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エレナとサリーはゾフィーの部屋へ戻った。部屋に入ると、エレナはゾフィーの変わらぬ笑顔に安心感を覚えた。その笑顔は小さい頃から周りに大切にされ、自分もまた他人の要望に耳を傾け続けてきた、王族特有の懐の深さからきていた。
「あらエレナ、チャールズ王子に手紙を渡すことは忘れてないわよ。ちゃんと持ってるし。それとも、他に言い忘れたことでもあった?」とゾフィーは尋ねた。
ゾフィーの柔らかい態度に感謝する一方で、エレナはバナームの使節団の突き刺さるような視線を感じた。(何のために戻って来たんだ? お前にもう用はないぞ)といった雰囲気が、部屋の空気をピリつかせた。同盟の障害となった自分は、疎ましく思われてもしかたない。エレナはそう感じ、彼らの気持ちも理解できた。
しかしエレナは、気まずい空気が流れている場面では、その気まずさによって押し込めたいと思う話題こそ、恐れずに出すべきだと、ダスタン(エレナの父親)から教わっていた。空気を読むという行為は、空気を作り出す主体性を失うことではないと、このときもエレナは自分で自分を奮い立たせた。
ゾフィーへ、単刀直入に相談した。「実はこの城の地下牢で、私の家の者が囚われているの。先日の砲撃事件の日に、誘拐されてしまって……。どうしても助けたいの。私に力を貸してくれませんか?」
ゾフィーは目を丸くして驚き、「なぜ囚われてしまったの?」と口にした。
エレナはゾフィーに誤解されたくないと思い、「ベガで何か悪いことをしたわけではないのよ。サウスブルクの屋敷にいたはずなのに、突如姿を消したの。ヴァレンタイン家で調べた結果、この城の地下にいることが判明したの」と事情を説明した。彼女の声は震えていたが、真剣さが伝わった。
「ここで囚われているって、どうやってわかったの?」
エレナはヴァレンタイン家の忍びがベガの城に潜入している事実を伝えた。事情を一通り把握したゾフィーは、「どうしたものかしら……?」と言って、ギルベルトに相談の目を向けた。ゾフィーが決定権を持つとはいえ、実行や判断においてはギルベルトへの信頼が見えていた。彼女の表情は、まるで子供が困ったときに親に助けを求めるかのようだった。
エレナの期待は大きくなかった。誘拐はバナームに直接関わりのない事件である。そして、地下牢からウィステリアの人間を脱出させたことが明るみに出れば、バナームはベガとの友好関係を維持できなくなるだろう。エレナは、彼らが抱えるそのリスクを承知の上で助けを求めていた。
だがエレナにとって意外なことに、ギルベルトは真剣に考え込んでいた。眉間に皺を寄せながら頷き、口元がわずかに緊張した様子だった。門前払いになるかと思われた相談だが、交換条件を考えてくれているのかもしれないとエレナは思った。そして彼女は、表面的には氷のように冷たく見える政治家の男が、取引の純粋さを心の奥で大切に抱いている姿に、意外なほどの魅力を感じていた。そこには、リスクを伴う取引をきっかけにして、心の奥深くに湛える優しさが香るという、複雑な魅力があった。ギルベルトは人を感情で判断せず、その都度新しい視点で相手を見つめ直すことができる。エレナの目にはそう映っていた。
「協力は可能ですが、一つだけお願いがあります」とギルベルトは口を開いた。
(よかった……でもやっぱり、取引よね)
協力という言葉にほっとする一方で、何を要求されるのかと緊張したエレナは「何をして欲しいの?」と慎重に尋ねた。
「わたしは、ウィステリア王国のサウスブルクで生産されているベルパールが気になっています。生産現場を見せていただけるなら、脱獄をお手伝いしましょう」
ギルベルトは穏やかに答えた。彼の割り切りの良さは、冷静さと情熱が絶妙に交錯する独特の美学を醸し出していた。
ソラとサミュエルを助けるためには、彼の要求を飲むしかないとエレナは悟り、重い口調で承諾した。ベルパールの生産自体はバナームにも可能だが、効率的な方法を探求しているのだろうと彼女は想像した。技術の流出につながる恐れはあったが、ウィステリアの人間がベガの城に拉致されているという事実は、国の威信に関わる深刻な問題だった。国家として、自国民の救出に勝る事項はないというのが、エレナの信条であり、その思いは揺るぎないものだった。それは幼い頃よりウィステリア国王に可愛がられてきた彼女の経験と、王家への忠誠心とが織りなす絆に基づいていた。
「もう一人ここへ私の仲間を呼んでもいいかしら?」
ゾフィーがうなずいたのを確認し、エレナは「カナエ」とつぶやいた。瞬く間に、カナエが音もなくエレナの横に現れた。その姿は、彼女の身の軽さと隠密性を感じさせた。
ギルベルトはカナエを一瞥した後、見取り図を取り出した。そこにはベガの城内のありとあらゆる場所が描かれていた。彼は指で示しながら、「ここが地下牢です」と教えた。地下牢は複雑な構造をしており、エレナにはどこがどうなっているのかひと目見ただけではわからなかった。
カナエは見取り図を目を凝らして見つめ、驚きのあまり「え! こんな通路があったなんて!」と声をあげた。
ギルベルトはニヤリとし、「この城には隠し通路がいくつか存在します。もし地下牢に入るなら、この通路を利用すると警備を避けられます。ただし、通路の開け方には工夫が必要です。この壁のレリーフを回すことで、隠れた扉が現れるのです」と言うと、レリーフの絵を描き、カナエに説明した。ギルベルトはどこか得意げで、なぜかイキイキとした様子だった。これまで見せたことのない陽気な態度にエレナは驚きつつも、彼の意外な一面に心がほどけるような感覚を覚えた。
エレナはどうしてギルベルトがこれほどベガの城に詳しいのか疑問だった。まるで彼は地下牢にいたことがあるかのように、一つひとつの説明が具体的すぎた。ギルベルトを見守っているゾフィーは、ただ黙ってギルベルトの説明に耳を傾けていた。
我慢できなくなったエレナはゾフィーに訊いた。
「ねえ、ギルベルト様はどうしてこんなに詳しいの……?」




