ノックは大事
野球の話ではありません。ソフトボールでもありません。千本ノックなんかしません。
寝室へのふすまは閉じている。ゲームなら開けますか?開けませんか?って選択肢が出てるところだ。そりゃ当然開けるけど、とちょっと耳を澄ませてみる。
多少なりとも向こう側の状況を知っておいたほうがいいだろう。
うるさかったら敵がいるかもしれない、警戒。静かだったら誰か潜んでいるかもしれない、警戒。どちらにせよ警戒あるのみ!覚悟しろヒャハハア。
「……?」
獣の息のようなものが聞こえた。少なくともゾンビ犬ではなさそうだけど、何かいる……私は包丁を構えた。ノックしてみようか?否。カチコミは不意打ちに限る!
私は勢いよくふすまを開け放ってだん、と踏み出した。
「うわああああああっ!?」悲鳴とともに私のベッドの上で布団が翻った。あーどこかで見たことがあるようなないような眺めね……。「ノ、ノックはどうしたっ!ノックせんか痴れ者ォ!」
自分の家で、自分の部屋に入っただけなのに罵倒された私は何も言えずに立ち尽くしていた。ほんとに、真顔ってなるものなのね。
百聞は一見に如かずとは言うけれど、ガン見しても我が家の布団でできた饅頭しか見えなくて、状況が全く分からない。
「いつまで居座るつもりじゃっ……そもそもなぜ入ってきておるか!?出て行かんかこの変態!変態!変態!変態!」
それはこっちのセリフだわ。誰か、誰がどうして何をどのように私の部屋で行っているのか教えてくれるとよいのだけど。こうなってしまうと、罵倒されても怒りより先に放心してしまうわね。
「……えーと、どなたですか?」
ただ、段々と事情は察せてきた。
「ぬしのようなものに名乗る義理はないッ!出て行けッこの痴女め!」
今度は痴女呼ばわりか……ははっ。初対面の人にここまでボロッカスに言われたのは初めてだわ。ていうかよく言えたものね。いい度胸過ぎていっそ男らしいけど、状況が最悪よお兄さん。
「出て行けったって、ここ、私の家なんだけど……お兄さん誰?」
布団の山からまだ見ぬ闖入者の絶叫が響き渡った。うああああ、とかぎゃああああ、とか最悪だあああ、とか叫んでいる。完全に機会を逃したけど、叫びたいのはこっちよ。
やがて絶叫はすすり泣きへと変わっていく。うーん、少なくとも泣きたくはないわね。一周回って気の毒にすらなってきたわ。
私には相手が誰かわからない。聞いたことない声だし、姿も見てないから当たり前でしょ。布団は頑張れば透視できるかもしれないけど、さすがに可哀想でしょう?
「大丈夫よ、何もしないわ。私はただ、自分を納得させたいだけだから。でもベッドからは出てきてもらうわよ、さすがにキモイから」
布団の山はしばらくもぞもぞしていたが、やがて中身が這うようにして出てきた。私とだいたい同い年だろうか。
爺口調だったものだからつい和服を想像してしまったが、彼が着ているのはポロシャツとなんだかよくわからないズボンだ。灰色の分厚い靴下。意外だったからしばらく他のことに気づかなかった。
例えば、ふわふわした真っ白な髪とか。さっさと正座になってうつむいているから、顔は見えない。先に座りやがって……とは思うが、そこは容赦して、対面にちょこんと座る。
「顔をあげてよく聞きなさい。あなたには黙秘権があるわ。ただ、ずーっと黙ったままというのも感心しないから多少は質問に答えてね。まず、名前」
相手は顔をあげもしなかった。ただ、何か小さい声で言ったのが聞き取れた。
「……し」
「なあに?よく聞こえないわ。はっきり話して」
耳に手をやって、音を拾うことに集中する。沈黙が続くこと依カウントで12秒、やっと彼は顔を上げた。端正ながらきりっとした顔をしている。目の下が赤くなっているのはすすり泣きの影響か。
切りそろえた前髪と耳の真ん中あたりで止まっているもみあげがちょっと古臭い。きっと後ろは刈り上げだろう。
髪も眉も睫毛も白いけれど、両眼は黒い。その様は、私にある言葉を思い出させた。ややあって少年が口を開く。
「リューシ」そうそれ。でも、何であなたが言うの?しかも地味にいい声で。「わからんか、儂じゃ。儂がリューシじゃ。ぬしが言うところのおじいちゃんじゃよ」
「え……おじいちゃん、なの?」
「左様」
おじいちゃんの近くに出れば万々歳という私の願いは最悪の叶い方をした。
ちょっと黒目がちな大きな瞳をそらし、唇をかむ。見た目相応の仕草と見えた。
「大体は察してるけど……何してたの?」
「言いたくない。そも、察しているなら聞くな」
いきなり黙秘権か。飛ばしてくるな、おじいちゃん。
「何でここにいるの?」
「夢の中でくらい自由に動き回りたいのじゃ。放っておいてくれんか」
結局全部黙秘かい!黙秘権あげたのは私だけどひどいわ。よくよく考えてみたら質問が鬼畜だったけどちょっとひどいと思うわ。
「なぜぬしが赤くなるのじゃ」
「いいえ」立ち上がって首を振った。寝室を出てふすまに手をかける。「じゃ、私は外に出てるからごゆっくり」
「ぅえ?ちょ、待っ」
ぴしゃりと閉めた。今は距離がほしい。夢の中の我が家のテレビの前に座る。やれやれこんなところに顔を出してしまうとは。運が悪い。
それ以上にあの対応だけはなかっただろう。他にどうすればよかったかもわからなかった……そんなの言い訳に過ぎない。この間から、私はどれだけおじいちゃんを精神的にボコっているのかしら。
最悪だ、私。




