21話 吸血鬼の花嫁
髪を振り乱し、息を切らし、ジルは深い深い森の奥を目指して走っていた。
木の葉が頬を叩こうと、木の幹が足を引っ掛けようとも、ただ、ひたすら、走って、走って、走り続けていた。
額に張り付いた髪を払い、先を見据える。
端的に言って、ベルトルトは母を殺してはいなかった。確かに彼は血を吸っていたが、その時には――
「うぐっ!?」
突然、ジルの首を誰かが引き寄せた。喉が締まり、空気が吐き出される。
「離して!」
ジタバタと暴れるも、よほど力が強いのかびくともしない。油を売っている暇などないのに。
「暴れるな。オレはアンタの敵じゃねぇ」
「なら離して!」
「バウッ!!」
腕に噛み付いてやろうかとジルが口を開けたその時、大きな黒い狼が両者の間に突撃した。
腕を離され、後ろに飛び退く。
ジルが捉えたのは、フードを目深く被った、金色の瞳を持つ青年だった。獣臭が微かにジルの首についている。
自身を守るように前へ飛び出したのは、例の狼だった。青年を威嚇しているのか、グルグルと地を這うような低い声で唸っている。
モフモフだ。ジルを追ってここまで来たのだろう。
「あなた、私を襲った狼人間の頭?」
「そうだ。でも勘違いするなよ。あれは吸血鬼と間違えただけで、オレたちは人間を襲わねぇ。ここへ来たのは、その時の詫びをするためだ」
「いらないわ。急いでいるの」
踵を返し、ジルは一歩踏み出した。
しかし、モフリとしたものにぶつかり、地面に尻餅をついてしまう。
目の前には、グリフィンへと姿を変えたモフモフの姿があった。
◇◇◇
屋敷には既に人が集まっていた。馬車がエントランス前でギュウギュウ詰めになっている。パウル家の屋敷は、田舎町に根城を構える貴族の無駄に広い敷地に筆頭するはずだ。これだけの人数、人間相手でもそうそう見ることはない。
彼らの上空に現れたのは、グリフィンに乗ったジルだ。なんとか間に合ったようで、ほっと胸を撫で下ろす。
しかし、安堵している暇はない。
「モフモフ、行くわよ」
羽がバサリと音を立てる。
風を切るように素早く、ジルは広間を目掛けて突っ込んだ。
叫び声が上がったのも束の間、ふわりと風を起こして着地する。
「人間だ!」
誰かがジルに指を差し、声を上げた。
「美味しそうだわ、余興に食べちゃいましょうよ!」
「やめておけ。パウル家は今、穏健派だぞ」
「何を言う。我らの領域に踏み入った人間が悪い」
鋭い視線、好奇の視線、悪意の視線。すべての感情がジルに牙を向けている。屋敷内からも人が集まり、とても話を聞いてもらえる状況ではないと言えよう。
しかし、飛行中に見えたフェルツ達の位置からして、彼らはあと五分もしないうちに屋敷へ着く。ここにいる吸血鬼たちを帰せなければ、全面戦争が始まるだろう。
「人間ごときが何故現れた」
「あなたたちを助けたくて。もう少しで対吸血鬼組織が来ます。どうかお逃げ下さい」
吸血鬼たちの悪意に当てられてもなお、ジルは毅然とした態度で彼らを見据えた。
しかし、返ってきたのは嘲り笑う声で。
「ハッ! 突然何を言い出すかと思えば、我々を助けるなどと!」
「笑止千万。部を弁えよ、人間如きめが」
「第一、貴女は誰なのよ? ただの部外者は」
「――よ」
「え?」
誰かが、不意を突かれたような声を洩らした。
「――ベルトルト・パウルの花嫁、ジル・ローゼンシルクよ」
もう一度聞こえるように、凛とした声で言い放つ。
先ほどとは異なった雰囲気で、吸血鬼達はざわつき始めた。
「嘘をつけ! 人間が由緒正しきパウル家に嫁ぐなどありえん!」
「そうよ! わたくしの方が相応しいに決まっていますわ!」
「――いいや、彼女が俺の、唯一無二の、花嫁だ」
口やかましく騒ぎ立てる吸血鬼の列から、鋭い爪が襲うその前に、薔薇の香りがジルを包み込んだ。
耳元で心臓がドクドクと鳴っている。
「呼び寄せておいて申し訳ないが、彼女の言う通りにしてくれ」
「ですが、ベルトルト様、その娘は人間……」
「パウル家に意義を申し立てるつもりか」
「うっ、それは……失礼いたします」
今にも相手を噛み殺さんとする、低い低い威嚇するような声。
彼に睨まれた男性は、コウモリに変化して飛び去っていった。
彼の後を追うように、他の者達もコウモリに変化したり、馬車に乗ったりと、次々に屋敷から帰っていく。
全員が消え去って、ジルはようやくベルトルトを見上げた。
そして、やはりと微笑む。
「……どうして、どうして戻ってきたんだ」
彼は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
苦しくて、辛くて、悲しくて、そしてどこか侘びているような、弱々しい顔。先程の威厳が嘘のようだ。
「あなたの、大好きなあなたの、花嫁になるために」
彼の頬を撫で、涙を拭き取る。――そして、頬を掴んだ。
「あなた、私になんの弁明もせず、死のうとしていたのね?」
「お、怒っているのか?」
「ほんの少しね」
わかりやすく狼狽え始めたベルトルトを見て、ジルは苦笑した。
日記の内容によると、ジルに嫌われたと確信した幼き彼は、パウル家へ逃げ戻った後に死のうとしたらしい。人体実験は行っていないらしいので、拷問器具についていた血は彼のものと予測できる(許可を得た上で、部位を拝借したことはあるようだが)。
毎日のように彼自身のことを殺そうとしてきたらしい。粉々にされるか、燃やされて灰になると流石に死ぬだろうが、使用人たちに怪しまれるので出来ず。
まだ叶えられそうな方法を見つけたが、そのために必要な存在を見つけられずにいた。
とにかく、彼は死にたがっていた。
「どうして、私と結婚すると宣言したの?」
「……それは、」
彼が口を開いたその時、城門が破壊された。
自分を庇うように前へ出た彼の手を止める。
「答えは後で教えてね。……今はまず、過去のすべてを清算させる」
ピリついた雰囲気に背中を焼かれながら、振り返る。
そこには、銃を構えたペーター達と、予想外の光景に顔を真っ青にさせた、フェルツの姿があった。




