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前夜祭

 『狐さん』の噂は、入学当初からあった。実際、千晴も何度か遠くから見かけたことがある。講義棟前のベンチで、大学生協のイートインで、運動場横で。

 昼夜問わず出没する彼に近づく者はなく、また、すぐに移動して姿を消してしまうため、その顔も名前も知る者はいなかった。文学部棟とサークル棟の間に何故か設置されている、小さなお稲荷さんの祠のお使いなんじゃないかと言う話まで、まことしやかに語られる始末だ。そのおかげで、彼はこの大学の三大変人として名を馳せている。


 残り二人の一方は、法学部の伊万里(いまり)教授。約20年前から姿形が変わっていないという、シーラカンス的な老教授だ。髪どころか眉もひげも真っ白でいかにも高齢なのだが、やたらと姿勢が良く、すたすたと競歩並みの早足で歩いているのをたまに見かける。あれは確かに変人っぽい。


 そしてもう一方は、理学部の院生・()(どう)さん。研究室でピンクのイグアナを飼っているとか、動物実験で尻尾が九本のリアル九尾の狐を作っただとか、妙な噂の絶えない人だ。こちらは未だお目にかかったことがなかった。


 この二人と比べたら、狐のお面を被っただけの人なんてかなり常識的な気がしてくるから不思議だ。それでもきりが良いからか、彼も加えた『三大変人』は、おそらくは知らない者がいないくらいに有名なのだった。

 まさかそんな人と関わることになるとは、欠片も思っていなかったというのに。


「ちょっと千晴ー。ぼーっとしてないで手伝ってよお」


 目の前に、梨佳子が眉を寄せて立っていた。腕には大量の紙束を抱えている。慌ててパイプ椅子から立ち上がり、ごめん、と謝った。

 本祭の前日とあって、実行委員会本部はばたばたと忙しない。ひっきりなしに人が出入りし、指示の声が飛んでいる。


「ステージの搬入始まってるぞー、立ち会い誰?」

「俺行く。パンフレットの追加、10時に着くから受け取り頼むな」

「だれー? 出入り口に荷物置いたの」

「油性マジック貸してー」


 混沌とした室内で、おたおたしているのは千晴ひとりだ。手伝いを申し出たのは自分だというのに、これでは邪魔にしかならない。

 急いで梨佳子のところまでテーブルを回り込んで近づいた。


「梨佳、私何すればいい?」

「じゃあ、目立つ掲示板にイベント告知のポスター貼って来て。これ、掲示板のガラス戸開けるマスターキー。それ済んだら、生協で多めに両面テープ買ってきて。予備はあるけど、そろそろ切れそうなんだよ

ね」


 早口の指示に何とか頷いて、紙束の上の方からポスターと鍵を受け取る。領収書もらうの忘れないでよー、という声を背に受け本部を出た。

 狭い廊下をみんなほとんど駆け足で移動しているので、いちいち避けなければならない。ここには学生会や放送部なんかも入っているので、どっちを向いても忙しそうな学生の姿が目に入る。


 階段室に曲がったところで、向こうから来た人にぶつかりそうになった。


「おっと、ごめん。……あ、手伝いの子? ありがとね、助かるよー」


 身軽に避けた後、千晴が抱えたポスターを見て気さくに声をかけてきたのは、背の高い男だった。緑の腕章をつけているので本部の人だろう。先輩だろうか。

 ぺこりと頭を下げると、彼の後ろからもう一人の男が急かした。


「おい、香川(かがわ)あ。後ろつかえてるって」

「悪い。じゃあ、よろしくね」


 同じく腕章をつけ、大きな段ボール箱を抱えた短髪の男と一緒に、急ぎ足で本部の方に曲がっていった。みんな忙しいのだ。自分も頑張らねば、と階段に踏み出した。


 昨日からの物思いに決着はついていない。正直、もう考えるのも嫌になっていた。一人で家にいても良いことはないと思えたので、梨佳子に連絡して準備手伝いに加わることにしたのだった。

 乗り気じゃなかったのに、と不思議そうではあったけれど、よほど手が足りないのか、二つ返事で了承をくれた。

 自分でやると言ったのだから、気分を切り替えなくては。


 ポスターを抱えて歩く大学構内はまさに非日常空間で、ほんの少しとはいえ自分もそこに加わっていることは、心が浮き立つ感じがした。梨佳子に頼んで正解だったかもしれない。

 学部ごとの掲示板が並ぶ場所に辿り着き、イベント用掲示板の前に立つ。掲示板にはほかのサークルや団体の宣伝ポスターも雑多に貼られていて、かなりカラフルで賑やかだった。


 鍵穴にマスターキーを差し込みながら、工事現場みたいな音をさせている講堂前の広場を見た。

 そこは野外ステージ設営の真っ最中で、小型の重機を使って銀色の鉄骨が次々に組み上げられているところだった。ライブというものを見たことがないが、なかなか本格的なもののようだ。

 かしゃんと音を立てて開いたガラス戸を引き開け、ポスターを1枚とって画鋲で固定していく。そうしながら、なんとなく内容に目を通した。


『イベント告知!! 巨大プロジェクト始動!! 今度の祭りは何かが起こる!? 詳しくは本祭1日目の開祭式にて★』


 ……ずいぶんと大雑把な告知だ。いいんだろうか、こんなんで。

 まあ、実行委員でもないただの飛び込み手伝いの千晴には関係のないことだ。あれだけみんなが忙しく飛び回っているんだから、成功して無事に終わってほしいとは思うけど。

 固定し終えてガラス戸を閉め、施錠したところで、横から声がかかった。もう、目を向けなくてもその主がわかるほどに聞きなれた声。


「よっ、映画娘。お前、実行委員になったの?」


 できれば、気分を切り替えようとしている今は、出会いたくない相手だった。

 無視するわけにもいかず、ポスターを抱えて彼に向き直った。


「どうも、皐月さん。昨日はごちそうさまでした。実行委員なのは友人で、私はただの手伝いですよ」

「友達思いだねー。えらいえらい」


 実はそういう動機ではないのが後ろめたい。ごめん、梨佳子。

 前髪を横に分けてピンで留め、後ろ髪を一つにまとめたヘアスタイルは、珍しく比較的まともに見えた。ピンにリンゴや花のモチーフがついてなければ、もっとよかったと思うけれど。


「皐月さんは、ここで何してるんですか?」

「ん、俺? 今日は俺が鍵開け当番でねー。どうせ学祭中に図書館利用する奴なんかいないし、時間も短縮するくらいならいっそ休みにしてくれればいいのにって思わない?」


 愚痴る皐月は今日も仕事で来たらしい。


「大学祭の間も開けてるんですか? 知りませんでした」

「だろうね、ほとんど誰も来ないもん。開けてるのも11時から16時まで。半端もいいところでしょ」


 つまらなそうに言って、千晴に手を差し出した。


「あとどこに貼るの、それ。手伝ってやるから貸してみ」

「……え。いや、いいですよ。これからお仕事なんでしょう?」

「1ヶ所か2ヶ所くらいなら手伝えるよ。図書館までの間にも、いくつか目立つ掲示板があるでしょ」


 ね、と微笑まれて、仕方なくポスターの束を渡す。歩き出した彼の後をついて行きながら、手持ち無沙汰に手に残ったマスターキーを転がした。皐月はポスターを広げて、面白そうに笑った。


「『巨大プロジェクト始動!!』ねえ。随分と煽るなあ、あいつらも」


 あいつら。企画した学生を知っているような口ぶりだ。


「何の企画か聞いてるんですか?」

「教えられないよ? 長いこと準備してきた企画みたいだし、口止めに出店の無料食べ歩き券もらっちゃったもんね」


 この人は、そういうことばかりしてるんだろうか。

 文学部棟の前に差し掛かって、掲示板を見つけたのでそこに貼ることにする。鍵を開けて、ポスターを貼るのは皐月に任せて一歩引いて見ていると、ふと隣のサークル棟との間に目がいった。


 そこには壁と壁の隙間に挟まるように、小さな(ほこら)がちょこんと鎮座していた。石造りのそれはずいぶんと古いが、誰かが手を入れているのか、苔むしてはいない。陶製の(つい)の狐も、つるりと光沢を持っていた。


 これが、『狐さん』がお使いだっていう噂のあった祠か。

 じっと見つめていた千晴の顔を、ひょいと皐月が覗き込んだ。


「おーい、終わったぞ」

「え、あ。すいません、ありがとうございます」


 慌てて視線を戻す。彼は千晴と祠の方を見比べて、首を傾げた。


「何。そんなに気になる?」


 気に、なる?

 とっさに狐面の男が浮かんで、顔が熱くなった。何故、ここで赤面しなきゃいけないのか。絶対、間違ってる。

 そう言い聞かせても顔色は戻らず、目を丸くして見ていた皐月は、ふいに笑みを浮かべた。


「……へえ。そういうこと」

「ど、どういうことですかっ」


 やばい。この顔は、ばれている。

 からかわれるに違いない、と身構えた千晴の予想に反して、皐月は笑みを消してため息をついた。

 その反応の意味が分からず戸惑っていると、千晴と視線を合わせて彼は言った。


「映画娘。『彼』が好きなら、急いだ方がいいぞ。たぶん、大学祭が終わればお前は『彼』を見失う」

「は?」


 見失う?


「意味が、分からないんですが……」

「もうすぐ分かるさ。俺も、詳しいことは言えない」


 皐月はぽかんとする千晴の手から、マスターキーを取って施錠した。その横顔を見ながら、ただ混乱する。彼の言葉が頭の中をぐるぐるとまわっていた。

 千晴の手にキーを戻して、皐月はそのまま彼女の頭を撫でた。


「いいな。諦めんな、がんばれよ」


 そして横をすり抜け、先へ行ってしまう。


「次に行くぞー」


 呼ばれてのろのろと足を動かしながら、頭を抱えたくなった。

 いったい何なんだ。次から次へと。




 頭を整理する暇もなく、あちこちの準備に走り回っているうちに日は暮れた。前夜祭が始まるということで梨佳子に引っ張られ、ほかの実行委員とともにぞろぞろと野外ステージ前に向かう。

 準備を終えた様々な団体が集まってきているようで、かなりの人でごった返していた。すでに心身ともに疲れきっている千晴はすぐにも家に帰りたかったけれど、目をきらきらさせた梨佳子の腕から逃れることはできなかった。


 やがて、ステージ上の煌々としたライトの中に男子学生が二人現れた。あれ? と思いよく見れば、午前中に階段室でぶつかりそうになった二人だ。

 背の高い方は香川、短髪の方は(はる)()と名乗った。どちらも二年生ながら、実行委員長と副実行委員長を務めているらしい。速攻で立候補して役職に納まったのだと、梨佳子が横で教えてくれた。


 香川が朗々と前夜祭開始を宣言すると、腹に響く音が響いた。ステージ脇で和太鼓サークルの演奏が始まったようだ。

 人混みでほとんど見えないけれど、重い音はまっすぐに響いてきた。すごい。連打に合わせるように心臓の鼓動も大きくなる。わくわくしてきて、自然と笑みが浮かんだ。隣の梨佳子は歓声を上げて手を叩いている。


 演奏に合わせてステージ上では演舞が始まり、和風の衣装の裾や大きな旗が華麗に(ひるがえ)る。すごい迫力だ。瞬きも忘れそうなほど見入りながら、千晴も梨佳子と一緒に歓声を上げた。

 大学祭がここまで本格的なものだとは知らなかった。興味を欠片も抱いていなかった頃の自分に教えてやりたい。


 どんどん盛り上がっていく前夜祭の中で、悩みも新たな混乱も、すっかりどこかに行ってしまった。それは千晴にとって望むところだったけれど、事態はそう簡単なものではなく。

 皐月の忠告の意味を思い知るのは、翌日のことだった。

  


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