刻々黒々
街は思いのほかすんなりと私と優星を受け入れてくれた。上から見た感じでは、瓦礫の山で歩みを進めるどころじゃないと思っていたのに、今や私達は肩を並べて街中を平然と歩いている。
街中――とはいっても、もちろん瓦礫の山であることには違いなかった。けれどその瓦礫のひとつひとつが巨大すぎて、私達二人の人間にとってはその間をすり抜けるのにたいした苦労が必要なかったのだ。
比較的広い車道とかは面影が充分に残っていて、私達はとりあえずそこを縫うように練り歩いた。ひとまずなにか、なんでもいいから見つからないか、と。
雰囲気はまるで深夜の街並みのよう。それも街灯を全て消されてしまったような。そんな中を歩く私達の姿には、まるで古びた風景画の中に新たに書き加えられている人物みたいな真新しさがあった。色があるのは、私達だけだ。
意志をもって動いているものは自分達だけ。動植物の姿はおろか、もちろん人影もなし。もしかしたら瓦礫の裏でひっそりと、誰かがこちらを覗いているかもしれないけれど、今はそんな気配は微塵にも感じない。
ちなみに〝におい〟というものはまるでしなかった。地上は常に風が吹いているようなものだから、空気の循環は恐らく充分なされているのだろう。ただものすごく乾燥していて、体の水分がすぐにもっていかれそうなくらいだ。
「ミニチュア模型の中に入り込んでしまったようね」
ふと私は思ったことを呟いた。昔歩いていた時よりも全てが大きく見えてしまうのは、この場にいる人間が二人しかいないからだろう。
「悪趣味な模型の中に入れられた人形って、こんな視界なんだろうなぁ」
優星は視線をぐるぐると各所に巡らせて、気になるものがないかどうかを探していた。
所々から錆びた鉄骨が剥き出しになり、外壁が赤茶けてしまっているっている建物達。道に連なって建っている家々は、横から強い衝撃を受けたのか、ざっくり半分崩れている。そのどれもが指でちょっと押してしまえば崩れてしまうような、そんな危うさをもっていた。
ひらひらと舞う布や絨毯のようなものはありそうでなかった。恐らく外に出ている部分は例の雨で解けてしまったのだろう。布に限らず石や金属以外は、ほぼ溶かされているとみていいかもしれない。視界に入ってくるものは、全てそういった強固な物体だけだ。
そんな信じがたくも現実に違いない光景を、美術館の作品を見て歩くような足取りで、私と優星はなにか手がかりはないかと先へと進む。破壊の展示品は永遠に続きそうだった。
――日本では、多発していた地震に対応すべく、建築物に関する法律は改正に改正に改正を重ねていた。私が生まれた時代の日本の建築物は、諸外国基準の十倍以上の強度を誇るようになっていた。
そして実のところ私は過去に二回ほど、都市部にある自宅でマグニチュード九クラスの地震を体験したことがある。マンション自体は揺れに揺れたけれど、私は怪我のひとつもしなかったし、世間的にも軽く怪我人が出た程度。法律と技術の融合は素晴らしい屈強さを誇った。
ちなみに私が生まれる以前には『関東平野超震災』と名付けられた天災があった。巨大地震の直後、富士山が自らを半分も吹き飛ばすような大噴火を起こし、〝日本じゃなかったら国家崩壊〟とまで言われた被害をもたらしたという。私の世代では富士山はとっくに活動を停止し、『片富士』という名の世界的な観光スポットになっている。
…………などと、そんな大天災を経てなおも健在だったのに。この街は、こんな展覧会を開く必要がなかったというのに。
「案外壊れてないのもあるな」
優星が比較的綺麗な建物を見つけてふと駆け寄る。装飾や看板の類は全て無くなっているからそこがなんの建物かはわからないけれど、両脇がやや背の高い建物だったから、それがいろいろと防いでくれたのだろう。
「大きな建物の裏は無事な所が多いわね」
あの時の衝撃がどのようなものだったかはわからないけれど、大きな建物の影になるようなところに位置する建物は、比較的破壊を免れているものが多かった。もちろん大火災の火が回ってないところは、だけど。
「どうもそうらしい。いろいろ可能性が見えてきたっちゃ見えてきたか」
しばらく散策を続けたのち、ひときわ巨大な瓦礫の隙間を時間をかけて抜けると、その向こう側にかなり開けた空間が現れた。そしてその空間の中央にはなにか巨大な物体が横たわっていた。
「これは……?」
十メートル以上にもわたって横たわる、四角い形をしたものがたくさん連なって付いている巨大な物体。それを観察しながら優星は、その瓦礫のようで瓦礫じゃない物体の正体をすぐさま見破る。
「あー……発電衛星の一部だな、これは。その四角いのはパネルが取り付けられてた場所かな。おおかた地上での制御が効かなくなったから軌道修正できずに落ちてきちゃったんだろう。しっかしここまで原形を留めてるって半端ない強度だなこりゃ。小さな隕石と変わらないエネルギーだろうに……」
優星は目前に佇む物体をそう断定してから上空を仰ぐ。宇宙空間から落ちてきたということは確かなのだろうけれど、黒い空は今や見上げると逆にこちらから落ちてしまいそうな錯覚にさえ陥ってしまう。
「それじゃぁこの広けた場所はクレーター?」
「その通り。――っつーと恐ろしいな、まったく。こんなの軌道上に何千基って回ってたはず。パニック映画も真っ青だ」
軌道上に無数に浮かぶ発電所。なにも燃やすことがなく、天候に左右されることもなく、安定した電力を生み続けられる宇宙太陽光発電。でもひとたび制御ができなくなってしまえば、このように大量破壊兵器になりうるわけで。
「ははっ、こりゃ次に探索隊がきたらパーツ回収で大盛り上がりだろうな。さすがに今は分解して持って帰れないし。こんなの幸助が見たらなんて――――あ」
優星は突然思い出したかのように鞄の中を漁り始めた。
「……?」
「あった、すっかり忘れてたよ、通信機……今ので思い出した」
そういえば、地下都市と通信できるって優星が用意してたっけ。
優星は小さな通信機を見つけると、早速カチカチとボタンを押して通信を試みた。最初はジジジ、とお決まりの雑音が鳴るけれど、果たして繋がるのかどうか。
何度か合図を送ったのち、しばらくすると通信機の向こうから聞き慣れた声が聞こえてきた。
《ねぇー、これ、聞こえてるのー?》
《ち、ちょっと触らないでくれスズ! 今一瞬反応があったんだから……。あー、あー、テスト、テスト。こちら地下の幸助です。聞こえてますか? 繰り返しま――》
「お! いいよ、繰り返さなくて。聞こえてるから。あー……こちら地上の探索隊、ってか。うん、なんとか無事に繋がったな」
《よかった! もうずっと繋がらなかったので僕ら焦ってましたよ……》
ほっと短い溜息の音が三人分。
「ごめん、もしかしてずっと呼び掛けてた? すっかり忘れてたよ。まぁ色々とあったのもあるけど……。ともかく二人とも大丈夫だ」
《そうですか。それで、今のところ問題は何かありますか? こっちで対処出来るものはすぐにやりますけど》
様子はどうなのかではなくて、まず問題があるかどうかを訊いてくるところに、こーすけの真剣っぷりというか、そういうものがうかがえる。いつもなら我先にと未知に貪欲なのだけれど。
「んー、特にそっちでやってもらう事は。実は思いのほか快適でさ。今、俺と空は自分達の住んでいた街にいるんだ」
通信機の向こうが静まり返る。当たり前の反応だろう。あの三人は私と同じ街に住んでいたから。当時は面識なんてまるでなかったけれど、地下都市で生活を始めるにあたって出会いを果たしたのだ。
《街……ってその、街ですか?》
「正しくは廃墟だけどな、うん。人は俺達二人しかいないし、動くものも何も無い。闇と砂に覆われている遺跡みたいなものさ。カメラがあれば一発なんだけどな……」
優星は辺りを見回しながら報告をする。声は周囲の瓦礫に何度も何度も反響して、一言一言全てにエコーがかかっていた。
《街と判るくらいに残ってるんですね。二人が帰ってきて大丈夫そうだったら僕も行ってみたいな……。――あ、それより雨はどうなっていますか!? アシッドレイン》
「あぁそいつなんだけど、幸いな事にまだ一度も降られてないよ。ちょっと今曇ってる感じだけど、どこもそんな感じの空だから判断がつかないっちゃつかないんだ」
そういえば、私達はまだアシッドレインとやらに出くわしていなかった。もっともそんなものには降られないほうがいいに決まっているけれど。どちらにせよ瓦礫とはいえ遮蔽物になるようなものは充分にあるから、一時的にはその中に避難すればいいし、避難するまでの間は優星が作ってくれたこのコートでしのげるはずだ。
…………しかし、優星が言った通り、空模様は刻々とより黒くなっていっているような……?
《それはラッキーですね。でも警戒は怠らないようにしてくださいよ。で……問題の夢の手がかりは何か見つかりましたか?》
「夢の手がかりは今のところ……。でも別の地下都市らしきものがレーダーに映ってて、今そこに向かってる途中なんだ」
今のところ夢に関する事柄は見つかっていなかった。レーダーに映る例の巨大熱源まで行ければ、あるいはなにか見つかるかもしれない。
《おおお! それは興味深いですね! 僕は――イタッ! 何するんだよ、スズ!》
向こう側でなにか鈍い大きな音がした。
《こーすけばっか喋っててつまんなーい! こーたいこーたい!》
《わ、分かった、分かったからそれ以上叩くのはやめてくれ! すみません、ちょっとスズと交代します。スズ、ここらに向かって喋って。うん、そう、その方向で》
《オッケー。ねぇ二人とも、デートは順調?》
「ぶ――な、なんだデートって……。た、探索探索……だよな、空?」
急にどもり始めた優星に同意を求められたからには、私は同意せざるを得ない。とはいってもデートじゃないことくらい私にもわかる。
「ええ、探索よ、スズ。デートじゃないわ」
《なーに言ってんのー! 優星とクーちゃんが二人っきりで歩いてたらもうデートなの!》
「お、おいおいスズちゃんそりゃ……」
「そうなの?」
私は今スズから新しい知識を得た。その定義からするとこの現状はデートらしい。
私だってデートとはなんたるかくらい知っていた。でも今の状況では、私の知っているデートの根本を否定しているということは明らかだ。
――――それは、デートの根本には双方に恋愛感情なるものが必要だ、ということ。
だから、現状ではまるで成り立たないわけで。恋愛〝感情〟というからには、私にそんなものがあるわけがないから。
ただ、スズは恐らく私にそれがないのを知ってのうえで、言ったのかもしれない。彼女はいつも直接答えを言わずに、ヒントを小出しにしながら私の成長を助けてくれているから。
「…………」
そこで私はふと、以前スズに言われたことを思い出した。
〝んーほら、クーちゃんだってオンナノコなんだからさ? 手に入れようと本気で努力しないと手に入らない感情もあると思うよ? 特に努力しなきゃいけないのが――〟
スズが言葉を切ったその先には、もしかしたら恋愛という文字が入るのかもしれない――――と、私は思い至った。
今の私がもつ感情は、〝完全なる無〟ではなく、〝極わずか〟。つまり私のどこかには、恋愛感情なるものがもしかしたら隠れているのかもしれない。
もっとも、仮に私にそれがあったとしても、優星にそれがあるかどうかは私の知るところではないのだけれど。
《今ねー、いんちょーの部屋で通信機を借りてるの。こっちは特に変わらないよ。いつも通りだけど、二人がいないからちょっと寂しいかな!》
「そう。それじゃすぐに戻らないといけないわね」
《あはは、冗談冗談。あたしそんな弱虫じゃないよーだ。気にしないで優星とゆっくりしてきなさいなーー》
ゆったりと語尾を伸ばして笑うスズ。その笑い声の奥で大きなあくびのような音が聞こえてくる。
《――あ、ちょーどハタケが起きたから代わるね!》
がったがったと慌しい音が聞こえてきて、次にハタケのまったりゆったりした声が聞こえてきた。
《……お、これかぁ? えっと、二人とも元気かぁ?》
元気と二人で答えると、そうかぁと言って急に静かになった。直後にばしん、となにか水々しいものを叩くような音が聞こえたかと思うと、今度はさっきよりはっきりした声が聞こえてきた。
《は、腹を攻めるなよ…………。ああ、んっと、おいらはとくになにも出来ないけど、がんばっておくれ。でも体には気をつけてくれよ、急に環境が変わると心が大丈夫でも体がおかしくなる事があるからな》
「あぁ気をつけるよ。そういえば院長はどうしたんだい? 声が聞こえないけど……」
《あー、さっきしばらく大事な仕事があるからってどっかに行っちゃったな。呼ぶ?》
「いや、仕事ならいいよ、呼ばなくても。それじゃ一旦これくらいにして、また俺達は先に進むよ。進展があれば今度はこっちから連絡するから」
《ほいほい。そいじゃぁまた今度だなぁ》
またねー、と揃って聞こえてきた声を最後に、私達は通信を一旦終わりにした。
「……よし、なんか温まった」
ぐっと拳を握って優星は大きく頷く。私も少なからず温かみというものをどこかしらで感じていた。
「そうね。少し温まったかもしれない。どこが温まったのかわからないけれど」
「場所はわからなくていいんだ。でもそこは人でしか温められない。電子レンジじゃ心は温められないからな」
そう言って優星は通信機をしっかりとカバンにしまうと、今度はレーダーを取り出した。目的地である熱源を表す印は、私達の点よりまだずっと先にある。
私達は衛星の外側を迂回し、さらにその先の瓦礫の隙間を抜けていく。途中、瓦礫の間を抜ける隙間風が砂埃を巻き上げては襲い、巻き上げては襲ってくる。砂を避ける私達は揃ってコートの裾を顔まで持ち上げ、足を止めることなく進む。
「……かなり乾燥してるな」
咳払いをして喉を抑える優星。きっと知らず知らず砂が入ったのだろう。私も喉にごろごろと違和感を感じて、乾いた唇が今にも切れてしまいそうだった。
水気が欲しいところなのだけれど、辺りに水溜りのようなものは見えない。普通の雨すら降らないのだろうか、それとも溜まるほど降らないのだろうか。
「……っとっと」
ふと優星が足元に伸びていた鉄棒に足を引っ掛ける。そのまま彼が体勢を立て直したその瞬間――
ガラァァァーン――――――
突然、どこか離れた所で大きな音が響いた。
「――――!?」
咄嗟に私達は正体不明の音に身構える。
ガラァーン――ラァーン――ァーン………………
まるで鉄パイプの束が崩れるかのような独特な連続音。耳の奥に長く強い余韻を残すその音は、大小様々な瓦礫に反射し、色々な角度から耳に入ってきて鼓膜を執拗に打つ。
「何の音だ?」
「誰かいるのかしら?」
私の考えに優星はそれはさすがに、と笑う。けれど念の為、という事で警戒は怠らない。
「ま、何か崩れたんだろう、きっと。うん、先を急ごう」
優星はレーダーを食い入るように見つめ、それから足取りをやや速めた。私もそれに着いていこうとしたのだけれど、急に脇腹がきりりと痛み出し、思わず足を止めてしまった。
「ん、大丈夫か?」
「ごめんなさい、こんなに長く歩いたのは久しぶりで……」
「はは、そりゃそうだろうな。自室と同じフロアに、食堂、教室ときたもんだ。運動不足推進環境だな。地下じゃ年々肥満率が上がってるっていうのもしょうがないよなぁ……。ちょっと休憩しようか」
優星の提案に私は自然と頷いた。思えばこんなに歩いたのは地上に住んでいた時以来かもしれない。地下都市の広さは限られてるし、連続して歩くことなんてほとんどなかったから。
私達は状態が比較的綺麗な小さい建物を見つけ、そこを休憩場所に選んだ。内部は危ないとの判断で、玄関みたいな所に転がっていたベンチを起こしてひとまずそれに座ることにした。
「へぇ、こいつは頑丈だな」
優星が重たい金属のベンチを立て直し、かぶっていた砂を振り払う。所々溶けているのが見てとれるけど、使えないわけではなさそうだった。きっと屋根が雨をいくらか避けてくれたのだろう。
「ようやく仕事ができたな」
優星は笑顔でベンチにそう語りかけながら、私と一緒に座った。関節が冷え切っていて、座る時はお互いにぽきぽきと軽快にどこかしらの骨が鳴った。
「……えっと、空? もうちょっと広く使わないか?」
ふと気が付くと私は優星のすぐ隣に腰掛けていた。三人は余裕で座れそうな大きさのベンチなのに、私の体は勝手に優星の隣に腰掛けていたのだ。
「ごめんなさい」
ずれようとして立ち上がろうとすると、優星は私の手を引っ張って引き止めた。
「ははは、いいよいいよ、冗談だって。近い方が……その、ほら、暖かいし?」
私は言われるがまま元の場所に座った。確かにこうして彼に寄り添っていたほうが暖かい。熱源がまったく存在しないここでは最良の方法だ。
とりあえず私達は無言で深い呼吸を何度か繰り返し、呼吸を整えた。立ち昇る息の白さがより濃く、長く宙に漂う。人間の吐息が、こうして地上の空気と交わっていくのは、何年ぶりのことなのだろうか。
「はいこれ、効くよ」
落ち着いたところで、優星はカバンの中をごそごそと漁り、中から二本の小瓶を取り出した。
「ありがとう」
私は優星から小瓶を一本受け取り、それを今一度眺めた。手の平に収まるくらいの瓶。中には青色の綺麗な液体が入っていて、地下で見た時はそれが輝いていてとても綺麗だった。けれど今はその液体を照らすものがないから、青黒くてなにか危険な薬品みたいだ。
「超即効性の栄養ドリンク。これ一本あれば丸一日過ごせちゃうくらいの威力。いつもこれに助けられてるんだ」
そう言ってぐいぐい、と一気に飲み干す優星。それにならって私も蓋を開け、ひんやりとした小瓶の口に唇を当てる。それからややあって、さぁと彼に促され、私は一気に小瓶を傾けた。
「…………っ……」
思わず、短い溜息をつく。すぅーっ、とまるで空気を飲み込んでるような感覚に、私の乾いていた喉は瞬時に癒された。氷水のように冷え切っていた液体は、それでも瞬く間に私の体の中を温めていく。
「ちょっと苦味が強いけど、すぐに効果は現れるよ」
優星の言う通り、飲み干して数分と経たないうちに呼吸はもうひと段階落ち着いた。
「ここ、何の建物だったんだろうな」
振り返ると衝撃波かなにかで綺麗にガラスだけが吹き飛ばされた窓枠が並んでいた。入り口の扉もガラスの部分だけぽっかりと空いていて、その先は真っ暗闇でなにも見えない。
「わからないわ。――でもあれって……」
私は玄関部分の敷居の角に、口の欠けた白いコーヒーカップがいくつも顔を覗かせていたのを見つけ、それを立ち上がって取りに行く。
「お、それじゃ喫茶店みたいな所だったのか」
優星は立ち上がって、崩れかかった建物の中を覗き始めた。
私は砂の入った陶器のカップを拾い上げた。酸にやられていないみたいだし、口が一部欠けているのを除けば新品に近いほど。とても幸運だったこのカップには、まるで砂糖だけを入れたかのように、細かい薄茶色の砂粒がぎっしりと詰まっていた。
私は拾ったカップを片手に瓦礫の少ない少し開けたところまで行って、顔の前で手を伸ばしてそれを傾けてみた。砂はさらさらと静かな音を立てながら滑らかに大地へとこぼれていく。やや風になびく砂粒のカーテン。それをなにも考えずに眺めていたその時――――
「――――――!?」
びくりと痙攣のように体が震えて、私は思わずカップを落としてしまった。ぱきぃんと、大きな音を立ててカップが粉々に割れ、その音を聞きつけた優星が私の方に駆け寄ってくる。
「どうした? ……あぁ、落としちゃったのか。怪我は?」
「…………今、なにかが……?」
「え?」
今、私は砂粒のカーテンの向こうを真横に移動する〝なにか〟を見た――ような気がした。私の目の前を横切るように、黒い物体が一瞬だけ。
ただ、残念ながらそれが一体なんだったのかはっきりと分からなかった。ただひとつわかったことは、通り過ぎた速度からして少なくとも人間ではない、ということ。動物ならあるいは……。
「まさか……突然変異した動物とか……ないよな?」
優星はそう呟きながらベンチに走って戻ってカバンからレーダーを慌しく引っ張り出した。それから彼はなにかを確認して、ばっと私の方を振り返ったかと思うと、目と口を大きく開いて私の背後に視線を釘付けにした。
同時に私も見た。この薄暗いなか、優星の黒い瞳の中に映る、その瞳よりもさらにさらにずっとずっと黒いなにかを。私はそれの判断がつかないままに振り返って――――――
「――空……機……!」
そして、私の体は知らず小刻みに震え始めた。




