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内外理論の超機械

 ――――その霧は、いわゆる『事象の地平面』の名を(てい)していた。

 事象の地平面。それは超質量、超密度、超重力、かつ超黒色を有する超天体――そんな理外の理と人類の持ち得る最高理論を隔てる境界面の事。

 かくしてこの霧は黒い色をした理外の理を寸分の隙間も無く覆い隠していた。

 霧の向こうへ一歩踏み込めば、そこにはもうブラックホールが――否、そこには技術理論の臨界点で密かに稼動する超機械が存在する。

 微弱過ぎる太陽光をも逃さず反射し黒光りする外装。黒い外装一面に走る暗い金色の幾何学(きかがく)的模様は、あたかも黒雲母の様相を連想させる。その直径は優に百メートルを数えるであろう。人の黒目を巨大化させたようなそれは、まるでこの世を監視している神の眼にも見える。

 今は機械全体の一割程度を占める底部が砂に埋もれ、一見するとただその場に置き捨てられたかのようにも見える。だがこの機体から絶え間なく発せられる、周囲の大気を震わす極微細な振動に、この機械がまだ活きているという可能性が見出せた。

 この海淵(かいえん)に勝るとも劣らない静謐(せいひつ)の中、砂丘に埋もれかけた巨大機械は何を糧に、何を動力に、何を目的に未だ稼動しているというのだろうか。


 ――――『邪機』、と。


 目撃し、逃げ延びた当時の人々はこの機械をそう名付けた。ただ見たままに、それこそ数千年前の人類が、目にした怪異をありのままに口にするようなものであった。もとよりそれに正式名称があるか否かを知りたがる者はなく、名について議論する者もまた皆無だった。

 その機械――邪機は他でもない、単なる破壊兵器だった。あらゆる兵器が消えた時代、その時代を狙ったかのように突然現れ、音も無く空を浮遊し、掃き掃除のような手軽さで世界を焦土に変えていった兵器。それを阻止防衛撃墜可能な兵器がまだあれば、今日も人類は忙しなく大地を闊歩していた事だろう。

 巡り合せの自然現象ではなく、所詮は機械であるからにして、なんらかの動機を有するであろう人的必然現象。有り体に言えば映画や小説では定番となる、ニンゲンならざるモノが持つ技術の暴走。優秀な科学者たちが口を揃えてワカラナイと肩を竦める、理論の内側と外側の境界線上に位置する怪テクノロジーの結晶体。

 移動する機械として捉えるのなら、大きさそのものは超大型貨物船や居住衛星に遥かに劣るも、何よりも常識を逸脱していたのはその機体を動かす動力――謎の浮遊技術であった。重力下におけるあれ程の大きさを誇る物体の移動にもかかわらず、エンジンその他モーターの類が放つ騒音はまるでなく、至近距離での目撃者曰く機体が風を切る音しか聞こえなかったというのだ。

 航空機械の代表的型式である翼の欠落。露出していなければならない原動機の視認不可。加減速、下降上昇その他運動の自在性。揚力の発見を嘲笑うかのようなその性能こそは、多くの人々にまさしく往年の『空飛ぶ円盤』を連想させた。

 だが空飛ぶ円盤にしろ、新技術の初公開実験にしろ、何にしろ、それがもたらした所業はかの恐竜を絶滅させたと言われる隕石の衝突に匹敵したも同然であった。突如飛来した未知の叡智(えいち)の化身たるものは、人類の生存へ向けられたものではなく、人類の殲滅(せんめつ)に向けられたものだったのだ。

 無論、生存者は少なからずいた。だが彼らは環境の激変した地上に住まう事を許されなかった。それでも彼らは失われた電子媒体の代わりに、己が脳内に刻まれた知恵と知識を巧みに駆使し、組み合わせ、惜しみなく使い、地下に移り住む事に成功した。もっとも、全ての生存者がそういった奇跡的状況下に滑り込めたわけではなかったが。

 奇しくも生き延びた人々は、地下における不便はともかく、まずこの時代の開闢に関しての疑問に苛まされる事になった。当然、人類に大規模不可逆変化をもたらした邪機についてである。

 

 ――――その目的、『不明』。


 論者間では様々な議論と憶測が交錯するも、いずれも万人を納得させるような答えには至らなかった。むしろ例え結論に至ろうとも、この不可逆変化を戻せるかと聞かれ俯いた論者がどれ程までに多かった事か。

 だが人間とは本来、過去よりも未来を、明日を重んじるものである。如何に過去を評価し、過去の教訓に従えど、結局は今を生きねば明日という言葉は生まれない。過ぎ去った過去は全て、賛否両論あろうが是とし、今をただひたすらに歩き前進に前進を重ねて行く。悪く聞こえはするものの、事実そんな本質こそが人々を生かした。

 人々は次第に痛ましい過去なぞ路傍にそっと置き去りにし、議論の観点は、もっぱら自身らが快適に生きていく為の術を探すものとなっていったのだ。

 人間の本質は果たして功を奏し、人々の住まう場所はいつしか名目上の都市にまで成り上がっていた。現役の地上生活と比べれば相当の遅れがあるものの、限られた資源物資では考えられる最高の技術を使う努力を怠らなかった。

 そんな新たな世界に不満を漏らす者は、今や誰一人としていない。


 そう、もはや生きているというそれだけで、人々は充分に幸福だったのだ。

 

 ◇


 とある地下都市に暮らしていた彼と彼女はとある夢を見た――――


 ◇


 少年と少女は今、共に手を繋ぎ『事象の地平面』を〝超えて〟行く。

 その先に待つであろう、真実の密封された、とある『特異点(シンギュラリティ)』へと向かって。

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