第44話 悪役貴族、推しを知り己を知る ②
「待って待って。なに? 斬りかかられた? エリシア、大丈夫だったのか?」
「……はい。すぐに団長様が止めてくださって、大事ありませんでした」
「怪我とか、本当にない?」
マルスは思わずエリシアの腕に視線を走らせ、手首から肩、喉もとまで確かめるように目で追う。エリシアは困ったように袖口をめくり、薄い擦り跡すらないことを見せた。
「見ての通りです。すこし驚いただけで」
「……よかった」
吐き出したのは安堵の息。
「ごめん、こんなことになるなんて思ってなかった。怖かったろ」
「少しだけ。でも、団長様がすぐに間に入ってくださいましたし、その謝罪にハイポーションを頂きましたから」
エリシアの口元が笑む。だが目は笑っていない。
マルスは顎を押さえ、考え込むように俯いた。
「そいつの名前、リサって言ったな。リサ・ヴァーミリオンだろ?」
「はい、そう名乗っておいででした。知ってるんですか?」
「まあね。リサの奴、どうせ謝りもしなかったんじゃない?」
「……ええ。団長様が謝罪をするように仰いましたが、拒否されていました」
「だろうな」
リサ・ヴァーミリオンのことはよく知っている。彼女もまた『聖愛のレガリア』の登場人物の一人。ブリジットが物語から退場した後、彼女の役割を引き継ぐキャラクターだ。
初登場時の彼女は年相応に愚直で、異端者にも慈悲深い主人公ティアナとは価値観が噛み合わず、幾度も衝突していた。
中盤まではトラブルメーカーとして周囲を振り回すが、ブリジットの死を境に、人としても騎士としても一気に成長する、大器晩成型のキャラである。
終盤にはティアナやエドワードの窮地を救い、敵幹部を討ち取って存在感を確立。あどけないビジュアルも追い風となって、人気投票では常に上位に食い込んでいた。
だが〝俺〟はあまり好きではなかった。ブリジットの後釜としてはあまりに役者不足だと感じていたし、序盤の疎ましさを終盤の活躍で払拭できなかったからだ。
(今現在の時系列は……マルスが追放されてすぐだから、ゲームでいうなら序盤。リサはまだ愚直な従騎士で、一番ウザかった頃だ)
マルスはテーブルを指でとん、と叩く。
「……エリシアに斬りかかった? あのガキ絶対に許さん」
「待ってください。リサ様にも事情があると聞きました。異端に対して思うところがあるって」
「知ってるよ。あいつの友達な、異端者に廃人にされたんだ」
「……え?」
「アカデミー時代のクラスメイトでドロシーって子。貧しい男爵家の一人娘だった。彼女は大金が手に入るっつって騙されて、異端魔術の実験台にされた。ドロシーだけじゃないよ。聖都の住民が何人も犠牲になった。二年前くらいの話かな」
「そんな話、聞いたことありません。それほどの事件なら報道されているはずでは」
「犯人が捕まってたらね。でも、結局逃げられたもんだから、国の面子を保つために緘口令が敷かれた。大規模な組織的犯行ってことを言い訳にしてな」
エリシアは信じられないといった顔をしている。
「まぁ一部じゃ都市伝説的に扱われてる事件だな。でも事実だよ。パラケルススって秘密結社の仕業でさ」
「あなたは、どうして知っているのですか?」
「はは。これでも伯爵家の嫡男だった男だよ。そりゃ知ってるさ」
というのは嘘で、実のところゲームをやり込んでいたからである。
「そう、ですか。だから、リサ様はあんなにも敵意を抱いていたんですね」
「そ。あいつにとっちゃ異端者はもれなく極悪人だから。でもな……」
マルスが顔を上げた時、その目の色は変わっていた。笑みは消え、声に刃が宿る。
「ハイポ一瓶でチャラになる問題じゃない。絶対にエリシアに土下座して謝らせる」
「けれど、そんな事情があるなら」
「事情があればいいって理屈にはならない。この落とし前は、明日きっちりつけさせなきゃな」
マルスは立ち上がろうとして「ぐ」と息を呑み、背に走る痛みに顔をしかめる。
「そんなに怒らないでください。傷に響きます。私は平気ですから」
「エリシアが平気でも、俺が平気じゃない」
返した声は、痛みを我慢するようだった。
「キミに刃が向いた事実がいちばん嫌だ。エリシアには、傷ついてほしくないから」
言ってから、照れ隠しのように鼻を鳴らす。
「エリシアが怪我したら、誰が俺の世話をしてくれるんだって話ね」
「ご自分でしてください。回復したらすぐに家事を覚えてもらいますから」
そっけなく言い残し、エリシアは台所に向かった。
薬草を束から外し、根元の泥を落として細かく刻む。鍋に水を張り、焚き口に火打ち石を打つと、ぱちぱちと乾いた火花が藁に移った。刻んだ薬草が水面に散り、すぐさま香りが立つ。
マルスは椅子にもたれ、湯気越しにその背中を眺める。傷の痛みは鈍く主張を続けているのに、胸の真ん中だけやけに静かだった。
エリシアが自分のために手を動かしてくれている。ただそれだけで、妙に満ち足りた心地になった。
「エリシア」
「はい?」
「ありがとう」
「……はい」
ふっと、二人の間の空気が柔らぐ。
外では風が戸を鳴らし、家の中には薬草の匂いがたちこめる。マルスは目を細め、湯気の向こうで動くエリシアの手元をもう一度だけ見てから、心の中で決意を固める。
(この日常を、守ってみせるさ)
鍋の蓋を閉める小さな音。
明日訪れるであろう波乱に思いを馳せ、マルスは静かに窓の外を見据えた。




