第241章 辞退の代償
レイヴンが推薦元に追加説明を求めてから、二日が過ぎた。
回答は届かなかった。
代わりに、競技会の登録期限が変更されたという通知が届いた。当初の予定より三日延長され、推薦枠の候補者にも同じ期限が適用されることになった。
理由は、参加条件に関する問い合わせが予想より多かったためだという。
レイヴンは通知を確認し、紹介者に連絡した。
「推薦を取り下げることは、今からでもできますか」
「できる。まだ正式登録していないからな」
「取り下げた場合、推薦した部署には理由が伝わりますか」
「辞退した事実は伝わるだろう。理由については、本人が説明しない限り、こちらから勝手に書くことはない」
「分かりました。ありがとうございます」
通話を終えたレイヴンは、端末を机に置いた。
彼は競技そのものを嫌っているわけではなかった。知らない環境に入り、条件を把握し、限られた時間の中で判断することには、今でも興味がある。
ただし、今回は競技以外の条件が増えていた。
参加すれば、推薦元は彼の行動を評価する。辞退すれば、参加しなかったという事実が残る。どちらも、今後の活動に影響する可能性があった。
それならば、少なくとも自分が納得できる理由を持って選びたかった。
その日の仕事が終わったあと、彼は主人公と一緒に帰路についた。
「まだ決めていないのか」
主人公が尋ねた。
「うん。少し気になることがある」
「何だ」
「前回の大会で起きたことを調べたい気持ちはある。でも、今回の大会に参加することが、その調査につながるとは限らない」
「それなら、参加しなくても調べられる範囲を先に確認すればいい」
「運営は、まだ詳しい説明を出していない」
「説明が出るまで待つか、公開されている記録から分かることだけを調べるか。今できるのは、そのくらいだろう」
レイヴンは歩きながら考えた。
「君は、いつもできることを小さく分けるね」
「一度に全部を決める必要がないからだ」
主人公はそう答えた。
右手の痛みは、以前より軽くなっていた。しかし、重い物を持ち上げると違和感が残る。焦って回復を早めようとしても、傷が長引けば、かえって動けない時間が増える。
彼は医師の指示に従い、使える範囲で作業を続けていた。
「僕は、結果を急ぎすぎていたのかもしれない」
レイヴンが言った。
「結果が必要なときもある」
「でも、結果を急ぐことで、選ぶための条件を確認しなくなっていた」
主人公は否定も肯定もしなかった。
それはレイヴン自身が気づいたことであり、他人が代わりに結論を出す必要はなかった。
翌日、レイヴンは競技会の事務局に問い合わせを送った。
前回の大会で起きたコース変更について、公開可能な範囲で説明があるか。
今回の大会では、コースや競技条件が変更された場合、参加者にどのように通知されるのか。
そして、競技中に安全上の問題が発生した場合、参加者が競技を中断できるのか。
回答は、その日のうちに届いた。
前回の大会については、確認作業が継続しているため、現時点では詳細を公表できない。
今回の大会では、重大な条件変更があった場合、原則として参加者に通知する。競技の継続が危険だと判断した場合、参加者は中断を申し出ることができる。ただし、中断した場合の順位や評価の扱いについては、競技ごとの規定に従う。
レイヴンは、回答を最後まで読んだ。
必要な情報の一部は得られた。
しかし、前回の問題が解決したわけではないし、今回の運営がすべての事態に対応できると保証されたわけでもなかった。
彼は回答を保存し、推薦元にも同じ質問を送った。
今度は、参加を勧める側が、どの条件を重要だと考えているのかを知るためだった。
数時間後、推薦元から返事が届いた。
競技会への参加は、本人の判断に委ねる。
推薦元としては、異なる環境での適応力を確認したいが、競技中の安全や記録の利用について、本人が納得していない状態での参加を求めるものではない。
レイヴンは、その文章を読み、ようやく登録画面を開いた。
しばらく考えたあと、参加登録ではなく、推薦の辞退を選択した。
理由の欄には、短く記した。
《現在は、参加条件と記録の利用範囲について確認を続けたいと考えています。条件が明確になった段階で、改めて参加を検討します》
送信すると、画面に受付番号が表示された。
それだけだった。
推薦元から抗議が来ることも、競技会の事務局から説得の連絡が来ることもなかった。
ただ、彼の参加候補者一覧から名前が消え、推薦元には辞退の記録が残った。
レイヴンは端末を閉じた。
何かを失ったかどうかは、今の時点では分からない。
次の仕事を紹介される機会が減るかもしれないし、何も変わらないかもしれない。今回の判断が将来の評価に影響する可能性はあるが、それを確かめるには時間が必要だった。
少なくとも、彼は参加する理由を見つけられないまま、参加だけを先に決めることはしなかった。
その夜、女主は競技会の調査資料を確認していた。
管理権限の認証記録について、追加の報告が届いていた。
認証が行われた時間帯は、通常の競技運営に必要な操作が始まる前だった。ただし、その時間に記録された認証が、実際にコース変更を指示したものかどうかは、まだ判明していない。
認証を行った利用者の情報についても、調査担当者は慎重な扱いを求めていた。
彼女は報告を読み終え、担当者に返信した。
《認証記録と操作記録を分けて整理してください。現時点では、個人の責任を判断できる資料として扱わないこと》
送信してから、彼女は別の資料を開いた。
競技会の参加者募集に関する問い合わせ一覧だった。
推薦枠の候補者の中には、レイヴンのように条件を確認したいと申し出た者もいれば、説明を受けたうえで参加を決めた者もいた。推薦を辞退した者も、彼だけではなかった。
彼女はその一覧を見て、参加者の選択を妨げないよう、条件の説明を明確にする必要があると考えた。
それは、前回の大会の問題とは別に進められる仕事だった。
翌朝、レイヴンはいつもどおり仕事に出た。
競技会への参加を辞退したことを、周囲に大きく話すつもりはなかった。
昼休み、主人公が尋ねた。
「決めたのか」
「今回は辞退した」
「そうか」
「少し惜しい気もする。でも、参加しなかったからといって、調べられなくなるわけじゃない」
「そうだな」
レイヴンは飲み物の蓋を閉めた。
「次に参加するときは、勝つこと以外にも、確認したいことを決めておくよ」
主人公はうなずいた。
それ以上の助言はしなかった。
選ばなかった道が、必ずしも失敗だったとは限らない。
選んだ道が、必ずしも期待した結果につながるとも限らない。
レイヴンは今回、そのことを理解したというより、実際に一つの選択をして、その結果を待つ立場になったのだった。
そして、彼の辞退が記録された同じ日、競技会の事務局では、前回の大会の管理履歴を照合するための追加作業が始まっていた。
レイヴンが参加していなくても、調査は続く。
その結果が彼の判断を裏付けるのか、それとも彼の考えていた問題とは別の事情が明らかになるのか。
まだ、誰にも分からなかった。




