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『時ヲ越エシ者ヨ、ソノ身体ヲ寄越セ』
地を這うような低い声と黒い瘴気は、アッシュの足元まで伸びてきて精霊体を『喰らおう』としているようだった。
「来るな! えっあれ。ここは何処だ」
本を介して過去のアスガイア神殿に飛んでいたはずが、今はアスガイアでもなくペルキセウスでもない、どこか別の場所に飛ばされた様子。
「クルックー! これはおそらく、声の主がたどった旅の記憶ですな」
朝日と共に目の前に広がるのは、雄大な山々と草原地帯。
先程までいた石畳の道も馬車も、巡礼者達の姿もどこにもない。
だからといって無人というわけではなく、白く丸いテント群や遊牧民の姿が認識出来るようになった。
「随分とのどかな風景だな。そういえば悪魔像は、まだ肉体がある頃に遊牧民に助けられてそこの守り神をしていたんだっけ。まさか、本当に悪魔像はご先祖様なのか?」
「アッシュ様。冥府で塔に住むご老人から聞いたように、当時は寿命の精霊を像の中に収めて祀るのが流行っていたとのこと。すべての偶像がアッシュ様のご先祖、というわけではないですよ。ご安心ください」
ちょうど集落移動の時期のようで、テントは次々と畳まれて馬車に荷物が運ばれる。太陽が真上に登る頃には、一つの集落が消えていた。
ポツン、と簡素な石で作られた墓標が目に留まる。
『我が集落を守りし精霊様の墓』
まだ新しい墓標のようだが、石を積んだ墓に木製の板で文字を表示しただけだ。
「雨風に曝されれば、この墓標も残らないだろうな。声の主はこの墓標の精霊だったのかな」
「それすら定かではありません。しかし、これも何かのご縁。せっかく巡礼者の装備で旅をしているわけですし、供養しましょう」
「ああ。苦しくて肉体を求めてきたんだろうし、せめて、花くらい供えてあげたい」
墓標から少し歩くと小さな白い花畑。
この辺りでよく咲く花なのか、エーデルワイスが風に揺れている。他にも、薬草の類が家畜や集落の人々に取られることなく残されていた。
「ホホウ。エーデルワイスですな! 白は汚れない色ですし、数本拝借して、墓標にお供えすると良いでしょう。しかし、まだこのあたりの資源は残っていたのに、あの遊牧民達は移動してしまったんですね」
「そういえば……まだ草原も豊かだし、家畜の餌には困らないはずだけど。精霊様が肉体を失ったことと関係があるのかも」
「ふうむ。意外と自然に頼るというより精霊様の霊力に依存して遊牧しているという可能性も……。運よく薬草類もありますし、我々の分もいただいておきましょう」
次に別の集落が移動してくる可能性もあるが、少量の採取なら影響ないはずだ。
墓標に白いエーデルワイスを供えると、先ほどの声の主であろう精霊が姿を見せた。姿と言っても、既に黒い瘴気で全身が覆われた人影のような存在だ。
『おぉっ! その白い花は遊牧民の永遠の花。私を神と崇めていた頃は皆がこれをくれたのに、遊牧民と離れてからは骨や害虫などの呪われたものしか捧げられなくなった! 久しぶりの永遠の花……穢れが消えていくようだ』
「良かった……少しでも瘴気が消えて、楽になってくれたら嬉しいよ」
『通りすがりの精霊の若者、キミが狂いそうな私を解放してくれたのか。礼を言う……眠い、眠くなって来た。もう私は眠ろう。いつかまた、遊牧民達がここを拠点とするまで……』
瘴気を浄化した精霊の魂は永遠の花に満足したのか、アッシュに謝意を伝えるとそのまま墓標の中で眠りについた。
「精霊は永遠に近い時間を生きると言われているけど。それも浄化ありきの話ってことか。遊牧民の守り神様、お休みなさい」
精霊の旅の記憶はここまでのようだ。
夢を終わらせるように白い花びらが吹雪になって、アッシュとポックル君を優しく包み込んだ。
* * *
ゆっくりと目を開けると、ベッドの上。
異変に気付いたのか、ピンク色の鳥がアッシュの顔を覗き込む。
「キュルルン! クエスト達成、お疲れ様でした。おぉっ甦りの薬の材料がこんなに……エーデルワイスまで」
「ペリリカ君、ただいま。エーデルワイスは予定外の巡礼で手に入れただけだけど、材料に使えるならラッキーなのかな」
「ええ、調合の品質がぐーんと上がりますよ! ポックルさんは……まだお疲れのようですね」
一緒に旅をしたポックル君は疲れが抜けないのか、スヤスヤと寝息を立てて眠っている。
「瘴気の強い精霊に会ったし疲れるのは当然だ。可哀想だからポックル君はこのまま休ませるよ。なんせ、これから時を戻って冥府のペルキセウス経由で現世に還らなくちゃ。本当の意味で帰還したことにならないもんな」
アッシュの考える帰還ルートと異なり、ペリリカ君の提案するルートはもっと簡略化したものだった。
「大丈夫です。甦りの薬を調合出来たら、ここで飲んでそのまま現代のペルキセウスへ戻ることが出来ます。つまり、現世への甦りですね。そして、甦りの無事が確認出来ましたら冥府のペルキセウスへ報告を出せます」
「えっ……そんなことが出来るのか。けど、リンカネーション博士やベルナに挨拶しそびれちゃったな」
「向こうもプロですし、上からも説明があるはずです。最も安全な帰路が、ここから現世へ飛ぶコースですので。瘴気の強い精霊に会ったのならアッシュ様にも影響あるでしょうし、残り数日は療養に充ててください。瘴気の影響で悪夢を見ても気にしちゃダメですよ」
パタン!
ペリリカ君が部屋を退室し、静まった空間にはカチコチと時計の針の音が響く。
(瘴気の影響……確かに疲れているし。オレも休もう)
ひと眠りするために巡礼者の服から楽な格好に着替えて、改めてベッドを見ると時間移動前には無かったドリームキャッチャーがあることに気づく。
(この羽、ポックル君の羽にそっくりだ)
『フクロウ鳩さんの羽でドリームキャッチャーを作るの』
ふとした行動でわずかに未来を変えてしまったことに気づいたが、アメリアの祈りに守られて休めるならそれも良いと思い、異変に気づかないフリをして眠ることにした。
聖女が作ったドリームキャッチャーのおかげで、瘴気と接触した後でも悪夢を見ることは無かった。きっといつでも、アッシュにとっての聖女はアメリアだけなのだ。




