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6、再就職希望先

 翌日、私はジオンとともに再び主様の執務室を訪れていた。昨日は感情的になって逃げ出してしまったけれど、主様は嫌な顔一つ見せずに迎えて下さる懐の広いお方です。

 まあ、あの後ジオンが口添えしてくれたのでしょうけれど。そういう大人の気遣いが出来るアピールも嫌いだ。

 そのジオンは隣にいるけれど、明らかに落ち着きがない。朝からやけに得意げな表情を浮かべていると指摘され、部屋に入る前から「大丈夫か? 本当に大丈夫なのか!?」と執拗に迫られ、そろそろ鬱陶しくなっている。

 そんな私の癒しは主様。部屋を訪れるなり主様は笑顔を向けてくれたけれど、私の目にはどこか悲しそうに映った。


「サリア、何かやりたいことは見つかったかな?」


 本当にこんなことを願っても許されるの?

 躊躇いが言葉を鈍らせる。けれど密偵の迷いなど主様には筒抜けだ。


「遠慮することはないよ。なんでも願ってごらん。普通の女の子に戻りたいというのなら便宜を図る。もちろんこの仕事を続けたいというのなら新しい主を探そう。君はとても優秀な子だ。望めばなんにだってなれるさ」


 主様はたった一言で私の躊躇いを消してしまう。

 確かな決意を持って、私は主様と向かい合っていた。


「お言葉ですが主様。私の主は生涯ただ一人と心に決めております」


 見つめられていた視線を真っ直ぐに返す。

 もちろん貴方様のことですよと、眼差しで伝えた。


「私は主様以外の人間に仕えるつもりはありません。ですが主様は密偵としての私はもう必要ないとおっしゃられました。護衛も、そこの抜け駆け男だけで、他は不要と。けれど私は、それでも主様のおそばにいたいです。それ以外の生き方は……どうしたって考えられませんでした」


 これが一晩かけての私の答え。


「そう……」


 主様の小さな呟きが胸に刺さる。やはり困らせてしまったことが申し訳ない。

 でも後悔はしているかといえば、それは違う。たとえ主様が瞳を伏せ、憂いに顔を曇らせたとしても、私は引き下がれない。


「君の気持ちは良くわかった。なら君は」


 再び視線が交わった時、そこに映っていたのは優しい色だった。悲し気に映っていたはずの空気は穏やかなものへと変わっていた。

 まるですべてを受け入れたかのように――

 そんな空気に背を押され、私は決意を口にする。


「ですから私は料理人になろうと思います」


「どうしてそうなったのかな!?」


 主様は椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がる。優雅な仕草が美しく、取り乱すことの少ない人なのに、どうされたのだろう。訳が分からず瞬いていると、くい気味で質問をされた。

 ジオンに至っては天を仰いでいる。なんで?


「君が、料理に興味があったなんて初めて知ったよ」


「いえ、特に興味はありませんが」


「え?」


 そのような話をしたことがあったでしょうか。私が首を傾げると、つられるように主様まで同じ仕草をしていた。


「よければ聞かせてくれないか。なんでまた……あ、いや、どうして料理人を志そうとしたのかな?」


「はい! 実はジオンのおかげで気付くことが出来たのですが」


「え、俺ぇ!? ちょっと待て俺を巻き込むな!」


 恐るべき速さでジオンが反応する。そんなジオンを、私は久しぶりに穏やかな心で振り返ることが出来た。

 このところは憎しみの感情ばかり、怒りでこの人のことをどうにかできたらと大人げないことも考えたりしたけれど、最終的に道を示してくれたのはこの上司だ。


「ジオンたら何を遠慮しているの? ジオンが教えてくれたんですよ。優秀な密偵たる者、自ら主の望みを探り出せって!」


「だめだこいつ根っからの密偵すぎる……」


 ジオンが項垂れる。

 主様はにこにこと、まるで張り付けたような笑顔を浮かべていた。


「へえ、そうなんだ。ジオンが」


「いや、違うんですよルイス様! 誤解なんです!」


 ジオンは叫ぶが、主様はまるで聞いていないかのように頷く。ジオンは必死に主様へと食い下がっていた。


「ジオン、この後残ってもらえるかな。君とはじっくり話さなければならないことがあるようだ」


 それは決定事項としての通達だ。ジオンは青ざめているけれど、主様のそばにいられるなんて私にとっては羨ましい限りなのに!

 放っておけばまたしてもジオンに嫉妬しそうなので、私は気を取り直して主様に向き直る。

 最愛の人の前で、出来ることなら不機嫌な顔は見せたくない。それに私にとって主様からの質問に答えることはジオンに嫉妬するよりも大切な、優先事項だ。


「密偵は必要ない。護衛も必要ないと主様はおっしゃられました。ですから私はジオンに言われた通り、他に何か主様のためにしてさしあげられることがないか、探して回ったのです」


「言ってねえ!」


「謙遜なんて、たまにはジオンも謙虚なことをするんですね。最初は憎しみでこの男を消せたならと思っていましたが、これでも今は素直に感謝してるんですよ? ジオンのおかげで主様が城の料理を恋しく想われていることに気付けました」


「いや多分これからの俺の境遇を鑑みるに、そっちのが何倍もマシだったぜ!?」


「もう、さっきからうるさいんですけど。こっちは大事な転職面談中なんですよ」


 これだから再就職先が決まっている人は!


「主様、主様はこの城の料理がお好きなのですよね?」


「あ、ああ。まあ、そうだね」


「私が料理人になれば遠い地でもお召し上がりいただくことが可能になると思いませんか? もう食べられないと嘆かれる必要はないのです。ですからどうか、料理修行を終えた暁には私を料理人としてお雇い下さい!」


 主様は無言で美しい顔を覆ってしまった。見られたくないものでもあるのだろうか。


「サリア、まさかあの時、兄上との会話を聞いて……」


「さすが壁に耳あり窓辺にサリアあり……」


 ジオンが呟いたのは私をからかう時に持ち出す失礼な格言だ。

 いつもなら失礼なと目くじらを立てるところだが、今日に限っては感謝しているので拳を収めておく。

 それに今の私には密偵以外で得た初めての目標がある。心が満たされたような充実感を抱いていた。


 あの時、セオドア殿下との会話を耳にして私は思った。

 主様のおはようからお休みまで、そのすべての食事を自分が作る。

 するとどうなる?

 食事は主様の一日の活力になる。

 私の中でかちりと歯車が噛み合った瞬間だった。

 これって、物凄く主様のお役に立っていませんか!?

 立ちますよね!

 それに、それにですよ?

 主様から「美味しかった」などと褒められたらどうなりますか?

 天にも昇る気持ちです!

 よくやったと褒められることは多数ありましたが、考えてみれば「美味しかった」は頂いたことがありません。主様からの「美味しかった」宣言、ぜひそのお声で聞かせていただきたいと思ったのです。


「私をこの城の厨房で働かせて下さい。もちろん皿洗いからで構いません。すぐに料理長の技術を盗んでみせます」


 正直なところ、私は料理と呼べる代物を満足に作ったことがない。

 前世? 前世ではおばあちゃんのご飯大好きっ子でしたが何か?

 でも私にはゆっくりと料理修行に励んでいる時間はありません。一刻も早く主様のため、城の料理をマスターしなければならないのです。となれば料理長ターゲットのそばで働くことが一番の近道だ。

 たとえ料理が出来なくたって、私は主様の優秀な密偵。不可能なんてあり得ません。おそらく料理技術も密偵技術を習得することと大差ないはずです。


「…………サリアが、望むのなら……」


 物事をきっぱり言い切る主様にしてはしては珍しく、煮え切らない口調だった。しかも貼り付けたような笑顔を浮かべている。きっとこれは主様にとって望まない結果だ。それでも私は意見を曲げない。


「僭越ながら、明日から一週間ほどお暇をいただけますでしょうか」


「ああ、そうだったね。君はこれまでまともに休暇を取ったこともなかったから、これを機にゆっくり休むといいよ」


「いえ。まずは同僚の素性調査を行いたく思いますので」


「君は料理修業に行くんだよね?」


 やや強め口調で確認されたので、私も主様に合わせて力強く頷いた。


「もちろんです。ですが料理修業も密偵も同じようなもの。まずは円滑な人間関係を形成するために同僚の素性を知ることは重要です。不測の事態が起こった場合、迅速な対処が可能となりますから。このたびは単独での任務となりますので、一週間もの時間を頂いてしまうことは申し訳ないのですが……」


 調査にこれほど時間を割いてしまうことは主様の密偵として情けないことではあるけれど。


「ルイス様、こいつはこういう奴なんですよ。本当に厨房に送り込んでよろしいのですか!?」


「ちょっとジオン、私の転職に反対しようって言うの!? せっかく少しだけ見直してあげたのに、自分はもう再就職が決まっているからって狡いです」


「るせー! 俺は純粋にこの城の厨房の行く末を心配してんだよ」


「なによ、私が厨房に入ったら問題があるとでも言うの?」


「だからそう言ってんだろーが! ですよね、ルイス様!?」


「主様!?」


 私とジオンは同時に判断を仰いでいた。ここで二人で言い争ったところで何も解決はしない。全ては主様次第なのだから。


「いいんだ、ジオン。正直に言って紹介状をかくまでもない希望先である事は少し残念に思うが、俺はサリアの希望を尊重したいと思う」


「主様!」


 その瞬間、勝ったと私は拳を握った。しかし主様は続ける。


「それと、サリア」


「はい!」


「俺に詫びる必要はないんだよ。君はもう俺の密偵ではないからね」


 主様は優しく、まるで諭すように言って下さる。

 ここに勝ち負けや、まして優劣などは存在しないけれど。その瞬間、敗者は私なのだと痛烈に感じていた。ジオンに怒りを向ける余裕さえなく打ちひしがれている。

 もう主様の密偵ではなくなった。その事実が重く圧し掛かる。

 けれど隠し通さなければならない。遠い地へ向かわれる主様に自分という存在を背負わせてはいけない。主様は優しい人だから、私はが悲しい顔をしていては気にしてしまう。

 だから声を震わせないように。平静を装わないと。

 こんなところで主様を困らせてどうするの?

 何でもないふりをしよう。笑顔の仮面を貼り付けて頷いた。


 こうしてやや強引にではあるが、私の転職希望は無事聞き届けられました。心情的にははちっとも無事ではないけれど、絶望的だった解雇通達後からすれば未来は明るい。

 私は意気揚々と部屋を出て行くけれど、羨ましいことにジオンは主様と二人きりで大切な話があるらしい。先んじて聞き耳を立てることを禁じられてしまったので、私は大人しく帰宅することにした。

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