第48話 悪役貴族、大ピンチに陥る! ②
「……命乞いのつもりか?」
騎士の誰かが呟いた。
「まさか。ホントなら異端裁判の時に落ちてた首だ。それを、聖女の慈悲ですこしばかり生き永らえた。それだけのことだろ」
マルスの声音は軽々しくありながらも、確かな熱を帯びている。
彼の横顔を見つめるエリシアの口が、自ずから開いた。
「やめてください。その冗談は、今までで一番笑えません」
「はは。笑ってくれたことなんてあったっけ?」
マルスは優しい声で言う。
「俺を庇ったらキミまで巻き添えだ。それだけは絶対にだめだ」
「……どうして、そんなふうに笑えるんですか」
「俺は棺桶の中でも冗談を言う男だからね」
虚勢でも強がりでもなく、妙に穏やかな覚悟。
彼は希望を失っていない。エリシアの将来も、自分自身の命だって諦めていない。
だからこそ、不思議と恐れはなかった。
「どうだ? ブリジット。虫のいい話かもしれないけど、約束してくれないか?」
「……もし、約束できぬと言ったらどうするつもりなのだ」
「そんときゃ暴れるさ。俺がその気になれば、三人くらいは道連れにできる。得意の異端魔術でな」
場の空気がひりついた。
もちろんこれはハッタリだ。だが、得体の知れない異端魔術なら可能なのではないかと騎士達に思わせることはできる。
ブリジットは唇を結んだまま答えない。ただ、長い睫毛の影がわずかに震えていた。
「そなた……本気か?」
「うん、本気」
あっけらかんとした調子を崩さないマルスに、ブリジットの表情が徐々に険しくなっていく。
「エリシアが無事なら、化けて出たりしないからさ」
騎士達の様相が引き締まった。
リサが剣に手をかけて一歩踏み出すが、ブリジットの声がそれを遮る。
「止まれリサ」
分厚く威圧的な命令。
「全員、一歩たりとも動くこと許さん」
黒い瞳が苦悩に揺れる。長い前髪から覗く目元は、今にも泣き出してしまいそうだ。
「この儀は保留とする。殿下は事を急ぎ過ぎておられるようだ」
「団長。しかしそれでは、命に背くことになるのでは……」
「わかっている。だがここで彼を斬ることはできん。我がフィエリテの誇りが斬るなと言っている」
副官らしき騎士の諫言は容赦なく断ち切られた。
思ってもみない展開に、エリシアの表情が不安から驚きに変わっていく。
(っぶねー。でも、なんとかなりそうだ)
マルスは内心で胸を撫でおろしていた。
(悪いなブリジット。けど今は、お前の良心に訴えかけるしかないんだ)
ゲームをやり込み、推しの考察を重ねに重ねたマルスにはわかる。
この状況でマルスを斬れるブリジットではない。彼女は常に真実を求め、公明正大であることを自身に課していた。
(マルスとブリジットが知り合いだってのも嬉しい誤算だ。あとは、周りの騎士達をどう納得させるか)
やはりここは、騎士団長の権力に頼るしかない。
成熟しているように見えても、彼女はまだ十七の少女だ。感情を揺さぶって後に引けなくさせれば、生存の道は拓くはず。
マルスは脳をフル回転させながら、一つ一つ言葉を選び出す。
「だめだブリジット。命令に背けば、キミの立場が危うくなる。フィエリテ侯爵にも迷惑をかけてしまうじゃないか」
まるで、幼い子どもを諭すような口調。
黒い瞳が、きつくマルスを射貫いた。
「っ――ふざけるな!」
ブリジットが怒声と共にテーブルを叩いた。ガチャン――茶器が音を立て、紅い液体を溢す。
「わたしに、恩人を斬れと言うか!」
「……それがキミの、騎士としての役目だろう」
カップの縁を伝った液体が、命令書にゆっくり滲んでいく。
荒い呼吸を繰り返した後、ブリジットは拳を開いた。指先に残る震えを掌の中で押しつぶすように、深く息を整える。
「そなたは生きたくないのか……? 本当にわたしに斬られてもよいと?」
「ああ。キミになら」
マルスは努めて、儚げな微笑みを浮かべた。
「俺との約束――その鈴の誓いを果たしたブリジット・ラ・フィエリテになら、斬られてもいい」
ブリジットは言葉を失う。唖然として、マルスから目を離せない。
背後に控える騎士達は、リサを含め全員が沈痛な面持ちを浮かべていた。彼らはそれぞれの思いを抱えながら、二人のやりとりを見届けようとしていた。
ぼろ屋は沈黙に包まれる。誰もがブリジットの決断を待つのみ。
ところが彼女は、何かを言う前にくつくつと小さな笑いを漏らす。その笑みは嬉しそうでもあり、どこか自嘲するようでもあった。
エリシアも、騎士達も、一様に怪訝な反応でブリジットを見る。




