#5 ゴーストタイムⅢ
幽霊。
霊的存在。
俺たちが普段過ごしている普通の世界の人とは無縁の存在。
無縁で、縁があってはならない。それは、幽霊が人の死んだあとの姿そのものだからだ。
一度死んだ俺がこう言うのもおかしな話だが、人はいずれ死ぬ。俺も、美鈴も。
誰しもが普通に生きると普通に死ぬ。
そして彼らは普通に―――成仏され消えゆく。
それが普通ならば。
いわく幽霊とは、異常なのだ。異端で、特異的な存在。
成仏できなかった霊。そこには俺たちの常識を押し付けるなら、霊とは。
成仏できなかった魂。
現世から離れきれなかった魂。
つまりは、現世のしがらみから解放されることのなかった魂。
それを――――――世界は幽霊と呼び、恐れるらしい。
まあ、恐れるのも無理はない。
綾乃の言うには、霊と呼ばれる存在は、はっきり言って場合によって人に害をなすからだ。
非情な物言いだが、彼ら幽霊は、存在するだけで人に影響を及ぼす。
なぜなら彼らは、もうそこには存在していないから。もう死んでいて、そこには誰もいないから。
そこには無しかないから。
しかし存在する。
存在しないものが存在する。
もうこの世にいないのに、そこにいる。
矛盾。
この矛盾こそが世界をおかしくする。
矛盾しないこの世界の存在する矛盾。
世界の歯車に何かが引っ掛かる。世界に害をなし、世界を緩やかに壊していく。
幽霊は妖怪と違って、有害だ。世界にとって邪魔で、消えたほうがいい。
幽霊は妖怪とは似て非なる存在。
妖は確かにここにいる。存在する。異形な形で生きている。
幽霊はここにはいない。存在しない。異形な形で死に続けている。
だから俺たちは、これから幽霊に会う。
しかし結局のところ、誰とも会っていないのだ。
幽霊に会っても、
幽霊に遇っても、
たとえ幽霊に逢っても、
もうそこには誰もいないのだから。
この世には、もう、いない。
「なあ、遠藤! なんとなくさ、夜の学校ってわくわくするよな! いつもは人がいっぱい居るのにこの誰もいない環境。わかるか、遠藤。僕、暴走しちゃうよ?」
クズこと志村孝一。
俺のクラスメイトでしかない彼が、俺の隣ではしゃいでいる。テンションマックス。
空気が重いこの場所―――夜の校舎で、空気が読めない彼ははしゃいでいる。
もしかしたら彼のおかげで、この場は少しはマシになっているのかもしれない。
トラブルメーカー。厄介者、志村。
少なからずこの件に巻き込まれている彼を綾乃が誘ったそうだ。この場合、居ても問題がない。むしろ中途半端に関わったまま放置するほうが危険ということらしい。
「―――で、このバカ二人含めて、これからどうするの? 綾乃ちゃん」
美鈴が話を切り出した。
「そうですね。じゃあ、今から二手に分かれて―――」
志村が笑っている。
「おい、遠藤。はは、お前今、馬鹿扱いされたぞ」
「言っとくがな、志村。お前も馬鹿扱いされてるからな」
「……え? バカ二人って、もう一人誰かなーって思ってたんだけど、もしかして……僕?」
「他に誰がいる」
「……うっっっあああああああぁぁぁぁぁ! まだあんまり話したことのない女の子から馬鹿扱いされたぁぁ!」
「貴方達、うっさい! バカなだけでもウザいのに、その上うるさいなんて最低ね。そんなんじゃ幽霊より先に消えてくれても構わないわよ!」
……美鈴から怒られた。
志村のせい……だよな?
「貴方が志村をおちょくるせいでもあるわよ」
「俺はおちょくって……、あ! 美鈴、人の心を勝手に読むな!」
「これでも控えてるほうよ。いつ何が起こるか分からないし、エネルギーは溜めておきたいしね」
美鈴が腕を組んで話す。
どうやら美鈴も反省はしているようだ。前に夜の学校に行った時のこと。力を使い切っていて役に立てなかった時のことを。
「だから、こういうところで使わせないで!」
「え、今の、俺のせいなのか⁉」
これは、俺のせいではないはず。どちらかというと志村のせいだ!
もう肯定する。志村のせいだ。
「あ、また人のせいにして!」
「ちょっと、まあまあ。美鈴ちゃん」
綾乃が肩に手を置いて落ち着かせる。
―――ちょっと落ち着いてきたようだ。
その頃、話題の外にいる志村の頭上にはたくさんのハテナが浮いていた。
「じゃあ、これからそれぞれ一人ずつに分かれて探しましょう。さっきみたいに口論してちゃ、幽霊さんを驚かせてしまいますから」
「了解」
それぞれで行動。
俺は二階を探すことになった。
―――とは言ったものの。
幽霊ってどうやったら会えるんだ? 呼んでで出てくるもんじゃ無いだろうし。
ただ歩き回る。今、こうしていてどうにかなるものなのか。
とにかく歩き回る。
正直なところ、かなり怖い。
何なんだよ、この夜の学校ってシチュレーション! 普通に怖いわ!
大丈夫。お化けなんてないさ。お化けなんて嘘さー。……って、この間実際にその『お化け』には会ってるし、そもそも幽霊と会いに来てる。
お化けなんて嘘―――そんな気休めの言葉さえ使えないじゃないか。ああ、くそっ。
時計を見る。ちょうど一時間が経ったくらい。
いったん綾乃と合流して話をするところだった。
何もない。噂はガセだったんじゃないか。そう話そうとしていたとき―――
『うっあああああああああああぁぁぁぁぁ!』
――――――下からの悲鳴!
志村は確か一階をまわっていた。
「今の声」
「ああ。志村だ!」
俺達も一階へ急ぐ。
トイレの入口。設置してある全身鏡の前に志村はいた。
「大丈夫か! 志村」
こちらに顔を向ける。
「ああ、遠藤たちか」
志村は妙に落ち着いていた。
「何があったんだ?」
「ああ。何があったっていうか……僕はなんとなく、この鏡が視界に入ったんだ。誰もいない、ここで。すると鏡に人が映っていたんだ」
人? そりゃ、志村本人じゃないのか。
「映ってたんだよ、はっきりと。……僕以外の知らない誰かが。後ろを振り返っても誰もいないのに、そこに誰かがいたんだ」
―――っ!
「おそらくそれが幽霊ですね。……なるほど。反射はしているタイプですか」
綾乃が一人でつぶやいている。
たぶん聞いたら解説してくれるだろうけど、今はそれどころじゃない気がする。
「綾乃。これからどうする?」
「うーん……。今日のところは美鈴ちゃんと一旦帰りましょう。皆さんもお疲れのようですし」
とりあえず帰ることにする。
美鈴はグラウンドの隅にいた。美鈴も美鈴で、真剣に探していたらしい。
校内であったことを伝えると、少し不機嫌そうな顔になり、そして今から帰る旨を話すと、とうとう拗ねてしまった。
――――――明くる日。教室。
「んで、ビビり志村君。昨日のことなんだが」
「僕はビビってなんかなかったやい!」
どの口がそんなことを言う。普通にビビってたじゃないか。
「僕は、ただ転んだだけだ!」
「ふぅん。……で、なにがあったんだよ」
「遠藤……。君、僕の話聞く気ないよね」
「お前が変に意地を張るからだ」
「僕は意地なんて張ってないやい!」
「いや、だからな……。まあ、いいか」
そんなことを追及しても、誰も誰も得をしないしな。
「ビビり志村。お前は何を見たんだ?」
「僕が……ビビりだと……?」
「いや、もういいから」
本当に面倒臭いぞ。
「僕は何を見たって、そりゃ幽霊なんだろ?」
やけに高機嫌に志村は答えた。志村は普段の日常に退屈していた(もっとも、そんな志村を見ている俺達の方は退屈ではなかったが)。そんな中、幽霊という非科学的な現象を自分の目で見た。だからテンションが上がるのも無理はない。
しかしこの男。志村孝一は俺が認めた『トラブルメーカー』。つまりは、厄介者である。彼が突然引っ越してきた理由こそ本人が話さないから分からないが、引っ越してきた当初完全に不審者そのもので浮いていた。そんな志村も今となっては(俺達を中心として?)すっかり馴染んで、大半の人が彼がいないように過ごしている。
誰も気にしない。
そのことをいいことにか、問題ばかり起こしている。俺も尻拭いなんてあまりしたくない。
その彼が、面倒事、まして幽霊だの何だのに関わったらどうなる?
……想像すら出来ない。少なくともいい方向に話が進むことはあり得ないな。
「あっ、そうそう、遠藤。僕、家に帰ってから気づいたんだけどさ。着ていたブレザーのポケットの中にこんなのが入っていたんだ」
すっとポケットに手を入れ、中から一つの名札を取り出す。
「誰のだよ、これ?」
「白木 りん」
しらき、りん。……って、そんなの読めば分かる。
妙に年季の入った名札。
名前はーーー白木 隣。『隣』と書いて、『りん』と呼ばせるようだ。ご丁寧に名札の名前の所に手書きで『りん』と書いてある。別に間違えるような名前でもないと思うが。
「お前の知り合いか?」
「僕の知り合いじゃないさ。いつの間にかポケットに入ってたんだって」
どうも、幽霊に遭った後から入っていたらしい。
「じゃあ、これが幽霊ってことか?」
「さあ。いつの間にか入っていたんだ。さっぱりだよ。だけどさ、これって手掛かりだと思うんだ。幽霊に関する、ね」
志村の目が輝いている。いつもにまして間抜け面だ。
「……あ」
ちょっと志村と話していると、ふと黒板と共に清宮さんが視界に入った。
というか目が合った。
清宮は普段忙しそうにしているが、今はやることがないようだ。いつも忙しいから、急にポッカリ時間が空くと何をしていいか分からない。そんな顔をしていた。
チョークを並べていたその手を止めて、チョークを置き、手を払い、歩き出した。
俺は不意に目が合ったことを無かったことにするように、目を背ける。
「あ、遠藤くん。目を逸らさないでよ。ちょっと傷つくなー」
やっぱり来た。
嫌なわけじゃないけど、少し清宮は苦手だ。
あまりに、人間が上手く……いや、巧くできているからか。いつでも俺の上に立っている気がしてならない。
彼女はそんなことを思わせるセリフを言ったことなんて一度としてないのに。
「べ、別に」
「あ、もしかして照れてるの? 真人くんって意外とシャイなんだね」
「少なくともお前に照れたりしないよ」
「またちょっと傷ついたなー」
清宮が微笑む。
お世辞じゃなく、清宮は笑うと、すごく可愛い。
「そんなんだから遠藤くんは友達が出来ないんじゃない?」
清宮は額を指差して言う。
「うっせぇ」
俺は苦笑した。
俺に友達が出来ない理由が、それだったら笑えないどころか泣けてくる。
「で、今、何の話をしてたの? 肝試し?」
なんだ、聞こえてたのか?
「まあ、そんなところだ。そういうの好きなのか?」
「いや、あんまり得意じゃないかな……。えへへ」
照れ笑い。冗談じゃなく、可愛いと思う。
俺だけだろうか。
「志村さんは好き? 怖いの」
「ぼ、僕?」
もう既に会話の観客席に座っているように傍観者スタイルを取っていた志村が、慌てて答える。
「僕、大好きッス。幽霊大好き。お近づきになりたいなー……なんて。ははっ。な、何言ってんだろ、僕」
うん、何言ってんだろうな。意味不明だよ。うん。
「ところで、清宮。ちょっといいか」
「どうしたの?」
「『白木りん』って人、聞いたことあるか?」
「白木さん? うーん…」
清宮が軽く腕を組んだ。
「えーっと……。聞いたことはあるような気もするんだけどね、思い出せないや。力になれなくて、ごめんなさい。その人がどうかしたの?」
「いや、大したことじゃないんだ。ありがとな」
清宮が分からない人ーーーつまりは、少なくとも今の在校生じゃない。清宮は学校のことは知り尽くしているような人間だ(全校生徒を暗唱し、全クラスの特徴まで言えてしまいそうだ)。
そんな清宮が『思いだせない』と言うということは、在校生じゃない。しかし、思いだせないわけだから、どこかで聞いたことがある。そんなところだろうか。
「綺麗な名前の人だよね。白木隣さんって」
「綺麗?」
「うん。綺麗。私みたいな名前より。だけどね、なんとなく違和感もあるかなぁ」
「どういうことだよ」
「なんか架空の動物みたい」
清宮がよく分からないことを言ったところで、チャイムがなった。帰りのホームルームが始まるチャイムだ。
「おっと。じゃあ、またね」
「ああ」
俺は自分席に戻り、席に着く。
さっきまで話していた場所から、「僕の存在忘れてません?」って声がした様な気がしなくもない。
放課後。毎日部活に勤しんでいる人達はそそくさと教室から出ていく。十五分も経つと教室には俺達以外ほとんどの人間がいなくなっていた。
ガラリとした教室。日がまだ高い分、明るい。人がいなくなると、今まで気にも止めなかった落ちている紙くずとかが、ちょっと気になる。
どうしても自分の席の近くに落ちていたゴミが気になり拾い上げたところで、昨日学校に忍び込んだメンバーが綾乃の近くに皆で集まっていることに気づいた。
「あ、真人。今日は何か幽霊に関する収穫はあったかしら」
「いや、全然だ。清宮も知らないらしい。だから案の定、在校生じゃないことくらいしか分からなかった」
「そう。まあ馬鹿の真人にしては頑張った方じゃない」
嫌に美鈴がニヤニヤしている。
何かあったのか?
「そう言うお前はどうなんだ? 何か手掛かりは掴めたのか?」
「ふふ、聞きたい。ふぅーん。そんなに聞きたいんだぁ。そんなに言うなら、じゃあ、教えてあげてもいいかなぁ。あのね、今日」
「今日、職員室にある昔の名簿を見せて貰ったんです」
綾乃はそんなつもりはなかったようだが、美鈴の言葉を遮るようにして言った。
美鈴はムッとしたが、悪いのは美鈴だろう。前置きが長過ぎだ。
「そう。綾乃の言った通り、あたし達は過去の卒業生を調べてみたの。名簿といっても今はデータ化されていて、検索を掛けたら簡単だったわ。するといたのよ。その白木さんが10年前の名簿に」
満面の得意顔で言った。
「十年前か。じゃあ、今はどうしてるんだろうな、その人」
「……」
「だけどね、その人、もう亡くなっているらしいの。……事故死らしいわ」
死。もう亡くなっている。
「というかですね、その白木さん。在学中に亡くなっているらしいんです。だからすぐに分かったんですけど……」
ガタッ。
志村が思いっきり立ち上がった。
「じゃあ、決まったも同然じゃないか。そいつの霊なんだろ!」
「まあ、そうなのかもしれませんが」
「じゃあさ、じゃあ……。だったらーーー」
「だったら、どうするんだ?」
そういうことだ。
考えてなかったわけではない。
正体が分かった。だったらどうするか、なんて。どうしようもない。そんなこと。
「今もなお居る、事故死した幽霊ね……。あたし達、超能力者には分からないことばっかりね。綾乃ちゃん、どうするの?」
「……今日、もう一度会いに行きませんか? その幽霊さんと。流石に二回目。今度は名前を知っているので、呼んだら出てきてくれるんじゃないでしょうか」
名前を、ね。
「いいわ。じゃあ、今日の夜八時、グラウンドでいい?」
全員了承。俺達は今夜、もう一度行くコトになった。