おまけ
蛇足的なお話ですが、よければ。
ひまりと祀
無人の教室に、二つの影があった。
「突然呼び出してすまない」
「ううん、気にしないで。私も話したかったから」
「ありがとう。……あのな、ひとつ確認したいことがあったんだ」
「それって、あの噂のこと?」
今一番学校で話題の噂は、影で堅物会長と言われていた祀に出来た恋人の話だ。しかしひまりの言うあの噂というのはそれではない。二人の間にあった恋人疑惑の噂のことだった。
「ああ。もし、君がまだ俺を好きだというなら俺はそれに応えられない」
「……どうして今言うの。噂なんて、前からあったのに。ひょっとして彼女になにか言われた?」
「いや? あの子はそんなこと聞かない」
彼の最愛の人は良くも悪くも人を疑わない。特に祀に関しては全幅の信頼を寄せていて、それはどこか信奉にも似たものがあった。だから裏切られると考えたこともないだろう。祀はそれをそばで感じ取っているからいるからこそ、その信頼に足る男でありたかった。
「俺がはっきりさせておきたかったんだ」
祀は今まで自分の周囲に興味がなかった。色恋に関してはなおのこと見ないようにしていた。触れたくも触れられたくもなかった。
けれど今は違う。守りたい人がいる。誤解されたくない人がいる。事実とは違う噂はなくしておきたい。例えそれが誰かを傷つける行為だったとしても。祀にとって大事な人のために。
「……一ミリの可能性もない?」
「ない。これからも、この先も」
「……そっか。じゃあ、あきらめます」
ひまりはそう言ったが、心はそんなに簡単に割り切れるものではない。そんなこと祀にだってわかっている。だがそう言ったひまりの優しさに感謝した。
「君を好きになることは出来ないが、俺を好きになってくれて、ありがとう」
だから、祀は精一杯の誠意を見せようと思った。それが自分に出来ることだと思った。
「うん」
俯いて、頷いたひまりが綺麗に周り右をして教室を出ていく。祀は、声や、肩が、涙に震えていたのはもちろん見なかったことにした。
──こうして、ひとつの恋が終わりを迎えるのだった。
部長と朱音
男には断続的に見続けるひとつの夢があった。ぶつ切りの映画を見ているようなものだった。
いつも出てくる男が、自分なんだと気づくのに時間はかからなかった。その男は随分と血なまぐさい仕事をしていたようで常に体から鉄錆臭さがまとわりついていた。
処刑人、のような役割をしたこともあった。それは男にとって最後の仕事だった。
その相手は、どこぞの王女だった。
王女は美しい見目をしていた。その王女は男にとって馴染み深い真紅を纏い、ボロ切れを着ていても、その美しさが滲み出るようだった。こんなに美しい女を見たのは初めてで、王族というのはやはり庶民とは違うのだなと思う。
その女を手にかけるのだ。しかし男にはなんの感慨もなかった。ただ、いつも通り、身体を断ち命を狩る。それだけ。
だが、隣にいる依頼主には違うようだった。ひどく暗い表情で顔は青白くなっている。いつ怖気づいて止めると言い出すのではないか、そんな気さえした。
しかしそれは周りが許さない。敵をとると勢いづく周囲の男達からは異様な熱気が溢れている。修羅場に慣れた男ですら鳥肌の立つほどの熱気だった。
依頼主である王子は、それを腕一本で納めると、慈悲なのかわからないが王女に声をかける。
最後に王女は静かな声で王子の幸福を祈った。
そしてその首を男の刃物が断つ。
「今日はここまでか」
目が覚めて、クライマックスといえる場面で夢が終わったことを知る。
男はラストシーンであの王子と姫がどのような関係だったかを悟った。そしてその二人の未来まで断ち切ったことを知る。
男に後悔はなかったが、それ以上誰かを殺すこともなかった。その後は身寄りのない子供を拾っては養い、育て、後年眠るように息を引き取った。
そして、別の人間として生まれた。
前世と同じように刃物の使い方が上手かった男は、調理師になるために部活に入った。何をどうして間違ったのか一時は生徒会長なんぞになってしまったが、幸いにも優秀な後釜が見つかったのでそちらに譲った。かつての王子ならこれほど相応しい人間もいないだろうと。
自分が誰かなんて知られる必要は無い。 ただ、己が引き裂いた過去が、再び巡り会った奇跡が起きたのだから、今度はそれを繋ぎたいと思った。それだけのことだ。
「朱音くん。君は今幸せかい?」
いつぞやぶりの二人きりの茶会。男は何気なく尋ねた。心拍は幾許か、高くなっている。
「はい、とても」
そう笑った顔に男は、安堵と、少しの罪悪感を感じて苦笑いした。
「……そういえば彼は部長のおかげだって言ってました。貴方がいたから、勇気が出たのだと。だとしたらお礼をしなくてはいけませんね」
男の心の棘を見抜いたような微笑みに、ますます苦笑いするしかなかった。
ああ、彼女にはきっと適わない。自分も、あの男も。
──それでいいのだと、思った。
彼女ではない彼女には償えぬ罪過がある。贖罪などには遠く及びはしないけれど、今ここにこの笑顔があることが、男にとって何よりの救いなのだと実感した。
「いいや、お礼をするのは僕の方さ」
「どうしてですか?」
「理由なんてなんでもいいよ。それより君の好きなケーキを教えてくれ」
「私は部長の作るケーキだったらなんでも好きですよ。とても優しい味がするんです」
「……、そうかい? それは、嬉しいな」
男は思わぬ言葉に一瞬、胸が詰まって誤魔化すように笑った。
腕によりをかけておいしいケーキを作らなくちゃね、と。
おしまい
これにて完結!ありがとうございました。