眼球と硝子のボウル
お久しぶりです。再び、セリフが総平仮名のキャラクターがいます。あきらめてください。
「きみにはずいぶんあまいんだね。にんげんをあいてにしないのはとうぜんとしても、あれとたいとうにはなせるのは、いちぶのかみさまたちだけなのに。そして、かれらはあれにあいしょうをつけたりはしない」
「じゃあ、おじいちゃんは何て呼ばれてるんですか?」
「りゅーし」
笑いすぎて滲んできた涙をぬぐいながら、でも、目は閉じない。っていうか魚だから、多分瞼がない。無理難題だったね。
「ほんみょうをりゃくして、よびやすいはつおんになおして、それで、りゅーし」
「リューシ?何だか……えっと何だっけあれ……両生類の……アホロートルを思い出しますね」
「ああ、……あれ?ちょっとなまえがでてこないけど……めきしこさらまんだーね。そんなひんしゅがあったっけね、しろいからだにくろいめの。おいしいよね」
私たちは微妙に会話がすれ違っているような気がして、しばし首を傾げた。なーんか気持ち悪いんだよなあ。機械をばらして組み立てたらネジがいっぱい余りましたみたいな。
そして同時に思い出す。
「ウーパールーパーだ!」
ハイタッチをかわす。くうううう、気持ちいい!神話生物と人間、種族は違えどちょっとわかりあえたような気がした。
SAN値とか生命力とか、色んな壁はあるけど、やっぱり諦めたらそこで試合終了よね。人間関係じゃないけど、関係って大事だわ。
「どうでもいいけど、めきしこさらまんだーってめっちゃごついさんめんのぼすみたいななまえじゃない?あのみためとがっちしないよね」
「確かに!あんな紛らわしい名前が三つもあるっておかしいですよね!」
魚類と哺乳類が、両生類の話題で盛り上がる。何を言っているのかわからないと思うが、私にも何が起きているのかわからない。文化の壁なんてものじゃない……もっと恐ろしい壁を今ぶち抜いたぜ。
「あほろーとるもたいがい……でも、あほってかんじはそのままだからまあまあゆるさないこともないかな」
「多分日本語関係ないですけどね」
ひと笑いしたところで、急に敬一さんが真顔に戻った。微妙に口が半開き、弛んだ頬の輪郭が左右に膨れて、魚の真顔ってこんなかしらね、という顔だ。
「じつは、もうひとつあやまらないといけないことがある。ごめん……きみをたすけられなくて」
どういうことですか?ちゃんと敬語で私は聞いた。助ける?私を?何から?依代から?助けるも何も別に困ってないけど、助けるの?触手が初めて出た時はそりゃもうたまげたけど、今では便利に使っている。
「たぶん、きみはもうあっちにはもどれない。こっちのじゅうにんだ。もっとはやくにてをうっていれば、たすけられたかもしれないのに」
ごめん、と再び敬一さんは深く頭を下げた。正座してやってるからどう見ても土下座だ。
原因が私ということで気まずい。謝ることじゃありませんよ、とフォローにもならない言葉が勝手に滑り出たところで、思う。
客観的に見て何が謝ることじゃないんだろう?敬一さんには私を助ける手段があった。方法を知っていた。実行に移すことができた。しかし、助けなかった。
それって謝ることじゃないの、どうよ、ええ、衣川依。反射的にフォローみたいな行為……フォローをしたように見える行為をしただけなんじゃない?
大体、あんたそんなに敬一さんのこと好きだったっけ?フォローするほど?そんなことないでしょ?むしろどうでもいい方だったんじゃない?
そうだ。私は反射的に自分が悪者にならないように回避運動を取った。認めよう。しかし、主観的になってみると、特に困っていることもなく、謝ることでもないのもまた事実よ。そこは認めなさい、衣川依。
「大丈夫です」だから私は確信をもって言った。「だって私、こんな風になっても特に困っていませんから」
「ほんとうに?」
「ええ、おじいちゃんも優しいし、触手が何かと便利だし。だから、大丈夫ですよ」
それに私だって、敬一さんを誤解していたんです。人嫌いで偏屈で体外受精マニアの変態だと思ってました。そういうと敬一さんは顔をあげて、ちょっとすまなそうに言った。
「……ごめん。たぶん、たいがいじゅせいまにあのへんたいはほんと」
今なんて言った。私は遅れて、別に理解しなくていいのに発言の意味を理解した。
「………………えっ」
「でもひとつぼくからもいわせてもらうと、さかなはそもそもおおくがたいがいじゅせいだから……へんたいとは、いわないかな」
はあ、さようですか。精神衛生上の観点から、この発言は流しておこう。
「しょうじきいって、きみのようなじれいははじめてだから、これからきみがどうなるかわからない。というより、どうなってもおかしくない。これからわるくなるのか、それともよくなるのか。ちゃんとかぞくとはなしたほうがいい……きみがきみであるうちに、または、いちばんひどいときに」
敬一さん、実はけっこう優しいのな。家族を大切にする男性っていいわ。ああ、もちろん家族に私が含まれたらの話だけどね?
「ありがとうございます。でも、家族はいないので話すことはありません」
「きみのりょうしんのせいぞんはかくにんしているよ?あとおとうとも」
理屈っぽいことを言って敬一さんは首を傾げた。人間なら目をぱちくりしている。だが彼は瞬きをしない。魚だから。
「あの人たちの娘の、衣川依はもう私が依代になった時点で、いなくなったんです。今の私は、あの人たちから見れば娘の顔をした別人なんです……だから」
私はもう戻っちゃいけないんです。敬一さんは、そう、としか言わなかった。うつむいて、ふむー、と吐息を一つ。最近の家ってよくわからないな、とか言ってそうだ。最近だからなのか。こんな状況になったら普通は……でも、昔の普通は今とは違うのね。普通って何だ。
他の人にとっての普通は私にとっての普通でいいのか?私はまだ普通の範疇にいるのか?
どうやら考え込んでしまったらしい。私の悪い癖。敬一さんのキョトンとした視線に気づいたときはもう気まずさが天元突破していた。ど、どうしよう。
「せ、せっかくだから、おやつでもどうですか?前に叔母さんが買ってきてくれたのがあるんです」
「あ、うん。ごしょうばんにあずかろうかな」
冷蔵庫にはゼリーがある。小さな球形のゼリーだ。白と茶色と、時々赤と黒。ちょっと不思議な取り合わせだが、潤いがあって奇麗な色だ。味が濃厚でおいしいし、コラーゲンたっぷりだからお肌にもいいの。でもあしが速くてすぐ生臭さが強くなってしまうのが難点ね。
我が家の食器は地味で簡素なものが多いけど、できるだけ可愛らしいガラスのボウルにそれを入れて持っていく。
「どうぞ」
敬一さんが目を閉じて、無言で手を合わせた。いただきます、かしら。はしたないけど私もつまむ。ねっとりとした口どけ、ほのかな鉄の味。たまにコリコリの食感。苦みがいいアクセントだ。
うーん、おいしい!
こっちはライトな読み口が売りのはずなのに重くなってきてまいっちんぐ。




