3-3: 無い事件を追っていた俺たちが最後に見たもの
この事件に犯人は存在しない。そもそも事件すら存在しない。
俺と瑛里がそう結論付けて、真帆はしばらく何も言わなかった。
廊下の向こうから吹奏楽部の音が聞こえてくる。まだ曲にはなっていない。管楽器がそれぞれ勝手に音を出している、放課後特有の騒がしさだ。
「……じゃあ」
ようやく真帆が口を開いた。
「何だったの、これ」
もっともな疑問だった。
森深月は学校へ来ていない。
誰かが森深月になりすましたわけでもない。
目撃証言をでっち上げた人間もいない。
それなのに、一時間もしないうちに、
欠席していた森深月が、放課後だけ学校へ来た。
という話が完成していた。
「誰か一人が森さんになったんじゃないんだよね」
瑛里が指を折りながら言う。
「辻村さんはカーディガンを借りてた」
「五十嵐さんはバッグを預かってた」
俺も続ける。
「赤星さんは忘れ物を拾ってただけ」
「全部、別の話」
真帆が言った。
「そう」
瑛里が頷く。
そして、そのどれにも森深月本人はいなかった。
考えてみれば、それらは森深月が今日学校へ来た痕跡ではない。
むしろ逆だ。
昨日まで普通に学校にいたからこそ残ったものだった。
貸したカーディガン。
預けたバッグ。
置き忘れた私物。
本人だけが休んで、彼女の周辺だけが学校に残った。
「それだけならさ」
真帆が言う。
「普通は、辻村さんが服借りてたね、五十嵐さんがバッグ持ってたね、で終わるよね」
「だろうな」
「なのに、なんで全部森さんになったんだろ」
その答えは、たぶん最初に戻れば分かる。
「早坂だよ」
「早坂くん?」
「正確には、早坂の言ったこと」
最初の発言は、
『森、来てるのかな』
だった。
森が来た、ではない。
ましてや、森深月が放課後に登校している、でもない。
「早坂は最初から断言してない」
俺は言った。
「でも、誰かに伝わった時点で『森が来てるらしい』になった」
「うん」
瑛里が続ける。
「それで『森がいるらしい』って話を聞いた人が、今度は自分の見たものをそこに当てはめた」
階段で誰かを見た。そのときは誰なのか分からなかった。
でもあとから、森がいるらしい、と聞いた。
そこで初めて、さっき見た人も森だったのかもしれない、という話になった。
「早坂の見間違いだけなら、たぶんここまでならなかったんだろうな」
俺が言うと、瑛里が頷いた。
「うん。間違いがいっぱい起きたんじゃないと思う」
「じゃあ何?」
真帆が訊く。
「最初に出て来た答えに、解釈が集まった」
瑛里の言い方は簡単だった。
だからこそ、妙に腑に落ちた。
森深月がいる。
先にそれが答えになった。
すると、『深月のバッグを持った人がいた』と『深月の私物が机へ戻っていた』という別々の出来事が、全部その答えを正しく見せる材料へ変わっていく。
「偶然が重なり合って森深月を作ったんじゃなくて、最初に森深月が作られて、そこに出来事が何個もくっついたって感じか」
「そんな感じ」
瑛里が言う。
「それで、森さんが学校にいたことになったら、次は理由が必要になる」
「……西尾さんか」
真帆が気づいた。
昨日、西尾まほろと揉めた。
今日、休んだ。
放課後に来た。
その三つが並んだ。
すると、『森深月は西尾まほろと話すために来たのでは』という理由がつく。推測と言ってもいい。
さらに、『でも話しかけられなかった』『気まずくなって帰った』という憶測まで勝手に続いてきた。
「そこまで見た人は?」
瑛里が訊く。
「いない」
「森さんから聞いた人は?」
「いないな」
本人がいない。
だから本人だけが、その物語を訂正できなかった。
「欠席してたせいで、一番関係ある本人だけ話に参加できなかったのか」
「皮肉だよねえ」
瑛里が言う。
俺たちは一度、ここまでの話を頭の中で並べた。
早坂律が、辻村椎奈を見た。
ただし、その時点では「森かもしれない」だった。
そこから『森が来ているらしい』という話が生まれた。
それを聞いた誰かが、五十嵐涼を見た記憶へ森深月という名前を付けた。
机に戻った私物も、本人が来た証拠にされた。
昨日の揉め事は、本人が来た理由にされた。
「一人分の行動に並べ替えられたんだな」
俺が言う。
「編集された、みたいな?」
真帆が言った。
「それ、近いかも」
瑛里が少し笑う。
「誰も嘘ついてないのにな」
「つなぎ方が違ったんだよ」
瑛里はそう言った。
嘘をついた人間はいない。
事件を起こした人間もいない。
それでも事件はできあがった。
誰か一人が作ったわけではない。
みんなで少しずつ、そこにいない森深月へ輪郭を与えただけだった。
○
翌日、その森深月本人は、何事もなかったように普通に学校へ来た。
欠席の理由は、単なる体調不良だったらしい。
少なくとも、昨日一日かけて校内に作られていた筋書きよりは、ずっと地味だった。
――『学校に来たらしい』ではなく、『来た』なのは、この昼休みにそれを確認できてしまったからだ。
俺と瑛里が教室を出たところで、向こうから真帆が歩いてきた。
その隣に、もう一人いる。
なぜか、簡単にその人の名前を察した。
「連れてきちゃった」
真帆が言う。
「何、その紹介。ふつう名前くらい添えてよ」
その女子生徒が笑った。そして俺と瑛里を見る。
「で。なんか私、昨日学校にいたらしいじゃん?」
第一声がそれだった。
からっとした物言いに、瑛里がすぐ笑う。
「いたらしいねえ」
「いや、いないからね?」
「それは昨日確認した」
「確認したんだ」
森さんは、こちらが思っていたよりずっと気軽に話す人間だった。
少なくとも噂の中にいたような、
友人と揉めて落ち込み、
学校を休み、
それでも気になって放課後にこっそり登校し、
結局話しかけられず帰った女子生徒、
――とは随分と違う。
「何があったか訊いてもいい?」
「本人だしね」
瑛里が答える。
「むしろ本人が一番聞いた方がいいかも」
「何それ、怖いんだけど」
怖がっている顔ではなかった。
俺たちは昨日の出来事を簡単に説明した。
早坂くんが教室で森さんらしい姿を見たこと。
その正体が辻村だったこと。
「ああ、椎奈。カーディガン?」
「そう」
「そうそう、貸してたわ」
次に、階段。
「バッグは五十嵐さん」
「それも預けた」
最後に、机の私物。
「あー……あれ忘れてたやつかー」
全部本人には覚えがある。
ただし、本人はそのどれにも参加していない。
説明が進むにつれて、森さんの表情がだんだん面白そうなものへ変わっていった。
「ちょっと待って」
「何?」
「ってことは、私は昨日、教室来て」
「そういうことになってた」
「階段降りて」
「そうね」
「バッグ持って」
「そうね」
「それで、まほろと話しに来たの?」
「らしい」
「で、結局話さないで帰った?」
「そういう結末まで付いてた」
数秒黙ってから、森さんは言った。
「私、何か随分忙しそうね?」
「かなり動かされてたわね」
瑛里が真面目な顔で返す。
「私、一歩も家出てないんだけど」
「なのに校内を結構移動してる」
「やめて。面白くなってきた」
瑛里も笑っている。
なんとなく嫌な予感がした。
似た種類の人間が出会ってしまった気がする。
「でも」
森さんの笑いが、そこで少しだけ薄くなった。
「まほろと話しに来たってところまで、みんな言ってたの?」
「まあ」
俺が答える。
「結局話せなかったとかも」
「ふうん」
さっきまでとは違う間があった。
「嫌だった?」
真帆が訊く。
「……まあ、そこはちょっと嫌かな」
「そこ?」
「来たとか見たとかは、まあ間違いじゃん。カーディガン見て勘違いしたとかなら、別にいいけど」
森さんは少し考えてから続けた。
「私が何考えてたかまで決められるのは、それって何か違うでしょ」
ああ。
やっぱり、この本人は噂の中にいた森深月とは違う。
昨日の時点では、誰も本人の意見を聞いていない。
なのに、
軽く喧嘩のようになってしまった子に会いたかった。
話しかけられなかった。
気まずくて帰った。
そこまで決まっていた。
「本人に聞いてないのにね」
瑛里が言う。
「そう、それ」
森さんは頷いた。
それから。
「……あ」
何かに気づいたように動きを止めた。
「どうした?」
「いや」
森さんが少し嫌そうな顔をする。
「それ言ったら、私も同じことしてるか」
俺たちは何も言わなかった。
「一昨日まほろとああなってさ」
森さんは続ける。
「たぶん怒ってるだろうとか。もう話したくないんだろうな、とか。私も勝手に決めてた」
「本人には?」
瑛里が訊く。
「実は、まだ聞いてない。今日結構ギリに学校来ちゃったから」
森さんは答えつつ頭を掻く。
「本人に聞かずに勝手に話作ってるなら、昨日の連中と変わんないじゃんね」
少しだけ自嘲気味に笑う。
「うわ。やだなぁ、それ」
俺も瑛里も、仲直りした方がいい、とは言わなかった。
昨日、西尾さんもまた、『だったら、私のところに来ればいいじゃん』と言っていた。
だったら、そこから先は、俺たちの仕事ではない。
「何にせよ、ごめんねだわ。いろいろと煩わせて」
森さんが手を上げる。
「ちょっと話してくるわ」
それだけ言って、さっさと歩き出した。
よくよく見れば、森さんのクラスの教室から見知ったばかりの顔――西尾さんの顔が見えている。
話しかけるべきか、やはり向こうも探っていたのだろう。
森さんが何か言ったらしいところで、西尾さんは少し驚いた顔をした。
それから二人は、その場では話しにくかったのか、並んでどこかへ歩いていった。
何を話したのかは知らない。
きっとこれは知らなくてもいい。
○
放課後。
「やっほー」
聞き覚えの増えた声に呼び止められた。森さんだった。
近くには真帆もいる。
「どうしたの?」
「真帆からもいろいろ聞いたんだけどさ、今度なんか変なのあったら私も呼んでよ」
瑛里が目を丸くする。俺も同じ。
「自分から巻き込まれに行く人、珍しいね」
「昨日、本人不在で主役やらされたし」
森さんはからっとした感じで笑う。
「だったら次は現場にいたいじゃん」
「あ、そういう動機?」
俺が言う。
「圭吾は違うの?」
――圭吾?
あぁ、なるほど。察した。
真帆からもいろいろ聞いている内に、俺の呼び方が決められたって話だろう。
おい、欠席裁判じゃないか。
特に問題は無いが。
ならば、俺も乗っかろう。ここで変な反応すると余計に拗れるというモノだ。
「俺は巻き込まれてる側だから」
「まだそれ言う?」
瑛里が即座に突っ込む。真帆まで笑った。
昨日の放課後の校内には、森深月がいたことになっていた。
教室にいて、階段を降りて、誰かに会おうとして、それでも会えずに帰った。
けれど、実際にはどこにもいなかった。
今日は、その本人が俺たちのすぐ隣で笑っている。
昨日は名前だけが先に歩いていた。
今は、その名前の持ち主がちゃんとここにいる。
その方が、ずっと分かりやすかった。
「増えたね」
「何が?」
瑛里が訊く。
「自分から面倒ごとに近づく人」
「私は違うよ」
森さん――深月が言う。
「面白そうなら行くだけだから」
「それを違うと言い張るなら、俺も違うと言えるな」
しかし、瑛里は呆れたように笑った。
「圭吾はもう諦めた方がいいと思う」
「何でだよ」
誰も答えなかった。理不尽すぎる。




