快感と違和感
目が覚めたら、胸があった。
指で触ると、ちゃんと柔らかくて。
——なのに、なんか“間違ってる”気がした。
呼吸だけがやけにうるさい。
夢にしては、妙にリアルすぎる。
恐る恐る、もう一度触れる。
さっきと同じ感触が返ってくる。
逃げ場のない現実みたいに。
「……え」
乾いた声が出た。高い声。
ゆっくりと身体を起こす。
シーツが滑る音が、やけに生々しい。
違う。明らかに、何かが違う。
視界の中にある自分の身体が、記憶と一致しない。
腕の細さ。肩の丸さ。胸の重さ。
全部、知らない。
でも。
——嫌じゃない。
ベッドから降りて、鏡の前に立つ。
そこにいたのは、“知らない女”だった。
整った顔。
作り物みたいに無駄がなくて、それでいて冷たくはない。
輪郭はすっきりしているのに、頬のあたりだけわずかに柔らかさが残っていて、触れたら沈みそうな気配がある。
目は、少しだけ眠たそうで。
完全に開ききらないまぶたのせいで、どこか気だるい雰囲気をまとっている。
でも、光が入ると一瞬だけ鋭くなって、そのギャップが妙に印象に残る。
まつ毛は長くて、影が落ちる。
視線を伏せるだけで、それだけで“完成された表情”になる。
細い首。
折れそうなほど華奢なのに、喉元にかけてのラインが妙に綺麗で、視線を引っかける。
呼吸に合わせてわずかに上下するその動きが、生きている感じをやけに強く伝えてくる。
唇は薄すぎず、厚すぎず。
力を抜いているだけなのに、少しだけ湿り気を帯びて見えて、無意識に目を引く。
全体として、派手じゃない。
でも、なぜか目が離せない。
「……これ」
思わず、息が止まる。
“可愛い”で済ませるのがもったいないくらい、
ちゃんと“人を惹きつける顔”だった。
鎖骨は、思っていたよりもくっきりしていた。
骨ばっているわけじゃないのに、光の当たり方で影が落ちて、自然に線が浮き出る。
少し首を傾けるだけで、その影がゆっくり動くのが分かる。
その下。
肌は滑らかで、無駄な凹凸がない。
なのに、完全に平坦じゃなくて、呼吸に合わせてわずかに起伏が生まれる。
目を逸らしたくなるのに、逸らせない。
腰は、はっきりと“くびれて”いた。
触れなくても分かるくらい、内側に入り込んでいる。
そのラインが、そのまま下に流れていく。
なだらかに、でも確実に。
「……えぐ」
思わず声が漏れる。
細いのに、頼りない感じはしない。
むしろ、触れたらちゃんと“形”を返してきそうな、柔らかさがある。
脚は、まっすぐだった。
余計な肉がついていないのに、細すぎるわけでもない。
膝の位置、ふくらはぎの張り、その全部が自然に繋がっている。
立っているだけで、完成している。
一歩、動く。
わずかに筋肉が動いて、ラインが変わる。
その変化が、妙に生々しい。
「……やっばいな」
小さく呟く。
自分の身体なのに、どこか“見ている側”になっている。
全体として。
派手な部分はないのに、どこを取っても整っている。
作ろうとして作れるものじゃない。
“最初からそうだった”みたいな完成度。
視線が、自然と上から下へ流れていく。
その流れすら、気持ちいい。
「……これ、ずるいだろ」
思わず笑みが溢れる。
欲しかったものが、そのままそこにある。
触れれば確かめられる。
見れば納得できる。
なのに。
ほんの少しだけ。
どこかで、“見てはいけないもの”を見ている気がした。
喉の奥が、少しだけ熱くなる。
ゆっくりと、服の裾をつまむ。
少しだけ迷ってから、引き上げた。
肌に空気が触れる。
ぞく、とした。
鏡の中に映る身体は、どこから見ても“女”だった。
手が、勝手に動く。
確かめるみたいに、なぞる。
指先に伝わる感触が、やけに鮮明で。
自分の身体なのに、“触れてはいけないもの”に触れているような、妙な緊張があった。
「……はは」
小さく笑う。
少しだけ、興奮しているのが分かる。
だって。これは。
——ずっと、欲しかったものだ。
鏡の前で、何度も服を合わせて。
角度を変えて。
少しでも“それっぽく”見えるように調整して。
それでも、どこかで“違う”って分かってた。
でも今は。違わない。
ちゃんと、そこにある。
完璧に。
「これ、さ……」
言葉が続かない。
胸の奥が、じんわりと熱い。
嬉しい。はずだった。
なのに。
「……なんで」
ぽつりと漏れた声が、少しだけ震える。
鏡の中の自分を、もう一度よく見る。
可愛い。間違いなく、可愛い。
理想そのまま。
なのに。どこか、しっくりこない。
ズレている。ほんの少しだけ。
でも、その“ほんの少し”が、妙に気持ち悪い。
もう一度、胸に触れる。
柔らかい。ちゃんと、自分の身体。
——のはずなのに。
「……俺じゃない、みたいだ」
いや。
「……変だな」
その言葉の方が、しっくりきた。
鏡の中のそれは、間違いなく理想だった。
何度も想像してきた、“こうなりたかった自分”。
なのに。しっくりこない。
足りないわけじゃない。
むしろ、完璧すぎる。
——だからこそ、変だった。
まるで、完成された誰かを、ただ“渡された”みたいな感覚。
しばらく、動けなかった。
ただ、見ていることしかできない。
綺麗に整った顔も。柔らかそうな身体も。
全部、自分のはずなのに。
妙に遠い。
「……これが欲しかったんじゃないのか?」
小さく笑う。
うまく笑えていないのが、自分でも分かる。
指先が、少しだけ冷えていた。
胸の奥に残っているのは、さっきまでの興奮じゃない。
言葉にできない、微妙な違和感。
ほんの少しのズレ。
でも、それは確実に、そこにあった。
鏡の中の“自分”が、じっとこっちを見ている。
その視線から、なぜか目を逸らしたくなった。
「……これ」
喉の奥で、言葉が詰まる。
しばらく沈黙してから、ようやく絞り出す。
「これが欲しかったはずなのに」
息を吐く。
胸が、少しだけ重い。
「……なんでこんな、落ち着かないんだ」




