20話 目を覚ませば
フェルツ達が出て行き約二時間。空はすっかりオレンジ色だ。森の奥から紺色が侵食してきている。
ジルは家の出入り口に立っていた護衛たちに、フェルツ達が何をしにどこへ向かったのか尋ねたが、はぐらかされて終わってしまった。口を封じられているらしく、困ったように笑うだけ。
暇を潰そうにも、本を読む気にも、お菓子を食べる気にも、ポットの中で冷めた紅茶を飲む気にもなれなかった。射撃訓練なんてもってのほかだ。
また、日記帳を開く勇気も出ずにいた。
「読むと決めたのに……」
日記帳の隠された棚を見つめ、ポツリと呟く。
部屋に戻ってからというもの、ジルは棚を見つめ、ため息をつき、グルグルと歩き回り、ベッドに座り、また棚を見つめ……と、側からみればかなり不審な行動を繰り返していた。
(だめだわ! 息が詰まりそう!)
自室の扉を開け、一階へと降りる。そして、二階と一階を往復し始めた。身体を動かすと思考も巡ることがある。頭の中がゴチャゴチャしている今こそ有効だろう。
熱心に鍛錬していると思い込んで感心しているのか、護衛達は扉越しにニコリと微笑んだ。そして、仕事を全うするために眉を吊り上げて扉に背を向ける。
その時、低い隙間風のような音が首筋にかかった。
(なっ、なに!?)
ゾワゾワと毛が逆立つ首に手をやり、耳を澄ます。
(……たぶん、一階よね?)
息を飲み、一階の中を捜索する。
少し歩いたあたりで、はっきりと音が聞こえてきた。非常に苦しげな呻き声である。
(この声が聞こえてきたのは……書斎)
フェルツの仕事部屋でもある。子供の頃はジルが来た時のために絵本を置いていた、日当たりのいい、今は入らないように念を押されている部屋だ。
ふと足元を見ると、扉の下に弾丸が散らばっていた。急いで詰め込んだのだろう。
(と、いうことは、)
ドアノブに手をかけ、深く息を吸い込む。
まさか、二日連続で『禁断の扉』を開くことになるとは。しかし、今の声を看過することはできない。
意を決して、ジルはそっとドアノブを捻った。小さな音一つたてることなく、扉が開いていく。
(なんだ、普通ね)
風にそよぐカーテン、武器の置かれた棚たち、仕事用の机と椅子、計画立案に使われる長机とソファ。いたって普通の、対吸血鬼組織の長らしい部屋だ。
安堵と落胆のため息をつく。
その時、鎖が金具にぶつかる金切音が微かに響いた。
音の発生源は、棚の下。
(……地下に何かある?)
慌てて床に耳をつけ、叩いてみる。次いで、部屋から出て廊下の床を叩いた。本当に微かだが、音が違う。
棚を動かす仕掛けが部屋のどこかにあるはずだ。椅子と机は違うだろう。仕掛けを用意するなら、普段動かすことがないが、あっても違和感がないものになるはず。
となれば、武器だろうか。
(はやく、はやく見つけないと)
ジルは片っ端から武器を持ち上げていった。用心深くなった父のことだ。目印などはつけていないはず。
いくつもの武器を動かし、最後の棚に差し掛かろうとしたその時、カチリ、とスイッチ音が鳴った。持ち上げたロケットランチャーが置かれていた台座からだ。
突起を押したり、引いてみたりする。次いで、時計回りに捻った。
床下から聞こえてきたのは、鍵が開く音。重々しい音を響かせて、背後の床から下へと続く石階段が現れた。
ジルの鼻に生臭いにおいが砂埃と共に舞い込む。
「ゲホッゴホッ……あった」
中を覗き込めば、真っ暗闇の先で、赤い光が微かに揺れ動いていた。
深呼吸をして自分を鼓舞し、闇の中へ足を踏み入れる。それは、深い深い螺旋階段になっていた。そして、生臭いと感じたものは、恐らく――
「ひっ!」
松明の光が、部屋の惨状を照らし出した。
壁一面を覆い尽くす勢いで飛び散った赤い返り血。目の前に何台も置かれている、黒く変色した手術台。その上には、血だらけ、脂まみれの肉塊が無造作に放置されている。中には、骨が突き刺さっているものまであった。何から嫡出されたものなのか、考えたくもない。
ジルのすぐ隣に立つショーウィンドウには、戦利品とでもいうように生首や、体の部位の入れられたホルマリン漬け、傷だらけの骨が飾られている。
すべての生首たちは、鋭い牙を持っていた。
断末魔のように口を開け、零れ落ちそうなほどに目をギョロつかせ、苦痛に歪む顔たちが、ジルを見つめている。気のせいだとしても、そう思えてならなかった。
あまりの恐怖に目を逸らしたジル。その視線の先で、血に汚れた紙が数枚、落ちていた。
「実験記録……」
そこには、声にするのも恐ろしい、吸血鬼に対する残虐非道な行いが淡々と綴られていた。
顔は青ざめ、手がワナワナと震え出し、歯の奥がカチカチと音を鳴らす。うまく呼吸ができない。胃の奥から何かが込み上げてくる。真っ赤な視界が潤み始めたその時。
隣から、何かが金属に叩きつけられる音がした。はっと意識を取り戻し、慌てて顔を向ける。
「あ、あなたは!」
牢屋に必死にしがみついている、身体のあちこちが削ぎ落とされた血だらけのかたまり。
それは、一週間前に森でジルを襲っていた吸血鬼の片割れだった。
(まずいわ、息が切れかけてる!)
慌てて駆け寄り、鍵穴を探す。そして、はたと気付いた。
自分に、彼らが助けられるのだろうか。また、彼らを解放したとして、自分が殺されない保証はない。
(危険だわ。でも、でも、)
震える手で頬を叩き、鍵を探すために膝を立たせた。
「きゃっ!」
突如、吸血鬼がジルの足を掴んだ。
爪がないらしく、ぶよりとした感触が血の冷たさと共に伝わってくる。
「おまえ、が、むすめ、か」
「話さないで。今鍵を探しに行くから」
「はっ、よく、いうぜ」
掠れた声で吸血鬼が笑う。
「あの、ぼっちゃん……ころ……さ、れる、ぜ……」
彼の言葉に、全身の血が一斉に引いていく。
「……父は、ベルトルトを殺しに行ったってこと?」
吸血鬼が小さく息を漏らした。
「まさか、あなたが屋敷の場所を教えたの?」
答えはなかった。
ジルは震えの止まった足を吸血鬼の手から引き抜き、バタバタと階段を駆け上がった。
程なくして、キッチンから持ってきた肉とパン、傷薬を牢屋の中に投げ入れる。
そして、勢いを落とすことなく、部屋の中へと駆け戻った。
息を切らし、棚の鍵を開け、日記帳を取り出す。
肩を上下させて、ジルは深く息を吸い込んだ。ゆっくりと吐き、目を閉じる。
ついに、隠された彼の記憶へと手を伸ばした。
数分後、部屋には誰もいなくなった。




