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Be called Fire boy  作者: タブル
第二章
10/65

#5 ゴーストタイムⅤ

  私は、私。

 白木りん。私は知った大切なものを。

 大切なものを。何が大切で、なにがそうでないか。そして、悪意と。

 失ってはならない。

 人と思いと強さと絆と優しさ。私たちの生きるこの世界。

 私は、今、ここにいる。



 ―――あれ?

 時計を見る。時計の針は6時を指していた。

 もうこんな時間……

 残りの課題は家でやろう。

 私はバッグを持つ。

 帰ろうと教室を出た所で、ちょっとした用事を思いだした。用事というほどのものでもないんだけど。

 本を買おうと思って。

 私はちょっとお金が貯まると、つい本を買ってしまう。ついつい……ね。

 今、私が読んでいる小説は、好きなシリーズの九巻。もうすぐ読み終えるのだが、次巻をまだ持っていない。

 こういうのは準備しておかないといけない。今読んでいる本を読み終えて、次の本を読む。買っておかないと、その時にわざわざ買わないといけなくなる。それは私にとって、すっと熱が冷めてしまう行為だから。

 この時間、だいたいの生徒は下校してしまっている。それか部活中か。

 私は部活動には所属していないから、まっすぐ帰る。人が少ない廊下を歩く。靴箱に着き、履き替えて校門へ。

 あとどれくらいしたら日が沈むだろうか。陽が傾いてきている。今は三月。まだ肌寒い。もうすぐ桜が咲く。そんな頃。

 本屋さんに着いた。街には大きい本屋は無く、それなりの本屋さんと小さな本屋さんの2軒が東と西にあるだけ。まあ、欲しい本が無くても注文したら取り寄せてくれるから、私は不自由はしていない。

 というか、本に関して不自由する人いるのかな?

 ふと、漫画本のコーナーに視界に入った。子供向けの少年誌の所。本を立ち読みしている高校生―――リョウだ。

「リョウ、何してるのよ」

「うおっ、リンか。驚かすなよ……」

 本を落とすところだったろ、とリョウが言いながら笑う。

「リンも読むか?」

 リョウは手に持っている本を差し出す。

「すすめ、ハイスクール学園?」

「そう。すっげぇ面白いんだぞ! これ」

 すっごく子供向けじゃないの?

「とある学園に普通の人である主人公が入学するんだ。主人公は、その学校は普通の学校だと思っていたんだがな、それは大間違い。なんと、そこは、色んな学校の生徒が通うハイスクール学園だったんだ!」

「ごめん、意味不明」

 私が言ってもリョウは楽しそうに話す。

 私には分からないけど、リョウは本当に楽しそう。

 リョウは外見も中身も変。地毛が茶髪でクセが強い。身長、体重共に普通っぽい。普通っぽいのはそこだけかな……。中身は子供っぽい。そして突拍子もないコトをし始めたりして。時々天然。

 今だって、ほら。こんなに楽しそうにしてる。

 いつも見せてくれる笑顔。その笑顔が私に安心感を与えてくれる。

「―――それでな、その主人公が……って聞いてるのか?」

「えっ、うんうん。聞いてるよ」

「そっか」

「うん」

「そろそろ帰るか」

「そうね。あ、まだ買ってなかった。十巻」

 リョウと会って忘れてた。

「それならそうと言えよ。ほらっ、出口で待ってるからさ」

 言って、リョウは出口近くの壁に寄りかかっていた。

「早く買ってきな。ハイスクール学園全十巻。そんなにお前が気に入るとは思わなかったぜ」

「いや、ハイスクール学園買わないし」

 興味も湧かなかった。全十巻だったんだ。


 目的の本を買って、リョウの元へ戻る。

「案外早かったな」

「買う本は決めてたから」

「……やっぱ買ってねーんだ。ハイ学」

 私が買った本をリョウが覗いて呟いた。

「こんな小説のどこが面白いんだよ」

 リョウは不思議そうに見ながら訊く。

「さあ。読んでみたら分かるわよ」

「ふーん……」

 本当に興味がないみたい。ちょっと残念。

「じゃ、帰ろうぜ」

「帰ろー」

 本屋さんを出る。ちょっと暗くなり始めていた。

 私の家とリョウの家は近所。だから、小さい頃からよく一緒に遊んだ。いわゆる幼馴染。私とリョウは家族の次に一緒にいた時間が長いと思う。

 小学、中学、そしてもうすぐ高校三年。よく、まあここまで一緒になったものだ。高校まで一緒なんて、ほんとに奇跡的だと思う。

 その今までを振り返ると、一緒に家まで帰るというこの情景はよくあるものなのかもしれない。

「そういや、カイとメイは今日はいないんだな」

「ああ、二人とも今日は用事があるからって早い内に帰っちゃったよ」

 カイとメイ。二人とも同じ幼馴染。

 四人で一つと言わんばかりにいつも一緒に行動している。

「ふぅん」

「その上、リョウもさっさと帰っちゃって。どうせ本屋さんに行くなら誘ってくれればよかったのに」

「いや、どうしても続きが気になってな。誰よりも早く立ち読みするために走らなきゃいけなかったんだ」

「別に早さなんて関係無い気がするけど……」

「アレだ。優越感」

 だいたい立ち読みのためって。

 買ったらいいのに。毎日立ち読みにくる客に対する店員さんの困った顔が目に浮かぶ。

 立ち読みで優越感なんて感じてもしょうがない気もするし。

「まったく。リョウって昔から変わらないよね」

「へへっ、ありがとよ」

 またリョウがニッと笑う。

 あんまり褒めたつもりはなかったんだけど。

 ま、いっか。

「けど、お前も変わらないよな」

「え、私?」

「そんなに本ばっか読んでて、つまらなくないのか?」

「違うよー」

「違う? 何が」

「私は退屈な時に本を読んでいるだけ。別に本を読んでいるから退屈になんてならないよ」

 素直に言った。

「へぇ。それじゃ、漫画とかも読めよ。貸してやるからさ」

「いや、別にいいから」

 というか、もう、いい。

 この間、今と同じ様な流れで漫画を読むことになった。その時はリョウの部屋にいつもの四人で集まったんだけど。……もう本当に飽きるくらい読んだ。人気漫画を二シリーズほど読破した。普段漫画を読まないわけじゃないのに、ちゃんと読めてるかリョウのチェックが入りつつ。

 お陰でもう漫画博士と言ってもいいんじゃないかと思うほど。

 にも関わらず、今リョウは私にもっと漫画を読めと勧めてくる。

 この間のこともすっかり忘れてるのかな。困ったものだ。

「そうか? 別に無理しなくてもいいんだぞ」

「してないよ」

「無理して読んでもいいんだぞ」

「……また今度ね」

 私が言うとリョウは高機嫌な顔で、

「じゃまた今度だな」

「リョウも読んでみたら。小説とか」

「無理。眠くなる」

 あぁ、確かに。リョウっぽい。

「つーか、俺が文字だらけの本を読むと五分ももたない」

「じゃ、夜にコーヒーを飲みながらとか」

「眠れなくなるじゃないかよ! そこまでして読まない。まあ、まず普段から読まないけどな。よし、お前が俺の分まで読んでくれ」

「二人分なんて無理。リョウも面白いの一冊読んでみたら、たくさん読んでみたくなるよ」

 色々話して帰る。

 気付いたら私の家の前まで来ていた。

「今日は上がってく?」

「いや、もう晩飯だしな。帰って飯喰うわ」

「そう? じゃあ、また明日ね」

「ああ、またな。リン」

 リョウも帰る。

 二、三歩行った所でリョウが振り返って、目が合った。私が手を振ると、リョウも振り返して走って帰っていった。

 私も玄関を開け、家に入る。

 今日の晩ご飯は何かな?

 もう外は陽も沈み、空のオレンジも暗くなり始めていた。




「リンちゃんリンちゃん。プリンの秘密って知ってる? 知らないでしょ?  知りたい?  どうしよっかなぁ。よぉし。えっへん。そこまで言うなら教えてあげないこともない」

 伊藤芽衣。愛称メイ。

 つまり私の三人の幼馴染の一人である彼女が謎過ぎる言葉を並べ立てている。

「ごめん、メイ。意味が分からないんだけど。プリンの秘密って」

 ちなみに彼女は今が特別に異常なのではない。残念なことに、常に異常。これまで異常じゃなかったことがない。

「またまた〜。私はこれを知って人生が九十度変わったよ!」

「……また微妙ね」

 同じくらいの秘密、四回知ると元に戻るのかな?

 メイは綺麗な黒いショートヘアを揺らす。

「ああ、もう! リンちゃん面倒い!」

「だから、さっきからどうしたの?」

「私はプリンの秘密をリンちゃんに教えてあげたいの!」

 言って、頬を膨らませる。

「分かった、分かった」

 ふぅ。一息つく。

 メイはいつでもハイテンションだ。

「それでなんなの? プリンの秘密って」

「どうしよっかなぁ〜。教えてあげよっかなぁ。とっておきなんだよなぁ」

「……帰る」

 私は彼女に背を向ける。

「ああ! まって!  今のは冗談ですよ。冗談。はは」

 メイが私を引き止めた。

 ここは私達の教室。そして今はお昼休み。さっきご飯を食べ終えたばかり。

 だから、私が本当に帰るわけがない。

 というか、今この時間にどこへ帰るのか? という話だけれど。

「よかった。安心したよ、まったく、もう。じゃあ、話しちゃうよ。いいの?」

 やけに引っ張る。

 もしかして本当に、それなりの情報なのかな。

「じゃあ、言うよ」

「……うん」

 メイの少し真剣味を帯びた声に、私も真面目に応えてしまう。

「あのね、……プリンってね、」

「うん」

「プリンってね、豆腐を作る途中で砂糖を原料に落としちゃって、初めて生まれたらしいよ」

「うぅん?」

 ……はい?

「世界的に有名な豆腐職人であるカ・シスキーさんが作ったんだってー」

 ……はぁ。もうどこから訂正したらいいんだろ。名前からしてガセじゃん。お菓子好きのカ・シスキーさん。

 私の手に負えるかな。

「メイ。豆腐は何から出来てるか知ってる?」

「さあ。メイ、豆腐職人じゃないし」

 豆腐の元も知らない高校二年生って……

「実は、その名の通り、豆……というか大豆の搾り汁なの」

「え! じゃあ、プリンって豆から出来てるの?」

「なんでそうなるの!」

「豆に砂糖を混ぜたら、プリンが出来るんだ! すごい! 私知らなかったよ。たぶん世界中全ての人が知らなかったよ。大発見だよ」

 ほんと。本当にそうなら大発見なのにね。カ・シスキーさんもさぞ驚いたことだろう。

「残念ながら、豆に塩をまいてもプリンはできないの。分かる? プリンは豆から出来ていないの。つまりね、豆腐はその過程でどうやってもプリンにはならないの」

「え」

 メイの口がポカンと開いたまま。顔が固まっていた。

 ピクリとも動かなくなっている。

「……おーい、メイー。だいじょうぶー?」

「………………え?」

 反応にぶっ!

 相当ショックだったのかな……

「ねえ、誰から聞いたの? その、豆腐がプリンにって話」

「………………え?」

 反応にぶっ!

「ええと、確かー……カイ!」

 なんだ。カイの悪戯だったのか。

「じゃあ、言っておかないとね。カイに―――」

「あああ! カイだ。もう完璧に思い出しちゃたよ。やっぱりカイに間違いない! カイ! あいつ、絶対わざとだ!」

「そりゃ、そうだろうけど……」

 カイは私たちの中では、ぶっちぎり頭がいい。成績優秀。そんなカイがこんな間違いを素で言うはずがない。

 というか、カイじゃなくても誰も普通こんな間違いはしない。そもそも、こんなものに騙されるのってメイくらいじゃ……

「くっそぉ。いつもいつもいつも! ぜんぶカイのせいだ! ちくしょー」

 責任はこんなのに簡単に騙されるメイにもちょっとある気がする。

「そんなに悔しいなら、騙し返してみたら?」

 ちょっと提案してみる。

「うーん。してやろっかなぁ。けどなー」

 メイがちょっと困ったような顔をしている。

「仕返ししないの? いつものように」

「うー……。最近気づいたんだけど、あたし、カイを騙すには頭が足りない」

 ああ、なるほど。もっとも過ぎる言い分―――って、今ごろ気づいたのか。

「リンちゃん。否、リン先生! わたくしめはどうしたら良いのでしょうか」

 言うと、メイはわなわなと宙で手を迷わせた後、膝を曲げ両手を床につき、土下座らしき行動を、

「ちょ、ちょっと待った! いいから。わかったから。ね?」

 制止させた。

「えー、あとちょっとで完璧な形に」

「しなくていい」

「だいじょぶだいじょぶ~」

 と言ってまた土下座をしようとする。

「いや、だから、ちょっと。なにが大丈夫なのよ」

「わたしが土下座したところで、周りから見たら私を一方的にいじめてるようにしか見えないよ?」

 いや、その状況、大丈夫とは言わないから。

 土下座へ移行するメイの行動を必死で止めつつ、喋る。

「じゃあさ、こういうのはどう?」

「おっ、何かいい案あるの、リンちゃん」

「いや、購買とかでさ、プリンを買ってカイのとこに持っていって、『これ、豆腐から作れたんだよー』って言ってみるとか。もちろんケースとかは捨ててからね。最初から嘘を言っていると思っていたカイはびっくりするんじゃないかな」

 我ながら、酷過ぎる案だと思う。だけど、メイによる仕返しといったら、このレベルかな。

 とか。

 自分で言っておきながら悪い気がしてきて、メイを直視できずに言っていた。冷静に考えたらホントにひどい。作戦としてのクオリティが。

 メイ、怒ってないかな?

 ちょっと顔をあげて、メイを見る。

「……やばい」

 そのメイは、まるで名案だとでも言いたげな顔をしていた。

「それ、名案だよ、名案過ぎるよ! 流石、策士リンちゃん!」

 言いたげ、というか言っていた。

 おいおい〜、と肘でつつかれる。

「流石だよ、リンちゃん。カイの奴、豆腐からプリンなんて微塵も思っていないんだよ? そんなあいつにプリンは豆腐から出来るって現実を突きつけてみて。えっ⁉ ってなるよ、きっと。いや、もう確実ね。そこで、カイは何か言う。それが、プリンは豆腐で作れるということを更に肯定する内容だったらネタばらしして、本当は豆腐からは作れないよーバーカって言って私の勝ち! もし豆腐で作れることを否定してきたら、前に言ったことと矛盾してることを責め立てて、私の勝ち! 何、この出来レース! すごっ」

 ……ああ、またメイが何か言ってる。

 調子に乗ってる。

 私は時計を見た。長針はまさに昼休み終了の時を指そうとしている。

「メイ、もうすぐ授業始まるよ。ほらほら、もう席に着かなきゃ」

「えー……」

 反抗するメイの背を押す。私も自分の席に着いた所でチャイムが鳴った。

 次の授業は……うわ。数学かぁ。

 ………………。

 …………。

 ……。



 チャイムと共に授業が終わる。

「さ、行こっか。リンちゃん」

 いつの間にやらメイは私の前に立っていた。

「う、うん」

 メイは返事を聞くや否や、私の手を掴んでカイの教室へ向かう。

 カイのクラスの扉の前。メイはそこでこっちを振り返った。

「リンちゃん。準備はいい?」

「私はいつでも……」

 というか準備って何?

「じゃ、いくよ!」

 メイは勢いよくドアを開け、カイの元へ走った。私も後ろからついていく。

「なんだ、お前ら。騒々しい」

 カイのいかにも面倒そうな口調。

「仕返しに来た!」

 メイが言う。

 それって作戦的に言っちゃっていいのかな……?

「何の?」

「プリンの話」

「プリンがどうしたんだ」

「カイ、私に言ったでしょーが! プリンは豆腐の途中で作れるって」

 腕を組んだメイがずい、と前に出る。

「ああ、言ったような気も……思いだした。あれはお前が『プリンと豆腐って似てない? というか、豆腐って甘くしたら完全にふわふわプリンじゃん。豆腐を作ってる途中に砂糖入れたら作れるのかな、プリン―――』……とか言っていたのを面倒だったから全て肯定しただけだ。それ以外詳しいことまでは覚えてない」

 えーー……

 言い出しっぺはメイ自身だったの……

 メイはパンパンに膨らんでいるポケットから、プリンを取り出した。しっかりケースの文字とかはペンで消されている。

「ふっふっふー。実は実はー、ここに豆腐から出来たプリンがあるのです!」

「そうか。そりゃあ、よかったな」

 カイが素っ気なく言った。

 プリンを持っている手が突き出されたまま、メイが固まっている。

「うっ……ど、どう? カイが言った通りのモノが目の前にあるんだよ!」

「そうだな」

「ふ、ふふーん。けどけど、実はこれは実は普通のプリンなのだ! 実は、こ、これは豆腐からは出来ていないんだ」

「だろうな。見たところ、いつも購買に売ってある普通のプリンだ」

 言いながら、カイは何食わぬ顔で次の授業の準備をしている。

 なんか、メイが可哀想に見えてきた。

 メイは必死にプリンを突きつける。……が、無視とまではいかないが、上手く流されている。

「あーーもぅー! メイは完全に怒ったよ! 今からカイの目の前で美味しそうに食べてやる。欲しいと言ったってあげないよーだ」

「構わん」

 メイはカイの目の前にわざわざ座り、プリンのフタを開けた。確かに美味しそうな匂いが広がる。

 そしてメイはひと口ひと口スプーンですくって食べ始めた。

 …………。

 ……。

 程なくして。メイ、完食。

 自身のカイに対する唯一の武器を失った。つまり、美味しく食べ切ってしまったのである(私もひと口貰った)。

 メイがカイに問う。

「……どうだ。羨ましくて、腹がよじれるっしょ」

「別に。それと言葉の使い方おかしいからな、お前」

 そう言うと、立ち上がりカイは歩き出した。

「ちょ、ちょっと! あたしを置いてどこに行くつもり」

「俺の次の授業は移動教室だ」

 カイは止まらず行ってしまった。

 結局、私達だけが教室に残っている。他には誰もいなくなっていた。

「……机にイタズラしとこうよ、リンちゃん」

 隣に悪巧みするメイがいた。




 帰りのホームルームが終わり、放課後に。部活をやっている人達は早足に教室から去って行く。

 ホームルームが終わった直後は開放感からか、教室は賑やか。だけど人が減るにつれて教室は静けさを得ていく。

 穏やかな時間だ。

「おい、リン。なんかしようぜ!」

 本来なら。

「俺はこの時を待ちわびていたぜ。なんてったって放課後だ。いやっほぉ」

 真ん前でリョウが浮かれている。

「今日もリョウは楽しそうね」

 一応返事をしておく。


 リョウは本当は凄い人間なのに、なんでこんななんだろ。


 なんとなくあくびが出て、ふと周りを見渡すとメイと目が合った。

「お、今日も何かしちゃいます?」

 メイが私の所に来る。いつでもメイはハイテンションだ。

「ありゃ、まだカイが来てないっすね」

「ああ。俺も今来たとこだ。それにそもそも俺らのクラスがホームルーム終わったの、さっきだろ。既にカイが居るなんてあり得ねぇよ」

「それもそうだね。はは」

 メイは隣の席のイスに座る。

 もう隣の人は部活に行ったようだった。

「待ってりゃ来るだろ」

 リョウが言ったのと同時。

 教室の扉が開き、誰かが入ってきた。

「メーーイーーー!」

 カイだ。

「おっ、噂をすれば、だな」

 リョウが囁いていた。

「メイ、俺の机の中の教科書やノートその他諸々を全て、保健体育の教科書にすり替えたのは貴様だな! 俺のクラスメイトのモノをわざわざ……。お陰で俺は次の授業の準備が出来なかった上に、ある種の変態みたいになってしまったじゃないか!」

 あー……やっぱり。昼休みが終わる前、メイ何かやってたなぁ。そういえば。

「あはは。あたしは吾輩がしたかったから、我々の友人であるカイにイタズラをしたのですヨ」

 何故かメイは誇らしげだ。

「何が、したかったから、だ。俺にとっては迷惑だ」

「迷惑だなんて。あー、そりゃさ、迷惑だろうねぇ。だってイタズラなんだから。迷惑じゃないと意味がないんだよ、カイ。あたしにだって分かる」

「なんだと」

 カイの怒りのボルテージがみるみる上がる。

「まぁまぁ。二人とも。これ以前にプリンがどうとか色々あったらしいじゃんか。これで引き分け。それじゃ不満か?」

 リョウがいつの間に、二人の仲裁に入っていた。いつもリョウはこの役だ。

 皆、いつもリョウには敵わない。大抵リョウに反抗したら負けるといのが、皆、感覚として分かってるんだ。私も例外じゃなく。だからリョウはいつも私達の中心にいる。

 私達をまとめてくれる。

「うん、まあ」

 二人とも納得していた。


 とりあえずみんなが落ち着いて。

「それで、今日は何するつもり?」

「おっと、そうだった。よく聞いてくれたな、リン。今日は……本を読もう」

 いや、ちょっと。

「まってよ、リョウ。この間も漫画たくさん読んだじゃない」

「そうだぞ、リョウ。漫画ばかりじゃなくもっと別のことをしないか」

 カイも私と同じ意見だったようだ。

「ふっ。俺は確かに本を読もうとは言ったが、別に漫画とは言ってないぞ」

「どういうことだ、リョウ」

「たまには小説を読もう。小説だよ、小説」

 小説?

「小説だと? お前がか?」

「なになに? あたしだけじゃなくて、ついにリョウまで頭おかしくなっちゃったかー」

 メイとカイの不思議そうな声が漏れる。

「俺は至って正常だ。おかしいのはお前らだよ。なんだお前ら普段小説は読まないのか」

 二人が首を振る。

 私は少なくともリョウより読んでいる。だいたいリョウは人のことを言えない気がする。だって、リョウが文字ばかりの本を読んでいるのを見たことないし。

「昨日、リンと本屋でばったり会って話をしてから思ったんだよ。あー、小説を読むのもいいかなって。俺は普段読まねぇけどよ、歩きながら考えたんだ。小説はすごいんだぜ? 読むだけで、文字を眺めるだけで、世界が変わるんだ。読んでいるとその世界に入っている気がする。それは探偵だったり、世界を股にかける怪盗だったり。勇者だったり、職人だったり。時には悪人にだってなれる。普通に暮らしていたら、なれないんだ。そんなのにはな。まぁさ、言いたいことは、普通に暮らしていては手に入らない自分好みの体験ができるんだ。小説を読むだけでだ」

「……へぇ」

 リョウが小説について饒舌になっている。本当にあの後色々考えたんだろうなぁ。

「これを受動的『妄想に浸る』という」

「言わない、言わない」


 ―――とりあえず図書館へ。

 私たちは本棚からてきとうに本をあさる。

「今回の目的は、本は本でも小説だからなー。漫画とか雑誌とか読みふけるなよー」

 入口のほうからリョウの声が聞こえる。

 そのリョウは入口で私たちを見ていた。

「どれにしようか……」

 カイが迷っている。

「……これはどう?」

 近くにあったミステリー物の本を差し出す。

 最近話題の作家の本だ。

「うーん……まあ、いいか」

 ちょっと迷った後、本を開きながらイスに向かっていった。

 さて、私はどれにしようかな。

 あ、これとかいいかも。ちょっと熱い雰囲気の表紙に目がついた。

 私は一冊の本を取る。『走れイカロス』。……これって、パクリ?

 そうこうして数分経った後、私はやっと本を決め、座ることにした。

 何となく暑かったから窓を開けて、っと。


 ガタッ。急にイスが動いた音がした。見ると、リョウが机に手をついて立っている。

「……これだ!」

 急に吹いてきた風が私達の髪をなびかせる。

「リョウ、どうしたの?」

「今から皆で水泳をしよう」

 今まさにリョウの提案で渋々本を読み始めた私達に向かって言い切った。

 私達は顔を見合わせる。もう、本当に。見事にメイとカイは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

「…………はあ?」

 やっとカイが一言絞り出した。

「だから水泳だっての。言うまでもなく、今は三月末だから室内プールだな」

「……はぁあ?」

 メイは語尾が疑問系のまま、うなづいている。

 確かに突拍子もなさ過ぎる。

「なんでまた急に……」

「なんだ? 人が泳ぐのに意味なんてあるのか?」

 またリョウが迷言を吐いている。その右手にはスポーツ系の雑誌が。

「リョウ。今日は本を読むんじゃなかったのか」

「……ん? ああ、すまん、つい。今読んでいた雑誌が水泳の特集をしていたんで、影響されちまったようだな」

「そういやこの間も『バンドが俺の生きがいだ!』とか言ってなかったか?」

 カイが言う通り。この間確かに言っていた。ええと、その時はアニメの影響だったっけ?

「分かったよ。カイの言う通り今日は小説の日だ。本を読もうぜ。……そうだ、カイ、メイ、リン。俺と勝負しないか? 誰が一番早くこの有名シリーズ一通り読破できるか、でどうだ」

「よっしゃ、乗った!」

「しょうがないよねー。あたしもやるからには全力だよ!」

 二人とも高らかに声をあげる。私以外ノリノリだ……

 きっと、この勝負も結局リョウが勝ってしまうんだろう。いつものように全員が平等なルールで、なんなくと。

 うん、でも。私は、本も一人で読むよりこうやって皆で読む方がいいな、と思った。

 図書室の窓からは穏やかな日差しで暖かさに溢れている。こんな気持ちの私を包むように爽やかな風が部屋を吹き抜けた。




 こうやって、色んなことをして遊んで繰り返す私たちの日常。




「今日は何の日だっけ?」

 不意にリョウが尋ねる。

 月曜の朝、ちょっと爽やかな時間。

「ええと、なんだろ。確か英語の小テストがあったよね」

「うわっ、まじかよ。勉強してねぇよ」

 いつものように四人で登校。

 私達は四人共、徒歩で行けるほどの同じ高校に進学。登下校はいつも一緒だった。

「範囲はどこだ?」

「……えーと、」

「関係詞のところだ」

 隣にいたカイが答えた。

「はぁ…関係詞ですかー。あたし苦手なんだよねー。ラザーザンとか、ノットアズ〜アズ〜とか。解答欄全部asって書いとこ」

「書いても一点にもならないからね、メイ」

「なんでよー、リンちゃんのケチー!」

「いや……」

 私がケチなわけじゃない。単純にメイの頭のネジが取れているだけである。

 メイは腕を振り回していた。

「じゃあ、正々堂々勝負しないか」

 いつもの突拍子のない台詞。

 リョウが一歩前に出て、私達の目を一人ずつ見ていた。

「勝負?」

「ああ。誰が最も高い点数が取れるか。トップだった奴の昼飯は、皆の奢りな」

 リョウはまた満面の笑みを浮かべている。

「よし、このメイもやってやろうじゃないかー!」

「しょうがないな」

 こういう時のリョウのノリには逆らえない。逆らった方がいつも損をする。

「じゃ、そういうことだ。忘れんなよ、お前ら」

 リョウとの約束だし忘れない。というか、どちらにせよ小テストは避けられないから忘れるはずもないんだけど。




 下駄箱で一人の女の子が立っていた。

 彼女は―――


 あの子は、みと……あかり……さん? かな。

 ……そうだ。思い出した。三戸明さん。同じクラスの女の子だ。どうして私はすぐに思い出せなかったんだろう。

「あれは、三戸さんか。何をしてるんだろうな」

 リョウが言う。

「さあ、ずっと立ってるみたいだけど。何か持ってるね。何かあったのかな」

「聞いてみるか?」

「うん」

 カイ、メイの二人を見る。依然メイは英語の参考書と睨めっこしていた(勝負することが決まった途端、自分がビリ候補と分かっているだけに、必死に勉強している)。

「それじゃあ、俺は教室に向かうとする。俺はその三戸さん……とやらとは面識もないのでな」

「うん。またね」

 上履きを履き、カイは私達に手を振ると、踵を返して去っていった。

 私達はそのまま彼女の近くへ寄る。

「おはよう、三戸さん」

「よっ、三戸さん」

 二人で声をかける。妙にリョウが馴れ馴れしいが。

「えっ、え、ああ、おはよう。隣さんに、涼さん」

「お前、何を見てるんだ? その、紙切れ」

 三戸さんの手元の紙を指差す。

「これは……二人には関係無いです。気にしないでください」

 少し三戸さんは俯き、その紙をくしゃくしゃにして近くのゴミ箱に投げた。が、それはゴミ箱には入っていなかった。

 自分の投げた『それ』を見ず、

「すみません。失礼します」

 と言って、その場から逃げる様に歩き去った。


 リョウが『それ』を拾い上げ、広げた。

「なんだよ、これ……」

 リョウはその場から動かない。

 私はリョウの後ろからそっと紙を覗いた。そこには、見たくもない言葉が並んでいた。

 悪意の篭った言葉が、これでもかというほどに綴られている。悪口……ではあるんだけど、その一言では収まらないような。そんな簡単な一言では収まらない。これって……

「……いじめ?」

「認めたくないが、そうだろうな。きっと学校に来たら、下駄箱の自分のとこに入っていたんだろう」

 本当は訊くまでもなく、分かっていた。いじめ。これはいじめだ。

 どの世の中にでもある、悪意。形のある悪意。人の不幸を望む、行為。

「……辛いだろうな。あの様子だと、今日始まったことじゃないんだろう。今のが最初だったら俺たちに相談してもいい話だからな。それに、リンだったらどうだ」

 私だったら。

「すごく、悲しい。嫌だ」

「俺らに対して、ああできるか?」

「少し取り乱す、かも」

「そういうことだ」

 まるでリョウは何でも分かっているかの様に話す。

 リョウ自身はとても子供っぽいんだけど、本当は何年もの人生の先輩のような、そんな感じ。私にはよく分からないけど、いつも全てのモノを見透かしたような目をしている。

 そんなリョウに私達はずっとついてきた。今まで、ずっと。そしてたぶん、これからも。

「とりあえず、教室まで行こうぜ。メイも先に行ってるようだしな」

「あっ」

 さっきまで私達の後ろにいたメイが消えていた。私が色々考えていた時に行っちゃったのかな。

「しかし、あいつ。参考書から目を離さず歩いてたぞ。大丈夫か?」

「はは、まあ」

 大丈夫でしょ、さすがにね。まさか教室の扉にぶつかったり、そもそも教室を間違えたりは……


「おい、メイ! ここはお前のクラスじゃないぞ!」

 してた!

 遠くからカイの声が聞こえた。

 教室に着いてから、私たちが聞いた話によると。

 私達より早く行ったはずのメイは、参考書から目を離さず歩き回り、確認もせず違うクラスを転々としていた……らしい。



 教室の様子はいつも通りだった。

 別に三戸さんが明らかに周りから避けられているわけでもなく、むしろ落ち着いた雰囲気の三戸さんはクラスに溶け込んでいた。溶け込み過ぎて注意して見ないと気付かない。

 こんな言い方は好きじゃないけど、クラスで目立たないタイプ。影が薄い、ともいう。

 だけど三戸さんのルックスも良く、性格も穏やか。男子からの評判はいいみたいだった。

「どう思う」

 休み時間。リョウが私の近くに来た。

「うん……そんな風には見えないね」

 少なくともここから見える分だけでは、いじめられてる様には見えない。

「まあ、人には表があれば裏もあるってもんだ。あの子のため、もうちょっと注意深く見てようぜ」

「うん」


 そして休み時間、私は見つけた。また彼女の靴箱の中。靴に画鋲が入っていた。

 これは気付かないと痛いはず……

 なんて酷いことをするんだろう、と私は思った。なんでこんなことが出来るのか。あり得ない。私には理解出来ない。理解出来るような人にもなりたくない。


 教室に戻る。

「どうだった?」

 まずリョウが訊いてくる。

「リョウの言った通り、入ってたよ。悪質なやつ」

「やっぱりか……」

 今は二限目の休み時間。

『この手の奴は一度成功すると、同じ場所に似たことを繰り返す。段々悪質さを増して、な。昼休みは人が多いから、きっと既に第二波がきているんじゃないか?』

 というリョウの推理が見事に当たってしまい、画鋲を私の机に持ち帰った。

 しかし、まあ。どうしようか、これ。

「画鋲は俺が預かる。ほらっ、次の時間は例の小テストだ。忘れるなと言ったろ? 勉強しなくていいのか」

「あっ、そうだった」

 聞いたときは小テストはあるんだし忘れるわけがないと思ってたけど、それどころじゃなくなって忘れていた。リョウの言った通りだった。

「これじゃあカイが優勝候補だな」

「そうね。けど……」

「このいじめの件は今すぐ俺らが動いてどうにかなるのか? それより俺達は俺達がすべきことに集中しよう。今はな」

 時計の針は授業が始まる五分前を指していた。



 やっと昼休み。

 教室がまた賑やかになり、私の周りにもいつもの顔ぶれが揃う。

「……それで、小テストの結果だが」

 リョウが紙を広げる。紙には各個人の結果が書いてあるようだ。肝心の点数の所は隠してある。

 ってまだテスト返却されてないのだけれど。どうやってリョウは点数を知り得たんだろ。……謎過ぎる。

 各クラスの英語の時間に同じ小テストが行われたから、もちろんカイも同じテストを受けていた。

「優勝は……」

「……ドキドキ……」

 メイが口に出して待っている。暫しの静寂。なんとなくクラスのざわつきも静かになったような気さえする。私まで緊張してしまいそうだ。

 カイはいつも通り冷静だけど。

「優勝は…………俺だ」

「……は」

 リョウ以外(私を含めて)唖然としていた。

「すまん、リョウ。よく聞き取れなかった。もう一度、言ってくれ」

「優勝は、俺だ」

「……なんだとぉ‼ お前、全然勉強してなかったじゃないか! そもそも勉強道具を全く入れてないバッグで登下校していて、家でも勉強しないお前がどうして俺達に勝てるんだ! ああぁ⁈」

 カイがキレた⁈

 これで教室はざわつきは完全に去っていった。

「まあまあ、リョウは所謂天才って奴なんですよ、はは。私だって必死に勉強しても勝てなかったんだし」

 珍しくメイがカイをなだめる。

 カイはうなだれていた。

「……ちなみにメイは三割も点取れてなかったからな」

「まじっすか!」

 リョウが広げていた紙を凝視する。メイ―――二十問中十五問不正解。結果、五点。

「ありゃりゃ……」

 言葉も出ない。メイの肩にはカイの手が置かれていた。

 えーと、私は―――十六問正解なんだ。思ったより点取れてたみたい。カイは十八問正解。リョウは、十九問正解だった。ここまでくると、逆にリョウがなんで満点が取れなかったのかが不思議になる。

 まあ、どうでもいいけど。

「じゃ、約束通り、昼飯はお前らの奢りだからな」

「えー……」

 メイがあからさまに不満そうにしていた。足をパタパタさせて。

「なんだ、不満か?」

「べーつーにー」

 メイはカイを引っ張って(カイはまだうなだれている)、購買に向かって行った。

「あー、俺はプレミアサンドイッチとコーヒー牛乳だからなー」

 リョウが二人の背に叫んでいた。

 その肩に叩き、そっと言う。

「ところで、リョウ。あれ、どうするの? やっぱり私、見て見ぬ振りは出来ないよ」

「……リンは優しいな」

 ふっとリョウが言った。



 廊下を歩き、人のいない体育館裏に来ていた。あの後すぐ、リョウが私の手を引いて連れて来たのだ。

 恐らく話す内容も内容だから、教室では話しづらいのだろう。

「彼女は、つらいだろうな」

「……そうね」

「それでリンはどうしたいんだ?」

「救ってあげられたら……どうにかしてあげたい」

「何から救うんだ?」

「この……いじめ」

 口に出したくなかった。

 なんでこんなことが起こるんだろ。こんな辛いこと。嫌なこと。不幸になること。皆が皆幸せでいられたらいいのに。

「皆が皆、幸せでいられる世界なんて存在しない。誰かが幸せを享受している以上、誰かが不幸せになる。これはこの世の中、避けられないことなんだ」

 まるで私の心を読んだようなリョウの言葉。心に刺さる、棘のある言葉だった。

「それは、そうかもしれないけど。もしそうでも私は認めたくない! 認めない!」

 そうかい、とリョウは笑う。その笑みはやっぱり全てを見透かしている様に、私の目に映った。

「まあ、いじめられてる、ということはどうしようもなく辛いだろう。気にしなければいいということでもない。そんな言葉は気休めにすらならない」

「……うん、そうね」

 気休めにすらならない言葉。

 きっと無責任な言葉。責任が無い。身近だけど他人事。だからそんな言葉が出てくる。どう転んでも自分に災難が降りかかることもないから。その災難を自分が請け負う覚悟も無いから―――責任が無い言葉。

「あの子を護るか? 俺達が」

「え」

 どうやって……

「簡単さ。しかし簡単だけど、難しい。それが出来ないから誰もが無責任な言葉を吐くだけだ」

「だから……」

「つまり、だ。彼女は、あくまで陰湿ないじめを受けている。殴られているわけでもなく、目の前で何かされるわけでもなく。犯人には憎い相手に対し、たったそれだけの覚悟もないわけだが」

 体育館裏。教室棟の賑やかさが遠くに聞こえる。

「その陰湿な行為を、その子が見る前に全て撤去しよう。そして、それを繰り返して、そのうち犯人を見つける」

「……なるほど」

 確かに簡単なことだった。たったそれだけ。

「しかし、リスクもある」

「リスク?」

 腕を組んで体育館の壁にもたれかかっているリョウが難しい顔をする。

「そう。その行為が俺達が犯人を見つける前に犯人にばれたら、間違いなくターゲットに追加されるだろうな」

 新しいターゲットになる。自分も『被害者』になりうる、リスク。

「それだけじゃない。その護っていることが三戸さんが知ったら、どう思う。ただでさえいじめなのに、その上他人に憐れに思われ護られる。更に三戸さんの首を絞めることになる」

 そう、これは私だけのリスクじゃない。

 一人の問題じゃない。

「どうする、リン。リンはどうしたい?」

「……やる。それでも私は、やる」

 自然と声が出ていた。危険と分かっているのに。失敗すると私だけじゃなく、皆が不幸になるのに。

 私はうなづいていた。

「やっぱ、さ。……リンは優しいな」

 リョウは呟く。

「俺はどんな時でも味方だぜ」


 教室に戻ると、カイとメイが待っていた。

 そういえばお昼ご飯食べてなかった。そう思うも私はあまり食欲は出なかった。

「どこ行ってたんだ? 二人とも」

 机の上にはリョウの優勝景品が乗っていた。

「うん、ちょっとね。あのね」

「リン」

 リョウが私の言葉を遮った。目を見て言わんとすることが、なんとなく伝わった。

 巻き込むべきじゃないんだろう。きっと言ってしまうと、四人で無理矢理解決に走ってしまう。カイはデカいしケンカも強い(その上イケメン)。だから言うと、すぐに力で解決に向かってしまう。たぶんいじめも収まる。

 だけど、それは本当に解決したとは呼ばない。

 そういうことだろう。

 本当の解決をしたければ、なるべく少ない人数で。これがベストなのは、私にも分かった。

「どうしたんだ、リン」

「なんでもないよ、カイ。ありがとね」

「なになにー、リンちゃん。何か悩みでもあるのー? 卒業出来るか心配?」

「それはメイだけだからな」

 リョウが突っ込む。


 そうして昼休みが終わり、私達の小さな闘いが始まった。




 私たちの小さな闘い。


 放課後、私達は何か無いか、こっそり三戸さんを追いかけた。そして、靴箱に何かされてないか、いち早くチェック。

 その後も色々調べてから帰るように。

 次の日は二人で朝早く学校に来て、何かされてないか確かめた。そして怪しい人はいないか下駄箱をこっそり監視。そして放課後も同様にチェックして帰った。



 昨日一日、何も起きなかったから油断していた、としか言えない。

 その日、私達はもう靴箱に何か細工されることはないと判断して、いつも通りの時間に家を出た。四人で学校に。

 教室に着いて、すぐ異変に気付いた。

「なんだ、こりゃ」

 まだ生徒は半分も教室に来ていなかったが、いつもと雰囲気が違う。そしてすぐ、黒板に目が付いた。

 黒板に沢山の紙が貼り付けてあった。一昨日見たような、悪口が軽い表現に思えるような、悪質な言葉の羅列。

『死ね』『消えろ』『クズ』それに名前まで書いてあった。はっきりと、三戸さんの名前が。

「おい、こっちだ!」

 リョウが呼ぶ。私は慌ててリョウの呼ぶ、三戸さんの席まで行った。その机には、紙と同じ言葉。そしてゴミのようなものが机に付着していた。

「ひでぇな」

「これって、三戸さんの席だよね。三戸さんって……」

 メイが言葉に詰まっていた。

「消すぞ」

「うん」

「あたしも手伝うよ」

 三人で手分けして、片付け始めた。

 まるで昨日一日出来なかった分、まるで爆発したような惨状。クラスの人間は何も出来ず、コソコソ話してばかりだった。


 ガラッ……

 戸が開く音。同時に教室が、しんと静まり返る。

 入って来たのは、三戸さんだった。

 三戸さんが入ってきて、この景色を見ていた。

 静寂だけがあった。とても静か。まるでこの教室だけ時間が止まったよう。メイだけが、黙々と黒板の紙を剥がしていた。

「……やめてください」

 三戸さんが一言。

 私は動けなくなってしまう。その言葉に、私達はどうしようもなかった。

「……やめないよ」

 メイが、メイだけが、その言葉を聞いてもなお同じ作業を続けていた。ピリッ、ビリと剥がす音が三戸さんの席まで聞こえる。

「やめてください!」

 三戸さんの声と思えないほど、大きな声だった。

「そんなことしないでください。自分で……できますから」

 震える声で言う。

 その言葉でとうとうメイの手も止まった。いつの間にかメイのそばにリョウが立っていた。

「メイ」

 そのリョウの一言で、メイは俯いて教室の戸を殴ると、走って何処かへ行ってしまった。


 その後、教室はざわつきを取り戻し始め、私には一人で静かに片付ける三戸さんの姿だけが寂しげに見えていた。



 結局、ホームルームが終わっても、四限目の授業が終わってもメイは帰って来なかった。

「メイ、大丈夫かな」

「今は大変かもしれないが、きっと大丈夫だ」

 根拠も何も無いけど、リョウがそう言うと安心できる。

「俺達が護ることしか出来ないように、メイは抗うことしかできないんだ」

 昼休みになって、カイも私達の元へやってきた。メイはいなかったけれど。

「ん、メイがいないな。どうしたんだ?」

「ああ、ちょっとな。あれだ」

「そうか」

 私は自分でも暗くなっていたと思う。カイは気を遣ってか、深くは訊いてこなかった。

「落ち込んでいるのか? しかし、そんなに暗いと、できることも出来なくなるぞ」

「うん、ありがと」

 これがカイの優しさ。嬉しかった。

「さて、飯でも食うか。俺、この弁当の大根の煮付けはダメなんだ。どっちか食べてくれないか」

「……うん」

 カイとリョウはいつもと変わらない会話をして、昼休みも終わる。


 それから午後には教室にメイは戻っていた。学校をサボったということで、少し先生からお説教を貰ったらしい。

「ははっ、ちょっと怒られちゃったよ」

 と言ってヘラヘラしている。

 どうやら、平気っぽい。私のは胸を撫で下ろした。


 次の日から更に注意深くするようにした。



 被害は続いたまま二日ほど経った。



 ―――昼休み。

 私は一人で廊下を歩いていた。

 たくさんの人とすれ違う。何気無い会話、笑い声、その他様々な音で溢れていた。

「ねー、面白いよねー」

「みた? あの時の顔」

「みたみた。ざまぁ、って感じー」

「今日も何かする?」

 ふとすれ違う女子が言っていた。思わず振り返る。

「今日は三戸のロッカーにゴミでも詰めとこうよ」

「あはは、それウケるー」

 その声の主は、違うクラスの女子だった。

 確か、砂川さんと折原さんだったような。

「ちょっと……」

 知らず、私は二人に声をかけていた。

 二人は振り返ると苦い顔で私を見た。

「あら、白木さん。どうしたの?」

「三戸さんのことなんだけど」

「えっ、三戸さん? だぁれ? あたし知らなーい」

 砂川さんは、わざとらしく手を上げる。

「三戸さんの……いじめ」

「へぇー。三戸さんって、いじめられてんだー! かわいそうに。はははははっ」

 ……間違いない。この二人だ。

「なんで、三戸さんにそんなことするの!」

「はっ、何言ってんの? 言いがかりやめてくださーい」

 二人は白を切るが、わざとらしさが抜けていない。これも彼女達にとっては遊びの一つなのだろう。

 心から……許せない。

「今日の放課後、旧館一階の奥の空き教室にきてくれる? 話がある」

「はぁ? 意味わかんないし」

 二人が私を嘲笑うように言う。

「来ないと……許さないから」

 私はそのまま早足で教室まで戻った。


 ―――チャイムが鳴った。ホームルームが終わり、何も用が無い人は帰っていく。

「じゃあ、また見回りにいくか」

 いつものようにリョウが私の前に来ていた。

「いや、今日は……いい。犯人が分かったの。今から旧校舎に行く」

「……そうか。ついて行かなくて大丈夫か?」

「うん」

 私はリョウの協力を断った。なんとなく、私は一人で立ち向かいたかった。いや、これは表向きの気持ち。

 本当は、ただ単純に―――ムカついているんだ、私は。

 だから、リョウが来る必要は無いと思ったんだ。

「そうか。……頑張れよ」

 リョウはいつもの笑顔で送り出してくれた。



 旧館、空き教室。もう彼女達は来ていた。

 私は扉を開け、中に入る。

「あ、来た来たー。早く用件終わらせてくれるー?」

「あたしたち、帰りたいんだけど」

 そう言って、砂川さん達は雑に机に座る。

 こっちから約束をしていて、こういうのも変な話だが、本当に来るとは思ってなかった。

 正直、驚いた。むしろ、何のメリットも無いのに何故来たのか。逆に小さな不安が頭の中をよぎる。

「それで、話って」

「三戸さんのこと」

 ははっ、とまた笑いながら言う。

「だから私達は何も知らないって」

「そんなわけない。そもそも関係無かったら、ここには来ないんじゃない?」

 私の言葉に頷く彼女達。

 ここに二人はいる。これは揺るぎようもない事実。

「そう。じゃあ、認めるわ。私達がやりました。ごめんなさい。……これでいい?」

「ふざけてる?」

「いいえ。ごめんなさーい。ははは」

「もう……あんなことしないって誓って」

 ……。

「それはできない」

 彼女は私の言葉を拒絶した。

「なんで! そんなに三戸さんのことが嫌いなの?」

 ……。

「ええ、そうよ。あたし、三戸、嫌い。それに面白いじゃない。あの子。何されても、一人で、さ」

「……やっぱり私、あなた達許せない」

 それを聞き、また二人は笑う。

 そして砂川さんが机から降りて、目の前の机を手で叩いた。ドンドンと。

 その様子を折原さんはクスクス笑っている。

「なぁに? 許さなかったらどうしよっての? 学校に言いつけるつもり?」

 ……。

「無駄よ、無駄無駄。あたし達は『知りません』って言っちゃえば、それまで。だってあんた、証拠ないじゃない。証拠だしてみなさいよ! ショーコ!」

 二人で私を嗤う。

 許さない、とは言ったものの、本当に彼女達の言う通りだった。許せないけど、どうしようもなかった。どうしたらいいか、分からない。

「ちょっとぉ、白木さん。なんか言ったらー?」

 ……。彼女達の言う通り。何もできない。

 何か、何か証拠があれば、このふざけた二人を止められるのに……

「証拠ならここにあるよ!」

 ガラッ!

 ドアを開かれ、この空き教室に―――メイが入ってきた。

「ふぅん。なに? 証拠って。見せてもらぉ……」

 変わらない調子で話す砂川さん達が固まった。

 見るとメイは自分の携帯を掲げている。その画面には『録音』という文字。

「ふっふー。悪いけど、いや、全くもってこのメイは悪くないけど、今の会話全部録音させて貰ったよん。どう? 言い逃れできる? できるもんなら、やってみちゃってよ、あたしの前で!」

 そして、メイは首を少し傾けて言った。

「あんた達の……負けだよ」

 …………。

 突然の出来事で何が何だかよく分からなかったが、とにかくメイから今救われているのは分かった。

「このリンちゃんの見た目に依らない無鉄砲さは筋金入りだからさー。ちょっと隠れてついていったら面白い話してんじゃん。ちょっと録音したくなったんだよね、へへ」

 メイがこんなに頼もしく見えたのは久々の気がする。

 完全に二人を圧倒している。

「……やってみなさいよ」

「え」

「……ははっ、じゃあ、やってみなさいよ! 学校にでも教育委員会にでも言ってみなさいよ! その時はあんたとあんたの友達に同じことしてやるんだから」

 折原さん、砂川さんが開き直った!

 この台詞には流石のメイもたじろぐ。

「あなた達、友達思い振って、良い人を気取って楽しいでしょうね。あたし達の次のターゲットは、あんた達にしてやる。それで。もう。ずっとずっと、もう学校に居られなくしてやる! あは、あはははははははっ」

 開き直ったと思ったら……

 なんてことを言い出すのだろう、この二人は。もう根まで腐っているとしか思えない。

「ふざけるな……」

 メイの小さな声がした。

「そういえば、あんた。噂じゃ、あんたの家って―――」

「ふざけるなぁぁぁあああ!」

 聞いた瞬間メイが叫んだ。叫んで、叫んで、叫んで。二人に突っかかった。

 途端、窓から体格が大きな男子が数人入ってきた。やっぱり、女の子二人で来ているなんてあり得なかったんだ。


 ガタタタタッ!


 メイがその男子に投げられる。

 周りを見渡すと思ったより、かなり多くの男子がいた。出入り口二箇所はもう塞がれている。それに窓も。窓の外にも一人。室内に三人。

 失敗した。私は自分の甘さを痛感した。いじめの主犯が二人で来るはずがない。それにそもそも、根強いいじめが女生徒二人だけで行われていたのかも分からなかったんだ。

「そうね、あんたのその携帯、渡してもらおうかしら」

 メイに砂川さんが近づく。

 きっと大声で誰か呼んでも、誰も来ない。ここは旧校舎だから。人目を避けたのが、逆手に出た。

 ほんとに、いつも私は、間違ってばかりだ。


 ……ドゴッ。ガッ。

 鈍い、何かかぶつかる音が廊下から聞こえた。

 ガララララッ。もう一つの戸が開かれる。そこにいたはずの男子は床で伸びていた。

 そして空き教室の中へうつる影。そのシルエット。

「何をやっているんだ? お前ら」

 その声。

「カイ!」

 私は大声でその名を呼んだ。

「リン……」

「どうしてここに……?」

 もう頭が回らない。状況が掴めない。よく見たら入り口で男子が二人倒れている。

 そして片手に缶コーヒーを持ったカイが立っている。

「そんなつまらないことを訊いてどうするんだ? もっと別に何か言わなくていいのか?」

 デカい男達が私達を取り囲む。

「カイ…………助けてっ」

「ああ、任せろっ!」

 ものの数秒だった。

 カイ、缶コーヒーを片手に(?)、蹴りを繰り出す。そして一瞬缶コーヒーを(?)真上に投げ、その間に彼らを投げ飛ばし、一人を重い拳を一撃与え、そして落ちてくる缶コーヒー(?)をキャッチした。

 私もメイも言葉が出ない。カイが一人で、男子全員を倒してしまっていた。ものの数秒で。

 ……強過ぎでしょ……

「何よ! 一体、なんなのよ!」

 今度は折原さんと砂川さんが叫ぶ。

「お前らの負けだ」

 その言葉と共に、リョウが入ってきた。

「お前らは、俺達に負けたんだ」

「別にいいわよ。これからのターゲットが……」

 カッカッと、ゆっくり歩き。

 ゆっくりリョウが砂川さんの前に座る。

「そうすると、またお前らが負けるだけだ。俺達の前にな」

「ぐっ……」

「悪いが、俺はリンほど優しくないんでな。女でも容赦なく潰させてもらう。……だから痛い目に逢いたければ、好きなだけ俺達をそのターゲットとやらにするといい。お前が損をするだけだと思うが?」

 リョウは立ち上がり、私達を見た。私はすっかり座り込んでいた。メイもだと思う。

「リョウ、缶コーヒーだ」

「おっ、サンキューな、カイ」

 カイが缶を投げ、リョウが掴むとそれを開けて飲み始めた。

 カイが他の男子の持っていた鉄の棒の様なものを拾う。

「そこの二人、目障りだ。去れ。そしてもう二度と俺達と関わるな」

 カイの一言に、彼女達は慌てて教室から出ていった。

 リョウが缶を机に置く。

 もう時間も経って、空は橙色。缶の影が長く伸びている。

「怪我は無いか? 二人とも」

「うん、ありがと。まさかリョウまで来るとは思わなかった」

「ああ、俺も行くつもりはなかったんだけどな。つい……だ」

 無邪気な顔で笑う。

 彼女達とは全く違う、彼女達にできない笑顔。

「結局、改心させることはできなかったな」

 カイが残念そうに言う。

「そりゃそうだ。根っから腐っている人間を改心させるなんて、数年かかるぜ?」

「……認めたくはないがな」

 リョウもカイも、笑い合う。

 メイも落ち着きを取り戻してきた。さっきまで震えていたのだ。きっと彼女達がメイのトラウマに触れたから―――フラッシュバックみたいなものだと思う。メイ特有の。

「ねえ、メイはずっと摩訶不思議なんだけどサ。カイはどうしてここに来れたの?」

「ん? 無論、途中に立ちはだかる敵は全て蹴散らしたが」

「いや十分すごいけどさ。そうじゃなくって。ここに来るとは思わなかったの! この件について知らなかったでしょ?」

 ああ、それかと軽く言って、カイが説明する。

「それはリョウから話を聞いていたんだよ。一番始め、英語の小テストの日からな」

 そうだったんだ。

「えー……。じゃあ、最初はあたしだけ仲間外れだったんだ」

 メイが拗ねてしまった。

「本当はリンだけで解決したかったんだが、それは難しいとリョウが判断したから俺が駆けつけたんだ。そうだろ? リョウ」

「違う。俺はただカイに『旧校舎一階空き教室まで缶コーヒーを買ってきてくれ』と頼んだだけだ」

 ふん、とリョウが窓の方を向いた。本当に子供っぽいなぁ。

 ……ん?

「その仮の約束を律儀に守るため缶コーヒーを持ったまま闘ってたってこと?」

「……そうだが」

「カイ、馬鹿か!」

 メイが元気にカイに突っ込んでいた。




 結局のところ。

 事件完全解決とはいかなかった。なにせ彼女達自身が変わっていない。まあ、リョウから言わせれば『そういう人間だからしょうがない。そんな人間に対して俺達がどうするか』らしいんだけど。

 それでも完全には心は晴れなかった。



 でも。

 皆のお陰で、三戸さんに対するいじめは無くなった。これも事実。

 もしかしたら彼女達はまた別の人をターゲットとして楽しんでいるのかもしれない。もしかしたら陰で誰かが泣いているのかもしれない。誰も知らない場所で。もしも、できれば、その人を慰めてあげて、味方して。私は共に闘ってあげたい。


 しかして、これも無理な願いである。

『俺達はスーパーマンでもなければ、ヒーロー戦隊でもない。ただの人間だ。だから全ての悪を知ることはできない。目の前の悪をヒーローの如くやっつけたとしても、世界には悪意が溢れかえっている。全てを救うことはできない。目の前の人しか救えない。時には目の前の人すら俺達は救えない。救えても、たとえ目の前の人だけを救っても、他の泣いている人は無視するのか、リンは』

 リョウが言っていた。

 分かっている。分かっているけど……

 違うと、そう言いたかった。

『みんな無視できないと、そう言ってしまうとお前は全てを人を助けることになる。ま、無論、可能なことではない。全ての人を救うなんて無理だ。まず、敵にも弱者にも全て気付けるわけではない。気付かず俺達は素通りする。まぁ、人の悪意に気付けたところで、勝てるかどうかはまた別の話だしな。……それにだ。もしその助けるべき相手が、かつての悪だったらどうする。個人的な感情でリンの正義は揺らぐのか?』

 ……そうじゃない……けど。リョウの言う通りだけど。

 じゃあ、私達はどうして生きていけばいいの? こんな世界を。

『さぁな。俺は知らない。それは自分で考えることだ』

 でもリョウは、皆は。

『それでも、俺も、カイも、メイも。この世界で今もこうして生きている。生きることを放棄したりしない。前を向いて進んでいるんだ。リン。……お前は前を向いて歩き続けていればいい』

 優しいリョウの声。

 いつもそばにある、確かな温かくて強い声。

「うん。ありがと、リョウ。……リョウ? じゃあ、最後に一つだけ。なんでリョウは、あの時私を助けてくれたの? ついて来ないって言ったのに。目の前の悪意だけ退けても、解決なんてしないのに」

『結局、俺がお前を助けたのは……俺がムカついたからだ』

「はは、子どもみたい」

 頬が緩んでしまう。知らず、涙が出るほど。

 大人になりたくねぇからな、とリョウらしい軽い台詞が返ってくる。

「リョウがムカついたから? それだけなの?」

『ああ。大切な人は傷つけられたくないからな。まぁ、なんだ…………それに、俺はリン―――』

「ま、いいや。それ以上は言わなくていいよ」

 私は言葉を遮る。

 ―――が放っておけなかった。とでも言うつもりだったのかな。そういうことにしておこう。

「じゃ、おやすみ、リョウ」

『ああ、おやすみ』

 …………。

「ありがとね、リョウ…………」

 言って私は携帯を切った。

 通話終了の文字と共に、携帯から無機質な電子音。


 これからも皆とずっといたい。

 この世界で一緒に支え合いながら、生きていきたい。たとえ辛い世界でも―――幸せに。

 私はそう思った。










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