第49話 悪役貴族、窮地を脱する?
「どうやら……わたしはとんでもない思い違いをしていたようだ。あの頃のマルス・ヴィル・バレンタインは、とうにいなくなってしまったとばかり」
ぎくりとしたが、憑依したことを言っているのではないだろう。気高い貴公子だった頃と、異端に堕落した今。彼女はその差に言及している。
いずれにせよ、当時のマルスがいなくなってしまったのは紛れもない事実なので、一応は否定しておかなければならなかった。
「勘違いじゃない。キミの言った通り、あの頃のマルスはもういない。ここにいるのは、異端に手を染めて辺境に追放された、ただの罪人だ」
「なにを言う。そなたの誇り高き精神は、断じて失われていない。まさに今そなた自身が証明しているではないか」
目尻に浮かんだ雫を拭うブリジット。
「マルス。わたしは嬉しい。また、そなたに会うことができた」
それは紛れもない本心の吐露。彼女の声や表情、指先の動きまでもが、深い感情を物語っている。
凛々しくも人間味のあるブリジットの微笑みは、マルスの琴線を強く刺激する。
(ああくそ。やっぱ美人だな。腹が立つくらい綺麗だ。スクショして待ち受けにできないのが悔しいぜ)
マルスは自身とエリシアの危機を理解していたが、同時にこの状況を楽しんでもいた。
推しと言葉を交わす。自分の言動で推しの心を動かし、通わせる。かつて膨らませた妄想が現実になっている。
(推しと通じ合うこの喜び。なんか、マルスとして生きていくのも悪くない気がしてきた)
ブリジットが目の前にいて、生身の反応を返してくれる。この上ない喜び。
「決めたぞ。わたしは決してそなたを斬らぬ。殿下には命令を撤回して頂く」
騎士達がざわめいた。騎士団長ともあろう者が、はっきりと王太子の命令に背くと宣言したのだから当然だ。
「そんなことできるのか? 俺を庇えば、異端に与するとかなんとか言われるんじゃない?」
胸中でガッツポーズを取りながら、あくまでブリジットを案じるスタンスを絶やさないマルス。
「そなたはこの地に追放されたことで既に罰を受けている。あるはずのない余罪まで問うことはできぬ」
「本当に俺が黒幕だったら?」
「ありえないと確信している」
ブリジットは吹っ切れたような表情だった。マルスを微塵も疑っていない。むしろ信頼を誇りにさえ思っている。
屈託のないまなざしに、マルスは苦笑するしかなかった。
「なに、心配は無用。わたしの父は大将軍であり、母は王后陛下と親しい関係だ。殿下の命を取り下げて頂けるよう両陛下に働きかけてもらう」
「それって権力の濫用じゃない?」
「違うな。真実を見ずそなたを処断しようとする殿下こそ、権威を振りかざしておられる。わたしは一臣下として、殿下をお諫めし、軽挙妄動を止める責務がある」
「まぁ確かに……」
臣下がイエスマンばかりでは、聖人君子ですら暗君になり下がるだろう。為政者を名君たらしめるのは、知勇の臣下があってこそだ。
「俺だって死なずに済むならその方がいい。ありがとう、ブリジット」
「気にせずともよい。やっとそなたに恩返しができそうで、わたしも安心している」
互いに見つめ合い、笑みをこぼす二人。
「来てくれたのがキミでよかった。他の騎士団だったら、今ごろ俺は息してなかったかも」
「隣の地域で演習をしていたのだ。この場所から最も近くにいる騎士団が我らグロワールだった。僥倖……いや、これも巡り合わせか。そなたが贈ってくれたこの鈴が、再び我らを引き合わせてくれたのだろう」
ブリジットは柄の鈴を鳴らす。堅物に見えて意外にもロマンチスト。そんなギャップが、マルスの心を掴んだ一因でもある。
剣呑な雰囲気から始まった騎士団の訪問は、いまや和やかな幼馴染の再会の場となっていた。
エリシアもほっと胸を撫で下ろす。全身の力が抜け、わずかにふらついたほどだ。
だが。
「納得できません!」
和に水を差す鋭い声があがった。
リサだ。
琥珀色の双眸は憎悪に満ち、マルスを映しこんでいる。
「お姉様、なぜ命令に背かれるのですか。異端の排除は王太子殿下の直々の御命令です。たとえお姉様でも、逆らうことは許されません!」
「落ち着け、リサ」
「落ち着けません! 命令違反は軍法会議! そう言ったのはお姉様じゃありませんか!」
リサは一歩、前へ出た。紅のポニーテールが揺れ、床板に靴音が響く。
「リサはお姉様を尊敬しています。誇り高く、正義を貫く人だと信じています。ですが――」
抜き放った剣の切っ先が、マルスの喉元に向いた。
「この男を庇うことだけは、どうしても納得できません! 異端を見逃せばレガリアの教えを否定することになるのです!」
抜き身の鉄剣が、ぼろ屋の室温を下げていく。




