468 恩と忠義
王の農園で生まれ育った青年は、王妃のための別荘でまるで自分の家のようにくつろぐ王様の姿を見て泣いた。
そして涙ながらに大体全部、自分で説明してくれた。助かる。
「まさかこんな日がくるなんて。陛下が、ペトロネラ様のキッチンで食事を……。うちは、この別荘の主でらしたペトロネラ様に取り立てていただいた家なんです。祖母や曾祖母は直接お世話させていただいたのが生涯の誇りで、曾祖母は亡くなりましたが祖母は今でも子供たちに話して聞かせているくらいです。ペトロネラ様は遠い異国から王室に入り、それは苦労されていて、でも決してくじける女性ではなかったと。ペトロネラ様はお城よりこちらにいるのを好まれたので誤解もされたようですが、それは植物の観察がご趣味だったからで、お役目も立派に果たされていたと聞いています。とても賢いかただったのに、教養はよくても学問する女は結婚に向かないと決め付けられていて、一国の王妃としてご趣味をおおやけにはできない時代でもあったようです。今ではペトロネラ様を直接知るかたも少なくて、王城での誤解ばかりが真実のように残っているのが悔しくて……。王様は農園にいらしてもこの別荘にはいらっしゃらないし……それが、うっ。こんな……こんなふうに食事まで……!」
急に感極まっている農家の青年の言葉によれば、どうやら先々代王妃の頃から王の農園を管理している青年の家は、取り立ててくれた王妃に対して並々ならぬ敬愛を持っているようだった。
そのために、その王妃が愛して残した別荘を現在の王や王室の誰もかえりみることさえしないのがくやしく、寂しく、やるせない気持ちでいたらしい。
若干の早口で語られた青年とその一族の切なる思いを一身に浴びて、王様はギリギリ顔には出さないながらに引いていた。
「あ、うん。これまで、その……済まない、ね?」
これで正解なのかは解らんが、とにかくなにか言わねばと。
そんな感じのありありとした言葉を掛けて、王様はさらにぶわっと青年を泣かせた。
なんつーか、今はもう亡い王妃への一族あげての重たい忠義を発露させた青年の、割と長めの思いの丈を聞いている途中で気が付いたことだが、先々代の王妃が植物の研究をしていたことはやはりそんなに厳密な秘密ではなかったようだ。
「曾祖母などはペトロネラ様から趣味のお部屋の清掃も仰せつかったと聞いております」
そう語るのはまだ泣いている青年で、王妃の研究が秘密でないのならあの隠し部屋はどう言う扱いだったのか。その辺どうなのと問うた答えがこれである。
「もしや、今も手入れを?」
「あの部屋も、長く放って置かれたにしては綺麗だと思ったよ」
王様と公爵は口々に言い、むしろ納得したようにうなずく。
この別荘は王が王妃のために造らせたものだと聞いてるし、農家の青年の話しぶりでは隠し部屋の存在もそんなには隠されていなかったらしい。
「ではきっと、お婆様の研究はお爺様もご存知だったのだろうな」
そのことを合わせて考えて、王様はどこかほっとしたように、そしてなにか懐かしむみたいに小さな声で呟いた。
なにやら空気がしんみりしてきたが、そんな中、どうしてもがまんできなくなったのは私だ。
「あの、ホンットすいません。それであの、どうなります? 私うっかりこの別荘受け取っちゃったんですけど。いや、もらったのは貸してもらえる権利だけですけど。なんかいわくありすぎて誰も使ってないならいいかなーって思わなくもなかったって言うか。むしろいわくがあるからまあいいかで受け取った感じさえあって、思うんですけど、これ計算してました? してたでしょ。もー、やり手」
やだー、うまくやられちゃった。みたいな感じで一方的にわあわあと、勝手にくやしがっている私に全然そんなん思ってなかったが都合よさそうだから乗っとことばかりに王様が「えっ。あっ、そう。うん」と調子を合わせて公爵をバカ笑いさせてから。
「でもやっぱこうなると、大事な別荘みたいだし王様が直接管理されたほうがよくないですか? 返したほうがいいんだったら全然お返ししますけど」
なんかそうかなと空気を読んで申し出た私に、おどろいたみたいに「えっ」と声を上げるのは王だ。
「一度受け取った褒賞を、あとになって突き返すのは感心しないなぁ」
「言いかた。ねえ、王様。言いかた。突き返してないです。おばあちゃんの思い出の別荘を人に使わせるの嫌になっちゃったかなって言う、気遣い。そう。私なりのなけなしの」
なんだかんだで王様はもうちょっとかっちりしてるかと思っていたら、そうでもなかった。解るか解らないかぐらいのギリギリの、こっちが気を使うタイプの冗談をぶっ込んでくるのがなんとなくだが某公爵と同類。
一方はふんわり輝く象牙色の髪に口ヒゲと濃紅の思慮深い瞳に、もう一方はしたたるような蜜色の髪とどこか酷薄な淡紅の瞳と、色の濃淡はあるものの王と公爵を並べてみると雰囲気として似てなくもない。
この国で平民の上に立つ貴族のさらに頂点辺りに位置する二人は、けれども今はそんな重責をびっくりするほど忘れたように雑な軽口を言い合った。
「どう思う? アーダルベルト。わたしは何だか悲しい思いだ」
「それはいけませんね。王の心を弄ぶなど、何と罪深い事か」
タチわりーなおい。
しかしまあ、そうしてやいのやいのとしている内に別荘はこのまま我々が借りてていいことになって、本当にいいのかよと思ったが王様もそれなりに考えての判断だったと言うことが解る。
「一度与えた褒賞を引っ込めるのは外聞が悪いと言うのもあるが……」
「そこまで正直に言わなくていいこともあるって私思います」
神妙な顔付きでなんか言い出した一国の主に思わず口をはさんだ私がメガネと公爵にまあまあと暴れ馬のようになだめられるそばで、口ヒゲの下から吹き出すようにふふっとこらえ切れない笑いをこぼした王様は「これもきっと悪くない」と語る。
「お婆様のあの部屋も、そなた等がいなければきっとわたしは知る事はなかった。ここの者の忠義は今も、お婆様に向いている様だ。当時はなかば公然であっても、主人の秘密を勝手に明かす事はなかっただろう。いや、責めるつもりはない。寂しく過ごされたと聞いていたお婆様の人生に、楽しみや寄り添う者があったと解ってわたしも心から嬉しく思う」
現在の王である自分より先々代の王妃を優先しているとはっきり言いながら、王様はけれども同時にそれで構わないのだと許した。
キッチンの片隅で身を硬くしていた青年は、王の言葉にほっとしたように、そして再び両目に涙をにじませる。
「それに」
と、濃紅の瞳をきらめかせ、王様は我々のほうを見る。
「お婆様の部屋に辿り着いたのがそなた等であると言う事に、不思議な縁を感じてもいる。運命とはこう言った事かと、柄にもなく感じ入っているほどだ」
運命かあ。そんないいもんじゃなかったけどなと我々は、隠し部屋を発見した時のわっちゃわちゃした状況を口には出さずに心の中だけで噛みしめた。
偶然と運命て、なんだかすごく似てるよね。
いやしかし、王様がいいとしてもだよ。
先々代王妃への恩と忠義によって、これまでこの別荘を大事に守ってきた農家さんたちはどうだろう。
何度も言うがあくまで借家ではあるものの、どこからきたのか解らないぽっと出の平民などに王妃の思い出がいっぱいのいい感じの別荘を好き勝手されるのはきっとおもしろくないに違いない。
そんな私の心配はしかし、えげつない裏切りによって無用に終わる。
先々代王妃の別荘でその孫である王様が、おばあちゃんに思いをはせてくつろぐ姿に農家の青年は感激を抑え切れないようだった。
きっとその勢いが自分でも止められなかったのだろう。彼はなんだか張り切って、言わなくていいことまではきはきと告げた。
「王様は、このかたたちのお陰でこちらへいらっしゃったのですね。解りました! これからはよく解らない人間にペトロネラ様の別荘を与えるなんてと反感と偏見で避けたりせず、誠心誠意お世話させていただきます!」
「待って。避けられてたの? 我々、農園の人から避けられてたの? ねえ」
確かに農園は結構いっぱい人がいそうなものなのに、我々の相手してくれるのはキミ一人ではあるけども。ええ……マジで……。
つまり農園を守る農家さんたちの中には、我々が別荘に出入りするのが気に入らねえって意見もあったのだ。多分。しかし自ら足を運んだ王様が、おばあちゃんを忘れた訳ではないのだと身をもって示したことによりなんか大丈夫になったっぽかった。
結果大丈夫ではあるのだが、我々の心になかなかの申し訳なさと悲しみを残し、別荘は改めて無事に貸与されることになる。つらい。




