第239章 選ばれなかった者たち
大会から三日後、レイヴンのもとに一通の連絡が届いた。
差出人は、大会の運営事務局だった。
内容は簡潔だった。先日の競技において、複数の参加者からコース変更に関する問い合わせが寄せられたため、記録の確認を行っているという。参加者には追加の聞き取りを依頼する場合がある。現時点で、順位の変更や失格処分を決定したわけではない。
レイヴンは文面を二度読み、返信欄を開いた。
《確認には協力します。ただし、当日の行動記録を変更することには同意しません》
送信してから、彼は端末を机に置いた。
向かいでは、主人公が左手で紙コップを持ち、冷めかけた飲み物を口にしていた。右手はまだ強く握り込めない。医師から言われたとおり、痛みが薄れたからといって負荷を増やすつもりはなかった。
「大会のことか」
主人公が尋ねた。
「そう。記録を確認したいらしい」
「協力するのか」
「するよ。自分が見たことを話すのは構わない。ただ、後から作られた説明に、自分の名前を貸すつもりはない」
レイヴンは端末を裏返した。
「ところで、君は大会に出ないのか」
「出る理由がない」
「賞金がある」
「賞金が必要なら、別の仕事を探す」
「競技そのものには興味がない?」
主人公は少し考えた。
「興味がないわけじゃない。けれど、勝つために何を差し出すのか、まだ決めていない」
レイヴンは笑わなかった。
その返答を、冗談として扱う必要がないと感じたからだった。
「僕は決めたつもりだった。実力を証明するために参加した。でも、終わってみると、何を証明したかったのか、少し曖昧になった」
「勝てば分かったのかもしれない」
「勝っていたら、今も分からないままだったかもしれない」
主人公は飲み物を置いた。
二人の間に、しばらく沈黙が落ちた。
そのとき、レイヴンの端末が再び振動した。
今度は大会事務局ではない。彼が以前から所属している競技者向けの連絡網だった。
画面には、新しい募集要項が表示されていた。
市内の複数地区を使った公開競技会。参加者は個人でもチームでも登録できる。競技内容は当日発表。順位だけでなく、協力者の評価や現場での判断も審査対象になるという。
そして、参加枠の一部は、各運営プラットフォームから推薦された競技者に割り当てられていた。
レイヴンは募集要項の下部を開いた。
推薦枠の一覧に、自分の所属する競合プラットフォームの名前があった。
「なるほど」
彼は小さくつぶやいた。
「何か分かったのか」
「僕が参加したいと思う前から、僕を参加させる準備が進んでいたらしい」
「推薦枠があるだけだろう」
「そうだね。だから、これだけで何かを決めつけるつもりはない」
レイヴンは画面を閉じなかった。
「でも、前回の大会が終わる前から、次の大会の候補者を探していた可能性はある。僕が自分で決めたと思っていた参加も、誰かにとっては予定の一部だったのかもしれない」
「参加するかどうかは、まだ自分で決められる」
「そう。そこが大事なんだ」
レイヴンは募集要項を保存した。
その日の夕方、彼は紹介者を通じて、次の競技会について正式に問い合わせた。
返ってきた回答は、彼が予想していたものとは少し違っていた。
推薦枠は、運営側が参加を強制するためのものではない。候補者に案内を送り、本人が条件を確認したうえで登録する仕組みだという。推薦を受けても、辞退することはできる。
ただし、推薦を受けた競技者の活動記録は、通常の参加者よりも詳しく記録される。
レイヴンは、その条件を読み終えると、辞退の連絡を送る代わりに、追加の質問を三つ送った。
記録の閲覧者。
記録の保存期間。
そして、本人が登録を撤回した場合に、過去の記録がどのように扱われるか。
返事が来るまで、彼は登録を保留することにした。
翌日、女主の執務室にも同じ競技会の資料が届いた。
彼女は推薦枠の一覧を確認し、担当者に問い合わせた。
「この競技会は、うちの事業と直接の関係があるの?」
「直接の共同事業ではありません。ただ、複数のプラットフォームが参加者を推薦する予定です。参加者の活動データを比較できるため、今後の企画に参考になるという説明を受けています」
「データの利用条件は?」
担当者が資料の別紙を差し出した。
彼女はそこに記載された項目を一つずつ確認した。
競技中の映像、移動経路、判断時間、チーム内の連絡履歴。公開範囲には制限が設けられていたが、推薦元のプラットフォームには、参加者の同意に基づいて追加記録が共有される仕組みだった。
彼女は資料を閉じた。
「参加者本人が条件を理解していることを確認してください。推薦したからといって、記録の利用範囲まで自動的に承諾したことにはしないで」
「承知しました」
担当者が退室したあと、彼女は推薦枠の一覧をもう一度開いた。
レイヴンの名前があった。
彼女は彼の参加を止める権限を持っていない。止める必要があると判断したわけでもなかった。
ただ、前回の大会で起きたコース変更と、今回の記録共有の条件を、同じ問題として扱うことは避けたかった。
一方は、競技の安全と運営記録の問題。
もう一方は、参加者の選択とデータの利用範囲の問題。
両者がつながっている可能性はある。しかし、現時点では、それを裏付ける材料が足りなかった。
彼女は別々の確認事項として処理を進めた。
その夜、レイヴンは主人公に短いメッセージを送った。
《次の競技会に推薦されていた。条件を確認してから決める》
主人公は少しして返事をした。
《参加するなら、何を得たいのか先に決めておけばいい》
レイヴンは画面を見つめた。
《君なら何を選ぶ?》
しばらくして、返信が届いた。
《今の自分に必要なものが分からないなら、参加しないことも選択肢に入れる》
レイヴンはその文章を読み、端末を机に置いた。
以前なら、彼は迷う時間を無駄だと考えていただろう。
勝つために参加する。結果を残すために行動する。そうして得られる評価を、次の機会につなげる。
それは、これまでの彼にとって十分な理由だった。
しかし今は、自分の行動が誰かの計画に組み込まれていたとしても、その事実だけで自分の判断まで放棄する必要はないと思えた。
翌朝、彼は運営事務局に回答を送った。
参加登録は保留すること。
追加条件への回答を受け取ってから、改めて判断すること。
推薦を受けた事実と、参加に同意した事実を混同しないこと。
送信を終えた彼は、仕事へ向かう準備を始めた。
競技会の結果は、まだ何も決まっていない。
彼が出場するかどうかも、誰が推薦枠を用意したのかも、今の時点では確定していなかった。
それでも一つだけ、前回の大会とは違うことがあった。
今回は、彼が自分で条件を尋ね、答えを待つ時間を確保した。
その小さな違いが、次に彼をどこへ連れていくのか。
まだ、誰にも分からなかった。




