涙の向こう側
何故か同じ物を頼んでしまった。カフェラテを………。
下村一輝はブラックを頼んでいた。
飲んでいる下村一輝を見て、想い出して涙ぐんだ。
忘れられない顔、忘れられない声、忘れられない仕草……。
どうして、こんなに時間が経っても忘れられないのか分からなくなったことは一度ではなかった。
⦅悠くんは、いつもアメリカンだった。
私はカフェラテ……。決まってたわ。⦆
「美味しいね。」
「ブラックって美味しいの?」
「うん。僕は好きだな。豆の味を楽しめるような気がする。」
「そう。」
「詩織さんはカフェラテ、好きなのかな?」
「ええ……そうね。」
「僕はブラックだな。いつも……。」
「美味しそうに飲みますね。私は無理です。」
「詩織さん……僕が詩織さんの家に行った理由、話すね。」
「あ……そうね。教えて。」
「電話架けたんだ。君に……。」
「いつ?」
「何時かは覚えて無いけど、君の家に到着する1時間…いや……45分?くらい前だ
と思うよ。」
「そう。ごめんなさい。分からないわ。」
「そうだろうね。
あの電話の君は泣いてたからね。」
「泣いてたの?」
「うん。言葉にもなって無かったな。」
「言葉にも……。」
「電話の先で君が泣くのを堪えている様子が伝わって来たんだ。
声が震えてたし、何を言ってるのか全く分からなかった。
『今、どこに居る?』って聞いても返って来なかったんだ。何も……。
そして急に電話が切れた。
行かないとって思った。
美里さんに電話して、君の自宅に向かって貰おうと思った。
美里さんはお子さんが居るから無理で。
それで、美里さんが君の自宅を教えてくれて、それで行ったんだ。」
「美里と連絡って?」
「有馬温泉で美里さんご夫妻からの提案で電話番号を交換した。
あ、LINEも……。」
「美里が……。」
「今日は助かったよ。君の元に行くことが出来た。」
「済みません。ご迷惑をお掛けして……。」
「気にしないで。僕が来たかっただけだから……。」
「泣きたいだけ泣いた方がいいよ。
泣くのを我慢するのは精神衛生上悪いらしいから。」
「うふふ……。」
「何?」
「ずっと前に似たことを言ったような記憶があるわ。」
「そうか……。出来れば誰かの前で大声で泣いた方がいいのかもね。
ストレスが発散されるような気がする。」
「そうね。」
「この間、話した元妻と君のことなんだけど……。」
「はい?」
「真逆って言っただろ。」
「ええ。」
「本当に真逆だと改めて思ったんだけど……。
その真逆は、親に愛された君と愛されなかった元妻。
だから、真逆だと思ったよ。
元妻は親の言いなりだった。
虐待を受けて育ったから親に逆らうことが出来なかったんだと思う。
弱かったんじゃないって思えるようになったんだ。
言いなりになるしかない人生を選ばされたんだって……。
今なら、もっと理解できて、結果は違っていただろうな。」
「そうですか。」
「僕も後悔ばかりの人生なんだよ。
詩織さんだけじゃないよ。」
「そうですね。」
「僕の胸で良かったら、いつでも貸すよ。」
「ありがとう。でも大丈夫。」
「そう?」
「ええ。」
「残念!」
「何?」
「胸を貸す振りして抱きしめられるチャンスだったのに……。」
「そんな……そんな気ないくせに……。」
「なんで?」
「だって、さっきも触れなかったでしょう。私に……公園で……。」
「それは、泣いて弱ってる君に不埒な真似は出来ないよ。」
「結構、紳士だって分かったわ。」
「そう? 僕はgentlemanですから……。」
「ありがとう。」
「何もしてないよ。」
「もう帰るわ。」
「大丈夫?」
「ええ。」
「じゃあ、君を信用して帰してあげます。」
「何? それっ。」
「もし泣きたくなったら電話して、直ぐに駆けつけるから………。」
「恋人でもないのに?」
「未来の恋人かもしれないだろう?」
「……そんな人は、もう一生現れないわ……。」
「詩織さん……。」
「今日は本当にありがとうございました。」
「いいえ、どういたしまして。」
「ここで、別れましょう。」
「えっ? 家まで送るよ。」
「有難いけど、もう心配しないで。」
「そう………。」
店から出て歩く私を下村一輝は見守るように見送ってくれた。
家に帰ってからも複雑な想いに囚われていた。
会えた嬉しさは消えなかった。
話せた嬉しさは消えなかった。
哀しいほどに唯一求めた人だと改めて思い知らされた。
そして、会ってしまった後悔の海も深かった。




