第1話 隊商
春霞みに包まれた夜明けの山野を、行商人が列となって歩いている。
藍色の雲に覆われた空の下。ラウは隣を歩く父の袖を引いた。
「お父さん、おっきな鷹が飛んでる」
「ほう、こんな時間に飛ぶとは珍しい。どこだ?」
「あそこにいるよ」
ラウは肩にかかる亜麻色の髪を揺らしながら真っ暗な空を指さした。周りの商人と同じく、白いチュニックシャツに若草色のベストをしている。
父はじいっと空を眺めたが、いつまでたっても見つけられなかった。
「真っ暗で何も見えんが……ちなみにそれはどの辺りにいる?」
「三百メートルくらい先の、白いお花が咲いてる岩の近く」
それを聞いた途端、父はがっくり項垂れた。
「ラウ、いつも言ってるだろう……。人の何十倍も見える、お前の可視距離を基準にしちゃあいかん……」
「そういわれても」
追っていた鷹は崖に隠れてしまい、ラウは視線を頭上に移した。
「何だか雨が降りそう」
先ほどから空模様が怪しい。父らを見送るため隊列に加わっているのだけど、それを終えたらピクニックをする。
だから雨が降ったら中止になる。滅多に入れない山歩き、真っ直ぐ帰りたくないので、どうにか晴れて欲しい気持ちでいっぱいだった。
「鷹が空高く飛べば晴れるという。まあ大丈夫だろう」
父のその言葉に、ラウは顔をパッと明るくした。
そこに、家に勤める家政婦のマーサが「旦那様」と呼びかける。恰幅のいい中年女で、柔和な丸みのある顔はいつになく厳しかった。
「どうした、マーサ」
「分かっているとは思いますが、お嬢様の奉公先を、この行商でちゃんと決めてきますよね?」
「うっ!? う、うぅむ……ま、まあ……」
煮え切らない父の反応に、マーサはずいと大きな身体で迫る。
「お嬢様はもう七歳でございますよ。可愛い娘をやりたくないのは分かりますが、いいかげん腹をくくって下さいまし。他国はそうでなくとも、ここルデラでは奉公に出ていない女は――」
「うるさく言われずとも分かっておる。今回の行商で、ちゃんとラウの奉公先を見つけてくる……つもりだ。きっと多分……」
「左様でございましたか」
家政婦はニッコリ満足そうに頷く。
すると横で聞いていたラウは、顔を輝かせながら父を見上げた。
「お父さん。わたしやっと奉公に出られるのっ?」
「あ、ああ、まあ、うむ……出られる、かもしれんな」
この国は『他人の飯を食ってない者は大成しない』として、五歳になった子供は五年間、親元を離れて城下町の店や屋敷などに勤める〈奉公〉と呼ばれる習わしがあった。
なのに、ラウは七歳になっても奉公に出ていない。
……と言うのも、女にとっての奉公は結婚相手を探す場でもあり、ラウは村でも評判になるほどの顔立ちであるため、父にとっては気が気でならないのだ。
「私、城下町のおっきなお店がいい! 人がたくさんいて、品物がいっぱいあるとこ! それと、商人の聖地・ジェヴァに行けるところは絶対!」
「じぇ、ジェヴァだと!?」
たじろぐ父をよそに、ラウはマーサに水を向けた。
「ジェヴァは大きな船がいっぱいあって、色んなお店がいっぱいある商業の地なんだよね!」
「ええ、ええ、そうですとも。ジェヴァはヒト・モノ・カネが集う、このララシア地方、いえ、この大陸全土において、世界へと繋がる最大ゆいいつの都市でございます」
それはもう毎日がお祭りのような賑わい。
マーサはジェヴァに住んでいたこともあって、商人の聖地と呼ばれるその街の話は、見たことがなくとも華やかな街の光景が浮かび、幼いラウの好奇心をくすぐり続けた。
「世界……私、ジェヴァに行ってみたいっ」
ラウは小さな頃から“世界”に憧れていた。
家にあった地図を眺めたことをきっかけに、その地に何があるのか、どのような地かと父に訊ねては冒険心を踊らせる。
その熱量は『男だったらきっと船乗りになっている』と呆れられるくらいだったが、最近ではそれに負けず劣らず、
――世界を見たい
――世界中の商売を知りたい
あふれ出る喜びと好奇心は、いつしか身体よりも大きな夢を抱かせるようになっていた。
「ルデラとジェヴァは交易がありますから、奉公先によっては……そうですね、布や香料などを扱う大店であればゆけますよ」
と、マーサが言うと、
「お父さん、私の奉公先はそのお店にして!」
「お、大店はほら、色んな男が働いていてロクでもなくてだな……」
愛娘の奉公に出すということは、父親にとって一種の決断。
しかしその想いは虚しく、ラウは目を輝かせながら父を見上げるのだった。




