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似て非なる有者無者

「やぁ、おはよう」


 そんな、聞き慣れた〝音〟が私の耳に長く、遠く、強く、響く。

 私はすぐに振り向けなかった。振り向きたくない、と私の体が強く主張しているのがわかる。振り向いてしまえば、きっと認めてしまうことになるから。

 私の耳の記憶が正しければ、この声の主は本来こんなところにいるべきではない。……いえ、いてはならないというのに、なぜ――――?

『――――!?』

 でも結局、私達は振り返ってしまった。引き寄せられるように振り返り、声をあげることもできず、ただ、それを見つめることしかできなかった。

 その人物は私と優星の前に堂々と現れた。見上げ慣れた長身と清潔に揺らめく白衣。そして、年齢のわりには妙に若々しいその素顔。それが今形作っているのは、私達がとてもとても見慣れた笑顔(カタチ)――――

 だっていうのに、十年間もの間を経て慣れ親しんだはずのそれらは、今の私にとってはすべてが初めてのような気がした。なにか根本的なものが決定的に違う。なにが違う? 違う、今考えるべくはそれではなくて…………。

「………………な……に?」

 おもむろに声に出す。でもなぜだか声はうまくでなくって、ほとんど口パクのようだった。なぜではなく、なに。根本的なそれだ。

 この状況はいったいなんだというのだろうか? なにをどう辿れば説明がつくというのだろうか?

 ――――〝院長〟はどうも私の声を聞き取ったらしく、私の目を真っ直ぐに見据えてきた。そのあまりの異常さに、私は蛇に睨まれた蛙という言葉の意味を身をもって体験することができた。

「ようやく〝データ〟が到着したか」

 院長は重くも軽くもない言葉を放った。抑揚のまるでない、ただ言葉を平坦に並べたという表現が相応しい。

 急激に心拍数が上がる。胸から心臓が飛び出しそうで、思わず片手で押さえてしまう。

 おかしい。オカシイ。変だ、ありえない。

 ……でもきっと、この人が古賀君の言っていた先生なんだ。

「どうして、あなたがここに?」

 頭の中で考えているのに、どうしても口に出てしまう。口に出してしまわないと、頭が爆発してしまうのかもしれない。

 序章として、頭がぐらりと揺れる。まるで、まるで脳が金塊にでもなってしまったみたいだ。頭の内側でネジが弾けているみたいに甲高い金属音が、きーんきーんと鳴り響く。

「準備が整うまで君達にはまだしばし猶予がある。少し話してあげよう。順を追って説明するか。結論から説明するか。何も聞かずに私に従うか」

 院長は片手の指を三本立てて、私達にそんな意味不明な選択肢を用意した。完全にいつもの声色とは違う、棒読みの極み。私よりもひどいかもしれない。

 順? 結論? 従う? 院長の言った選択肢はどれも私達にとってなんの意味もなさなかった。

「その前にひとつ訊く。あなたは〝誰かに似せた〟人造人間か何かか?」

 優星は選択肢を選ぶ前に第一の問いを放つ。彼は私の傍らで目を細めながら睨むようにして院長を凝視していた。まるでそこにいるのは院長に変装した悪党かなにかのように。

「違う。私は唯一無二の、耶永瀬慈雄(やながせじゆう)そのものだ」

 院長は自身の存在を手短に証明した。……やっぱり、彼は彼なんだ。

「……そうか。なら、結論から教えてもらおうかな。説明するならまずそこからが一番だからな。で、あなたはここで何をしてるんだ?」

 優星が手早く選択肢を選ぶ。そこでようやく私は選択肢が意味するところを理解した。それは院長がここにいる理由についてだ。


「私はここで〝感情を探し求めている〟」


 院長は結論――真実を、単刀直入に示した。それを聞いた途端に、暴れ気味だった私の心臓は止まってしまったかのように息を潜めた。

「感……情……?」

 そう確かめた唇はかさかさに乾ききっている。体がどんどん冷却されていくのがわかる。

「そうだ。正しくは感情の起源と言えよう。今日はその実験の区切りだと思ってくれればいい。そして君達がここに居る理由は他でもない、データの収集の為だ。〝夢〟を見た君達はその謎を解こうと最終的にここへとやって来た。それで間違いない」

 院長がなぜ感情を探しているのかは、ひとまず置いておかざるをえなかった。私の思考は、今された質問に答えることくらいしかできないようになってしまっていたから。

 私は不可思議な夢を見て、偶然にも同じ夢を見る人と出会って――結果、今ここにいる。それをなぜ知っているのかわからないけれど、とにかく院長の言う通りだった。

「あ――」

 ふと、古賀君の言葉が蘇る。

〝おまえ達が見ていた夢の正体はもろ科学。おまえ達は作り物の夢を見させられていただけさ――――〟

「……私達が見ていたのは――偽物の映像。あなたが私達に見せていたの?」

 なんとなく、繋がってきてしまった。

「そうだ」

 院長の深い頷きを見た私は、なぜか、ふっと、体全体の力が抜けるのを感じた。なんだろう、胸の奥深くで渦巻いていた曇り空が、全て吹き飛ばされてしまったかのように。強張っていた体の線がいくらか和らいだ気がする。

 さぁっと血の気が引くように、急激に冷えてきたと思っていた体は、元の温かみを取り戻した。こんな状況にいるというのに。

 もしかしたら、これが――――〝安心〟。私はそんな言葉が適任だと思った。だって偽物の映像なら、それが現実になるということはないから。誰も、失わずに済むのだから。それが私がまず第一に思ったことだった。きっとそれが安心した理由だ。

「あれはただの動画だ。君達の脳内で一定期間再生させ、君達が自然と地上に興味関心をもつようにすり込むためのもの。無論、あれはあらゆる計算を経て導出した最適な――」

「お、おいおい、ちょっと待ってくれ、脳内で一定時間再生させ――だって? どうやって俺達の脳内で映像を再生させたっていうんだ?」

 院長の説明を遮って問う優星。そういえば、そもそもどうやって私達に夢というカタチで映像を見せることができたのだろうか? 他人の夢に介入するなんてことは、絶対にできないはずなのに。

「簡単な話だ。君達の脳内に埋め込まれた簡単なチップが直に視覚野へと作用し、夢という形式でいくつかの映像を視せた。最終的には君達が自主的に地上へ向かうという流れをつくる為のもの。そして、私は君達の事を暗地における事故死という形で処理する手筈だった。それは今こうして現実になりつつある」

「脳に……チップだって? そんなもの埋め込まれた記憶なんてないけど」

 空は? と優星に訊かれるも私は首を横に振った。もちろんそんなものは私にだってない。生まれてから一度も手術というものをしたことがないし。

「あの日、私は君達を助けた。その時の記憶はないか。私はあの時データ抽出の対象となるべく人間達にチップを埋め込む為、一時的にこの研究所へ回収したのだ。そうとも、君達は過去に一度ここへ来た事がある」

『――――!』

 そんな、嘘みたいな、こと。つまり、私や優星を院長が助けたのは、頭の中にキカイを入れるためだったということ。本気で、私達の命を救ってくれようとしていたわけではなかったということ。

 あの日、死にかけていた私を救ってくれた唯一の人。もう大丈夫だから安心しなさい、と笑顔で語りかけてくれたあの人。それが違うと言うのなら、目覚めたあとに見たあの真っ白い清潔感溢れる空間は、この邪機の中の一室ということ……?

「私は…………」

 私としたことが、素直に信じられない。あの時から既に、私の命の恩人は今の状況を予測していたというのだ。十年も前から。

「…………なら、俺と空の出会いは偶然なんかじゃなかったんだな。全部、初めからあなたの手のひらの上だったんだ」

 優星は消え入るようなかすかな声でそう呟いた。

「二人がここに来た事それ自体は計算された必然だ。だが君達が同じグループの実験体となった事については偶然と言えば偶然になるか。君達の出会いは乱数列の賜物による機械的な偶然だと言えよう」

 院長は必然と偶然の両方の存在を告げた。……確かに。偶然だけが生む出来事だとしたら、それはあまりにもうまくいきすぎていた。うまくいきすぎて心配という言葉があるように、地下都市での各種行動があまりにもスムーズだったのは、計算されたうえでの物語だったから――――。

「そう、だったのね」

 呟いて、今度は体の力が一気に抜けてしまいそうだった。私の感情が豊かだったのなら、そんなのは嘘だ、とでも叫んでいただろう。

 ……けれど、今の私にはそうすることができるわけでもなく、ただ、ありのままに受け入れることしかできない。情報を受信するだけの機械とおんなじ。

「そうだ。君達は脳だけでなく完全な肉体を伴った実験体だ。ここにある脳だけの実験体のように、他のフロアには脳と上半身だけのもの、脳と下半身だけのもの、脳と定められた内臓だけのもの等の実験体がある」

 いらない情報は次々と私の脳になだれ込んでいく。

『………………』

 なんの実験をしているかだなんて、想像ができなかった。光景としてはある意味この部屋が一番マシな場所なのかもしれない。普通の人なら、ここでさえダメかもしれないけれど。

「生身の人間はひとり生かす程度が限界であるこの研究所ゆえに、私は表向き救済院の院長という職務を執りつつ、そこで食事睡眠を取りながら、誰一人として怪しまれぬようにしなければならなかった。――私には〝感情が無きゆえ〟。それを求める為にこの十年間そうして研究を続けてきたのだ」

『…………え?』

 今、この人はありえないことを言った。院長に感情が、ない――――?

「そんなはずは……。じゃぁ、いつものあなたは……」

「既に古賀海斗が君達に説明したようだが。それとも原理までをも知りたいか」

「いえ、原理なんて……私には……」

 そんなもの、私が聞いところで理解できるような代物じゃないに決まっている。問題はそこじゃなくって、いつものあの笑顔の正体だ。

「それはね――――こういうわけなんだよ。優星、空ちゃん。実は私の頭の中にはキカイが入っていてね、これが私の代わりに表情を変えるんだよ。すごい高性能だろう? だって、今まで誰も気が付かなかったんだからね」

 突然、院長はいつもの地下都市で聞き慣れた穏かな口調で喋って、最後に笑ってみせた。典型的なにっこりとしたその笑顔。それは一見すると自然な仕草に見えるし、地下都市の誰もが疑うことなく、誰もが信頼していた表情だ。

 それを院長は機械による表情や声の制御だという。それで、十年間も……。よく、仮面をつけただけでだまし続けられたものだった。

「これ以降は一旦機能を停止させるが――」

 かちり、と院長の笑顔が瞬時に虚無に切り替わる。スイッチのオンオフと同じ。完全に色の失せた、温かみも冷たさも感じられない表情。でもそれは、どこまでもどこまでも私と似た表情でもあって――――

「私にはありとあらゆる感情が存在しない。深谷空、〝一昔前の君〟と同じだ」

 決定的な一言に、あぁ、と私はただ納得した。

 私と。同じ。それはあらゆる感情の欠落。心に色のない状態。院長が言うように、それは何年も前の虚無な私のこと。今でこそ感情の片鱗があらわれているとはいえ、私にも彼と同じ期間があったのだ。

 だから、この人は感情を探してる。感情を求める私といったいなにが違うっていうのだろう?

 そして院長はいつものアレは偽物でカタチだけなのだと告白した。それについて私はとある人物のことを思い出す。そして、ある仮定にひとり辿り着く。まさかとは思っていたけれど、もしかしたら……。

「…………スズだけが、真実を知っていたのね。スズはいつも院長のオーラだけが見えないって言ってたわ。私ですら淡く見えていたのにって」

 そう。スズだけは視えていたのだ。通常の視界と引き換えに、彼女は特別な視界を得ていた。それがなんなのかは、彼女本人ですらわからないと言っていた。

「スズはそれを性格みたいなものかもって言ってたわ。だから、院長は明るすぎるから逆に眩んじゃって見えないのかもって。でも、あなたの話を聞く限りそれはきっと違う。スズが視ていたのはきっと〝感情〟なのね」

 つまりは恐らく、スズはその視界で他人の感情を捉えていた。機械の制御によるカタチだけの感情で他人を惑わせていたものの、彼女にだけはまるで通用していなかったのだ。

 私の仮定が正しければいろいろな現象に都合がつく。体全身が光るところとか、常に変動するところとか、私が淡いというところとか。とどめに院長になにも輝きがないというところ。これらが全部、一致する。

「宮原鈴音か。その話は数度耳にしていたが、研究に値するものではないと無視していた。だがもしそれが本当であるならば、次はあれの脳も取り出して分析しなければならないか。感情を捉える視界とはにわかに信じ難いが、事実であればここでの研究に更なる飛躍をもたらす事だろう」

 などと院長は無表情のままとんでもないことを口にする。

「とんでもない研究所だな」

 優星は私の代弁者となって、ただ一言そう言った。彼は既に院長のことをいつもの院長ではないとはっきりと認識していた。

「そうとも。ここは人類外の叡智の結晶だ」

「人類外の叡智……か。確かに空中に浮かぶ研究所なんて人間が造れるようなものじゃない。俺としては余裕があるなら是非聞いておきたいね。幸助にいい土産話が出来そうだから」

「果たしてそれが叶うか否かは別として――特異たる叡智の代表的存在、私はそれを『嫌重力物質けんじゅうりょくぶっしつ』と呼ぶ。『HateGravityMatter』、通称『HGM』。この『表宇宙』の形態維持に必要不可欠であると同時に『裏宇宙』を構成する基本的物質だ。名の通り、人間の住まう重力で満ちたこちらの宇宙空間には存在しない。理論外では四次元の認識しか持てぬ〝人間ごとき〟には観測は愚か想像すら許されぬ要素だ」

 私にはどれも解らなかったけれど、優星は息を呑んで驚いたような表情を一旦浮べてから、冷静に話を続ける。

「そんな物質が実在するのなら、理論上はタイムマシンに近いものが造れるんじゃないのか?」

「その明晰さはやはり父親譲りか。確かに、『HGM』を用いた『表宇宙』及び『裏宇宙』との狭遷移空間開放型の乱流時軸における部分的跳躍推進論により、特定の乱流時軸に入り込めば光速を超える必要無くして、〝人間独自の欲求〟である層流時軸の未来への超飛躍は可能だ。無論、理論と技術がある以上、私にとってそんなモノは容易に造れる。だが果たしてそれが私に何の利益をもたらすと言うのだ。過去未来、例え宇宙の果てに行こうとも、私の研究が成功するという保証は、無い」

 魔法の呪文のほうがいくらか解ったかもしれない。でもとにかく院長は、世界中の科学者達が夢見るようなものを既に手中にしているというのに、それをそんなモノと言い捨ててまで感情の起源の探求に尽くしているという。

「……驚いたな…………」

 さすがの優星もそれ以上は追求しなかった。しっかりメモでも取らない限りは、こーすけへの土産話というのは叶いそうにないだろう。

「『HGM』はこの研究所の外装に用いられている。この研究所を動かす動力源それ自体は単なる電力だ。地球上で作用させる為に、私は『HGM』と幾種かの金属原子を強制的に結合させた外装を創った。その外装に電流を流すと、外装は重力に対し真の意味合いは異なるが強い斥力を生む。電流の強さ諸々を変えれば様々な重力源に対する斥力を作用させられ、これで覆われた物体は惑星上及び宇宙空間をも自在に移動出来るようになる。概略としては〝人間である〟君達にも理解可能なものだ」

「反重力、みたいなものか。そんな技術なんて――本当に……」

 私には可能なのか不可能なのかさっぱりだけれど、かのこーすけが大絶賛するほどに知識のある優星が、院長の言う技術を信じられないでいる。

「反重力ではなく嫌重力。単に反するのではなく、一方的に嫌う。その微妙な差異あってこそだ。そうなると斥力という言葉では意味合いが異なってくるが、この世に適切な表現がない以上は斥力と呼ぶ他あるまい。そして、これは人間にとっては未来永劫に達成不可能な技術。無論、私が応用した技術の基礎は遥か遠方の高機能惑星に住まう『彼ら』のものではあるが」

 ――彼ら、と。院長はそんな代名詞を使った。加えて院長はさっきから人間ごときとか、人間にとっては、とかそういう隔離するような言い回しをしていた。それはまるで院長が人間でないような、あるいは人間以外の誰かを知っているようにも思えてしまう。

「……彼らって、ウチュウジンのこと?」

 そこで私はこう尋ねてみた。人外で知識を有する生き物といえばこれが代表だから。基本的には存在しないといった具合の公式発表は行われていたけれど。

 突拍子な私の質問に、優星は目を丸くする。きっとそれはありえないとでも思っているのだろう。私だって無駄な質問だとは思っているけれど、院長がすぐに否定しないところを見る限り……。

「宇宙人。一般的にはそう呼ばれるか。定説通り、人類よりも遥かに高度な――否、容易に想像すら許されぬレベルの技術と知識を持つ。そうだ、間違いなく彼らはいる。私も出会った事がある。今まで人類が彼らの明確な姿を目にしていなかったのは、単に我々が観測出来ていなかっただけの事。無論、今までメディアに露出していたそれら全ては偽物だ。どれひとつとして真の彼らに値する画像映像は無い」

 ものすごいことを、院長はこともなげに言った。本当に……いるんだ。でも、世界中の観測者が否定したものを、この人はどうやって確かめ、出会ったのだろうか……。

 それに院長はウチュウジンのことを彼らと呼ぶ。それはまるで知人かなにかのような気軽さで、私には感情抜きにしても到底信じがたい話だった。

 ちらと優星の方を見ると、彼はもう疑うことはやめたらしく、受け入れようという落ち着いた姿勢でいた。それによくよく考えてもみたら、彼らというものがいてもいなくても、今の私達には関係がないといえばない。

「彼らと人間の相違点とは――その違いとは、まさに〝感情の有無〟だけだ。細かい点を抜きにすれば唯一、その点の違いのみが人類と彼らの違いであり、人類と彼らの致命的な技術力の差を生んでいる。無論その肉体は有機体であり造りは人間と然程変わらない」

 続けて院長は彼らについてを述べた。と、その中には私が聞き流せないような単語があった。

「ウチュウジンには、感情がないの?」

 もはや私はその存在を認めたうえで、そう問うた。私達に関係がないって思っていたけれど、どうやら少なからず関わりはあるのかもしれない。

「そうだ。彼らには元々感情がない。よって私も彼らと同じように、現代の最先端をも超越するような技術を()み出す事が出来た。彼らは、私達を既に知っていた。何故なら彼らの観測可能な宇宙の範囲というのは人類の比ではないからだ。彼らの空間スイングバイ航法によれば、遥か遠宇宙であろうとも地球周辺に到達するのにほんの数世代で足りるであろう。彼らはとうの昔に我々が住む星を、我々の営みを観測出来ていたのだ」

 またも、驚くべき内容を院長は語った。ウチュウジンは地球を監視しているとか。人間を宇宙に連れ去っているとか。そんなものはしょせん娯楽的範囲での認知だったというのに……。

「十五年前。私が研究方法を探っていた時だが、私は偶然にも彼らと出会った。その時私は彼らに人間の感情、そしてその起源というものについて尋ねてみた。私には探し出せなくとも、人外の智を備える彼らには分析可能なものなのかもしれないと。だが彼らはまず、詳しくは解らないと答えた。彼らは幾度となく人間を分解した事があるそうだが、それでも解らないと結論を出した。しかしその起源を観測する事が出来る可能性がある方法をひとつだけ私に示した。鍵となるものは人間の生と死のサイクルにあるというのだ。

 彼ら曰く人間とは、知能を有する生命体としては他に類を見ない程に生と死のサイクルが短い生物だという。我々のようにひとつの固体に非常に多くの情報を持ち、尚且つサイクルの短い生命は、子孫への情報伝達の際に不具合、エラーが生じる場合が多々ある。その長らく繰り返されてきたサイクルのどこかの段階で、人間の基本的情報の中に〝感情という名の不備〟が固定されてしまい、以来人間には感情というものが確実に付随されるようになったというのだ」

 短いサイクル――それは要するに寿命が百年前後だという点についてだろう。べつにそれはしょうがないことだとして、感情という名の不備、という言葉に私は首を傾げる。

 院長は混乱する私達をよそに、話を続けた。

「彼らはサイクル中にいつしか現れた感情という人間の不具合こそが、技術の発展に多大なる影響を及ぼしていると述べた。つまり空想妄想その更に上をいく思考を行う為には、感情というものが存在してはならないというのだ。

 事実、その彼らという種に感情はなく、彼らの長いサイクル中ではそれが生じる事はないという。彼らは何億年と継承されてきた本能だけに従い、不具合を伴う事無く〝ただ生きる為に〟延々と革新を続けてきた。その結果、時間をも跨ぎ超えられるという究極に近い技術というものさえ会得しようとしていた。

 だが人類という種はどうだ。進化の過程のどこかで我々の歯車は狂ってしまった。いつの日にか、人間はただ生きる為にではなく、俗に言う〝幸福に生きる為〟の道を探求するようになってしまったのだ」

 長く淡々と語る院長。でも今の内容はさほど難しい話ではなかったし、へんに難しい言葉を使わなかったから理解はし易い。

 幸福に生きるため――――。それはただ生きるだけの必要最低限では決して成し得ない生き方。私の求める日々が幸福であるのなら、やっぱり私は他でもない人間だったんだと思えるようになる。

 ただ今の院長の話に、私はひとつ疑問を感じた。院長の発言には簡単な矛盾が生じているからだ。

「感情が不具合だと知っていたのなら、なぜあなたは自らそれを求ようとしたの? どうしてなくてもいいものを探そうとしているの?」

 私には唯一、それが解らなかった。単語の意味として捉えると、不具合なんてなければないほどにいいものだっていうのに。それを院長は探し求めようとしているのだ。

「エラーがなかったからこそ、あなたはここまですごい技術を使えるようになったのでしょう? その技術を使ってまでして、なぜ――――」

 感情を求めるの? と訊きかけて私は、ふとこれは私自身にも問いかけているものなのだと気が付いた。その生きるためだけなら必要のない不具合を求めているのは、私だって同じなのだから。

 ……でも、今大事なのは彼側の理由だ。私とは規模が違う。人類の大半を消し去ってまで感情を求める理由。彼にはそれを答えてもらわなくちゃいけない。

「あなたはなぜ、感情を求めるの?」

 私は尋ねる。世界を一変させた、その理由を。

「それは――――」

 私の追求に、院長は初めて即答というものをしなかった。口ごもったというか、その先は口に出してはいけないことかのように。視線をやや落として、なにかを深く考え込むかのように押し黙ってしまった。

 私と優星は顔を見合わせる。彼は肩を竦めているあたり、きっと不思議に思っているに違いない。なにせ院長の様子は――ここにきて初めて見せた、とても人間らしい仕草だったから。


「――――私は。私はただ、人間になりたかったのだ」


 しばしの沈黙ののち、頭の中の機械は止めたと言っていたのに、院長はやけに人間らしい口調でそう告げた。

 そして、それは私が抱く希望となにひとつとして変わらないものだった。

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