吸血鬼の惨劇1
廃墟のような城を前にして、彼女は嬉しそうに嗤った。
その様子を隣で見ていた背広の男は、形容しがたいものを見る様な視線を彼女に向けた。
「分からねえな。お前が強いのは良く知っているが、それでも怪物相手にこれから戦おうって時に、どうしてそんな顔ができるんだ、シエルよ?」
彼女――シエルは、男の問いかけに微笑んだ。
「いつも言ってるっしょ。私は殺し合いが好きなんだ。それでどちらが死んでも構わない。互いの命を天秤にかけるあの感覚、自分の破滅すらいとわない行為の中にある激しい昂ぶりと、命を奪う瞬間の静かな感情。あれを一度体験したら、アンタだってきっとバトるのが好きになるぜ、ルーン」
ルーンと呼ばれた背広の男は、うんざりした顔で首を振った。
「はぁ……狂ってる女にゃ付き合いきれんな。悪かった、もう聞かねえよ。とっとと始末してくれ」
「りょうかーい。んじゃ、汚れないように後ろに下がってな」
シエルは、古城の敷地その一歩手前で立ち止まる。
「敵を警戒しての警報? ――いや、これは客を知らせるためのただのチャイムか」
呟いて、シエルは何も持たない手で何も無い虚空を斬った。
魔法使いでは無いルーンにも、その一振りで城を囲っていた魔法の気配が消えたのを感じることができた。
「下手に騒いで、逃げられるのも面倒だしね」
シエルは誰に言うとも無く呟いて、古城の敷地へと踏み込んだ。
座っていた鞍付きの犬を斬った。
古城の扉を斬り壊した。
勘を頼りに進んで、食堂に出た。三人の人間が居た。初老の男一人。エルーシナの女が一人。自分より年若い少女が一人。
シエルはとりあえず、突っ立っていた男の首をはねた。それを見て、すぐさま少女が女の前に出て防御魔法を張る。
大した事はできないだろうと軽んじていた少女が女を庇った事に、シエルは少し興味を引かれた。たとえ相手が弱くとも、シエルは戦う方が好みだった。ただ殺されるだけの的に、情は湧いてこない。
「いいじゃん。その勇気には敬意を表するよ」
嘲り嗤うシエルに、少女は無感情に視線を向ける。その表情は、人形の様に冷たい。
そんな少女の瞳を見て、シエルは可笑しくて笑いだした。
「あははははは、違うや。その目は――そうか、アンタも人殺しなんだ」
「…………随分とお喋りな殺し屋さんなのね。貴女、嫌いだわ」
少女は表情を変えないまま、不機嫌そうに憎らし気な声を発した。シエルはそれに、からからと笑い返す。
同類との遭遇は貴重な体験だ。自分と同じほどの狂気を、この年端も行かない少女が抱えているという事実に、シエルは愉快になった。
少女に守られる形となっている女が、心配そうに少女に声をかける。
「アリエッタさん、下がってください。その人は危険です!」
「いいえ、逃げるのは貴女よ。こいつらは貴女を狙っているんだから。――大丈夫。私も追って逃げるから」
話を聞く限り、少女をアリエッタと言うらしい。という事は、女の方が標的のセレイアという人物になる。セレイアに逃げ出す気配はない。ならば二人まとめて始末してしまおうと、シエルは構えた。
「こんな事をして、本当に街が手に入ると思っているのルーン?」
シエルの背後に立つルーンへ向け、セレイアが吼えた。
「もちろん。こんな地図にも載ってねえ町に何が起ころうと、周囲は関知しない。アンタを殺して領主になるのもいいし、いっそ町の人間を全員処分して、この土地を商会のモノにするのも有りっちゃ有りだ。百人にも満たない人口だ。あっさり片付くだろうよ」
「っ! なんて男」
にらみ合う二人の間に立つシエルは、うんざりしたように息を吐く。
「おいっ、オッサン。これから始めようって時に、要らねえ問答すんじゃねえよ。マジでテンション下がるんだけど?」
「悪い悪い。さっ、始めてくれ」
言葉とは裏腹に悪びれる様子もないルーンに、シエルは鼻を鳴らして一蹴する。
彼女は構えた体をさらに低くして――地面を蹴った。
「さあ、ガッツのあるとこ見せてみな!」
シエルはアリエッタに迫りながら、ナイフを右手に持つイメージを思い浮かべる。
――ナイフ。何でも切れるナイフ。魔法も斬れる、魔法のナイフ。
シエルは何も持っていない右手を、アリエッタが張った防御魔法の障壁に振り下ろした。
硝子の壊れるような高い破砕音を響かせて、障壁が粉々に砕け散る。
「――っな!」
アリエッタが驚きの声を漏らす。それでも表情は変わらず虚ろ。徹底した"無"表情に、シエルの背筋に悪寒が走る。
「はっ! いいなお前、私より壊れてる」
シエルは一目見ただけで、アリエッタの異常性を悟る。
この子は将来、とんでもない人物になるだろう。きっと私以上に狂った事をする。人に、世界に、害をなす。だけれど、そんな可能性を、今ここで摘み取ってしまう。その事に対する罪悪感と、背徳感がたまらなく愛おしい。シエルはそんな感情に体を震わせて、哂った。
シエルは横一線に手を振るった。アリエッタの首が飛ぶ――――はずだった。
アリエッタの体は斬られたと同時に黒い霧へと変化した。シエルの目の前で、少女の姿が霧散する。
「なにっ!」
驚きは、シエルだけのものではなかった。観戦していたルーンとセレイアも、異常な展開にそれぞれが声を漏らす。
「――――リヴ・フロイス」
シエルは自分の背後に気配を感じて、上半身を前に倒した。シエルの上を、氷塊の弾が通過する。
シエルはその姿勢から前転して距離を取ると、低い姿勢のまま体を回転させて振り向いた。
そこに、アリエッタが居た。シエルの目の前から消えた彼女は、いつの間にかシエルの背後に立っていた。
「空間転移? ――違う。魔法じゃないね。幻術――アシュメスの黒魔術あたりかな?」
「そうよ。良く知っているわね。かなり知名度の低い術だけど、効果は確かでしょう?」
余裕を含んだ声でアリエッタは答えたが、その姿は今にも倒れそうなほどか弱い。たった三度魔法を使っただけで、大きく息が乱れていた。その青白い顔を見れば、アリエッタの健康状態が芳しくないのは明らかだった。
「なんだよ、病人だったのか。そんな状態で私を出し抜いたんだ、誇っていいよアンタ」
シエルは哂いながら、アリエッタに斬りかかる。瞬間、再び背後に気配を感じて、シエルは振り返った。
セレイアが振り下ろした剣を、シエルは難なく受け止める。セレイアの手には、赤い氷の剣が握られていた。セレイアが魔法で造り出したものだ。
「はっ! 今度はアンタが相手かい?」
シエルは愉快に笑って、セレイアへ不可視の剣を振るう。
二人の力の差は歴然だった。万という単位で命を狩ってきたシエルに対し、セレイアはまともに戦った事などほとんどない。魔法に少し覚えがあるとはいえ、剣に関しては素人以下の状態だった。
それでもシエルは、セレイアの実力に合わせて剣を振るった。シエルにとって大切な事は、必死になって向かってくる相手をなぶり殺しにする事だった。圧倒的な実力差で相手の戦意を削ぐなど、興の乗らない事この上ない。まして、一撃のもと早々に"殺し合い"を終わらせることなどもっての外だ。シエルはどんな相手であっても、死合うという行為を楽しみ、味わい尽くす。それこそが命に対する、シエルなりの敬意だった。
セレイアが劣勢とみて、アリエッタはすぐさま援護に出た。アリエッタの掛け声にセレイアが反応して、軌道から外れる。瞬間、アリエッタは火炎球をシエルへと放った。
シエルはそれを、片手一振りで消し去る。
「うーん。差し合いっていうのも嫌いじゃないけど、私はやっぱり一人に集中したいんだよねぇ」
シエルはおどけた様子でそう言うと、アリエッタに迫った。五歩以上の距離を一瞬で詰めて、シエルはアリエッタの首を掴んで放り投げる。アリエッタには、自分の身に何が起きたのか理解する間もなかった。アリエッタの身体は数メートル飛行して壁面に激突し、動かなくなった。
「アリエッタさん!」
セレイアがアリエッタの方に気を取られた一瞬で、再びシエルはセレイアの間合いに戻っていた。剣気とも呼ぶべき死の圧力が間近に迫って、セレイアは自分の終わりを悟る。シエルは殺す者、セレイアは殺される者。その避けようのない定めのような物を、セレイアはシエルの圧から感じ取り、怖気づいてしまった。
隙の出来たセレイアに、シエルは不可視の剣を突き立てる。心臓を貫かれて、セレイアが血を吐いた。しかし彼女は、その程度では死ねない。血の廻らない体になっても、酸素が脳に届かなくても、彼女は生き続ける。吸血鬼という呪いの特性のために、セレイアはどんな致命傷をうけても死ぬ事ができなかった。
胸の傷が早回しの様に塞がっていくのを見て、シエルは感心の混じった声を出す。
「そっか、そう言えばアンタ吸血鬼だったっけ。それじゃあ、これかな?」
シエルは再び、その手に持つ剣のイメージを創り上げる。聖水をかけた銀の刀身を。
シエルは素手を振るい、セレイアの右腕を肩の付け根から斬り落とした。切り口から煙が上がり、セレイアが絶叫する。
「ああああああぁ、痛い痛い痛い痛い、熱い熱い熱いっ!! ――これは、聖水? なんで? どうして?」
痛みにのたうち回るセレイアは、シエルの能力を理解できずに、混乱と恐怖と激痛で顔をゆがめた。その絶望した顔を見て、シエルは歓喜に震える。
「はぁ、最高だ。いいよ、すっごくいい」
シエルはセレイアを蹴り飛ばす。地面を転がったセレイアは、咳き込むだけで大人しくなった。シエルはそんなセレイアの身体を持ち上げて、頭上に掲げる。
「もっと、声を聴かせて――」
恍惚の表情で体を震わせながらシエルは囁いて、セレイアの身体を引き裂いた。
「――――――――――――――!」
断末魔の叫びが、昏い食堂に響き渡る。
血と■■で全身を深紅に染めて、シエルはうっとりと笑った。
その姿には、味方側であるルーンですら恐れ慄く。一国の住民を虐殺して滅ぼしたとも噂される、女の狂気に。
悪と狂気は決して同じものではない。むしろ相反するものだろう。狂気とは、善悪のない快楽なのだから。どれだけ悪辣であろうとも、まともならばその域を理解する事などできるはずもない。
「狂っている――」
ルーンの呟きに、シエルは振り向いて笑ってみせた。彼女はいつもの愉快な調子で、「だろう?」と答えた。
身体を上下二つに裂かれたセレイアは、激痛にトびそうな自我を必死に保ちながら、自身の下半身に手を伸ばす。
そんなセレイアの元に歩いて行き、ルーンは蔑むような視線を向けた。
「憐れだな、そんなになってもまだ死ねないとは……化け物め」
「――怪物ハ、どっチだ……あの子に、手ヲ出したラ、殺して……やる!」
憎悪を込めて、セレイアはルーンを睨みつけた。そんなセレイアをルーンはただ、嗤って見下ろしていた。




