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はてな果て

 私達が立っていた場所は、かなりの高台だったということがすぐにわかった。

 目の前に広がる全貌を、端から端まで眺めることができるほどの――――いえ、眺めなくてはいけないことになってしまうほどの。

「……マジ……かよ」

 私の傍らで優星が身を退きながら息を呑む。

「街…………ね」

 私達の眼下には――――街が広がっていた。それは確かに名は街と言えるであろうけれど、もしかしたら墓地と称するのもありかもしれない。

 まるで墓標のように、無数に大地に突き刺さる巨大な鉄骨の群れ。うまくクロスして十字架の形に見えるものもたくさんある。

 丸みを帯びた無数のコンクリートの塊が、壊された雪だるまのように転がっていた。恐らくアシッドレインであぁいう丸い形になるのだろう。

 街の中で動いているものはひとつもなかった。風に揺られるものも一切ない。映像の一時停止をしたあの瞬間と瓜二つ。

 ある一角では、熱でひしゃげたのか、くねくねとひん曲がった送電線やらが複雑に絡み合い、巨人用のジャングルジムのようになっていたりも。

 彩りなんてものはまったくと言っていいほどに存在しなかった。上空から灰色の絵の具をぶちまけたかのように、どこもかしこものっぺりとした色合い。

 そんな景色が遥か向こうまで続いているのかもしれないけれど、ある距離から向こう側は砂嵐みたいにぼやけていて、その先はなにも見ることはできなかった。

 街は前に教科書で見た、昔の戦争跡地という写真に似ていた。けれど、あくまでそれは人の殺傷を主な目的としていた破壊であって、建物の損壊なんてものは副次的なものに過ぎなかった。

 となると私達が今見ているこの破壊の跡は、いったいどちらを目的としたものだったっていうのだろうか?

 私達人間なのか。私達の住む街なのか。あるいは、街を破壊すれば人間も勝手に死ぬと判断してのことか。

 ――と、そんなことを考えてみても、私にはまるっきりだった。

「――――あぁ。でもまだ、あったんだ。俺達の街は…………!」

 優星はふっと体の力を抜いてビルの角に腰掛けるようにして座った。もちろん両足はその角の向こう側にぷらぷらさせているわけで、危ないといえば危ないけれど、それにならって私も隣に座った。でもそのせいで私達は手を離してしまった。

 ――すると、どうしてか、私の体は自然と優星の近くに寄ろうとする。きっと、わずかな温もりから離れてしまったからだろう。体が少し冷えてきたからだ。

 一応許可をもらわなくちゃいけないから、寄ってもいい? と街をぼぅっと眺める優星の横顔に、私は尋ねてみた。

「えっ? あ、あぁ、うん、いいよ。ぜんぜん」

 ちょっと飛び上がってから優星はこくこくと頷いた。許可が下りたから、私は優星の方に体を寄せる。彼と一緒にビルの角の向こうに足を投げ出すと、膝から下がぷらぷらと宙を彷徨うのを感じる。

「ありがとう」

「いいさ、俺もちょっと寒くなってきたし」

 コートの上からでも、優星の熱が充分に伝わってくる。じんわりふんわりしっかりしたこの温かさには、内臓までが温まる。

 誰もいないのだろうけれど、誰かが見てたらとても不思議な光景だと思うに違いない。砂に埋もれた倒壊しかけのビルの上。二人の人間が身を寄せ合って、今や廃墟となった故郷をじぃっと眺めている姿なんて――――。

 でもきっと、多分、恐らく、間違いなく、今この瞬間に地上にいる人間は、私と優星だけだろう。この信じ難い世界を目にすれば断言できる。

「おっ? あれは!」

 なにかを見つけたのか、優星が不意に声をあげる。そして私は彼の指差す方向に目を凝らす。

「あのでっかい銀色の半球、あそこの煮込みハンバーグは最高だったなぁ……。さっすが、いい店は建物の造りもしっかりしてるか」

 景色のやや右奥、優星が指差す方向には崩れた建物のラインナップの中でも一際目立つ、巨大な半球型の屋根の建物があった。屋根は半分崩れ落ちているも、原型が丸っこかったということは容易にわかる。そして私はここに――とても見覚えがあった。

「あれは……――優星、あのレストランを知っているの?」

「ん? 知ってるよ。というかこの街の人で知らない人はいないだろうね。それに俺の母親はあの日あそこで働いていたからさ……」

 声のトーンがやや下がったところを分析するところ、優星の母親は――――訊くまでもない。あのレストランは私と一緒に吹き飛んだのだから。

 こういう場合は気の毒ね、とかそういう言葉を言うべきなのだろうけど、私の場合は本当にただの言葉になってしまうから、口にするのはやめておいた。悲しみの共有ができない人に、そんな言葉を言う資格はない。

 私は話題を変えるということに挑戦するために、レストランから大体の位置を予測して、自分の住んでいたマンションの姿を探してみた。けれど、当然のごとく――判別不可能。

「私の住んでいたマンションはドミノの一枚になっているわ」

「はは、ドミノときたか。良い喩えだね。倒した奴は間違いなく巨人さっ。……いや、機械か」

 連なるマンション群は根元から折れてドミノ倒し。倒壊に次ぐ倒壊のその壮大さと規模といったら、間違いなく世界トップクラスのドミノだろう。

「――ときに、空。『地球は黒かった』っていう言葉を知ってるか?」

 不意に優星は上空を見上げて、ぽん、と拳でてのひらを叩いて思いついたかのように訊いてきた。空は相変わらず墨汁の荒波。確かに宇宙(そと)から見たらそう見えるに違いない。

「いいえ。『地球は青かった』、なら宇宙史の授業で聞いたことがあるわ。正確には違うらしいけれど、最初の有人宇宙飛行に成功した人の言葉」

「あぁ、有名だね。でもこれはあまり知られていないんだけど、あるひとりの男の子のこの発言が世界を、地球を変えたんだって。その子が月にホームステイしに行く途中に地球を見た第一声がそれだったんだ。この目で見てみたいと夢見てた、青と緑の対比の美しい地球なんてなかった。あったのは、淀んだ大気の上で無数に展開する人工衛星が埋め尽くす黒っぽい球体だったって」

 言いながら優星は軽く積もっていた砂の上に丸い地球の絵を描いてから、その上に砂をざぁっと大量に振りかけた。

「軌道上に滞在する人達は目が慣れちゃってあまり実感がなかったんだろうな。まぁそれが二〇三〇年頃の話さ。そんでその子の言葉をきっかけに、『地球大修繕計画』が世界的に持ち上がったんだ」

「それは聞いたことあるわ。軌道上で放置されていたデブリや稼動してない衛星の回収に世界が取り組んだ、って」

「そうそう。いざ世界が協力すればあら不思議。宇宙進出もどんどん進化していって、その後に新しい物質や現象がころころ見つかるわ見つかるわ。その中でも地球外鉱物の発見と応用が凄くてさ、永遠の課題に近い『発電』の歴史が変わった」

「核融合炉と宇宙太陽光発電ね。だから化石燃料を使う発電所は全部廃止になったって」

 二〇三〇年。今から七十年ほど前のその時代では、環境汚染がピークになっていた、と焦げ跡のついた教科書に書かれていたのを覚えていた。それよりずっとずっと前から、地球環境をよくしようと世界的に努力していたらしいけれど、いわゆる第三次世界大戦という大きな戦争が始まってからは、途端にそれどころじゃなくなってしまったのだ。

 中東とアフリカを中心に、ミサイルという鉛筆みたいな爆弾が飛び交っていた。しかもその爆弾が爆発した地域は、理由は調べなかったけれど、生物が一切住めなくなるという環境になってしまうらしかった。そしてその戦争には直接関わらなかったけれど、日本には主に二つの影響があった。

 ひとつは世界的な混乱から石油などの資源の輸入がまるでできなくなったこと。もともと昔から輸入にばかり頼っていた日本では、これによって日常生活にかなり厳しい制限が出た。けれどそれをきっかけに、今度はそれに代わるものを、とますます技術の発展に精を出したという。そのお陰といったら変だけど、のちの核融合炉や宇宙太陽光発電の技術と運用の安全性は、頭ひとつ飛びぬけて世界一だったらしい。

 もうひとつは、戦地から逃れるために日本になだれ込んできた外国人の山だった。当時、地震という一定確率を除けば世界で最も安全な国として名高かった日本に、何千万という恐るべき単位で外国人がやってきたのだ。なにもかも足りなくて不自由したというけれど、それでも日本は誰一人として国外に追い出そうとはしなかったという。

 ちなみにだけれど、教科書のオマケコーナーには、この時期に国内で最も売れた製品は『携帯型瞬訳機』である、と書かれていた。あと、納豆を初めて食べて苦笑する外国人達、という題名の写真もあったり。

 ――――とかなんとか、私は覚えていたことをしばらく優星と一緒に語った――いえ、〝語れた〟、というべきなのかな。普段なら両手で数え切れるくらいのキャッチボールしかできないのだけれど、なぜか今の私は彼と言葉のボールを一試合分くらいは交わせていた。

「驚いたな、幸助はともかく君とこんな話が出来るだなんて。得意分野だったり?」

「前に近代生活科学基礎の授業で聞いただけよ。勉強は好きでも嫌いでもないわ。ただ、覚えろって言われたら覚えてしまうのが私だから」

 私は他人からなにかをしろと言われれば、どうやっても不可能なものを除いて、たいていはその通りにした。もちろん拒否権はある。でもそれを自然と行使できないだけで。

 そう、指示がなければなにもしない機械と同じ。命令が出るまでは待機モードであって、いざ命令がでて起動すれば、不可能なものにはエラーを出し、可能な命令は拒否することなくこなす。とはいっても私はとりあえずカタチ的には人間だから、待機とはいえ食べたり眠ったり、といった必要最低限のことはするけれど。

 勉強なんかは特にそうだった。覚えなさいと言われたら覚える。いえ、覚えてしまう。ぞくにいう、嫌だ、めんどくさい、といった典型的で感情的な拒否権の行使ができないから。心が隙間だらけなのと同じで、脳みそも空き容量だらけ。どちらを埋めるのが楽かなんて言うまでもない。

 ――――でも、今の私ならこう言えるかもしれない。私は、指示されてようやく動くような人間〝だった〟って――――。

「それじゃやっぱり勉強が出来る出来ないは遺伝とか血筋とかじゃなくて、感情からくるものなのか。うーん…………」

 複雑だ、と付け足して眉間に皺を寄せる優星。私にはなにが複雑なのか理解できなかった。

「この頃の授業中は寝てるけれど」

 とりあえずそう付け足してみたりすると、そりゃ結構、と優星はけらけらと笑った。あくまでも私は生きようとする体の本能が優先だから、睡魔を我慢してまで目を覚ましているということはないのだ。

「しっかしなぁ……。人間ひとりじゃ世界は変えられないけど、世界を変える始まりを告げるのは、結局は誰かひとりの一言なんだよな」

「すごいわね、言葉の力って」

「いつの時代でも一番強いものさ。――でも、言葉だって言葉には負ける。その証拠に再びこうなっちまったんだからな」

 言って優星は再び上空を見上げた。私達が喋っている間にも、雲はゆっくりと確実にその形を変えていく。気のせいか、さっきより少しだけ色が濃くなってきたような……?

「言葉…………」

 私はその単語を静かに口から吐き出した。


 ――――いったい、誰の言葉で、世界はこうも死んでしまったのだろう?

 ――――いったい、誰の言葉があれば、この世界は生き返るのだろう?


 そんな疑問に便乗して、この(せかい)は誰の言葉で元に戻れるのだろうか、なんてことを思ってみたり。

「………………!? ちょっと空、これを見てくれ」

「なぁに?」

 優星はいつの間にか取り出していたレーダーを食い入るように見つめたあと、私にもその液晶を見せてくれた。

 見るとレーダーには私達を示す二つの赤い点と、その点のかなり遠くに大きな赤い点の一部分らしきものが表示されていた。つまり私達の眼下に広がる街のもっともっと先に、大きな熱源があるということになる。

「なにかあるな。んー……これの勉強はしなかったから距離は測定できない」

「あの街の奥?」

 私は大気のノイズで見えない境界を指差した。どうもその部分だけが燻る煙みたいに色濃く揺れている。

「恐らく。こりゃ脈アリだけど、近づくなら街の中を歩かないとだめだ。それにまずここを下らないと、ちょっとした高台にいる感じの場所だし……」

 私達が立っている場所は、街を一望できるほどの高さにある。それ相応の距離を登ってきたのだから、少なくともその分以上は降りなければならない。

 降りる場所を探そうと私達が立ち上がった瞬間に、短くも強力な突風が、ごう、と吹いた。

「――あっ」

 そのあまりの風圧に私は吹き飛ばされそうになるも、寸でのところで優星のお腹にしがみついて、なんとか倒れるのを回避できた。もし倒れてしまったら、あとは砂の坂道を成す術もなく滑り落ち、さっきの落とし穴に落ちてしまったことだろう。

「……っとっと、大丈夫か?」

 ええ、と答えつつ、私は右目に鋭い痛みを感じていた。今の突風に運ばれてきた細かい砂が、私の目にずかずかと入り込んできたのだ。

「あ、擦っちゃだめだよ、ぱちぱちしなきゃ」

 気付いた優星が目を擦る私の顔を覗き込む。

「ぱち……ぱち?」

 一瞬、私は手を叩こうかと思ったけれど、よくよく考えてもみたら、目を閉じたり開いたりするのもぱちぱちと言ったっけ。

 昔、私は擬音をよく使っていた。直感的なものだから、感情的に表現できない私にとっては相手に伝える時に重宝するのだ。ただ私があまりにも直感的過ぎるらしく、たまにみんなに凝ってる表現だね、と言われることもあったりする。

「でもほんと、よっぽどよく寝れたみたいだな」

 目をしきりにぱちぱちさせる私を眺めながら、優星はそんなことを言う。確かに今日は夢を見なかったからぐっすりと眠れたけれど。

「どうして?」

「いや、空の目がさ。いつもより大きいから。その、なんだ……えっと、可愛いというか……うん……」

 優星は頬をぽりぽりと掻きながら視線を眼下の街に逃がした。なるほど、よくよく言われてみればいつもより視界が広く見えるような気がしていたような。もっともそんなのは地上(ここ)じゃ大した差がないけれど。

 最近の私は寝不足が続く日々のせいで、目が常に半開きのような状態になっていた。よくいう死んだ魚の目、といったところ。ちなみにこれは徹夜明けのこーすけに対してハタケがよく使ってたりもする。

 しかし今の私には優星に対する回答は、どう応じていいかわからなかった。でも可愛いほうがいいというのは知っているから、とりあえず思いついた返答をしてみる。

「そう、それならがんばって眠るわ」

 的確な答えかと思ったのだけれど、なぜか優星はぷっと小さく笑った。あまりいい応答ではなかったらしい。

「はは、是非そうしてくれ。……おっと、しっかし目薬まではさすがに持ってきてないかな……」

 頬に大粒の涙を伝わせる私を見た優星は、目を丸くしてがさがさと鞄の中身を漁る。

「いいわ、このままで」

 ふと、反射的に口に出た。

「ん、どうして?」

「少し、流しておきたいの」

 それは、やけに涙が温かかったからなのかもしれない。肌が冷えていたから、涙が一筋流れるたびに私の顔が温かくなったから。

「涙を?」

 砂が混じっているであろう涙のひと粒ひと粒がずっしりと、確かな重みを残して私の頬を、私の顎を伝って、乾いた砂の上に落ちて丸い染みを作っていく。

「ええ」

 私の頬に伝う涙は、あの日以降、全て体の機能からくるものだった。今のように目に入った異物を流そうとしたり、あくびが出たりした時に流れるだけ。

 悲しくて、痛くて、駄々をこねて、気に入らなくて、ほっとして――と、調べてみた限りでは、人が泣く理由なんてものはたくさんあった。

 ――――だっていうのに、私は調べたもののどれにも該当したことがなかった。条件に当てはまらない私のこの頬には、感情的な涙が伝うということは一度もなかった。


 なにもないから、なんでもいい――――


 いつしかそう思っていた私。極限に陥れば、なんだっていいのだ。たとえそれが誰も率先して望まぬマイナスの感情だったとしても、ゼロの私にとっては、そのマイナスすらもプラスになりえるのだから。

「そっか。でも、〝そういう〟涙はだめだ」

「……?」

 優星が、今度は私の目をじっと見つめながらきっぱりと言う。そして彼は左手を持ち上げその人差し指を曲げて、指の背で私の頬に流れる涙をぬぐってくれた。その指の温かさは、私の涙の温かさよりずっとずっと温かかった。

 どうして解ったのかはわからないけれど、私の考えを優星は読み取っていた。そのうえで、なんでもいいと思う私を、彼は咎めているらしい。

「本当の涙なら流してもいいってわけじゃないけどさ……。理由はどうであれ、女の子が涙を流すところはあんまり見たくないから」

 と、優星は伏し目がちに言った。

「……そう。でももう、大丈夫。もう、流れないわ」

 目の砂がほぼ取れたのを感じた私は、頬で乾き始めた涙を指でしっかりとはらった。優星が見たくないと言うのなら、見せないほうがいいに決まってる。

 私が涙を拭いたのを見届けた優星はにっこりと、それこそさっき空から降り注いだ太陽のように明るく微笑んだ。

 それから私達は目的地に向かう方法を考えた。

「……さて、どこから降りよう……。戻るにも例のガラス張りの上だし、ここからは先は――――翼でもない限りは無理だな」

 優星は軽く前に身を乗り出して角度と高さを確認すると、ひゅぅ、と口笛を吹いた。ビルは長方形に違いないから、私達が登ってきた面が二十度前後だとすると、この先はそれ以上の急角度になっている屋上の面なわけで。

「戻るにしても後ろは絶対崩れそうな予感がするな」

「右の方は角度が緩いわ」

 私は現在位置から右の方に迂回路を見出す。本当に若干だけれど、右側の方にビルが傾いている気がしたからだ。

「そうだな、とりあえず行ってみようか」

 私達は窓のないビルの角付近を気をつけて横向きに歩いていった。前へ進むわけでもなく、後退するわけでもなく、右へ迂回して街の方へと進める道を探すことにしたのだ。

 もちろんさっきのような突風が吹く可能性は充分にあるから、私はいつでもしがみつけるようにと、足腰の強い優星のすぐ側を歩くようにした。既に仕事場で働いている彼の体の力は、窓の穴に落ちた時に体験済みだ。あの時もし幸助だったら、私はいとも簡単に穴に落ちてしまっただろう。ハタケだったら私を引き上げられたかもしれないけれど、多分ビルのガラスが全部割れて、結局落ちたと思う。

 ある程度進むと、ビルの右側面の終わりが見えたと同時に、その先に広い砂の坂道が広がっているのが見えた。その坂をさらに下っていけば、遠回りにはなるけれど街へと進めるはず。

「あー、なんかこの坂は……走りたくなるな……」

 長く広い砂の坂道に差し掛かったところで、優星は一度立ち止まって呟く。

「どうして?」

「小さい頃ってさ、広かったり坂道だったりすると、思わず走っちゃうだろう? それと同じ気持ちさ、ワクワクするっていうか、好奇心ってヤツ」

 言いつつ優星は今にも駆け出さんとばかりに屈伸を始めた。

「好奇心……。でも私にはそんなもの――」

「あるさ」

 私の言葉を遮り、屈伸を続けながらきっぱりと優星は言い放った。

「どういうこと?」

「〝それだよ〟、空。好奇心というのは元を辿れば知りたいって感情なんだ。もっと言えば本能的な欲求か。〝はてなマーク〟は立派な感情だ。君が誰かになにかを、あるいは自分になにかを問いかけている時点で、君には感情の元があるはずだ」

「……………………」

 ――――確かに。言われて私の頭にいろいろなことが一瞬で駆け巡った。

 一昔前の私だったなら、素っ気ないといった類の相槌を打つくらいしかできなかった。ただし最近は疑問系で尋ね返すこともある。

 それに最近はめっきり読まなくなってしまったけれど、実のところ私は時間があれば無意識に本を読んでいたりしていた。特に登場人物がたくさん出てくる物語を。登場人物達の台詞の流れをよく覚えてみることで、日常での友達との会話をスムーズにできないかと、どこかでそう思っていたのかもしれない。

 よくよく考えたら、本を読まなくなった理由は友達と過ごす時間が増えたから、会話がそこそここなせるようになったからなのかもしれない。

 知らず知らずのうちに、私は〝はてなマーク〟を自分で浮べて、それを自分で解消しようと努力していたのだ。その努力を一種の感情と呼ばずしてなんと呼ぼうというのか。

 はてなの果てに、いつしか私は本当の私を見出せるのだろうか――――

「だってほら、君は自分で言ってただろう? この十年間で私は変わったって。確かに君は感情を全て失くしてしまったかもしれない。でもどこかに落としてしまったっていうなら、そんなのみんなで一緒に拾えばいい。積み上げてきたものが崩れてしまったっていうなら、みんなで一緒に積み重ねていけばいい」

「…………ええ」

 私は感情を失ってしまったわけではないのかもしれない。でもたとえそれがどんなに大変なことであろうとも、一緒に探してくれる人がいればいるほどに、私の心の隙間は早く埋まっていく。

 そう、今の私には、私を探してくれる人がいる。私を助けてくれる人がいる。私を私にしてくれる人がいる。

 だから、私は改めて言葉にしなくてはいけない。

「私は――私は、〝失いたくない〟」

 みんなを失うということは、私を失うということの他ならないのだから――――。

「あぁ。だから、探しにいこう。夢の謎の手がかりを。夢の通りになんて絶対にさせないさ」

 差し出された温かな手を握り返し、私は強く頷いた。この手の温もりだって例外じゃない。絶対に、失ってはならないものだ。

 今一度決意をした私達は砂の坂を小走りに、変わり果てた十年振りの地元へと向かった。

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