第81話 地下世界の眠り姫
さかのぼること、ほんの少し前。
うっかりモグラの掘った穴に落っこちた緋羽莉が、りんごをおんぶしながら裏山の地下をさまよっていたときのことだった。
薄暗い土のトンネルのあちこちで、モコモコモコ……と土が盛り上がる。
そして次の瞬間、無数の土の中から、無数のモグラ型ワンダーが顔を出した。
『モグモグー!』
頭のてっぺんから一輪の花を生やした、つぶらなひとみのぬいぐるみのようなモグラ―—【ハナモグラ】の群れだった。
「わあっ! かーわいいー!」
緋羽莉は、いつもどおりの無邪気な反応。
背負われているりんごは、いつもどおりの不安げな反応だった。
『モグー! モグモグー!』
ハナモグラたちは、一様に両手を上げて、なにかを訴えかけてくる。
言葉はわからない。けれど、敵意はなさそうだということは、感覚のするどい緋羽莉にはすぐにわかった。
「ど、どうしよう?」
りんごが、緋羽莉の耳元で小さくささやく。
「ちょっと、話してみるよ。よいしょっと」
そう言うと、緋羽莉は背中からりんごを下ろし、ハナモグラたちの前に立った。
「わたしの名前は花菱緋羽莉。よろしくね。あなたたちは、わたしたちにどんなご用?」
長くたくましい両腕をいっぱいにひろげて、やさしく問いかける。
腕を広げた拍子に、オフショルダーの胸元がわずかに揺れ、健康的な肌のつやが地下の灯りにほのかに照らされた。
運動で鍛えられた体つきなのに、どこかやわらかな女の子らしい曲線が残っていて、まだ子どもなのに、ふとした仕草が妙に色っぽい。
もっとも本人はそんなことなどまったく気にしておらず、ただにこにこと無邪気に笑っているだけだった。
そんな緋羽莉の体からふわりと、花のような甘い香りがひろがる。
太陽の下で元気に育った草花のような、あたたかくてやさしい匂い。
たくさん体を動かしたあとの、ほんのり甘い汗の匂いがまじりあい、どこか胸がきゅっとなるような不思議な香りだった。
その匂いは、地下のひんやりした空気の中で、まるで春風のようにやわらかく漂い、ハナモグラたちの鼻をくすぐった。
『モグ~!』
するとハナモグラたちは、今度は一様にうっとりした表情を浮かべる。
そして先頭にいた数体が、もぞもぞと土の中へ潜っていった。
緋羽莉とりんごが、きょとんと首をかしげた――その次の瞬間。
『モグー!』
「きゃあっ!?」
緋羽莉の足元の土がボコンと盛り上がり、ハナモグラたちが一気に飛び出す。
そして――
彼女のたくましい長身を、祭りの神輿のように、ひょいっと持ち上げたのだった!
「えっ、えっ!? なにこれ!?」
持ち上げられた拍子に、長い脚がふわりと宙に浮く。
太くて力強いふとももが、ミニスカートのフリルの奥でしなやかに揺れた。
その体からは、さっきよりも強く、花と体温が混ざったような甘い香りがただよってくる。
ハナモグラたちがうっとりした顔になるのも、むりはないことだった。
けれど本人はそんなことにはまるで気づかず、ただ驚いた顔で目をぱちぱちさせているだけ。
そんな天然ぶりもまた、どこか放っておけない魅力を放っていた。
わっしょい、わっしょい。
ハナモグラたちは、楽しそうな声をあげながら、緋羽莉を担ぎ上げて運びはじめる。
「緋羽莉ちゃん!?」
りんごは、びっくり仰天。
緋羽莉の体は数体のハナモグラたちによって、わっしょいわっしょいと地下トンネルの奥へ運ばれていく。
あまりの光景に、りんごはただあっけに取られるばかり。
追いかけようにも、どうしていいかわからない。
それは運ばれている緋羽莉自身も同じだった。
「ちょ、ちょっと待ってー!? どこ行くのー!?」
状況がまったくつかめないまま、されるがままに運ばれていく。
そして――そんなこんなしているうちに、ハナモグラの群れは今度はいっせいに土の中へ潜り、緋羽莉とともに姿を消してしまった……というわけなのだった。
☆ ☆ ☆
「なるほどね……」
話を聞き終えたアリスは、腕を組んでうなずいた。
「にしても緋羽莉ったら、どんなフェロモン出してるんだよ」
閃芽も同じように腕を組みながら、あきれたようすでぶつぶつ言い捨てる。
「まあ、それだけ緋羽莉ちゃんは魅力的だってことで」
「だから、そういうノロケはやめろっつってんでしょ」
閃芽にツッコまれたところで、アリスはこほんとひとつ咳払いをした。
そして真剣な顔になる。
「とにかく、緋羽莉ちゃんを追いかけよう。そのために、この子に仲間になってもらったんだし!」
そう言って、ぺちぺちと叩いたのは、体長1.5メートルほどもある大きなモグラ――【モリモール】のグリンだった。
グリンは胸を張るように体を揺らし、
『モグー!』
と、まかせなさいと言わんばかりの頼もしい声をあげる。
りんごはやっぱり少しおどろいたものの、この子が味方なら頼もしいと、不安はしだいに安心感へと変わっていった。
『ハナモグラって、どんなワンダーなの?』
『キュー?』
ブルーとモモは、アリスの顔を見上げてたずねる。
「まあ、基本的におとなしいワンダーとは聞くね」
アリスはやさしく解説した。
『そのおとなしいワンダーが、人をさらったりするの?』
ブルーが首をかしげる。
するとアリスは、あっさりと言った。
「だから、それだけ緋羽莉ちゃんが魅力的だってことだよ」
「だから、そういうノロケはやめろっつってんでしょ」
閃芽が、さっきとまったく同じツッコミを入れた。
『たしかに、ぼくもヒバリちゃんのことは……その……いいと思うけど……さらいたい、と思ったりはしないよ?』
『キュー?』
ブルーは青い顔をほんのり赤らめ、どこか照れくさそうに言った。
モモも、緋羽莉がいい、ということには同意見のようで、小さく首をかしげながらうなずく。
「やっぱりブルーって、緋羽莉のパートナーになったほうがいいんじゃないの?」
閃芽がいじわるっぽく言うと、
「うるさいなあ!」
アリスはまたムキになって言い返した。
しかも今は地下トンネルの中だ。声が壁にぶつかって、わんわんと反響する。
「ごめんね……緋羽莉ちゃんがさらわれたのに、わたし、なんにもできなくて……」
りんごはもじもじと指を絡めながら、もうしわけなさそうに言った。
緋羽莉がハナモグラたちに運ばれていくところを、なにもできず、むざむざと見送ってしまったこと。
そもそも、自分が疲れて背負われていなければ、緋羽莉が穴に落ちることもなかったかもしれない。
さっきの【トオレント】たちとのバトルでも、最終的には勝てたとはいえ、みんなの足を引っぱってしまう場面もあった。
それらの出来事が重なって、りんごの胸の中に、重たい影を落としていたのだった。
『りんごちゃん……』
『キュー……』
りんごにシンパシーを感じていたブルーと、感情を読み取ることに長けたモモが、心配そうな顔を浮かべる。
「だいじょうぶよ。緋羽莉ちゃんは、また取り返せばすむ話だから。りんごちゃんだけでも無事で、よかったよ」
アリスは、気にしなくていいよと言わんばかりの笑顔で言った。
閃芽も腕を組んだまま黙っているが、きっと同じ気持ちなのだろう。
親友四人で異空間を冒険するのは今回がはじめてだが、四人の付き合いは長い。
りんごが体力面や精神面で三人に劣っていることなんて、みんなとっくに織り込み済みだ。
本当に、だれも気にしてなんていない。
けれど、そんなことをそのまま口にするのもちがう気がする。
かといって、りんごの心を前向きにできるような言葉も、かしこいアリスと閃芽でさえ、うまく見つけられなかった。
――せめて、緋羽莉がいてくれれば。思わず、そんな考えが浮かんでしまう。
温和で包容力のある彼女は、こういうとき、ふわりと場をやわらげる言葉や態度を自然にかけられるからだ。
――だから、早く迎えに行ってあげなくちゃ。
そう心を決める。
そんなわけでアリスたちは、りんごを加えた全員でグリンの背中に乗り、モモの感知能力を頼りに、緋羽莉を追いかけるのだった。
☆ ☆ ☆
いっぽうそのころ――
ハナモグラの群れにさらわれた緋羽莉は。
『モッグッ、モッグッ、モグー!』
「ふわっ!?」
あおむけに運ばれていた緋羽莉の体は、ぽすん、と何かやわらかいものの上に放り出された。
「これ……お花畑? 地下なのに?」
緋羽莉が体を起こすと、自分がお花畑の上に落とされたことに気づいた。
見渡すかぎり、色とりどりの花、花、花。
ここは太陽の光が差さないはずの地下だというのに、赤や黄色、青や紫の花が、無数に咲き乱れている。
しかも、なぜか周囲はほんのりあかるい。
天井も太陽も見えないのに、この地下世界は、まるでやさしい灯りに包まれているかのようだった。
……もっとも。
そんなふしぎな状況にツッコミを入れられるほど、緋羽莉は深く考え込む性格ではない。
「でも、またお花畑だなんて……わたしって今日、つくづくお花と縁があるなあ」
緋羽莉は両ひざを立てながら、苦笑いを浮かべた。
『モグー! モグモグー!』
すると、ハナモグラの群れが、わらわらと緋羽莉のまわりに集まってくる。
さっき運んできたときと同じく、敵意はまったくない。
むしろ――まるで、大好きな相手にじゃれつく子どもみたいに、好意いっぱいでまとわりついてくるのだった。
「あははっ! くすぐったいよお」
緋羽莉はモグラたちになつかれて、ほんのり顔を赤らめる。
笑うたび、ポニーテールが揺れて、緋色の髪からもふわりと甘い匂いがひろがる。
くすぐったそうに体をよじると、引き締まった腰と胸のふくらみがやわらかく動き、健康的な色気がにじみ出る。
それでも緋羽莉の表情は、あくまで無邪気そのもの。
まるで大きな子犬が遊んでいるみたいな、屈託のない笑顔だった。
さらわれたばかりだというのに、心に悲壮感なんてかけらもない。
むしろ、花に囲まれてモグラたちにじゃれつかれ、しあわせいっぱいのようすだった。
そこに――
ズーン……ズーン……
重い音が、地下に響いた。
同時に、地下の花畑が大きく揺れる。
「きゃっ!?」
あまりの揺れに、モグラたちの小さな体と、緋羽莉の大きな体がぴょこんと跳ねた。
なにか――巨大なものが近づいてきている。
そんな気配がした。
やがて、花畑の奥の土の壁が大きく崩れ、土煙の中から現れたのは……
「わっ」
その姿を見た緋羽莉は、大きな目を見開いて声をもらした。
☆ ☆ ☆
『モリー!』
アリスたちを背に乗せたグリンは、地下トンネルを勢いよく掘り進め――
すぽーん!
開けた空間へと飛び出した。
そして、
ドーン!
重たい音を立てて着地する。
「わあっ!?」
りんごとブルー、モモは驚きの声をあげた。
衝撃自体はそれほどでもない。
だが、高い場所から落ちたという事実と、地面に伝わるわずかな振動が、恐怖心を刺激したのだ。
顔を上げた彼女らの目の前には――
色とりどりの花が咲き乱れる、広い花園がひろがっていた。
「またお花畑かよ!?」
閃芽が反射的にツッコミを入れる。
先に口に出されただけで、きっと全員同じことを思っていたに違いない。
『モグ!?』
さらに、その周囲にはまたしても野生のワンダーの群れ。
緋羽莉をさらった【ハナモグラ】たちだ。
自分たちより三倍以上も大きい同族のグリンを見て、驚いているようすだった。
『うわっ!?』『キュー!?』
ここで、ブルーとモモがもうひとおどろきする。
花畑の中央には、グリンよりさらに倍ほども大きい――三メートル強はある巨大モグラが立っていたからだ。
しかも……
「ひ……緋羽莉ちゃん!」
りんごが悲鳴のような声をあげる。
なんと巨大モグラの両手には、緋羽莉のたくましい体が、まるで人形のように抱え上げられていたのだ。
巨大モグラの腕の中で、緋羽莉の長い脚がだらりと垂れ下がる。
鍛えられた体なのに、肌はやわらかそうで、花びらみたいにすべすべして見えた。
眠っている彼女の胸がゆっくり上下するたび、花のような香りがふわりとひろがる。
まるで地下の花園そのものが、彼女を中心に香っているようだった。
そして―—巨大モグラは、彼女のやわらかなくちびるに、自分の口を近づけようとしている――そんなふうに見えた。
「!」
その瞬間、アリスの目の色が変わった。
次の行動は、あまりにも速かった。
とっさにウォッチからミルフィーヌを呼び出す。
ピンクの膜に覆われた水色の剣が、しゅるりと伸び――
巨大モグラの胴体へ、一直線に突き刺さった!
『ぬわっ!?』
巨大モグラがおどろきの声をあげたのも、ほんの一瞬。
「《ハニーショック》!」
ドオォン!
『むぎゃーーーっ!?』
突き刺さった刀身から衝撃波が炸裂し、巨大モグラの腹の肉が波のように揺れる。
そのまま巨体は、お花畑の上を大きく吹き飛ばされた。
拍子に緋羽莉はモグラの手から解放され、そのままお花畑の上へ放り出される形になる。
よく見ると――緋羽莉の目は閉じられていた。
どうやら意識がないらしい。お花畑の上で、すうすうと静かな寝息を立てて眠っている。
その姿は、まるで物語に出てくる眠り姫のようで――地下の花園の中で、ひときわ絵になる光景だった。
花びらの上に横たわる緋羽莉は、長い手足をのびやかにひろげ、まるで花園に咲いた一輪の大きな花のようだった。
健康的な肌のつや、豊かな胸のふくらみ、すらりと伸びた脚。
どれもまだ幼さを残しているのに、ふしぎと目を引く華やかさがある。
眠っているだけなのに、そこにいるだけで空気が甘くなる――そんな存在感を放っていた。
『モグー!?』
ハナモグラの群れは、一拍遅れてミルフィーヌの突然の攻撃に驚き、あわてふためく。
どうやら、あの巨大モグラは彼らのボスだったらしい。
「ふー……ふー……」
アリスはグリンの背中の上で、興奮したように息を荒げていた。
ブルーとモモ、りんごと閃芽は、少し驚いた表情で、一歩引いた目線から彼女を見ている。
緋羽莉のくちびるが奪われそうになっていた――
そう思った瞬間、アリスの怒りのメーターはレッドゾーンを振り切っていたのだ。
本当に最近、緋羽莉のことになると冷静さを欠いてしまう。
だが今回は、それが功を奏した形といえる。
『ぐっ……だれだ?』
吹き飛ばされた巨大モグラが、頭を押さえながらゆっくりと起き上がる。
そして、巨体にふさわしい野太い声で、人の言葉を話した。
『オイラと花嫁の、誓いのキッスをジャマするヤツは?』
グリンの背中から降りたアリスたちは、りんごとモモを除き、すぐさま臨戦態勢を取るのだった。




