら、見ないけれど、一応弓削に離れないよう言って、奴がついて来られる速度で歩く。何でって、だってあそこ肉食動物もいるじゃないの。一人で歩いたら危ないわよう。
相変わらず、私の体は新しく器官を作っては壊すことを繰り返している。力が有り余ってるとはいえ、よく飽きないわね。ああ、また腕の関節増やして。ハイなアレなの、私は。
「それ、大丈夫なのか?」
大丈夫よ。のんきそうな弓削が気に障るのでぞんざいに答える。でも本当よ。別に痛いわけでも疲れるわけでもないわ。
「ならよかった」
「何が?」
「ずっと痛いとかだったらもっと辛いだろ。ただでさえお前、そんなことになっちゃって大変なのにさ」
そんなってどんなよ、と思って自分の体を見下ろした。こんなだわ。
一応ヒトガタは残ってるけど、どう見ても出会ったらSAN値のチェックが必要になるやつね。弓削の目にはもうモザイクがかって見えているのかしら。あまり知りたくないわ。それにしても、辛い、か。
「……はじめて言われた、そんなこと」
「お前仲間いねえの?」
聞きようによったら気遣いかもしれないのにいちいち人の神経を逆なでするものいいがすべてを台無しにしているわ。
「いるわよ。あなたみたいな陰キャと一緒にしないで頂戴」
「じゃあ雑な扱いされてんだな」
「そんなこともないわよ」
ただ、彼は人間と感覚がかなり違ってるだけ。まだいくらか人間よりの私と違うだけ。でもそれももう終わりね。私は奥さんに成り代わるか、消えるかどっちかしかない。
もちろんただで消えてやる気もないが……。
「衣川、勝てよ」
ぼんやり考えていたら、唐突に弓削がぽつりと言った。
「何であんたがそんなこと言うのよ。私の敵って人類好きだから、勝とうが負けようがあんたたちの生活に変わりないわ」
それどころかむしろ、救出したおじいちゃんの八つ当たりで滅ぼされるような気がするのね。あら、弓削何しについてきたのかしら。ほんとわけわかんないわ。
「そうじゃねえよ」
彼は正面に回ってきて、ずいぶん関節の増えた私の手を握って言った。相変わらず嫌な手汗だけど、私の手はどろどろの粘液や魚の卵みたいな無数の膿疱に覆われている。人のこと言えた義理じゃないわ。
顔をまともに正面から見られる位置。とっさに顔を隠す。多分私、この世のものとも思えない顔してるから。でも今両手はふさがってるのに何で隠したのかしら?まさかとは思うけど触手やヒレじゃあないわよねえ?
「そうじゃないんだ。お前は俺の友人なんだ。唯一無二っていうか、お前しか友達いないんだ。人間じゃなくたって関係ない、友達はお前だけなんだ。そいつが負けるのは我慢ならねえんだよ。わかるか?」
わかるか?じゃないわよ。真面目な顔で何馬鹿なこと言ってるの。あんたの見栄のために私は勝つわけ?そんなような言葉が脳内に延々浮かんでくるけれど、そいつらはいくら待っても口からは出てこなかった。
「勝つわよ、当たり前じゃないの」
代わりにそんなことを口走っていた。私もどうかしちゃったみたいね。生き残ったら、SAN値チェック、するんだ……。
「き、きぬがわーっ」
私の手を握ったまま弓削が悲鳴を上げた。
今度は何。今さら私の手の状態に気づいたとかだったら活け造りにするわよ。「あれ!あれ!」と指さす方へ目を出現させる。生やす方は割と自由にできるんだけど、なくすのは苦手ね。
視線の先にはグレーの毛並みを赤い光に輝かせるオオカミがこっちを見ていた。あら、灰色じゃないの。
「おいで、灰色」
呼んでやると尻尾を振りながら擦り寄ってくる。あーかわいい。お前撫でてほしいの?今は駄目よう。もふもふの毛並みがべっちょべちょになるわよ。弓削の手みたいに。
「……うん。ちょっと後悔したぜ。洗面所とは言わねえ、水と石鹸を俺にくれ」
気持ちはよくわかるけど、石鹸なんかないわよ。水なら噴水が何基かあったはずよ、探しなさい。
「後悔するくらいなら最初ッからやらないことね。一つ賢くなったわね、クソ理系」
「警告しろよ、カス文系。文脈から察しろはただの逃げだぞ」
久々に理系文系の不毛な争いをしたところで、灰色に状況を聞く。大体知ってるけどね。確認よ。感じ取っていた通り、奥さんが戻って来てるわ。当たり前といえば当たり前だけど、依代はやっぱり私以外にしていたようね。
おじいちゃんは……元からだけど生きてんだか死んでんだかわからないわね。
早くもへばり始めた理系男子(笑)を灰色に乗せて、神殿へ向かう。そんなに遠くないわよ。せいぜい14キロくらいだわ。神殿についたら、弓削を下ろさせて、さらに下へ降りる。
「下の方が明るいから、気を付けてね」
「なんだそれ……異次元かよ」
それは知らないけど、少なくとも古きものね。ああ、灰色は置いてきたわ。何でって……危ないでしょう。
階段を降りると、あの赤い部屋へ出る。うわ、と弓削が声を立てた。相変わらずおじいちゃんが吊るされているのだけど、それだけじゃなかった。全身に切り傷が走っている。
「これ、あなたがやったの」
こちらに背側が向けられた赤いソファから、少女が立ち上がる。この顔を、覚えている。アルバイトの時、確か隣に寝てたわね。
「……そうよ、それがどうかしたの」
「確認しただけ」よ、は唇が右側から崩れて溶け落ちたせいで音にならなかった。代わりにイナゴのような大あごが生えてくる。どうあっても殺したいみたいね。落ち着きなさいよ、カッコつかないでしょ。
「そのひとのこと、解放するわ」
奥さんは歩み寄りながら、いつか一緒に枕投げをした誰かの顔で笑った。
「やあよ。だって私のだもん」
私も歩み寄りながら、いつか一緒に枕投げをした私だった顔で笑った。
「あなた日本語が得意じゃないのね。私、『して』って言ったんじゃないのよ。『する』って言ったのよ……」互いに少しずつ歩調が速くなっていく。「あなたの意志なんか、聞いちゃいないのよ!」
初撃はすれ違った。どっちも同じ動きだったの。そりゃあそうね、元は同じものだから。後れを取るよりはマシ。でも長引けば私がもたない。だってか弱い人間だもの。
「私を殺してどうするの?あなたに封印が解けるの?」
からかうように、奥さんが私の顔を後ろから肩ごしに覗き込む。私も肩ごしに覗き込んだから、知ってる。
「解けないわ。それどころか私はもう人間じゃないから触ることすらかなわない」
「でしょう?そう作ったもの」
笑い声が部屋の中を反響する。あの時は「触っちゃいけない気がする」くらいのことしかわからなかったけど、今の私は、奥さんの記憶を引き継いだ私は知っている。
おじいちゃんを縛る封印はそう堅いものじゃない。柔いくらいよ。知性に欠けるこの星本来の神々ですら解ける。細かい方法を知らなくてもちょっと小突けば開くんだもの。脆い代わりに巧妙な罠が仕掛けられていることが問題なの。
人間以外が触るとその時点で術式が変形し、封じているものを消化分解する。
そう簡単に死ぬことはない、というか不死身とすらいえる私たちだけど、今のおじいちゃんのように長きにわたる封印で弱体化させられ、本体をまとめて叩かれたらまず痛いじゃあ済まないわ。ひょっとしてひょっとすれば死んじゃうかもね。
ああ、言いたいことはわかるわよ。人間が解けばいいんでしょ?だけどおあいにく様、人間が封印を解くことはまずないわ。ここにたどり着くまでに発狂よ。よしんばたどり着いたって、解除方法がわからないわ。
大体、人間が好きな神様ならともかく、邪神の封印を解きに来るおバカはそういないわね。触手人間なんか触手がついてる時点で人間じゃないし、ある意味これは最高のトラップね。
それでも何とかしてみせるわ。
「弓削」私は呼びかけた。「吊られてるひとの真下。封印の陣があるわ。一番内側の円の、どこでもいい、三方向にV字を描き込んで。それで封印が解けるから……これ使って」
弓削にさっき抜け落ちた首の骨を投げてよこす。ナイスキャッチ。そのままおっかなびっくりおじいちゃんの吊られているところへ近づいていく。
「人間」奥さんも呼びかけた。「吊られてるひとね、あなたたちのことをゴミ程度にしか思ってないわ。八つ当たりで人類を滅ぼすかもしれないわよ。封印を解くなんて、そんなことよした方がいいわ」
あら、足が止まったみたいね。




