798 責任
大森林の中にありながら、エルフに代々受け継がれし英知、またはその恵まれた魔法的な素養によって守られた集落。
そのはずだったエルフの里が、アリの軍勢に襲われたのはあくまでも結果だ。
彼ら――その、アリとしては大きいが生命体としては小さなものどもが、そうまでして求めたのはエルフの里の支配権などではなかった。
シンプルに、人類の介入なしには自然界には存在しない、純粋な甘味を求めてのことだ。
責任はね、感じています。
巣穴でじめじめと育てたキノコやぎんぎらぎんの虫の羽根などをせっせと運び、黒糖との物々交換を覚えたアリたち。
誰だ。そんなことを覚えさせたのは。我々である。
……大森林、だいぶ厳しくて餌付けしてもしなくても襲われる時は襲われるって言うから……大丈夫なんじゃない? みたいな雰囲気あったから……。
いや、私もね、思ってはいます。今まさに。あかんなって。
で、毎年どこからともなく現れる黒糖、と、黒糖を携えた我々が今年はやってくるのが遅かった。
恐らく、それでなのだろう。
冬支度に忙しいアリたちが黒糖はまだかとしびれを切らし、あちらこちらを探し回って不運にも、エルフの里に行き着いてしまった。
みたいな。
理不尽と言うか、ちょっと訳の解らない話をほぼほぼ事実のこととして我々にしっかり突き付けられているところだ。
ごめんて……。
まあ、それで。
反省は、するべきだ。
嘆き、どうすればいいのかと悩むことも必要だろう。
と、同時に、とりあえず動かなきゃなんにもならねえぞみたいな思いもあった。
そこで原点に立ち返り、と言うかほかになんのアイデアもなく、我々はひたすら「黒糖でございます」「なにとぞ一つ」「エルフの里から退去していただけますと幸いでございます」などと必死で大森林のアリたちに媚びへつらってみたのだが、これはあんまり期待したほどの効果はなかった。
我々よりも高い社会性を持ったアリたちは、気付いたのかも知れない。
エルフの里を占拠している今のほうがなんとなく、無限に黒糖が出てくると。
この件につきましては輝くような顔面をだいぶスンっとさせたテオ、そしてエルフたちから、「何をやっているんだ?」と、本当に不思議そうに、他意なく問い掛けられるなどしています。
その、邪気のない真顔。
ただの事実でトドメを刺してくる。
どうやら常識人たちはそこそこの量の黒糖と言う対価を払っていながらに、どこまでも無意味なのが不思議でならないようだった。
もういっそのこと責めてくれ。我々の甘さを……。
あまり効果も意味もない、でもほかにできることが思いも付かず、ただ無為に黒糖をまき散らす日々。
日々と言うか、とりあえず五日くらいはじりじりと忍耐を振り絞り様子を見ていたのだが、特に状況が変わることはなかった。
なるほどね……。
昔の人は言いました。バカの考え休むに似たりって。
ひどい。なんてことを言うんだ。
やんのか。ケンカ売ってんだとしたら私はうっかり買っちゃうぞ。別に勝てもしないのに。
まあ、今言ったのは私だけれども。
あれよね……。まるで我々のためにあつらえたかのような言葉よね……。我々はほら……油断と慢心、そして迂闊なもの全部でできているから……。
こうして、頼みの黒糖も効かぬとなって、我々は泣いた。
そして、泣いたついでに助けておくれよと泣き付いた。
「万策尽きました……」
「いや……聞く限り、黒糖配ってただけだよね。万策と言うか、ヴァルトバオアーに黒糖を与えて……その上で、取られるだけ取られてエルフの里から遠ざけるのは失敗してるだけだよね……?」
と、さめざめとしたかわいそうな私を見ても、全然、もう本当に全然ピクリとも心が動いた様子すらなく、普通に全否定のコメントを出したのは変な文字入りのTシャツとスウェットズボンを合わせた姿で油断し切っているような、しかし本体がだいぶ麗しいので全体的になんとなくハイブランド製品に全身包まれたみたいなおもむきあふれるアーダルベルト公爵だった。
なお、Tシャツにプリントされたおかしな文字は大体メガネか私の犯行である。
夜遅く、王都のアーダルベルト公爵邸。その主たる公爵さんの寝室で、本日選ばれたのは「脂質糖質多幸感」のTシャツでした。
炭水化物も欲しくはあるが、それはいつも我々の心とアイテムボックスにあるので……。
そんな、日本語で書かれているために異世界では一見すると不可思議な呪文のようにも思われるおもしろシャツを身に着けて、寝ているところをどやどやと勝手にドアからドアで押し掛けてきた我々に起こされて公爵はだいぶ眠たそうだった。
よく考えたらそれなのに怒りもせず、文句はちょっとだけしか言わず、大人と言うか、人間らしく対応してくれている。えらい。文句はちょっとだけは言う。ちょっとで済ませて本当にえらい。
でもそれはそれとして、我々もだいぶ困った状況なのだ。
私は、公爵家の寝室に敷かれたお掃除大変そうなふかふかの絨毯にわざとらしく、だらだらと倒れ込んだ。
「そんなにはっきり言うことないと思ーう。公爵さん、もっと私たちに優しくしたらいいと思ーう」
「リコ、俺も。俺もそう思う。公爵さん、見て下さいよこの油断し切ったアザラシみたいなだるんだるんした姿! リコだってない知恵しぼって頑張ってるんです!」
「おう、なんや。さりげなく私だけのせいにするなやメガネ」
あとだれが野生を失ったアザラシや。
「俺、本当の事しか言えないタイプだから……」
「奇遇だね。私も。私もホントのことしか言えなくて、たもっちゃんのこといつも事実でボコボコにしちゃうもんね……ごめんね……」
「は?」
「は?」
絨毯に倒れ伏した私と、そんな私により添うふうを装って全然いらんことしか言わないメガネはここで互いにブチギレ合った。
「いやいや……大森林の蟻に餌付けして俺のエルフさん達にこんだけ迷惑掛けた奴が何言ってんの?」
「まあそれはホントのことだからちょっと横に置くとしてだよ」
そこはホントに反論が思い付かなかったので都合よく脇に避けてると、豪華なベッドに腰掛けた麗しのスウェット公爵が「置くんだ……」と小さく呟くのが聞こえた。
うん……。だってそこはもう、ぐうの音も出ない訳だから……。
けれどもそんな、アーダルベルト公爵の戸惑いに構う余裕すら今の私にはなかった。
なぜならば、同レベルでの低みを極めるメガネとの言い争いで忙しかったからだ。
「なんでお前がエルフさんの代表みたいな感じで言うんやメガネ。部外者やろがい。それもエルフに関してはちゃめちゃにヤベエ奴ってバレてるせいでエルフからだいぶ距離空けられがちの」
「空けられてないですぅ! 仲良くしてくれてますぅ! たまに……あの、ほかに男子がいない時には女の人とか子供とかがダッシュで逃げてくってだけで……」
「たもっちゃん、それだよ」
「いやいやいやそんなはずは……。だって俺、エルフさんのために何だってするよ? マジで。何だってするよ? それなのに、何でそんな酷い事言うの? 信じらんない! 人の心はないの? リコ、信じらんない!」
「たもっちゃん、なんでなんだろうね……。必死になればなるほどヤベエ感じが深まって行くの……なんでだろ……。かわいそう。変態、かわいそう……」
もうなんかいっそ悲しくなってきてしまった私と、全然納得できないみたいなメガネとの、あらゆる意味で被害者側のエルフが不在であるために言ってもしょうがないし実際どうか解らない低レベルの言い争いはもうどちらも引くに引けず、ただただこじれるばかりに思われた。
そんな不毛な争いの間に飛び込んで、我々をばりっと引きはがすのはテオだった。
「お前達はどうして……公爵様の前でそんな下らない諍いができるんだ……」
その、静かにドン引きの、それかなんだか悲しくって仕方ないみたいなイケメンの顔。
なんか、いつもすいません。
なお、レイニーはいつも通りに空気のように本当にいるだけながらに公爵家まで付いてきているが、じゅげむと金ちゃんは時間が時間でおねむであるため大森林のキャンプ地でエルフの子供らと雑魚寝のお留守番である。
結果、一部の大人の醜い争いを見せずに済んで安心だった。よかった。毎度毎度、ご迷惑とご心配をお掛けしております。
4話更新の2。




