第130話 準決勝、その前に……
「……ふう、おなかいっぱいです。緋羽莉ちゃん、うちの研究所の調理係として働きませんか?」
天野博士はシートの上で、ぽっこりふくらんだおなかをさすりながら、冗談めかして――いや、かなり本気のようすでたずねた。
「調理係だけなんてもったいないよ。緋羽莉は家事全般できるし、素直で体力もあるから、あれこれこき使えるよ?」
妹の閃芽がいたずらっ子の笑みを浮かべ、便乗するように、こちらもだいぶ本気で言ってのける。
「ダメよ、そんなの! 緋羽莉ちゃんは……」
アリスはさえぎるように言いかけて、途中で言葉を止めた。口をつぐんだまま、少しだけうつむく。その表情には、言いすぎたかもしれないという気恥ずかしさがにじんでいる。
閃芽はその先の言葉を察したのか、「はいはい」と肩をすくめて苦笑いした。
アリスは思わず顔を上げ、緋羽莉のやわらかそうな頬や、すぐそばにあるあたたかい体に目を向けてしまう。抱きしめられたときのぬくもりや、ほんのり甘い香りがよみがえりそうになって――胸の奥がきゅっとくすぐったくなった。
(……ダメダメ、そんなこと考えてたら、顔に出ちゃう)
あわてて視線をそらし、ぎゅっと自分のスカートのすそを握りしめる。言いかけた言葉の先にある気持ちを、なんとか飲みこんだ。
『そうだ、サオリさん。ぼく、ちょっと聞きたいことがあるんだけど』
ブルーが顔を上げてたずねる。沙織は彼からの質問が意外だったのか、一瞬だけ目を見開いた。
「なんですか?」
『サオリさんは、きょうチャンピオンがゲストに来ること、知ってたの?』
「どうして、そう思ったんですか?」
『前に“近いうちにシルヴァリオに会えるかもしれない”って言ってたから』
「あら、よくおぼえていましたね」
沙織はくすっとほほえんだ。
「甘く見ちゃいけないよ、沙織さん。ブルーはちっちゃくても、ドラゴンなんだから」
アリスは誇らしげに言って、ブルーをぎゅっと抱きしめる。小さな体が腕の中で安心するように身をゆだねた。
「あら、そうでしたね」
「そうですよ、沙織さん! ブルーはちっちゃくても、すごいんです!」
緋羽莉も勢いよく乗っかってきて、大きな体でアリスごとブルーを抱きしめた。
ぎゅうっと包みこむその抱擁は、ふたりのことが大好きだという気持ちを全身で表しているようで、なんとも彼女らしい。
「質問の答えですが、確かに私は知っていましたよ。今日、彼らがゲストに来ることをね」
「えー! どうして? それならそうと、言ってくれればよかったのにー!」
アリスは子どもらしく眉をひそめて、不満げに声をあげた。
「ちょっとした伝手がありましてね。それに、本人がサプライズにするつもりだった以上、私の口からは教えられないでしょう?」
「むー……」
アリスはほっぺをふくらませた。理由は理解できても、気持ちの上では納得しきれない――そんな顔だ。
(むくれるアリス、かわいいっ)
そう思った緋羽莉はにっこりと笑い、アリスたちを抱く力をさらに強めた。やわらかくも力強い腕に包まれて、アリスとブルーの頬がわずかに押しつぶされる。
(いいなあ……)
りんごはお茶を口に運びながら、ほほをほんのり染めて、その光景をうらやましそうに見つめていた。
コップを持つ手を少しだけ止め、緋羽莉の腕に包まれているアリスたちへと視線を向ける。あの包みこむようなやさしさ、安心させるぬくもり――まるで大きな毛布みたいで、見ているだけで心がほどけていく。
(……わたしも、あんなふうに大事に、ぎゅっとしてもらえたら……)
想像しただけで、頬がほんのり熱くなる。お茶の湯気にまぎれて、その小さな願いをそっと胸の中にしまいこんだ。
「そうだ、アリスちゃん。大会が終わったら、うちの研究所に来てくれませんか?」
天野博士が、緋羽莉にぎゅっとされているアリスに向かって提案する。
「あ、ごめんなさい。きょうはムリです」
「おや、どうしてですか?」
「大会が終わったら、アリスの家で優勝祝賀パーティーやるんだって」
閃芽がニヤリと笑いながら答えた。
「あら、ずいぶん気の早いこと」
オデコも丸メガネの奥で同じような表情を見せる。血のつながりはなくとも、研究所でいっしょに暮らしているせいか、どこか雰囲気が似ている。
「そんなの企画しちゃって、優勝できなかったらどうするつもりなのかしら?」
「そのときは、残念会でもやればいいんじゃない?」
「やらないよ! アリスはきっと優勝するもん!」
緋羽莉はオデコと閃芽に言い返し、満面の笑みでアリスたちをさらに強く抱きしめた。引き締まりながらもやわらかな体の感触が、アリスとブルーにじんわりとした安心と幸福感を与える。
「でも、楽しそうですねえ。私たちもお呼ばれしてもいいですか?」
「わたしじゃなくて、沙織さんに聞いてください」
「構いませんよ」
「ひゃっほう!」
天野博士は子どものように大よろこび。助手のオデコはあきれたように肩をすくめる。その反応も、どこか閃芽そっくりだった。
「あの、沙織さん! 玲那ちゃんと、地魚さんと、そのお姉さんも呼びたいんですけど……」
「どうぞどうぞ」
「やったあーっ!」
緋羽莉は左腕でアリスを抱いたまま、右手を高く上げて歓声をあげた。
「地魚さんはともかく、そのお姉さんとはまだ会ったこともないのに……」
「それどころか、剣城玲那だって、呼ばれて来るとは思えないけどね……」
りんごと閃芽は、お茶をすすりながら小さくツッコミを入れるのだった。
こうして、楽しいランチタイムは終わり……
「ではでは、私たちはひと足先に観客席に戻っていますよ。準決勝、楽しみにしていますねえ」
「優勝まであとふたつ。ブルーも、がんばってね」
シートとお弁当箱を片付け、天野博士とオデコは笑顔で手を振りながら去っていった。
「それでは、私も行きますね。アリスちゃん、今後の活躍も期待していますよ」
「わかった、沙織さん。期待しててね。かっこいいところ、見せちゃうから」
アリスは指で銃の形を作り、軽くウインクしてから、沙織の胸元へと向けて「バン」と撃つしぐさをした。
ハートに命中したのか、沙織はうれしそうにほほを染め、やさしくほほえんでからその場をあとにした。
「沙織さん、やっぱりきれいで、かっこいいなあ……」
緋羽莉は胸に両手をのせ、うっとりとした表情で沙織の背中を見送った。
地魚だけでなく、沙織もまた緋羽莉のあこがれであり、大好きな人なのだ。長身で引き締まった体つきに、すらりとした抜群のスタイル。大人のお姉さんらしい落ち着きとやさしさを兼ねそなえている。
緋羽莉はよくアリスの家に遊びに来るが、その目的には沙織に会うことも大きく含まれている。純真で素直な緋羽莉を、沙織も気に入っているようで、今朝もキッチンを自由に使わせてあげたほどの仲のよさだ。
『緋羽莉ちゃんは、サオリさんとアリス、どっちのほうが好きなの?』
ブルーはふとした好奇心から、緋羽莉を見上げてたずねた。
「いじわるな質問、しないでよう」
緋羽莉は後ろ手を組み、もじもじと体をゆらしながら、照れくさそうに笑う。
ゆらゆらと体を揺らすたびに、緋色のポニーテールがふわりと跳ね、あかるい表情といっしょにきらきらと輝く。やわらかそうな頬も、健康的な体つきも、どこか愛らしさがあふれていた。
緋羽莉の中で、いちばんはもう決まっている。けれど、それを口にしてしまえば、自分を好きでいてくれるほかの大切な人たちを傷つけてしまうかもしれない。――そんなふうに考えてしまう、やさしい女の子だった。
「ブルー、緋羽莉ちゃんを困らせちゃダメよ」
アリスは両手を腰に当て、ブルーを軽くしかった。
もっともその心の中では、(もじもじしてる緋羽莉ちゃんも、かわいいなあ)なんてことを考えているのだけれど。
『うん……変な質問しちゃって、ごめんなさい』
「ううん、気にしないで。わたしのほうこそ、答えられなくてごめんね」
ブルーと緋羽莉は、おたがいに顔を見合わせて苦笑いした。
「でも……わたしの大好きな人たちの中には、ちゃんとブルーも入ってるからね」
『あ……ありがとう! ぼくも緋羽莉ちゃんのこと、大好きだよ!』
ふたりはそろって、にっこりと満面の笑顔を見せ合う。純真で素直な性格同士、ある意味ではアリス以上に気が合うのかもしれない。
「大好きかー……パートナーのはずのわたしは、言われたことないな~」
アリスが、わざとらしくすねたような声で言う。
そのようすに、緋羽莉は小さく肩をゆらして笑った。くすくすとこぼれる声はあかるくて、楽しさがこぼれるみたいだった。
『ご……ごめん! もちろん、アリスのことも、大好きだからっ!』
「……!」
ブルーがあわてて言い直すと、アリスはなぜかドキッとした。
緋羽莉に対して感じるドキドキと、どこか似ている――そんな、ふしぎな胸の高鳴りだった。
げしっ!
『いったあ!?』
『青トカゲのくせに、生意気!』
いきなり、アカネがブルーを蹴り飛ばした。自分のパートナーである緋羽莉に、愛の告白めいたことをしたのが気に入らなかったらしい。
「……わちゃわちゃしてるところ申し訳ないけど、そろそろ準決勝の準備しなくていいの?」
閃芽は腕を組み、ややあきれたような、それでいて少し楽しんでいるような表情で言った。
「ああ、ごめんごめん! それでアリス、ちょっといい?」
ブルーをいびろうとするアカネをなだめながら、緋羽莉がたずねる。
「なあに?」
「ブルーとミルフィーヌを、あずからせてもらっていいかな?」
「え? そのつもりだったけど……まだ準決勝までのあいだ、できるかぎり訓練してもらおうと思ってたし。でも、ふたりだけ?」
「うん。それも……残りの休憩時間のあいだだけじゃなくて……準決勝のあいだも……決勝戦の前まで、あずからせてほしいんだけど」
「……へ?」
緋羽莉からの意外な申し出に、さすがのアリスもあっけにとられるのだった。




