生きた星
当時、天災時の避難用地下シェルターはどの建物にも義務付けられていたから、邪機による第一波、第二波の攻撃を凌いだ人達の多くはシェルターに避難していて助かった。かく言う俺もそのうちの一人で、家にいた俺は第一波の直撃をかろうじて免れ、自宅のシェルターに避難していた。
地震にも、津波にも、火災にも、噴火にも、台風にも。ギャグか嘘か真か知らないけど、謳い文句では小惑星衝突にも耐えられるのがウリだったシェルター。事実、その要塞はあの日の破壊活動や大火災をことごとく耐えた。が、生きているシェルターへの避難に成功した人達は、外傷こそ免れたものの、耐えられなかった事がいくつもあった。
――――人間がゆえ。特に精神的な孤立感や生理的な空腹感などの、幾重にも重なってくるストレスにはまるで耐えられなかったのだ。
ほとんどのシェルターではそのうち保存食料が底を突くという事が目に見えて分かっていた。一般的なシェルターは、あくまでも〝局地的〟な被害の場合に設計されていたからだ。大きな災害があればすぐさま他県から、あるいは諸外国から救助の精鋭が集結する。よってどんな災害であっても、三日分。収容可能人数に対してそれだけの食料があれば、重傷を負っていない限りは助かる〝想定〟になっていた。
当然のごとく、全ての家庭のシェルターが使える状態にあったわけじゃなかったから、使えるシェルターに人が殺到するのは無理もない。なんせシェルターは建物の倒壊によって出入り口が封鎖されてしまうという、本末転倒な状況に陥っているのがほとんどだったからだ。よって、食料なんかは圧倒的に不足した。
俺は今でも覚えている。あの時、自宅のシェルターの中で一人すすっていたトマトスープの味を。保存食とはいえ良くできたもので、普通の料理と変わらぬ美味しさだったのだろうが、あの時ばかりは泥のような味がした。あの時は食料よりも誰でもいいから人がそばにいてほしかったな……。
でだ、いかな天災にも耐えうると銘打ったシェルターは、どうも〝世界を同時に破滅させる人為的災害〟についてだけは例外だったらしい。外国はどうだか未だに知らないが、少なくとも日本全土はほぼ同時と言ってもいいんじゃないだろうか?
世界中のあらゆる戦争兵器が破棄されたこの時代。その時代にもっともありえないカタチで崩壊した世界。ましてウチュウジンの類は存在しないと断言された時代に、いったいどこぞの〝ニンゲン〟があの破滅を引き起こしたのか。せめて防衛の為の兵器さえあればと思った人がどれほどいただろうか。
分類としては人災、規模としては天災。それがあの日――――『空の災』だった。
……あぁ、あとこんな話があったな。これは実際、あとから俺が多くの人から聞いた体験談のひとつだ。
救助を待つどこのシェルターでも、まずは最初にこんな不穏が渦巻く。
『もしかして、ここのシェルターの上にはどうしても除去できないような障害物が乗っかってしまっているのでは?』、と。もしそうならば救出まで何日かかってしまうのだろうか、と。
だけどその不安に関しては、あの日から約一ヶ月前に各マスメディアのトップ記事を賑わせた、『溶岩の中から救出』という見出しに惹かれて記事を読んだ人々が揃って払拭した。
ニュースの内容は、名前はもう忘れたけどアメリカのどこかの州で火山が突然の噴火を起こし、流れ出た溶岩が近くの町にまで到達してしまったというもの。そしてなんと、溶岩に埋もれた地下シェルターの中から、たった二日間で被災者を全員無事に救出したというのだ。しかもそのシェルターが日本製だったときたものだから、その事実が皮肉にも人々――日本人を勇気付けたという。
少なくとも二日間はメイドインジャパンについての自画自賛でもったらしい。だが、三日を越えてくるとやはりパニックになる人が続出した。様々な角度から襲い来るストレスは、ほとんどの人間の心をいとも簡単に折ってしまったのだ。期待が大きすぎたゆえか、その反動もかなりのものだったらしい。
いつまで経ってもシェルターに設置されている通信機は雑音すら出さない。シェルターの扉が軋む音もしない。いくら待っても救助のエリートは来ない。――――四日が過ぎても、それらはなお不変。
そう、四日目以降はもうメイドインジャパンなんてどうでもよかった。たとえ身の周りのものが全て日本製であったとしても、それのお陰で助かるという根拠はどうにも見出せなかったのだ。
それからの話だった。しびれを切らした人達が、一縷の望みを胸に次々とシェルターの外へと出て行ったのは――――
…………と、まぁこんな具合にあとになっていろいろな話を聞けたのも、現に今、俺が生きているからであって。
当時の俺はシェルターの中で何をしていたかといえば、まぁ優秀な事に、当時八歳でろくに漢字も読めなかったのに、シェルターの分厚い説明書を両手に外部との通信を試みてたっけ……。
ただ生まれつき怒りの感情が欠落していた俺は、救助が来ないから、通信が出来ないからといってイライラするような事はなかった。パニックになりはしなかったものの、五日間は不安に震え続けながら説明書のページをめくっていた事は覚えている。気休めになるのはそれぐらい、もとより出来るのがそれしかなかったのだ。
そして六日後、ついに俺はシェルターの外に出てみようと決意した。それくらいになるともう外がどうなっていようと構わなかった。とにかく誰かに会いたくて会いたくて仕方がなかったのだ。どんなに美味しいものよりも、ただただ人のぬくもりが欲しかった。
シェルターの出入りについては何度か練習したから難なく外に出る事は出来た。ただ、地上に出たのは失敗だったとすぐに思った。
地上は燃え盛る炎こそ見えなかったが、いたるところでまだ煙が燻っていた。いわゆる焼け野原。喉を汚す空気と肌を焼く熱風、そして嗅いだ事のない嫌な匂い。あまりの異常さに、状況を把握する間もなく俺の意識はすぐに朦朧とした。六日前に何が起こったかなんて、想像しようとする余裕はなかった。
薄れゆく意識の中、俺はしばらく幽霊のようにふわふわと誰もいない街を目的もなく彷徨ったあと、やがて一人の生きている人間に出会った。その瞬間だったかな、気を失ったのは。多分、安堵からだったのだろう。
意識が戻った時にはもう、俺は現地下都市の元である病院の巨大なシェルターの中にいた。気を失う前に俺がであった人物が連れてきてくれたというのだ。
意識が戻ってからの俺の第一声はこうだった。
〝おじさん、だれ?〟
〝私の名前は耶永瀬慈雄。もう大丈夫だから安心しなさい〟
と、その人はとびっきりの笑顔で答えてくれた。
耶永瀬慈雄。少し珍しい名前の彼は、全てを失いかけていた俺に救いの手を差し伸べてくれた唯一の人物だった。




