4、抜け駆けされた
「これでいいんだよ。俺は王様になりたいわけじゃない。陛下が兄上を選ばれたというのなら、俺はそれに従おう。たとえこの先、何が起ころうとね」
何が起ころうと……
あえて突き放すような言葉を選ぶ主様を少しだけ怖く感じた。
「邪魔者はすぐにでも城を追われるだろうね。俺の予想ではリエタナたりかな」
「リエタナ!?」
またしても私は口を覆っていた。そうしていなければ悲痛な叫びが抑えきれそうにない。
リエタナとは、ここ王都から遠く離れた辺境の地で、主な収入といえば農作物くらいだろう。
私はこの世の終わりほどの絶望を感じているけれど、主様が優雅な笑みを絶やすことはなかった。
「だからその前に、今日まで尽くしてくれた君たち恩を返したくてね。こうして集まってもらったというわけさ。王子であるうちに、この権限を駆使して希望の職種に紹介状を書かせてもらうよ。どんな場所でも、どんな相手でもね」
主様の従者であるジオンと、主様から個人的に雇われていた私は、このまま城に残ることは難しい。いまのうちに身の振り方を考えるようにとのお達しだ。
主様はどんな場所でも、どんな相手でもと仰られた。つまり仕事を選ばなければ城に残れる道もあるということだ。
「おそれながら申し上げます」
何か希望があるのか、ジオンはすかさず声を上げていた。
「継承権を剥奪されたところで自分の心は変わりません。ですからどうか、終焉の地までのともをお許しいただけないでしょうか」
「はあ!?」
この男、堂々と抜け駆けしただと!?
私は自分でも意識する前にジオンを睨みつけていた。とても許せる所業ではない。
本当ならすぐにでも問い詰めたいところではあるが、それよりも問題は主様の返答だ。素早く振り返った私は息をのんで行く末を見守る。
「ジオンは物好きだな。俺について来ても得をすることはないのに」
「お言葉ですが、自分は損得でお仕えしていたのではありません」
「だとしても、楽しいことだってないだろ。辺り一面、山と畑だよ?」
「構いません。山であれば自分は林業に。畑であれば自分は農夫にでも転職致しましょう。元は農家の出身でして、田舎暮らしにも慣れています」
「そう」
試すような空気はいつしか和らぎ、主様はどこか嬉しそうに言った。
「それが君の求める就職先であるのなら、俺が止めることは出来ないかな」
「感謝致します」
「なっ、あ、なあっ!?」
あろうことかジオンは私の目の前で主様のそばにいる権利をもぎ取っていった。
なんて羨ましいっ!
しかも抜け駆けするなんて最低だ。
「主様! 私は、私にはジオンほどの力はありません。ですがこの身も主様の盾になることは出来ます。どうか私もおそばに置いてはただけないでしょうか!?」
必死に懇願する。でも、私の願いが聞き届けられることはなかった。
「それは出来ない。俺に盾は必要ないんだ。気持ちは嬉しいけどね」
「ですが……ジオンは良くて私はだめなんですか!?」
もはや体裁に構っていられない。正直に訴えれば主様は言葉を濁らせていた。
「ジオンは、まあ、ね……」
肯定された私は歯をくいしばる。ジオンが先駆けたせいで貴重な一枠が埋まったとしたら呪うと決めた。
「サリア、頼むからそう人を呪いそうな目で凝視するのは止めてくれ」
「は? 何言ってるんですか、呪うに決まってますよね。自分のしたことを忘れたんですか!?」
ジオンは知っている。私がどれほど主様をお慕いしているのかを。
重ねて言おう。それなのにこの仕打ちであると。
これはない。ないったらない!
「主様。もしも護衛の枠が一つだというのなら、私にはジオンを倒してでも奪い取る覚悟があります」
言いながら拳を構えた。困らせている自覚はあるけれど、私だって引き下がれはしない。
確かにジオンには及ばないけれど、私だって戦うことは出来る。身を守るすべはジオンから教わった。主様のためなら、この身が傷つこうと、手を汚しても構わない。その覚悟だってある。
そう、たとえばジオンの弱みを握って脅すという汚い手を使ってでも……!
「ありがとう、サリア」
「はっ!」
主様のお声に目が覚める。まるで私の邪な考えを遮るかのようなタイミングだ。平気で汚い手を使おうとした私を止めてくださったのかもしれない。
「でも君は、難しいかもしれないけど、自分の幸せを考えてみてはくれないか」
「自分の……私の、幸せですか?」
呑み込めなかった言葉をそのまま繰り返していた。
「そう。君は女の子なんだ。それもまだ十七歳のね」
はい。聞きましたか!?
我らが主は密偵の年齢まで詳細に把握して下さるのです。私はまたしても声高に叫びたくなった。
些細なことがたまらなく嬉しい。そんな人だからこそ、これからもそばにいたいと願うのだ。
けれど主様の願いと私の願いは違った。
「今からだって遅くはないよ。恋をして、幸せな結婚をすることだって出来る。ね? 一度冷静になって考えてみてはくれないか」
「……どうして、ですか」
恋?
恋というのなら最初から叶うはずのない恋に身を置いている。
主様と出会ってから、どれほどの時間が過ぎただろう。
時が経てば経つほど、重ねた年月が増すほど、主様への想いは募るばかりだ。
憧れ、尊敬、敬愛、恋情、いずれの感情も主様以上に抱ける相手は存在しないだろう。
おこがましくも手の届く存在だとは思っていない。だからこそ、せめてそばにいたいと願うのだ。役に立つことで、そばにいることを許されたいと。
その人から、ついに別の生き方を見つけてほしいと言われてしまった。
「今更、主様のため以外に生きる道を探せというのですか?」
出来るだけ平然と、感情を抑えて問いかける。そうでなければ情けなく声が震えてしまいそうだ。
「酷いことを言っている自覚はあるよ。それでも俺は、護衛としてサリアを連れていくことは出来ない。もちろん密偵としてもだ」
「そんな、だとしたら私はどうすれば……」
その一言は私の感情を爆発させる。
密偵として必要ないと言われてしまったら、どうすればいいの?
ちっとも、まるで、わからない。
他の道など考えたこともなかった。
この命が尽きる日まで、この関係が壊れることはないと信じていた。
「それでも……私の主は主様だけです!」
まるで言い逃げをするように、私は窓から飛び出していた。そう、窓から……。
私は従者のジオンと違って密偵だ。たとえ感情任せになっても廊下に出てはならない。主様の敵に捕らえられた時、彼のそばにいた人間だと疑われてはいけないのだから。
部屋には困ったような表情を浮かべる主様と、呆れたようにため息を吐くジオンが取り残されているだろう。
部屋を飛び出した私はどこへ行くことも出来ず、城の裏の隅で膝を抱えていた。
どれくらいそうしていただろう。私にとってはとても長い時間のように感じる。
「おい。いつまでそうやってへこんでるつもりだ」
呆れた声が頭上から降ってくる。
声の主は顔を上げなくてもわかった。その正体は、私が今もっとも憎む相手だ。