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おまけ


 女じゃねーか、これ。

 隣でちまっと腰掛けたままそっと辺りを伺っているやつを見て、狩野は眉を寄せた。

 女子の制服を着ているそいつは、唇を真一文字に引き結んでカチコチである。ちらりちらりと周りを盗み見ては眉を下げてため息。落ち着きがない。

 骨格からしても、女子だろう。線が細すぎる。なんでまたこんなところに来たんだこいつ。この学校の評判を知らないわけではないだろうに。


 教員席を見ると、叔父は素知らぬ顔でポケットのハンカチーフを整えている。次に祝辞を述べるはずのくせに、みんなジャガイモだと言わんばかりに異様なざわめきも完全に無視だ。つまりはすべて了解しているということで、狩野がこのクラスというのも意図的だと想像に容易い。

 椅子の上で踏ん反り返っている狩野は、小さく舌打ちをして眉を寄せた。

 たぶん隣のそいつには寝ていると思われているのだろう。さっきホッとしたようなため息が聞こえた。それ以後、狩野のほうを気にしている様子はない。

 だから狩野は、おい女が、なんて囁いているやつらへ、隣が気づかないうちに睨みを利かせることにした。周りで不自然な寝息が増えていくと、遠くで叔父がにやにやしだして狩野はこっそり舌打ちをする。まったく忌々しいことだ。


「あ、お隣さん? ボク、小柴真知っていうの。よろしくねぇ」


 にっこり満面の笑みで小首を傾げるのを見て、狩野はふうと息を吐いた。

 入学式が終わってざわめきに支配されたところで、甘ったるい声がかけられたのである。

 なるほど、そういう回避方法か。

 狩野は内心で意外だなと思った。ビビって明日から出てこないと予想したのに。少しは気概がありそうだ。

 そして、こんな学校で不良とよろしくしないといけない事情があるらしい。それならお手並み拝見といこうじゃないか。

 爪が白くなるほどスカートを握っている手を見なかったことにして、狩野は椅子をギシリと鳴らして立った。


「なんだ、男か。ずいぶんイイ趣味してんのな」


 狩野がそう言えば、ここではそういうことになるだろう。

 相手が目に見えてホッとしたのに危なっかしさを覚えたが、すぐに周りからは落胆のため息と情けない悲鳴が上がったから、効果は上々。よしとしよう。

 唇の端を上げて、狩野は小さな背中を廊下へ促す。男どものむさ苦しい流れをとっとと抜けて教室に入ると、迷わず真知の横にどっかりと腰を下ろした。






 初めのころはビクビクしていたくせに、最近は狩野がわざと視線をキツくしても、舌打ちをこぼしても真知はにこにこしている。

 生活リズムも整い始めて余裕が出たのだろう。毛艶もずいぶんよくなった。

 真知が真剣にノートを開いて教師の話にうなずいているのを見ると、こんな学校でも楽しいものなんだなと不思議な気持ちになる。

 初めて知ったと目を丸め、照れながら頬にえくぼができるまでを眺めるのは、思いのほか悪くない。


「マッチー、修学旅行どこがいい?」


 チャイムが鳴ってざわめいた教室に、間延びした声が響いた。

 帰る格好でカポカポ上履きを鳴らしながらやってきた日下は、あざとく首をかしげると真知の机を覗き込む。それに合わせて茶色く染まった前髪がさらりとなびいた。

 バッサリ切り落としてやりたいと思う狩野をよそに、日下は勝手に鞄をその辺の机に放って真知の前の席に腰掛けた。

 真知の手には終礼で配られた希望調査のアンケート。

 シンガポール、中国、マレーシア、オーストラリアと候補が並んでいる。日程はどこも五泊六日と書かれていた。


「……修学旅行って、三年生じゃないの」


 ガーン、と音がしたような錯覚さえ起こさせるほど、衝撃を受けた顔で真知はようやくプリントから視線を動かした。えっえっえっ? と担任の話についていけずに目を白黒させていたと思えば、まずはそこで引っかかっていたらしい。

 狩野はタブレットをいじりながら呆れの視線を送った。


「三年だと受験とかあるからな。だいたい高校は二年で行くぞ」


 ガーン。

 ますます悲壮な顔ができあがる。頑張ってカールさせている睫毛まで下を向いてしまいそうだ。


「そうなの、知らなかった……そっかあ、間に合うかな」


 しょんぼり肩を落としたのに、日下がぱっちりした目を瞬かせた。うかがうように狩野へ視線をよこしたが、あいにく狩野だって事情がわからない。

 レート画面をホームに戻した狩野の横で、真知はうむむと腕を組んで傾いている。


「振り込みでもう引かれてるとか、そんなことないよねえ。今回は行ってみたかったんだけど」


 思わず狩野はぐっと眉を寄せてしまった。

 嫌になるくらいその言葉で真知の言いたいことがわかって、内心で舌打ちをする。


「……行ったことねえの」

「ええと、そうだねえ、学校で自習だったかな」


 ああ、胸糞悪い。本当に、ここの家の親は。

 斜め前でも日下が真顔になっている。真知のことでは、お気楽なこいつまでこんな顔をすることがあった。

 狩野は日下と長い付き合いだが、のらりくらりとしている悪友がこんな顔をするのは意外とも思えた。

 彼の家も結構な放任主義だが、金は勝手に使えとカードを渡されているタイプだ。真知とは種類が違う。ほかの生徒たちも金さえ積めば馬鹿でも入れるこの学校にいるのだから、真知は異様な境遇である。


 真知のされていることは、一種の虐待だと思っている。

 真知の両親に稼ぎがあるだけ、逆に厄介でもある。困窮家庭ならば使える制度だってあっただろうに、金はある、家もある、両親もいるから当てはまらないようだった。ただ真知に関心がないだけ。

 中学の担任も相当手を尽くしたらしいが、変に頭の回る両親はうまいことすり抜けてしまったのだと、狩野は真知から聞いた話から察している。

 それとなくそんなことを言ってみたが、殴られたこともないから心配のしすぎだよ~なんてケタケタ笑っていた。暴力だけが虐待ではないのだと、自覚がないやつに言っても入っていかないのだ。


「まだ間に合うならバイトしたいなあ。ふたりとも、どっかいいとこ知ってる? 月3万くらい稼げたら足りるかなあ」


 指を折って時給の計算をしている真知は、うむうむ唸りながら首を傾げている。

 私立校だと大体海外へ行くことが多く、この学校も例に漏れず毎年海を越えている。費用としては十五万円前後だが、たぶんこの調子だと真知はキャリーバッグなども持っていない。

 それに生活費の確保だって必要になると、三万円では苦しいだろう。この先、親からの援助が絶たれる可能性だってある。


「……バイトはいくつか聞いてみる」


 ぴょこんと真知の顔が上がった。狩野は廊下の向こうを顎で示す。


「先に担任に支払いの相談してこい」

「わかった、先生に言えばいいのね? 狩野ありがとう~」


 ぱっと表情を明るくした真知に、日下が慌てて手を挙げた。


「オレもオレも! マッチー、オレも探すからバイト勝手に決めたらダメだよ。センセーのオススメもロクでもないからね」

「わかった~」


 さっそく行ってくる、と廊下へ駆けていくのに日下は手を振り、狩野は鼻で返事をした。すると廊下からはマッチーどこいくの? 狩野は一緒じゃねーの? なんて野郎たちの声が響いてくる。

 今となっては真知の性別はあまり関係なくなっているようだった。

 やっぱり女子なんじゃないかと思ってるやつもいれば、ああいう男だと思っていたりどっちでもいいと気にしていなかったり。


 初めはからかうやつもいたが、真知の様子を見ているとどうでもよくなったのではないかと思う。

 真知は、毎日楽しそうなのである。思わず強面たちが微笑んでしまうくらいに。それに水を差すのも野暮というやつだ。

 日下は日下で、性別はどうでもいい派らしく初めからそのまま受け入れたひとりである。

 軽い足音を見送っていた日下は、手を下ろすと、むっつりした顔で狩野を振り返った。


「狩野ぉ、早く囲っちゃえよ。マッチーのこと気に入ってるんだろ」


 なにを言うかと思えば。日下らしい物騒な言い方である。

 狩野はため息をつきながらタブレットに戻った。グラフの曲線と数字の海を眺めながら指で液晶を叩き、画面をいくつか起動させていく。


「手を貸すのは簡単だが、まだ全部に保護者許可がいるだろ。あの親は面倒臭い。せめて成人してからだな」

「長いよぉ。あと四年もある」

「小柴だと五年」

「長いよぉ!」

「そもそも、あいつが望まない限り駄目だ」


 うまく引き離してやりたいとは思うのだけれど、そこに本人の意思がなければ狩野たちがなにをしたって意味がない。

 日下は唇を尖らせたまま、べたーっと机に伏した。狩野も日下も一年留年しているから真知とは歳がずれている。

 去年ここへ入学して、ふたりして投資やら為替取引やらに手を出したらうまいこと稼いでしまって、学校よりもそちらに熱を入れたのである。円高の波と勘と運の良さの賜物だろう。


 もともと見た目のせいで喧嘩を売られ、しかたなく勝っていれば腕っぷしも上がった。狩野は逃げ道をふさぐタイプ、日下は拳で黙らせるタイプで親の権力も使い放題。

 負けなしと恐れられる中学生時代を経てからの荒稼ぎだったため、やたらと名前だけは広まった今では周りから一目おかれる結果になっていた。

 狩野の場合は、家がこの学校関係者ということも拍車をかけているわけだが。


「おまえ、大学行くんだろ? 行ったあとどーすんの」


 机に肩頬をくっつけたまま日下が視線だけよこしたのに、狩野はタブレットをいじりながらあっさり答えた。


「起業だな。二年くらいならどっかに勤めてもいいけど」

「それまで、マッチーどうすんの」


 タタタッと液晶を叩いていた指がピタリと止まる。けれどもすぐにまた滑らかに操作を再開させた。ふんと鼻が鳴る。


「……あいつは卒業したら勤めるだろ。ちゃんと働けるとこならそのまま続けるのがいい。金がたまれば選択肢も増える」


 本当は進学できるのが一番だろうが、今の真知の状況だと難しいだろう。

 本人も高卒で就職することを微塵も嫌がるそぶりもない。それが当然だとばかりに先のことを話すのを聞きながら、狩野は何度もため息と舌打ちを飲み込んでいた。

 別に高卒が悪いわけじゃない。

 それしか選ばせないところが腹立たしく、そんな親が勝手に狭めた世界でにこにこ笑っている真知を見ると虫唾が走る。

 乞うのなら、ここに、助け出せる腕があるのに。

 真知はただただ、勝手に敷かれた道が正しいのだと自分を納得させながら歩いている。


「まー、マッチーにはやりたいことやってほしいよなぁ」


 ぼやいた日下の声が夕日の差し始めた教室に広がった。

 曲線を追いながら狩野は軽く肩をすくめる。


「家からは出るように仕向けてみるつもりだ。あとは潰れないように見てればいい」


 支えるにはなにか理由をつけて真知を納得させる必要があるから、手を出しすぎるなと日下には言ってあった。

 狩野が弁当を食べたいから、作らせる代わりに材料を用意して真知の食事を確保する。狩野が復習をしたいから、真知の勉強に付き合って基礎を叩き込んでいる。そういう、誤魔化しのきくものが望ましい。今ならまだ騙されてくれている。

 数字を打ち込む視界の端で、日下がにやりと唇を曲げた気配がした。


「なんだかんだ、やっぱり気に入ってんじゃん」

「おまえもウザいくらいに構ってるじゃねーかよ」


 他人に興味なんてなかったくせに。

 ちらりと視線をあげると、犬猫を前にしたときのようにニッと日下は歯を見せた。


「だってマッチー、素直でかわいー」


 捻くれまくったやつにとって、どうやら真知は愛でる対象らしい。

 気の毒だと思いつつ、それでも日下の目もあれば余計に周りのやつらも下手なことはできないし、真知にとっても悪くない。友達ができてうれしい、なんて言ってるのを前にすると細かいことはどうでもよくなるから不思議だ。





 そうこうしていると、軽い足音が響いてきた。

 まっすぐ向かってくるのに合わせて、野郎どもが声をかけているのが聞こえる。バイバーイとやつらに手を振りながら真知が戻ってくると、日下がひょいと体を起こした。


「おっかえりー。どーだった?」


 すとんと席に収まった真知は、赤い頬にえくぼを作る。狩野が思ったとおり、担任も悪いようにはしなかったのだろう。


「なんかね、大丈夫そう。まだ行き先決まってないけど、たぶん十五万くらいなんだって。バイトするから待ってほしいってお願いしたら、理事長先生に相談するからまたあとでって言われたー」

「あー、理事長かぁ」


 日下がちらりと狩野を見た。

 そうなることは想定内だったから狩野は無視をする。どうせ叔父のことだ、あとで連絡してくるはずだ。話はそれからでいいだろう。


「あとは大人がやることだ、放っておけ」

「でもバイトはしないとだよね?」


 お金がないとまた留守番になっちゃう。ぼやきながら腕を組む真知に、うんうんと日下がうなずく。


「オレもマッチーと修学旅行したい~」

「ボクも行きたいから、がんばる~」


 ふたりで笑いあってる光景に呆れながら、狩野はパタンとタブレットのカバーを閉じた。


「小柴。自分で見つけてもいいが、決める前にどこにするのか教えろよ。こっちも探してはみる」

「うん、わかったー」


 日下の言うとおり、まだ先は長い。

 ここを卒業するまでにも二年以上ある。宇宙語だなんて渋い顔して言ってた古典の授業が、今ではすっかり楽しみになっているように、それまでにまた変わることだってあるだろう。

 狩野は襟足を混ぜてからガタンと椅子から立ち上がる。差し当たり、真知の修学旅行参加を叶えたいところだ。


 帰るぞと促せば、日下は空の鞄を引っ掛けて、真知は空の鞄へノートをしまい始める。

 今日はスーパーには寄らない日だなとぼんやり思う狩野の横に立つと、真知は鞄を抱えたままパッと瞳を輝かせた。


「あ、夕星だ」


 空の一点を指して、覚えたての言葉を紡ぐ。

 橙から色を変えていく雲の隙間に、今しか見れない惑星が顔を出していた。


「ねー、狩野。与謝野晶子で一番星の歌ってある?」

「さぁな」


 短歌を載せた雑誌が明星だったことは知っているが、狩野はもともと興味があるわけではない。

 素っ気なく返せば、ふうんと妙に納得したような声がする。


「さすがに狩野も全部は知らないのかぁ。あの人だと今の気持ち、どう表すのかなと思ったんだけど」


 先日知った和歌を殊の外気に入ったらしい真知は、図書室から借りたみだれ髪を鞄から引っ張り出してパラパラやり始めた。

 図書室の使い方を覚えたのは先日だが、しっかり活用しているようである。


「マッチー、がっこ、楽しい?」


 やわ肌の、と書かれた明朝体を追う真知へ、まだのんびり座っていた日下が、夕日に目を細めながら口を開いた。

 昨日突っかかってきた三年生相手に、足で壁ドンしていたやつとは思えないほど、穏やかでやわらかい眼差しだった。


「うん、楽しい。今日がもったいなくて、明日も楽しみ」

「そっか。ならよかったー」


 ふんと狩野は鼻を鳴らした。よくねーよ、ぜんぜん。

 しんどいよりはよっぽどいい。が、そうじゃないだろう。それこそ、もったいない話だ。

 娯楽も学びも出会いも、ここ以外にたくさんある。ここだけで、満足してる場合じゃないはずだ。それなのに、まったくこいつときたら。

 眉を寄せて憮然とした狩野へ、日下がにやりと笑ってみせる。狩野が眉を寄せるより早く真知へと視線を戻すのが腹立たしい。


「マッチーは、生まれたてだからねえ。はやく大きくなれるといいね」

「なぁにそれ。ボクもう高校生だよ?」

「そうだったー」


 ケタケタ笑う真知に、日下も一緒になって肩を震わせる。とぼけた調子に狩野は肩をすくめた。

 質の悪いやつだと思いつつ、その言葉どおりだと内心でうなずく。

 のんきにしている真知だって手元の歌の意味が、自分に降りかかっているのだと気づくことだってあるかもしれない。それくらい、いろんなものを自分の中に取り込んで、ようやく自分というものを作り始めた。生まれたて。たしかに、そうだ。

 だから狩野は思う。

 彼女が転びそうなとき、振り返ったとき。いつでも手を差し出せる自分でありたい。

 さびしさに気づけるようになったとしたら、見える世界も今とは変わっているだろう。そうなるために、踏み出す一歩を恐れないでいいのだと教えてやらねば。

 狩野は夕日に染まった赤い横顔から視線を外して、ゆっくりと息を吐き出した。

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