サン
新緑の瑞々しい平原の色彩の一部が突如として真っ赤に染まってしまっている。草花も草臥れたように曲がりくねり、出来た隙間には生き物だった残骸が散乱していた。ロイによって化け物が駆除されたためである。
その真っ赤に染め上がる一面の中で黒が一点。太陽の熱によって徐々に異臭を放ち始めるだろう大地にぽつん、とロイはそびえるように立っていた。
人もテュロスも等しく死に絶え、血肉を撒き散らしている。
本当ならばもう少し早く到着する予定ではあった。だが、結局のところここで戦った人々が死ぬ事に変わりはない。ロイは援軍要請を受けて駆けつけたわけではなく、あくまで仕事としてこの戦場に派遣されたに過ぎない。
ロイからすれば、到着した当初に仲良く食事中だった化け物の始末までする羽目になってしまったからには否応にも報酬の上乗せを依頼者から巻き上げる腹になっていた。そこには無駄に化け物と戦った事への徒労感もあるのかもしれない。
だが、このロイのようが行ったような化け物退治など常人が簡単にやってのける事など出来はしない。少数だったとしても数百の軍勢を全滅させてしまえるような相手を皆殺しになど、いくら優秀な戦士でも不可能なのだ。それほど、化け物は強く恐ろしい存在として人類からは認知されている上に、ロイ達の存在は例外だった。
化け物――魔物と人間に呼称される生物は一様に人間を捕食対象とし、かつては国ひとつを蹂躙するほどの勢力を誇っていた。言うなれば魔物こそこのアースと呼ばれる大陸における食物連鎖の頂点に立つ存在だった。
その連鎖が崩れ去ったのは魔物が進化という人間ならば誰もが知っているような言葉を実行してしてこなかったからなのか。はたまた人間が進化と呼ぶには少々急すぎる力を得て反攻してきたかなのか。とどのつまり、魔物は勢力の拡大が思うように進まず、逆に人間が勢力を拡大する時代が訪れたのであった。
その体現こそが今、三十体ほどは居たであろう山羊顔をした人型の魔物――テュロスを倒したロイという男。そして黒い外殻甲冑を身に纏う能力だった。
外殻甲冑は存外に多くの人間が扱う事が出来る能力ではある。妖術師ですら、纏う事が出来、対魔術防壁として使用されるのだから、一人前の称号を得るにはどうしたって外殻甲冑を行使出来なければならなかった。
が、人間の持つ魔力は魔物と比べる事も恥ずかしいほど歴然としている。もちろん、魔物だが魔力を行使できない存在もいるのだが、基本的に魔物は魔を扱う事に長けているという認識に間違いはない。
ゆえに、大半の外殻甲冑は鉄製よりも魔物の攻撃に耐えうる強度と魔力への耐性を有している。加えて鉄製よりも遥かに身軽に動く事ができ、装備に金を掛ける必要がない、という理由で重宝はされているという認識だった。
そうした外殻甲冑を纏える者達は戦士、冒険者、狩猟者、騎士。様々な職種に存在するほど一般的なもので、広く認知はされている。だが、今佇んでいる黒ずくめの格好をしているロイや背後で干し肉を頬張るイースらには例外的にある名詞が付いた。
外殻甲冑においては身体の一部、あるいは全身を極端に凶器化、または防具として扱う能力にまで魔力を進化させ、己の身体能力を格段に向上させてしまう存在。また、新しい魔術を創造し行使するだけの魔力量を内包し、魔を食らい、魔を断つ能力を持つ。そうした特異な魔力を持つ者達。魔の扱いに長け、妖術師とは比べ物にならないほどに卓越した者達の事を、人々は魔術師と呼んだ。
魔に精通し、魔を魔物と同じように扱える専門家。彼らは非常に重宝される。魔物相手に唯一といっていい、圧倒できる力を有しているからだ。
魔術師の纏う外殻甲冑は特に変異しているものが多いが、見るからにロイの姿は不思議な格好をしている。外殻甲冑とは自身の魔力によって形成されるもうひとつの甲冑。その姿は確かに千差万別といってほどのバリエーションを有しており、既存の武具を複製して身に纏う事も出来る序どの汎用性を持っていさえする。
それでもロイの外殻甲冑は異様そのものだった。まず全身が大きくなっている。身長が伸び肩幅が広がりローブ姿は跡形もない。とりわけ特徴的なのが両腕で、握り拳を作り成している両手が大地に触れている。それも人間の太さ、大きさではなく大人の上半身ほどはあるかというくらい大きい握り拳だった。その癖に、そのロイの上半身自体は非常に細身で黒い甲冑が足まで綺麗に着込まれている。その両腰には二本の鞘が垂れさがっているが、どう見ても巨大な腕では振り回す事が出来そうもないほどに、スケールが小さい代物だった。顔はフードを被り、首周りにも布を巻き付け口元を隠しているので実質的に顔を拝めるのは鼻付近に限定されていた。
その鼻元から察するに、息が乱れているといった疲労感を確認することは出来ないが、黒づくめのロイは何ともなしに外部からは見えない口を動かして呟いた。よほどロイの顔付近で聞き耳でも立てない限り聞こえないほどか細いものだったが、はっきりと言い切っていた。
ロイの周りは見晴らしが良い。ロイの腰下あたりを撫でるようにゆらめく草達がロイの右側に存在する山脈が霞んで見る辺りまで大地を緑に染め上げている。もっともロイの背後に見える森の手前には赤い髪を風に靡かせるイースが佇んではいる。だが、それ以上に生物の存在が確認出来はしない。
本当に何も見えない。人も動物の影すらも、にも関わらずロイは呟いたのだ。
来たか、と。
その呟きが風に流される余韻を楽しむかのように、突如として大地から黒い影が煙のように出現してくる。それもロイを囲むようにどんどんと規模を拡大していき、影はやがてロイの四方を囲む壁となった。しまいには天すらもその漆黒で覆い隠すその影に退路を塞がれながら、ロイは不動を貫く。
「臭う、臭うぞ」
反響が酷い。だが確かにそう聞こえてくる。光の一切が遮断された空間といっても過言ではない中で、その声はやたらと響き渡った。
「人間が、たかが人間が我らを殺すか。気にいらん、下等な生物が我らに楯つくか」
声は次第に太く、実体をつかむようにしっかりとしたものへと変化していく。
「貴様か、いや貴様だ。食ってやる、食ってやるぞ」
現れたのは六つの目を持つ人型の化け物だった。背丈は四ヤードはあろうかという巨体に加えて、正面に二つの眼がロイをとらえる。側頭部にも同じように二つの眼が連なり、その目玉がぎょろぎょろと動き回り、ロイを見据えた。六つの目玉が妙に白く光り、黒の中で一際目立つ。この漆黒の世界のおいてそれだけが唯一黒以外の色合いだった。
巨人はまるで目玉を持った影。漆黒の世界にも拘らず、巨人は影のようにその姿かたちをおぼろげにロイの目の前で晒している。
「登場が遅い。貴様らは具現化しない限り殺せないからな。面倒臭いと思われている事をそろそろ自覚しろ」
ロイはその漆黒の中で、全身を覆い尽くす自らの黒を身に纏いその姿を浮かび上がらせていた。
両者ともに、黒。暗闇に影が踊るという何とも奇妙な光景だった。
「雑魚だろうと、きちんと掃除はせんとな」
ロイが冷静、冷徹に吼えた。激情を吐露するものではなく、明確な殺意を持って呟かれたその言葉は、裂ぱくを響き渡らせたような緊張感を周囲に走らせる。
巨大な右腕を後ろに下げ、左腕を全面に押しだす。殴打をするという明確な意思表示にすら見えるほど判りやすい構えだった。
ロイの態度が癪に触ったのだろうか、化け物が奇声を挙げて右腕を振り上げながらロイの胴体を狙い打つように襲いかかってくる。機先を制したのはどう見ても化け物だった。しかしロイは動く。あえて後手を選らんだかのように、ロイは澱みのない動きを見せる。
刹那の捌きと言っても良い。ロイの持つ巨大な腕は機敏に動き、漆黒の世界にロイの右腕という黒い線が走った。狙いは襲いかかってくる化け物の右腕、ロイの心臓を目掛けて寸分の狂いも無く直進してくる凶器、その腕をロイは、
「つまらねぇな」
自身の右腕で吹き飛ばした。いとも容易く、言葉を喋る余裕を持って平然とそんな芸当をやり遂げた。
文字通り化け物の腕は手首のずっと上あたりか引き千切られたように宙を舞い、漆黒の中に消えていった。
「貴様、貴様! 魔断を成す者が人間に、下等な人間に居る者か!」
化け物がたまらず悲鳴を挙げるもロイは容赦せず、一気に肉薄すると左腕を化け物の腰を目掛け、振り切る勢いで化け物の身体を殴り抜けた。
黒い液体がロイの腕に付着していく。その液体は漆黒で、空間を覆い隠しているものと同じ色。ロイの腕は溶けるように見えなくなる、それほどの液体が溢れ出てきていた。
「貴様、貴様は――!」
妙に反響する声が息も絶え絶えにそう叫んでいた。
「あいにくと、お前のような雑魚と同類になったつもりはないな」
そうは言うが、ロイの声はどこか嬉しそうに聞こえてくる。
化け物は上半身と下半身に分離すると失った各々の箇所を生やすように実体化させていく。ロイはその様を悠然と待った。この時は、先ほどとは打って変って攻撃が通用するはずのだが、ロイはあえて化け物の復活を待っていた。
「食ってやる、貴様の力。取り込んでくれる」
この程度では腹の虫が治まらない。ロイはそう考えての見に回っていた。
「やってくれ、ぜひともな」
ほどなくして二体に分離した化け物が再び交わって実体化する。先ほどよりも小さい姿になって影のような姿をロイの前に見せるが、先ほどとさして変わったところは見えない。
「二体にならないのか」
少々がっかりしたように声の張りを落としながらロイは呟いた。ともかく、実体化が終わると間髪入れずロイは攻め込んだ。せっかく待っていたのにこの程度では拍子抜けも良いところ。だったらすぐに片をつけて終わりにさせたい。そんな思いがロイにはあった。
ロイは前傾姿勢で突撃すると、その勢いそのままに右腕を振り上げる。
「おっ」
その声と共に、ロイは左腕で化け物の右腕を使った薙ぎ払いを受け止める。
「殺す。食ってやるのはそれからだ」
「本気、か? 期待はずれだ」
先ほどよりも格段に素早く重い攻撃だとロイは伝わってくる感触から理解している。が、それでもなおロイの余裕は揺るがない。
化け物は間合いを縮めてくるとその攻撃は苛烈を極めてロイを襲っていく。それでもロイは淡々とその連撃を捌いていった。
その内に、殴り以外に攻撃手段が無いのか、とロイは思ったがよくよく見れば拳は僅かに鋭利さを兼ね備えているシルエットを確認する事が出来た。
「面白い」
並みの剣では打ち合った瞬間、多面から加わった力によって簡単に折られ、そのまま身体を真っ二つにされているだろう攻撃であった。良く良く観察してみると先ほどよりも影自体の姿が変貌を遂げている。先ほどまではまだ人間らしい二足歩行を示唆できるような影であったが、今では全身に刃物が備え付けられている、そのような印象を強く持たせた。矢じりのような指先が暗闇の中で浮き彫りとなっていく。
化け物の左拳が目の前に迫るがロイは落ち付いて対処する。目の前に迫る一打は囮と視界を妨げるものと判断し、即座に首を倒して避けると共に自分の視界を開けさせる。その瞬間に、化け物の右腕が消えているのを察知したロイは瞬時に身を引いた。瞼を閉じたような刹那の間に、ロイの鼻先に轟音を立てて化け物の右腕が振り上がってきていた。僅かな熱をロイは鼻先で感じるほどの素早さと剛腕だった。
なんとか避ける事は出来たが、これによって完全に態勢を崩されてしまったロイは化け物の放つ左腕の攻撃を避ける事が難しいものとなってしまっている。それでも、ロイは冷静に対処する。失望の色を隠そうともせず、化け物の実力に不満を持ちながら、ロイはまたしても右腕で化け物の攻撃を迎撃してみせた。
「貴様!」
「学習しような」
ロイの声は明らかに落胆しているものだった。同一種をこれほどまで駆除した経験はない。そも、現物を扱う事を面倒臭がるロイからすれば、必然的に魔族や魔獣系統の討伐依頼などまず受ける事はしない。今回の件も結局のところイースが引っ張ってきただけの事である。
化け物の腕がまたしても勢い良く吹き飛ばされると、今度は化け物が態勢を崩す状況になる。すかさずロイは攻撃に移るが、前回のように殴りつける事はしない。どうせまた再生されるだろうという算段だった。
今度はその巨大な握り拳を開く。その瞬間、まるでその動作が鍵となっていたかのように掌が輝き出すとともに術式が展開され、指先にまで光りの筋が走って行く。先端まで光りが到達すると、それら術式が掌の中心に集まり、やがては赤黒い瞳を――もう一つの大きな眼が形造られていった。
ロイはその輝きを一瞥する事もなく、開いた手を腕ごと伸ばし、勢い良く化け物の身体を掴み取る。
「なんだと!」
そのままの状態でロイは前方へ跳んだ。剛腕によって化け物の身体は容易く宙を舞う、と同時にロイは勢い良く化け物を足元に打ちつけに動いた。
「親愛なる環の観察者の身元へ」
その言葉が放たれた瞬間、ロイ達が足を踏みしめていた漆黒部に術式が広がり、一瞬の内にもう一つ、赤黒い瞳を持つ眼が具現され、化け物はその中心に落とされる格好となった。
術式に化け物がまるで吸い込まれるように接触すると、術式は眩い光を発していった。化け物がそれを視認する暇すら与えず、化け物の身を焼き尽くす業火がロイの腕を中心にして環を形成し、爆音を響かせてロイの頭身を優に飛び越えて広がっていく。
ロイの耳に悲鳴は聞こえず、鼻には肉の焦げる臭いも漂ってこない。ただ、何かを掴んでいたという感触だけが外殻甲冑の掌から余韻として残り、そこに化け物が確かに存在していた事をロイに実証づけていた。
煙火に包まれたロイだったが、無傷のまま地面を殴りつける格好で立っていた。その態勢からゆっくりと直立に姿勢を直すと、丁度周囲を覆っていた漆黒が風に流れるように消え去っていくところだった。ロイにとって、現実味のない空間から解放されるこのひと時が密かな楽しみとなっていた。こうして晴天が広がる空の下に放り出されたような錯覚を覚えてくると、たまらなく何かをやり終えたという感覚が身体の内を満たしていく、その気持ちにロイは暫しの間酔い痴れた。
深呼吸を二つほどしただけの短い時間ではあったが、何も考えずただ風と太陽の光、草花のそよぎを全身で感じ終えると、ロイは後ろを振り向いてイースを視界に入れた。
「他のバリエーションも試したかったが、もう少し強い奴ならな……」
ロイは声を落としつつも、天から日の光が何事もなかったのように降り注ぎだす中を歩き始める。化け物の姿はもうどこにもなく、先ほど大地に散らかっていた化け物と人間の血肉も綺麗さっぱり、まるで初めからそこに死体が散乱していなかったかのように消え去って、元の風にそよぐロイの腰までを隠す背丈の草が踊っているだけであった。




