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「――――故に、我々は人間である」

 その言葉で市長が演説を締め括ると、集会所には盛大な拍手と歓声が沸き起こった。

 私と優星が無事に地下都市に戻ってきた日から一ヵ月後の今日、市長はあの日を体験した人々を全員集め、耶永瀬慈雄という人物の正体、そして世界の崩壊までの経緯を公開した。

 伝えられた真実には誰もが驚き、泣き出す人もいて、怒る人も少なくなかった。それでも市長は決してあの人のことを悪く言わなかった。私の意見を尊重してくれて、仮に自分が同じような状況に陥ったらどうするのだろうか、と終始問いかけるような話し方を心がけてくれた。

 そのおかげか、演説が終わった後の集会所からは一切の負の感情が消え去り、その代わりそこには希望に満ちた光が溢れ返っていた。誰もが過去の痛ましい記憶を乗り越え、明日(みらい)を夢見る笑顔でお互いを支え合っている。

「――……?」

 ざわめきの中、不意に私は誰かに腰元を突っつかれ、振り返るとそこには人混みで溺れかけているスズの姿があった。さっきまで私のすぐ横にいたと思ったのだけれど……。

「優星が大ニュースだってさ! 行こ!」

「……優星? でも集会が――」

「もうお開きムードでしょ。ほら行くよっ!」

 どこへ? と尋ねる前に私はもうスズに手を引かれ、混雑した地下五階の集会所を抜け、あれよあれよという間に階段を駆け上がり始めた。相変わらず彼女は盲目であるというのにそこらの人より足が速い。

「ここは……」

 疾走の末に辿り着いた場所は、私と優星が地上に出る際に使った地下一階のエレベーターの前だった。ボタンの隠されている箱に掛けられていたはずの南京錠は、何者かによって〝物理的〟に壊されているのが確認できる。

「お、来たな!」

 エレベーターの前には黒縁眼鏡をきらりと光らせるこーすけと、開く扉を押さえるハタケの姿があった。市長の演説を最初から最後まで真面目に聞いていたのは、どうやら私だけだったらしい。もっとも市長よりも先に真実を知ったみんなからすれば、改めて話を聞く必要はなかったのかもしれないけれど。

「急がないと閉まるぞぉ」

「鍵はあなた達が壊したの?」

 私が尋ねると、こーすけがまさか、と言って肩を竦めて両手を広げる。

「優星さんに決まってるだろ。あの人にとっては電子的も物理的も同じなのさ!」

「そう。だから朝からいなかったのね」

 エレベーターに乗り込みながら私はそんなことを言った。彼とは昨日も会ったというのに、数時間見ないだけでもなんだか喉が渇くような感じがしてしまう。私の心も欲張りになってしまったものだ。それにこれからその渇きが満たされるのだろうと思うと、もっと速くとエレベーターに鞭打つ自分の姿が脳裏に浮かぶ。

「凄いぞ! 僕とハタケはついさっき見てきたんだ。あと見てないのは空ちゃんとスズだけだよ!」

 エレベーターが動き出すと同時にこーすけが興奮した様子でまくしたてる。

「ちっくしょー、先取りしやがってー。あ、でも今〝見てきた〟って言った?」

「あ――あー……うん、そうだ。スズには見えないかもしれないな……」

 口ごもるこーすけにもスズは別段気を悪くした様子も見せず、まぁいいか、なんてぺろりと舌を出す。彼女ほどの精神力の持主はそうそういないことだろう。私はいつだって彼女を見習わなくちゃいけない。

「空ちゃん、きっと喜ぶぞ」

「喜ぶ? 私が?」

「おう、なんたって〝自分を見れる〟んだからな」

 意味深なハタケの言葉を理解できずに首を傾げるも、ハタケとこーすけはにやにやと笑うばかり。そんな二人の笑顔を横目に、私はエレベーターの中にある鏡に視線を移す。

 ――――もう、鏡のことを嫌いだなんて思うことはないかな、って。鏡の中の今の私に満足した私は、視線を外して次に現れるセカイを待った。

 間もなくしてわずかな振動を合図にエレベーターが止まる。扉が開けばそこには薄暗い開けた空間が現れる。地上と地下を隔てるシャッターがある所だ。

「…………?」

 ひとつ、異変を感じた。以前ここに来た時はとても寒かったのを覚えている。けれど今は地下と大した温度差を感じられない。むしろ暖かいくらいだ。

「さぁて、お披露目だ」

 こーすけが先陣を切りシャッターの開閉ボタンを押す。シャッターはすぐに騒々しい音を立てて開いていく。恐らくその先にはまた闇が広がっているのだろうと思うと心が陰る。こんな所まで来て、いったいなにが大発見なのだろう?

「…………え?」

 しかしそんな心の陰りは開きつつあるシャッターの間から射し込んできた〝光〟にかき消された。

「うわっ! なんか明るい!?」

 盲目であるスズさえも明暗の判断がつき首を傾げる。それもそのはずだった。

 やがて開ききったシャッターの向こうには――――


 空が広がっていたのだから――――――


「………………!」

 重く落ちてきそうな暗雲は消えていた。目に悪い地獄みたいな色合いは失せていた。首筋を舐め回すような冷風は凪いでいた。

 代わりに、そこには果てしなく広がる大海原があった。真っ白い小船のような無数の雲が、いたるところで柔らかな風波に流され揺れていた。

 そしてそのすべての中央に、冬の太陽が控えめに輝いている。穏かに流れる雲の中に時折その身を隠しつつ、こっそりとこちらの様子をうかがっているみたいだ。

 私が生まれた日の空の色、あの日に見上げた空の色。そして今、私が見上げている空の色。似たような色合いは、その時々の私の心を丸写しにしているかのよう。

 澄み渡る青空の下には同じ明るさをもった砂漠が延々と続いていた。暗がりの中では廃墟や地獄としか思えなかった景色も、今やあの空に負けじと一面が黄金色に輝いていて、今度はずっとずっと遠くまで見渡せる。黄金郷という表現が一番だろう。

 改めて目にしたここは別世界のようで――いえ、これが本当の世界だった。決して誰にも奪うことのできない、惑星の心の中に、私達はまだ生きていたのだ。

「……………………」

 言葉が、出ない。呑み込んだままの空気は、肺の中に引きこもることを決めてしまったようで、呼吸を挟むことなく見とれてしまう。……そう、まるであの人に見とれてしまう時のように。目の前の景色はブラックホールのような重力をもっている。

「やぁ、来たね」

 その声に視線をずらすと、シャッターの向こう側には優星の姿があった。いつもの紺色の作業服を身にまとい、合金繊維製だというそれは、太陽の光を受け取って落ち着いた宝石のような輝きを見せている。もちろん輝いているのは彼も同じ。いつの間にか私の関心は空から彼へと移りゆく。

「……優星、この空はあなたが見つけたの?」

「父さんがあの雲は研究所が原因だって言ってたのを思い出してさ、ふと来てみたらこの通り。まさかほんの一ヶ月程度でここまで回復するとは思ってもいなかったけど」

 そういえば、地球外テクノロジーの使用が原因だとか言っていたっけ。それにしてもこの惑星の回復力には目を瞠るものがある。

「僕が前に言ってた自浄作用ってやつだね、恐らく。これは可能性あるぞー」

「空かぁ! ねね、今どんな感じの空なの? あたし見えないから教えてよ!」

「…………そうね、スズの心みたいだわ。眩しくて、綺麗で、強くて。あ、強くては余計?」

「あは、結構結構。女の子には強さもなくっちゃ。あとお淑やかも付け足していいんじゃない?」

「それはない。ちょっと文句言うとすぐ嵐になるんだからな」

 直後スズの拳がこーすけの脇腹にめり込み、それを見た優星とハタケがげらげらと笑う――そんな見慣れた光景が、なぜかいつもより新鮮に見える。それはきっとこの太陽の下だからなのかもしれない。世界が変われば、こうして私の視点も変わっていくのだろう。

「…………さて、もうあたし達だけの秘密にはしてられないね。みんなにも教えてこなくちゃ! ほら行くよ! ハイハイ回れ右っ!」

 そうどやしつけて、スズは待て待てと抵抗するこーすけとハタケをエレベーターの方に追いやった。

「おっと、くーちゃんはゆっくり自分を見つめてきなさいなっ」

 みんなに着いて行こうと思ったのだけれど、私はスズにそう言われながら回れ右をさせられ、わけもわからぬままエレベーターから追い出されてしまった。理由を尋ねようと振り向くと、既に扉は閉まり始めていて、彼女はそこで私に向かってパクパクと口を動かす。


 が、ん、ばっ、て。


 ……と、私にはそう見えた気がした。なにをがんばればいいのか、この時点ではさっぱり不明だった。

「がんばってみるわ」

 とりあえずそう返すと、スズからはこの世すべてを弾き飛ばしてしまいそうな特大ウィンクが返ってきた。同時に扉はがちゃんと音を立てて閉まる。

 エレベーターが降下していったのを確認してから、私は再びシャッターの向こう側へと戻った。すると地平線を眺めていた優星が振り返って私を見つけ、あれ? と首を傾げる。

「空は戻らなかったのか?」

「〝私は戻った〟わ」

 なんて瞬時に閃いた台詞を言ってみる。優星のすぐ隣に立って、上空を見上げながら。

「ん……はは、良い表現だ」

「もう二度と、見れないと思ってた」

「これからはきっと毎日見れるさ。太陽の光の下でお昼寝できる日だってくるかもしれない」

 それはつまり地上で暮らすことができるようになるかもしれない、ということだった。もちろん今はまだ地下にいなくちゃ暮らせないかもしれないけれど、いずれは地上に進出できるようになるはずだ。私達は住処を地上から地下に移すことができたのだから。元いた場所に戻る方が楽に違いない。

「毎日、見ていたい」

 果てのない青空。それを見上げるのがあの頃の私の日課だった。毎日毎日見上げていたのに、いつしか誰も見上げることができなくなってしまった無限。

「俺も、毎日見ていたい。空の事を」

 そんなことを面と向かって言われて、なぜか私は急に頬がむず痒くなるのを感じた。おかしい……。だって優星は、(わたし)のことを言っているわけではないのに。

 変に見えてしまっては嫌だから、私は揺らぐ頬を隠すために大きく顔を上空に逸らした。そんな私に、冬の柔らかな表情をした淡い太陽は優しく微笑んでいるかのようだった。

「――――ねぇ、優星」

 しばらく無言で空を眺めていた私は、唐突に彼の名を呼んだ。雲の流れに合わせて、十年前のあの日の出来事をひとつひとつ回想していたら、彼に言わなくちゃいけないことを思い出したのだ。

 それは、あの日の出来事。レストランに向かう車の中で、私が両親に話した『夢』のこと。


 ――――〝ところで空、今日で七歳になるけどなにか目標みたいなものはできたかい? なんていうか、ほら――――『夢』だ〟


 ――――〝んっとねぇ……えっとねぇ……。空はねぇ……んーとね、センパイにアイのコクハクをするのが夢ーーっ!〟


 それは、両親に初めて語った私の本当の夢。

 もちろんそれが叶うかどうかはわからない。最初から叶わないものなのかもしれない。でも、それでいい。夢はそれが決して叶わぬものだとしても、ひとまずは見ることに意味があるのだから。

「私、好きな人がいたの」

 決心をして、首を傾げる彼の前に立ち、彼の瞳を穴が開くほど見つめながら。こんなふうに。ずっとずっと昔に夢見てた、私のアイのコクハクは始まった。がんばってって、こういうことなんでしょう? スズ。

「…………っ!? へ、へぇ、そいつは誰なんだろうね」

 私の発言に他人事のようにどもりながら、顔を逸らして頬を赤らめる優星。その横顔を見た私はなぜか――いえ、〝おかしくて笑ってしまった〟。ぼろぼろと、にこにこと、自然に笑みがこぼれてしまう。

「ふ……ふふっ!」

 …………あぁ、彼のおかげでやっと。やっと、私は笑うことができた。みんなが普段していたことは、こんなにも、こんなにも幸せなものだったんだ――――。

「あ、笑ったな!」

 怒っているのか、喜んでくれているのか。難しい表情で優星は私に肩をぶつけて非難する。その時の表情がまたおかしくって、そのうち堪えきれなくなってしまい、どさくさにまぎれて私は優星に思いっきり抱き付くことでそのエネルギーを発散させた。そしてそのまま思う。

 ――――うん、言うならきっと、今のうち。想いは近いほうが届きやすいと思うから。

「えっと……」

 でもそこで次の言葉を紡ぐ前に、今度は自分の頬がものすごく火照っているのに気付いてしまい、そのせいか私はなにも言えなくなってしまった。なんでだろう……ちゃんと伝えなくちゃいけないのに……。頬がこんなに厄介なものだとは今まで誰からも教えてもらったことがない。喉まで出かかっているのに、唇が頑なに開いてくれない。

「…………!」

 そんな私を、優星はただ強く抱き締めてくれる。その心で私の心を包んでくれる。力強いのに、柔らかい。押しつぶされそうなのに、痛くない。ずっとずっと永遠に、彼に抱かれていたいなんて思ってしまう私が〝おこがましい〟。そんな複雑な感情が心の底からあふれ出てくる。

「……ありがとう、夢は叶ったよ。うん、やっと戻ってくれたんだね、俺が好きだった本当の君に」

 その言葉に私がそろりと顔を上げると、そこには涙を流している彼の笑顔があった。泣いているのに、けれどそれはまぎれもない笑顔だった。

 今の私にはまだ、人が笑っているのに涙を流す意味は解らない。でもいずれきっと解るようになるはずだ。だからその時に今日というこの日のことをもう一度思い出せばいい。

 機械だった私はもう死んで――……いえ、もう壊れてしまってこの世にはいない。代わりに今ここにいるのはまぎれもない人間だ。さぁ早く、それを言葉で証明しなくっちゃ。

 私には誰かを想い、誰かを愛することができるのだから――――

「ありがとう。大好き……!」

 心の底からそう言えた今、私の夢は叶い、私の新しい物語が始まりを告げる。

 ……彼の答えは――まだ誰にも言うまい。しばらくは私と彼だけの秘密だ。

 私にこの先どんな人生が待ち受けているのかはわからない。でも心ある限り、どんな苦労に悩まされようとも幸せに生きていくことができるに決まっている。

 だから、だからもう二度と、失わないように。大切に、大切にしていこう。


 果てのない、この空を。


 ~了~

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